第21章 月下の吸血鬼
それは一同が陽王朝に着くほんの数日前。ジャンゴジャンゴのVIP旅行者用の客室にて、ある男が窓の外の満月を眺めながら、グラスに入った赤い液体を啜っていた。
その姿は月夜のせいか肌を銀色に輝かせている様に見える。或いはそれは豊かに伸ばしたその銀髪のせいなのだろうか。
「マイ・ロード。到着は3日後とのことです。」
すると銀髪の男の背後に小柄な女が現れて言った。その装いは西洋の人形の様に華やかでフリルのついた白いドレスが可愛らしい顔に似合っている。その肌は銀髪の男と同じく銀色だ。少女の様な姿をしながら、その年齢は判別がつかない。
「久しいな、かの国へは。」
「しかし本当によろしいのですか?デセウス様直々に汚らわしい獣の国になど…」
「ふふ、ありがとうペトラ。でも心配はいらないよ。」
デセウスと呼ばれた男が部下らしき女に続けて語りかける。
「必要なことさ。」
「ペトラは心配にございます。デセウス様に何かあったら…」
デセウスは持っていたグラスを飲み干して答えた。
「それにしてもこの旅は中々の混戦になりそうだ。その時は頼むよペトラ。」
ーーーーーーーーー
その夜、ハヅキは忘れていた。
それはジャンゴジャンゴへの旅に浮かれていたせいか。
それともハヅキと七袖の寝室からは、夜空を照らす満月が視えなかったためか。
夢の中でハヅキは暗闇の中を彷徨い歩いていた。
そしていつも身近に感じることのできる七袖の温もりはその暗闇の中に存在しなかった。
するとハヅキはハッとその夜が満月であることを思い出した。
(どうしよう…)とハヅキは心細い胸を掴みながらゆっくりと暗闇の中を進んでいった。
「来ちゃダメ…」
闇の中で小さく響いたその声の後、突然ハヅキの右腕を誰かが掴んだ。
その手はか細く、また血塗れの様だった。血の匂いのする黒い液体がハヅキの腕に絡みついていく。その手は必死に助けを求める様にハヅキの腕を掴んで離さない。
ハヅキは言い知れぬ恐怖に襲われその手を振り払おうとした。
「逃げて、ハヅキ…」
その声を聞いたハヅキは、その手が姉ミツキのものであると漸く気づいた。すると恐怖は消え、暗闇の中その手の主を探し当てる為、同様に暗い地面を這い回った。
やがてハヅキの両手が冷たく柔らかい皮膚のようなもので覆われた物体を捉えた。
ハズキがよく目を凝らしてみると、それは姉ミツキの顔だった。
先ほどまでハヅキの腕を掴んでいた手は消え去り、目の前には冷たく横たわる姉ミツキが小さく震えながらハヅキを見つめていた。
「お姉ちゃん!」とハヅキは叫んだ。
これは幻なのか、それとも現実なのか。
もし現実ならば、このままミツキを救い出したい。
そうハヅキは切に願った。
するとミツキがその青白い唇を動かした。
「ハヅキ、来てはダメ…帰って。」
やがてミツキの目には涙が浮かび、続けて妹に懇願する。しかし、その言葉を振り払うかのようにハヅキは叫んだ。
「お姉ちゃん!そんなの嫌っ!待ってて。必ず、必ず私が助けに行くから!」
ハヅキの目にも涙が溢れていた。その涙をミツキは優しく指で拭った。
「私たちは一緒にはいられないの。」
最後の言葉と共に、ミツキは闇に溶けていった。
その姿を追うハヅキの手が、姉に届くことはなかった。