第2話 助ける理由
カチャカチャと言う食器がぶつかり合う高い音がそこかしこから聞こえてくる。
今俺達は斎矢の命令でこのカフェに来ていた。
回りで縦横無尽に働く店員や、コーヒーを楽しむ客。その客のほとんどがカップル客で、談笑しながらカフェを楽しんでいるのが見てとれた。
「お待たせしました」
「おっ、来たよ!」
「ああ」
店員が注文した品を運んでくる。
俺はコーヒー、斎矢はパンケーキとオレンジジュース。そして以外なことに奏谷も斎矢と同じものを頼んでいた。
「……お前ら、よくそんな食えるな」
テーブルに並べられたパンケーキは3枚に重ねられ、その1枚1枚がふっくらとしている。その上にバターも乗せられ見映えはとても良かった。
パンケーキと共に渡されたメープルシロップをたっぷりと掛けた奏谷たちは一口サイズに切り分けて口へと運んだ。
見ているだけで腹いっぱいになるようなパンケーキを一口、また一口と食べ進めていく奏谷たちを眺めつつ、俺もコーヒーを一口啜った。コーヒー特有の良い香りが立ち上ぼり、口の中に広がる苦味が丁度良い。
「上手いな……」
「でしょ~!私結構ここ気に入ってるんだよね!奏谷さんも、どう?」
「美味しい。……その、斎矢さんは他にも美味しいお店とか知ってますか?」
俺の一言に反応した斎矢が奏谷に水を向けると、すぐに2人の世界に入っていく。完全に俺は除け者だ。まあ、それも別に構わないが。
ふと、奏谷の表情に視線を向ける。斎矢と楽しそうに会話をしているが、まだ表情が硬いのが見てとれ、やはり笑顔にはならなかった。──しかし、本当に彼女の事を笑わせる事など出来るのだろうか。
人の感動──心と言うのは、当然俺には理解出来ない。奏谷が何を喜び、何を嫌い、何に泣くのか。その全てを理解しなければ始まらない。いつだってそうだ。人との関係は、いつも『理解』から始まる。
「離して下さいッ!」
「はあ?お前が誘っといて逃げんの?マジで?」
突然女の人の叫びに似た声と、いかにも不良のような声が店内に響いた。
声の出所は店の端っこの席。そこはあまり人目に付かず、ケンカになっても数人しか気付かないであろう場所からだった。
1人の女性が、金髪の身長が高い男に腕を掴まれていた。女性は必死に抵抗するが、それも無謀。男の力が強すぎるのだろう、身動きが取れない。
「翔哉……」
「駄目だ」
斎矢がこそっと俺に呼び掛けるが、俺は首を横に振った。
ここで俺たちが出ていく理由、メリット、必要性は皆無だ。大人ならまだ分かるが、ただの高校生だ。ただの子供だ。助けられずに俺たちまで巻き込まれるのは目に見えている。──だから、
「変わりにこうする」
俺は、手元に置いてあったコーヒーをすっ飛ばした。
床に落下したコーヒーは甲高い音を立てて割れ、コーヒーと破片を撒き散らした。
「すいません!」
「──っ、大丈夫ですか?」
近くの店員が駆け寄ってくる。俺は、それを見てまるで慌てる客を演じる。
駆け寄ってきた店員が溢れたコーヒーを拭き取っている内に、俺はコップの破片を集める。
「け、怪我人はいませんか!?」
店員がハッとしてそう回りに声を掛ける。誰も反応しない。それはおそらくあの男の存在が起因しているのだろう。
誰もが、あの男を恐れている。だが、これはその男の為に仕掛けるちょっとした嫌がらせ。誰か、気付いてくれ。
「怪我人、いるかもしれないですよ?」
「本当ですか!?」
客の1人が手を挙げた。店員は慌てた様子で聞き返す。
──気付いたか。
「ほら、あれ見てください。女の人、痛がってます」
