第9章 満月の夜
この世にはなんと悪夢より目を醒ます子供達が多いことだろう。この戦争と血の上に立つ平和は仮初であり、再び迫り来る悲劇の予兆の様に、少女達を畏れさせる。
ハヅキは自分が悪夢の中にいることを知っていた。
それはあの日、全てを奪われた日。
成長してもその記憶を忘れ去ることはなかった。
ハヅキを抱きしめてくれた姉の温もりも。
素足に感じた両親の生暖かい血の感触も。
ハヅキは時折理由なく、身体や精神に激痛を感じる事があった。そして理由なく涙を流すことも。
それは遥か遠い異国の地に、彼女の片割れが未だ生きていることの証だった。
ハヅキは心の何処かで、その悪夢を歓迎していた。
なぜならそれが唯一、生き別れになった姉の顔を見る事ができるからだった。
その存在を近くに感じ、時折姉の息遣いを感じる事が出来るほどに。
だがいつもその息遣いは苦しかった。明らかに救いを懇願し、それはやがて諦めへと変わっていくかの様な。
目を醒し鏡を見つめると、自分と同じ顔をしているはずの姉の面影を見る事はできない。
満月の夜にだけ、ハヅキは姉の姿を見ることができた。
しかし、夢の中で姉ミツキは確実に弱っていた。日を追うごとに命の灯火が消えていくかの様な感覚だ。
「もう、時間がない。」
ハヅキはそう思った。そしてその予想は正しかった。
「眠れないの?」
気づくと心配そうに七袖が横で囁いた。七袖は昨晩からハヅキの住むグロシャークハウスに泊まっている。満月の夜、こうして七袖はハヅキを護る様に泊まりに来る。
それはハヅキが幼少の頃より、満月の夜に言い知れぬ感覚に囚われ泣き叫んだり、激痛を感じたり、そして悪夢に苛まれるためだった。
「ナナちゃん、どうして私だけここに連れてきたの?」
そう言うと、七袖が傷つくことをハヅキは知っていた。だが尋ねない訳にはいかなかった。それはまるで、自分を通して誰かが七袖に語りかけている様でもあった。そして七袖はその問いに必ず涙を流しながら答える。
「いつか必ず、助けに行くよ。ミツキ。」
そう言いながらいつも2人は再び眠りに落ちる。
それはこの王国に辿り着いてから毎月一夜だけの、2人の習慣だった。