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波打ち際で笑って  作者: 秋乃風
第二章
7/8

第6話 迷い犬

 これは、桐生千聖の物語。

 彼女は昔から頭が良いともてはやされ、期待され続けてきた。

 テストで100点の時は「次もきっと100点だ」。逆に点数を落とせば叱られるだけ。

 彼女の認識は『天才』に固定され、出来て当然、出来なきゃ努力を。

 バカみたいだった。

 両親が完全に彼女にすがるようになった。将来は将来は、何度も繰り返されるその言葉に彼女の心は豹変した。月のように常に完璧で美しく、誰も届かない高みにたどり着いた。

 1人孤独に輝く事で、誰もが思い描いた完璧な自分を作りあげる。

 それは望まれた事で、運命。そう言い聞かせた。──下らない、思い上がりだとも気付かずに。否、気付かないふりをして。

 だが、彼女の思い描いていた高みに、幸福など無かった。

 あるのは、孤独。当たり前の事だった。高い高い月であればある程、人は手を伸ばすことを諦める。あれは違う次元だと割りきってしまう。

 やがて彼女は迷った。

 行き着くべきだった場所にたどり着いて、後は何をすれば良い。捨てられた子犬のように救いを求めて彷徨歩くだけなのか。

 そんな美しくない月など、どこにも無いのに。

 月は、何て醜いのだろう。

 月は、何て小さい存在なんだろう。

 迷い犬は、やがて月を軽蔑するようになった。

 天才は孤独を呼び、彼女の人生が狂い、月が陰った彼女の瞳には、やがて光が消えた。

 そして、最後の望みとなった人物はとても少年だった。


***


 強く握られた胸倉から、千聖の手が震えているのが感じられた。

 睨み付ける瞳の端にはうっすらと涙が溜まっている。

 俺は、少しの躊躇の後、その細い腕を握り返して力ずくで千聖ごと反転。ポジションが逆転した。

 千聖の顔が痛みに歪むのが見えて、込める力を少し緩める。

「離して!」

「悪いがお前から手を出して来た。咎めるなら自分だけにしておけ」

 声のトーンを1段階落とす。すると、明らかに気圧されるのが見て取れた。

 だが、これまではただの脅しに過ぎない。ここから、もっと強く言葉をぶつけさせてもらう。

「なあ、お前は何を目指しているんだ?いったいどこがゴールで、何になりたくて、そこまで苦しんでる?」

 そんなの分かりきっているが、敢えてこうした質問をする。

 すると、まんまと引っ掛かった千聖は、視線を鋭くして、

「私は完璧を、──月を目指したの!貴方たちには分からない努力かもしれない。それでも目指した!バカみたいに手を伸ばしてる何も出来ない奴らに、そんなことは無駄だって伝えてやった!そして、迷った……。それだけ」

 一息に言い切って、肩で呼吸をする千聖。

 誰も分からない努力。そんな言葉で飾り付けられただけの無駄を必死に語って。

「何カッコつけてんだよ。ただの迷い犬が」

「何言って」

 千聖が明らかな動揺を見せる。それも当たり前だろう。自分は完璧な月だと信じて来た彼女が『迷い犬』などと、呼ばれるとは思わないだろう。

 心に隙ができている今だろう。この言葉をぶつけるとしたら。


「月を目指した?無駄だ伝えてやった?お前ただのバカだろ?月は1人じゃ綺麗じゃ無いんだよ。太陽の力を借りて輝いて、周りの小さな星があって、やっと綺麗に見えるんだよ。美しく見えるんだよ。暗闇の中を照らしてくれるから、手を伸ばしたくなるんだよ」


「──っ!」

 千聖が息を飲む気配がする。

 後一言。この一言で、救い出して見せる。その、《《輝かない月》》の中から。


「来いよ、千聖。そのハリボテの月から、暗闇のなかを照らしてくれる、綺麗な綺麗な『月の下』に」


 それは、思い返せば物凄い恥ずかしい台詞だったと思う。

 ただの戯れ言だったかもしれない。


 ──ただ、迷い犬を連れ出す理由には十分だった。


 千聖が額を俺の胸辺りに押し付けて来る。慌てて力を抜けば、今度は強く抱き付いて来た。

「バカみたい。──でも、翔哉は間違い無く、私の太陽だ」

 顔を上げて、頬を伝う涙もそのままにして、眩しい太陽に負けないくらいの笑顔を浮かべた。

 いつか、奏谷も──いや、今それを考えるのは、彼女に失礼だ。

 今はただ、この迷い犬に優しく輝く月を見せてあげられれば、それで良い。

「あ、あの……、私は帰った方がいいですか?」

 その時、大分遠慮しながら話掛けてくる桃井の声がした。

 存在を忘れていたが、桃井もいたんだった。


***


 あれから一週間が過ぎて、千聖は時間があれば俺の所に来るようになった。さらに千聖だけで無く、桃井まで。

 桃井は何やら今後の発展が気になるやら何やら。

 そして、相変わらず今日もやって来た2人に、こんな提案をしてみた。

「翔哉の友達と遊びに?」

 そう、ようやく孤独から前向きに立ち直ろうと努力している千聖だが、友達が俺と桃井だけでは何の改善にもなっていない。だから、事前に奏谷たちと話し合って今回の計画が出来た。

 実際、千聖も今現在嫌がる素振りを見せていないし、おそらく大丈夫だろう。

「あー、すいません私はパスで」

「なんで?」

 桃井が不意にそう言うので、思わず脊髄反射としてそう問い返してしまった。桃井は俺以外と関わっている場面を見たことなどは無いが。なにか用事だろうか。

 その答えは、すぐには分かりそうに無かった。

「理由は言えません。……でも、とにかく無理なんです。ごめんなさい」

「いや、いいよ。こっちこそ変に追求しちゃって悪いな」

 俯いて、申し訳無さそうにしている桃井にそう言って、千聖の方に視線を移した。

 その視線に気付いた千聖は、何事も無かったように答える。

「私は、行く。翔哉が普段どんなバカみたいな事してるか見ないと」

「おい、俺は年中無休賢い子だぞ」

 千聖の答えにボケてみると、桃井と千聖がクスクスと笑う。

 そうだ、それで良い。お前らは、笑ってないと。──だから奏谷、お前の笑顔を必ず引き出して見せる。

 そんなささやかな決意を胸に、1日の授業の始まりを告げるチャイムを聞き流した。

 ──卒業まで、残り約4ヶ月。

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