第十一話 魔女との契約その五
魔剣を手に跪いたままのお嬢様は目を伏せ、茨の魔女の次の言葉を待っている。魔力の煌めきを放つ魔剣の柄を手で押さえ、暖炉の揺れる炎を全身を覆う板金鎧に受けるその姿は、僕には物語りに登場する伝説の騎士の様に見えた。
「・・・骸の騎士」
僕の呟きに魔女は頷く。
「そう、骸の騎士だ」
茨の魔女は立ち上がると緩やかにお嬢様に歩み寄り、黄金の髪で隠れたお嬢様の横顔に手を伸ばしそっと起こした。
「堅苦しい帝国騎士の作法は私の好みではないさ。君は我が騎士ではあるが、友人としても接して欲しいと思っている」
変わらぬ微笑みでそう告げ、魔女はお嬢様の髪の一房を指先から零す。
「・・・さあ、昔話をしようか。君達には知っておいてもらいたい事だからね」
魔女は軽やかに踵を返し、再び暖炉脇の焦げた椅子に腰を降ろす。お嬢様は鎧を軋ませ立ち上がると元の姿勢に戻り、その視線を魔女へと向ける。
その瞳に、僕は映っていなかった。
「昔話とは言ったが、ほんの少し前の話さ。魔女の家が燃え落ちる前の、吹雪きで森が白く覆われた・・・それは骨まで沁みる寒い日の出来事から始まった」
目を瞑り、茨の魔女は静かに語り出した。
「・・・凍える森の奥で、泣いている子供を拾った。そうだね、君よりもっと幼い男の子だ。森の奥で力尽き冷たくなった母親に縋り付き、泣いていた幼子・・・その子の名はベルクト。君達の良く知る・・・後に簒奪王となるベルクトだ」
「幼子が纏う上着には王家の紋章、その下にベルクトと名が金糸で縫いこまれていた。息絶えた若い女もまた、高い地位にある婦女が好む服装で着飾っていた。森で拾う行倒れには随分不釣り合いな装いだが、状況から推測は出来る。厄介事だよ。王族が身に纏う装束を着た幼子と、矢傷を負い息絶えた母親らしき着飾った女とくれば概ね状況は推測できる」
茨の魔女は暖炉脇に詰まれた薪を拾い上げ、幾本か燃え盛る炎に投げ入れる。
「関わり合いになれば災いが降りかかる、そういった類の行き倒れさ。この国の王妃の嫉妬深さ、執念深さは国の者なら知らぬ者は居ないだろう。王家に関わりある者の行き倒れ等知らぬ振りで通り過ぎ、見なかったことにしておくのが選択としては正しいのだろう」
魔女は爆ぜる薪を見つめたまま、言葉を繋ぐ。
「しかし正しさとは人によって違うものだ。そもそも行き倒れの親子を助けてはいけない、手を差し伸べるなど厳罰に処すなどという法は聞いたことが無い。善良なる者が、災いは避けたいがそれでも母を亡くしたばかりの幼子の泣き声に、心を動かされた事を責めるべきでは無いだろう。国の法に触れる行いであれば、大なり小なりの裁きを受けることもあろう。だが法に定められていないからと言って、捕まらなければ何をしても良いともならない。事の良し悪しは結局、個人の判断に委ねられる。その結果どのような結末を迎えようと、その判断を下した者が負う事を否定はできない」
少しの間を置き、魔女は続ける。
「・・・それがどれほど理不尽であろうと。行為と結果の辻褄が合わない事はよく在る事だ、君達も心当たりがあるのではないかな?これはそういった類の結末を迎えた」
茨の魔女は顔を上げ、僕に視線を向ける。
「幼かったベルクトは直ぐに少年となり、そして逞しい青年となった。王の子であるベルクトとして、不相応な野心を燃え滾らせる事も避け難いほどにね。あの子はこの家から逃げ出すように出て行き、そして近くの村で傭兵崩れと挙兵した。馬鹿な子だ。そんな生き方をしなくても良い様に、この森で生きる術を授けられたというのに。愚かな子だ。そうならない様、この魔女の森で育てられたというのに。ベルクトはこの家の地下に眠る数多の魔剣を奪う為、傭兵達を引き連れ現れた。制止も聞かず押し入り、ならず者共は部屋中を踏み荒らした。遂には地下への隠し戸を破り、歓喜の声を上げる仲間達にベルクトは魔剣を分け与えた。どうなるかも考えずに。その内の一振りが炎を巻き上げ柱を焼き焦がし、梁を屋根を燃やし尽くした。その内の一振りが嵐を巻き起こし、煉瓦の壁を屋根を崩し吹き飛ばした。その内の一振りが地鳴りと共に周囲の大地を隆起させ、家の周囲を覆っていた石積みの外壁を森の一角ごと地の底へ呑み込んだ。永い年月をかけてこの森中から集め育てた薬草園も、毒草も、何もかもが一瞬で潰えた。全てが、魔剣が引き起こす災いで終わってしまった。燃えた柱も梁も、崩れた壁もそのままに。ここは止まっている」
魔女の瞳は僕を見据えていた。
