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骸の騎士  作者: 雪民乃翁
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第十話 魔女との契約その四

背の高い木々から伸びた枝葉が朝の日差しを遮り、森の中はどこまでも薄暗くそして静かだった。

僕はお嬢様の言いつけ通り、岩棚の湧き水から続く道を離れ森の中を散策していた。

張り出した根を跨ぎ、朝露で濡れた苔で足を滑らせない様気を使いながら進む。一晩寝たからか身体の具合は良かった。あの凍り付きそうな骨身に沁みる夜の寒さとは違い、森の中は毛皮を纏う必要は無いぐらいの肌寒さだ。こうして歩いていると身体が温かくなり、汗ばんでくる程だった。

狭い木々の隙間を抜けた時、いつの間にか開けた丘に出ていた。慌てて振り返る、魔女の森は背後。高い日差しにもかかわらず、生い茂る森の樹々に遮られ奥は見通せない。青空の下なだらかに続く丘の先を見れば、遠くに畑らしき耕作地が広がっていた。

あの丘を二つ三つ下れば村が、農村があるのだ。僕は考えるまでも無く踵を返した。

このまま駆け出せば恐らく村に辿り着く、そこで助けを求める事も出来るのだろう。しかし村人に状況を話し助けを求めたところで、あの恐ろしい茨の魔女に打つ手があるとは思えない。なによりもお嬢様をあのままにしておいて良い筈が無い。

僕はあの魔女と契約を交わしている。この心臓と血とを引き換えにお嬢様を呼び戻してしまった。ならば、お嬢様を魔女との契約から解き放つことが僕がすべきことなのだ。今はまだどうすれば良いのかすら分からない、でも何かある筈だ。契約に背いても、例え僕がどうなっても。お嬢様を助けるために働くのだ、忠義に身を尽くし仕えるのだ。

両親に連れられて御領主様の前に立った時に、お嬢様にそう誓ったのだから。

薄暗い森に踏み込み、魔女の庵へと続く道を探す。そんなに離れていない筈だ、岩棚の湧き水の道からほんの少し樹々を抜けて歩いただけなのだから。

森の奥へと進みながら、岩棚を探す。きっとすぐ見つかる、そう自分に言い聞かせながら道なき森を進む。不意に視界が開け、僕は切り立った崖の淵に出ていた。足元の小石が転がり落ちる。もし走っていたらそのまま足を踏み外し、この崖から転落していたのかと思うと背筋が冷たくなる。森に踏み入ってからそんなに時間は経っていない筈、どうしてこんな崖に出るのか訝りながらも僕は引き返す。

そして数歩進んだところで言葉を失った。

目の前には青空と連なる白雲、なだらかに続く丘の先には見覚えのある畑。振り返れば日差しを遮る薄暗い森が広がっていた。不安と恐怖が僕を駆り立て、このまま丘の先へ駆けだしたい衝動に襲われる。あれは魔女の森なのだ、普通の森ではないのだ。お嬢様の元へ帰れなくなった事が僕をあの夜に、討ち取られたお嬢様の首の前に立った夜に引き戻した。

「お嬢様!」

堪らず叫び、歯を噛み締めながら森へ引き返す。考えなど無かった、ただただ走った。木の根に足を取られ転がり、頭をぶつけ血が出ようと構わず走った。何度森から追い出されても、僕はその都度踵を返し森へ駆け戻った。お嬢様の元へ戻らなければ、その思いだけで不安と恐怖を押し込み森へ踏み入る。

崖に出た、森から出た、再び崖。どれだけ進む方向を変えても、見覚えのある崖か森の外に出てしまう。何度目かの崖で遂に僕は力尽き、崩れるように倒れ転がった。

「う、ううう、お嬢様・・・お嬢様」

倒れたまま泣き続ける僕に、何かが触れた。

金色の柔らかな髪の房。

「お嬢様!」

僕は顔を上げる、いつまでも戻らない僕をお嬢様が迎えに来てくださったのだ。

「申し訳ありませんお嬢様、いつの間にか森から出てしまって。何度も引き返したんですが戻れなくて」

涙で濡れた顔を、血と泥を拭い姿勢を正す。叱られても仕方のない失態だ、お嬢様の手を煩わせてしまった。

「申し訳ありません、お嬢・・・様」

しかし僕の目の前にいたのは、お嬢様ではなかった。

黄金に輝く鬣に毛足の長い同じ金の尻尾、しなやかな白い毛並みは宝石の様に日を浴びて輝きを放っている。引き締まった筋肉に覆われた四肢は力強さに満ち、濡れたような漆黒の蹄が大地を踏みしめていた。

僕を見る黄金の瞳はどこまでも透き通っていて、まるで心の中を見透かされたような不思議な感覚に襲われた。

言葉を失い呆然と見上げる僕をしばらく見つめていた白馬は、すぐに興味を無くしたのか崖に生えた草を咥え毟る。意外と大きな音を立てて次々草を毟り食べていく白馬は、僕を押しのけめぼしい草を食べつくした。そしてまだ足りないのか、鼻を鳴らしながら大きな体を揺らして森の中へ引き返す。