「──え」
客が店の端側の席──男の席を、正確には腕を掴まれている女性を指差した。見ると、確かに女の人が痛がっている。理由は、当然男の腕によるモノが理由だが。ようは、これはただの嫌がらせでしかなかった。
男に視線が集まり、沈黙が店内に落ちる。
その視線と沈黙に気圧された男が女性の腕を乱暴に離して店を出ていった。
「……は」
女性が息を吐く音を皮切りに、客が口々に女性を心配する声、言葉を発した勇敢な客を感心する声、様々な声が飛び交った。
「翔哉~!」
「……」
俺に飛び付いてきた斎矢を宥めながら、例の客に視線を向ける。
爽やかな見た目の青年で、今は何事も無かったようにコーヒーを口にしている。
「あいつ、俺の手柄横取りした」
「ハイハイ、女の人に誉められたいのは分かるけど、嫉妬しない」
今度は俺を宥める斎矢の声を聞きながら、何度も頭を下げる女性を見た。
どこかで見た覚えがあるのは、気のせいだろうか。
「──?翔哉、どこ行くの?」
「トイレだ」
後ろから聞こえる奏谷の声にそう応じて──《《鼻血が滴るのを隠しながら》》出来るだけ急いでトイレに向かった。
***
「それで、どこに向かうの?」
「確かに……」
斎矢と奏谷の声が俺に向けられる。どこか怪しむような口調は、いつまでも歩き続けていることに対しての不信感からだろう。
確かに、店を出て目的地まで歩き出してから既に10分は経っている。怪しまれるのも当然の事と言えば、当然だろうか。
「安心しろ、計画は立ててある。……本当は2ヶ所行く予定だったが、時間が無いからな」
俺はスマホで時刻を確認しながらそう呟いた。時刻は既に3時を過ぎていた。あのカフェの騒動が原因だ。
それからまた数分歩いて、ようやく目的地に到着した。
「おー!何とも絶景な!」
「落ちるなよ、……お前もだぞ、奏谷」
2人が俺の両脇で柵から身を乗り出すため、俺が2人の腕を捕まえて落ちないようにしてやると、奏谷が飛び退いた。
「な、何だよ」
「………………いえ、落とされそうだったので」
「そんなに信じられないの、俺の事」
信憑性がゼロな俺たちは今、高い所が好きと言う奏谷の為に展望台に訪れていた。
眩しい太陽が照らし出す街並は普段の数倍美しく、思わず感嘆の声が漏れそうなほどだ。回りに俺たち以外の人影は無い。俺はそのことに少し寂しさを感じていた。時代が、移り変わっていくことに。
隣の奏谷に視線を移すと、街並に目を奪われている横顔が俺の視界に写り込んだ。やがて、俺の視線に気付いた奏谷が俺の両目を塞いだ。
「見ないで」
「わかった、わかったからもう少しお手柔らかに」
力いっぱいに俺の目を塞ぐ奏谷の手を引き剥がすと、頬を赤くした彼女の顔が見えた。
「……だから、見ないでって」
「悪い」
軽く謝って目を逸らした。すると、1羽の鳥が俺たちの頭上を飛び抜けていった。
隣から斎矢の短い悲鳴が聞こえた。それをいじろうとすると、
「やめて」
と言う声が聞こえた。俺は先程の奏谷の失敗を活かしていじるのを辞め、話題を変えた。
「なあ、お前らはさ、空を飛びたいって考えたことあるか?」
「──なに、皮肉?」
「ちがうわ」
全く空気の読めない斎矢を無視して俺は続ける。
「俺は飛びたいって思ってたし、飛べると思ってた。……だから、こうして人類が簡単に機械を使って飛べる時代が少し寂しいよ」
俺の言葉には、誰も口を挟まなかった。おそらく、考えているのだろう、この世の在り方と言うモノのような事を。
だから、俺はその考えに答えが出る前に、帰路につくことにした。