「持ち去られた魔剣が引き起こす災い、ベルクトが招いた戦渦は国中に死者を溢れさせた。魔剣を携えた一団は差し向けられる討伐隊を事も無げに殲滅し、王都に向け進軍した。途中にある村々は略奪され、屍の山が出来上がった。王都を守る騎士達を襲う魔剣の威力は凄まじく、騎士共々城壁は打ち砕かれ王城の庭は死骸と瓦礫で埋め尽くされた。尖塔に隠れていた王と王妃は引きずり出され、まだ幼ない王子や王女と共にベルクトによって無惨に殺された。その骸は王城の門から吊り下げられ、蛆が湧き腐臭を放つまで晒された。王都の民達はさぞ震えあがった事だろう。その矛先が自分達に向く事を怖れた有力者たちは、血に濡れた王冠を頂くベルクトに祝いの言葉を述べ平伏し新たな王に向かえ入れた。各地の軍勢をまとめ率いる兄王達とそれに続く貴族達もまた次々討たれ、そしてベルクトを残し王族の血は絶えた。死体がそこかしこに打ち捨てられ、それを埋葬する者も無く獣に食い荒らされる様は見るも無残と言える。そんな光景が王都周辺のみならず、王国中に広がっていた。ベルクトの率いた傭兵達だけではなく、周辺国からならず者達が動乱を幸いと僻地の村々を襲っていたからだ。生き残った者達は王都へ向かいベルクトに助けを求め、若き王はそれに答えた。少数の手勢ではあったが魔剣を有する者が率いる討伐隊は、王の領地を略奪する者共を一掃した。王は討伐隊を率いた者達に爵位と領地を与え、その地の守りとした。しかし元が傭兵崩れの連中だ、勝手に手勢を集め隣国へ手を伸ばす者が現れた。王とは何たるかを知らぬベルクトは、配下を抑える事が出来ぬまま愚行を許した。戦火の拡大が始まってしまったのだ。以降この地は周辺国と争いを繰り広げ、領地を奪い奪われを繰り返すようになる」
魔女は口をつぐみ、新たな薪に手を伸ばし暖炉で燃え盛る炎に放り込んだ。
「・・・結局の所、森で泣く幼子を助けなければよかったのだ。あのまま凍え死んでいれば、国中に死者を溢れさせることは無かった」
私が言うべきではないだろうがね、と呟き魔女は再び僕を見た。
「さて、私の話をしよう。ベルクトによって死者がそこかしこに打ち捨てられるようになった、無論埋葬する者も多少はいたが到底それで死体が綺麗に消える訳では無い。戦場となった地に、捨てられた村々に放置された死骸を何とかしなければならない。そのままにしておけば死者の魂が迷い、己の身体に戻り彷徨う事もあろうし病を撒き散らす事もある。彷徨う死者の話は聞いたことがあるだろう?噂話ではなく実際彷徨い出すのだ。死体が皆そうなる訳では無いが、あそこまで死体がそこかしこに打ち捨てられればいくらかはそうなるという話だ。そこらを歩き回る程度なら放置していても良いが、問題なのは彷徨う死者が生きている者を襲う事だ。未練か恨みか何の執着かは知らないが、見境なく生者を襲い出すのが始末が悪い。なので私が死体を集め、この森の奥へ誘い埋葬している。ベルクトの事もあるし、まあ何かしらすべきではあるのだろう。死者が死者を生み出す悪循環を放置するわけにはいかないのでね、なにより彷徨う死者で私の森の景観が宜しくは無くなるのは見過ごせない」
何処か他人事の様に、魔女は微笑みを浮かべたままだった。
「この森が冬期を迎える事を数えるには両手の指でも追いつかなくなった頃、茨の魔女が死体を誘う噂話も酒場では良く語られる様になっていた。私はいつもの様に新たな戦場に出向き、そして君と出会った」
僕は思い出す、打ち捨てられたお嬢様の首を。目の前に現れた魔女の姿と声を。その恐ろしさを。
「君の願いを聞き、そして君のお嬢様を知った。私は長らく死体を集め埋葬するだけだったが、別の選択肢を得た事を知った。そして意味を理解した。今となっては君には悪い事をしたと思っている、しかし私にとってはこの機会を逃す手は無いという事実もまた理解して欲しい。そう、骸の騎士。骸の騎士だよ。ベルクトへの報復であり、奪われた魔剣を回収する好機なんだ。ただ死体を集め埋葬するだけだった日々を、終わらせる事が出来る。魔女から奪った全てを、ベルクトの坊やに清算させる事が出来る」
恐ろしい、改めて僕はこの茨の魔女を恐ろしいと思った。優し気な笑顔はそのままで、しかしその奥に暗い闇が渦巻いているように感じた。
「君達に、君のお嬢様にやってもらい事は今話した通りさ。ベルクトとその配下を打倒し、彼らが所有する魔剣を回収して欲しい。無論簡単な事では無いだろうし、困難も伴うだろう。しかし、成し遂げて欲しい。その為の助力は厭わないし、私に出来る事であればいくらでも協力するさ。その為のポードボーグであり、ベルリアス卿であり、イシュカーンだ。もっともこの妖馬は気紛れで、いつでも君達に力を貸す訳ではないだろうがね」
そこで一旦妖馬へ目を向けた魔女は、そのまま横目で僕を見た。
「これが私が君達に望む事であり、君と交わした契約でもある。君は私との契約を果たす義務を負い、その見返りに私は君の願いを叶えた。もっとも、お嬢様を生き返らせて欲しいという願いは叶えられなかったがね。その分値引いても君はお嬢様と話せるしまだまだ一緒に居られるのだから、不平等な契約内容ではない筈だ」
僕にはその言葉に頷くしか出来なかった。
「かならず、契約を果たします。僕に出来ることは、いえ出来ないことでもやり遂げます」
震える声を絞り出した。僕に出来る事は何でもやる、それはお嬢様に仕える事となったあの日から変わらない誓いだった。そして、これはお嬢様への新たな誓いでもある。僕は必ずお嬢様をこの契約から解き放つ、それが今の僕に出来ない事であっても、かならずやり遂げ誓いを果たすのだ。
-つづく-