「まって!」

思わず僕は叫んでいた。

「あの・・・」

白馬は面倒くさそうに立ち止まると振り返り、僕の次の言葉を待っている様に見えた。

「茨の魔女の家に戻りたいんだけど・・・知ってる?」

馬鹿な話だと笑われるかもしれない。でも僕は何故か、この馬が言葉を理解していると思ったのだ。

「何度戻ろうとしても、森から出るかこの崖に来てしまうんだ」

お嬢様と同じ金色の鬣と尻尾を持つ白馬は、ついて来いと言いたいのか尾で頭を叩き歩き出した。僕はその後を離れない様に追いかけ森の中へ踏み込んだ。


揺れる金色の尻尾を追いかけ、いくつかの背の高い木の横を抜けるといつの間にか見覚えのある場所に出ていた。

湿気を帯びた風が流れる道を辿れば、樹々の影にあの岩棚が見える。振り返ると白馬は既に魔女の庵へと続く道を進んでいた。僕は慌てて走り駆け寄る。

「ありがとう!ありがとう!戻ってこれたよ、君のおかげだ!」

僕の感謝の言葉に、白馬は金の尾をより大きく揺らした。

茨の魔女の庵の前に、鎧姿のお嬢様が見えた。僕は白馬を追い越し駆け寄った。

「遅くなってしまい、申し訳ありませんお嬢様!」

「・・・お前は・・・」

目を見開き何かを言いかけたお嬢様の口が、閉ざされる。

「お嬢様、僕は」

「何故戻ってきたのです」

遮る様に、お嬢様は僕を睨みつける。

「・・・茨の魔女の力が及ぶこの森は、彼女の許しなく立ち入ることは出来ない。魔女の力に覆われた道を外れ、森の中に踏み入れば外に出されここへ戻ることは出来ない筈。そのまま森を出て丘を下っていけば、麓の村へ続く道に出れたというのに」

「お嬢様!そんな・・・」

お嬢様は僕が戻ってこれなくなると分かっていて、森の中を散策する様促していたのだ。

「・・・戻るなど馬鹿な事を。彼女には私から話をします、契約の事も忘れなさい。これ以上お前が関わる必要は無い」

「・・・ですが!」

「忘れなさい。私がこうなったのは自らの力不足、討たれたのはその程度の騎士だったという事。お前が背負う事では無い・・・このまま私と共に茨の魔女の元に留まるという事がどう言う事か、分かっているのですか」

「お嬢様、僕は」

「帰りなさい、その為の路銀は持っているでしょう。私にはもうそれだけしか残されていませんが、好きに使いなさい。お前ひとりなら海を渡り故郷に帰るも、新たな地を見つけそこに住むも出来る筈」

お嬢様はそれだけ言い放つと、僕に背を向け魔女の庵へ歩きだす。

「僕は帰りません!お嬢様の元にいます、僕にはそれが全てなんですお嬢様!」

叫び走る僕を、振り返ったお嬢様が睨み付ける。

「・・・ここを去りなさい。私の事は忘れなさいと、そう言った筈」

「嫌です!嫌です!嫌です!」

泣きながらお嬢様を見上げその一言を繰り返す僕を、お嬢様の震える瞳が見下ろしていた。

「そろそろいいかな?」

姿も見せず魔女の声が降りかかる。

「まあ私は、どちらでも構わないが鍋が煮えていてね。まずは食事にしたらどうかね?」

「・・・」

無言のままお嬢様は振り返り、魔女の庵へ入っていく。僕はすぐにその後を追い、駆け込んだ。


薄暗い室内を、竈の揺れる明かりが照らしていた。煤に塗れた柱、梁の表面を微かに光らせる。竈から溢れる炎が、掛けられた鍋を焼き尽くす勢いで燃え盛っていた。

「煮炊きは知っているが、料理なんて初めてでね。君の口に合うかどうか分からないが、まあ食べてくれ」

火が付き燃える木切れで掬い上げられたそれを、木の板に窪みを作った皿らしきものに流し込む。

「少々煮過ぎた感もあるが、そこは大目に見てくれ。君を待っていたらこうなったのだからね」

煮崩れた何かの汁に、焼き直され黒く焦げた麺麭が添えられた物を受け取る。立ち上る何の匂いか分からない料理に困惑しながら、僕は近くの倒れた石壁に腰を下ろした。

「なに、人が食べて害になる様な物は入っていないさ。十分火も通したしね、味は保証しないが、まあそこは許してくれ」

木切れを掴み一掬いして口へ運ぶ。焦げた何かと噛む前に崩れる何か、薄い塩味が炭の汁と共に喉の奥へ流れていく。昔食べた傷んだ塩漬け肉の薄い汁や、腐った根菜の葉や根よりはましだ。僕は焦げた麺麭を齧りながら、それとなくお嬢様を見た。

「・・・」

少し離れた壁際に口を結んで立つお嬢様は、僕を見ようとはせず視線を宙に漂わせていた。きっと怒っていらっしゃるのだろう。でも、このままお嬢様を忘れて故郷に帰るだなんて絶対に嫌だった。

「さて、食べながらで構わないから話をしようか。まあ私が一方的に話すだけだから不都合は無いだろう」

燃え落ちた木切れを竈の炎へ放り込み、魔女はすぐ側の椅子へ腰掛けた。

「先に断っておくが、私は君達主従の関係について口を挟むつもりはない」

肘掛に身体を預け、微笑みを浮かべたまま魔女は続ける。

「いきなり現れた余所者に、ああしろこうしろと言われては君達も面白くは無いだろう」

魔女はお嬢様の方を見ていた。

「だから、私は一切関知しない。どのような結果であれ受け入れるさ」

一息ついて魔女は改めて僕を見つめる。

「それでは、君に紹介するとしよう。もう既に会ってはいるが・・・イシュカーン」

焼け落ちた戸の暗闇から、黄金の鬣を持つ白馬が顔を出し現れた。

「・・・」

つまらなそうに僕を見る白馬は、ゆっくりとした足取りで暖炉の前を通りやってくる。鼻を鳴らしながら僕の手元の木皿を覗きこむが、嫌そうに首を振って暖炉の前へ戻っていった。

「私の料理は、お気に召さなかったようだ」

魔女はそう言って、いつの間にか手に持っていた色鮮やかな根菜を差し出した。

「淡く輝く黄金の瞳に鬣と尾を持つ白馬、妖馬イシュカーン。この世ならざる場所より来る、世の理を外れしもの」

差し出された葉付きの根菜に、美味しそうに齧り付く白馬。

「君はどうやら彼に気に入られた様だ、人嫌いの妖馬が助けを求める君に答えたのだから」

二本目の葉付きの色違いの根菜を白馬に差し出しながらも、魔女の目は僕を見ていた。

「相性が良いのかも知れないね、君は」

魔女の瞳が、僕の心の中まで見通すかのように細められる。

「ベルリアス卿、はもう紹介は済んでいる。残るは・・・」

魔女の手が翻る。それは僕に向けてではなく、お嬢様を呼ぶためだった。

「・・・魔剣ポードボーグ」

魔女の呼びかけに、お嬢様の腰に下げられた剣が答えた。

何かに身体が押さえられる。手に持つ木皿と木切れが、軽い音を立ててぶつかり合う。僕が腰掛ける倒れた石壁が揺れ、嫌な音を立てて梁が軋み埃を散らした。驚く僕は固まり、何も出来ない。魔女の庵がまさに崩れろうとしたその時、お嬢様は剣を抜き放った。

「ポードボーグの悪魔、とも呼ばれ怖れられてきた。古王国時代より破壊と殺戮の伝承に彩られる、人ならざる者の手により打ち鍛えられた剣。数ある魔剣の中でも特に強大かつ危険な剣だが、君のお嬢様とはとても相性が良い」

僕の目はお嬢様が手にした剣に縫い付けられていた。柄頭に開いた幾つかの眼が蠢き、露わとなった刀身は赤く染まり唸りを上げていた。これが魔剣。酒場で聞く武勇伝や噂話に度々登場する、魔力を纏いこの世ならざる力を振るう剣。

「その一振りで巻き起こす破壊の奔流は軍勢を、砦や城壁を呑み込み粉砕する。災害とも呼べるその力は魔剣の中でも群を抜いて凄まじいが、相応に持ち主にも厄災をもたらす」

何事もなく魔剣を鞘に納めたお嬢様は、僕の方を見ながらも石壁を見据えていた。

「この世ならざる力に触れる以上何がしかの犠牲、対価は必要だ。さらにその力を振るおうというのだ、人の身では贖いきれず命を使い果たす事もあるだろう。双方の犠牲と引き換えにもたらされるものが破壊のみ、というのは私には理解できないが・・・」

魔女はお嬢様から視線を落とし、僕を見つめる。しばしの沈黙の後、何かに気が付いたかのように茨の魔女は瞳を見開き笑みを浮かべた。

「・・・ああ、そうか。そう言う事か、理解した。いや違うな、私はとっくに理解していた。で、あるならば何を躊躇ためらう事があろう。進むべき道は一つしかなかった、何故なら既に私は始めていたのだから」

暖炉の薪が爆ぜる音に促される様に、魔女は言葉を紡ぐ。

「妖馬イシュカーンに魔女ベルリアスの悔恨、そして魔剣ポードボーグ。この世ならざる恐るべき強大な三つの力を束ね、君のお嬢様は我が騎士我が剣と成りて戦に赴くのだ」

金属音を響かせ、お嬢様が膝を着き首を垂れる。

「・・・骸の、騎士。そう、骸の騎士だ」


-つづく-

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