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玉出商店・特売会場

将軍さまに懐かれそうなんですけど、一体わたしはどうしたら

作者: 玉出商店

 職場がある雑居ビルの向かい。わたしは喫茶店にいる。

 ホットコーヒーに口を付けた。時刻は午前九時二十分。

「今日も余裕の出勤だね」

 内心で自分を偉いと褒める。

 本当はね、九時五十分にタイムカードを押せば余裕なの。けれども遅刻間際でバタバタ急くのが嫌いなので、早めの電車に乗るようにしているのね。

 ほら、もし寝坊しても。それなら遅刻しなくてすむじゃない。ギリギリの時間にビルに入って、タイムカードを持ってウロウロする姿は朝から非常によろしくない。

 清少納言ならば「いとわるし」なんだよね、きっと。

 あれっ、「いとわろし」だったかな。

 まあいいや、ともあれ今日も電車に乗って、仕事へ向かう恰好だけはつけられた。

 ふたたび、コーヒーカップに唇を寄せたときだ。

「あれっ、たまちゃん! たまちゃんじゃないのぅー」

 聞き慣れない男の声がした。その方向に目を遣ると、どこか見覚えのある顔があった。

 あんな知り合い、いたっけ? 頭の中に「?」マークが飛び散る。

 短めの金髪、大きなグレーの瞳。すっと通った鼻筋、ちょっと分厚めだけど形のよい唇。下唇のど真ん中、ぽつんとシルバーのピアス。おまけに両耳にも、唇と揃いのピアス。しかも薄っすらとファンデーションらしきものも塗っている。

 目を見開いたまま硬直していると、唇ピアスは満面の笑みをたたえて正面に来た。

「たまちゃん、久しぶり。徳川ですよー。ぼくのこと忘れちゃいました?」

「ファッ」

 わたしのノドから、思いっ切り変な空気が漏れる。たしかに、知っている名前だ。半年前にテレマ部の短時間勤務に入ってきた子だったと思う。わたしの記憶は曖昧だけれども、三ヵ月くらいで辞めていたはずだ。

 こんな風貌の子だった? とても地味な人じゃなかった? たしか彼と同年代の女子バイトからは「陰キャ」と言われていたはずだ。

「だ、だいぶ印象が変わったね。カラコンまで?」

 ちらちら時計を見ながら、言った。徳川くんは、またしても頬をほころばせる。

「ん。似合うでしょ、このアッシュブラウンの瞳。ちょっとだけですけど、ホストクラブにいたんです。そのときに好評だったんで、そのまま付けて来ちゃいました」

「へえ。で、今はどうしてんの」

「たまちゃんのとこ、また御世話になります。今日の午後から面接なんですよー。お呼びが、かかったんです!」

「はあっ?」

 唇から、コーヒー噴水しそうになった。わたしの表情が、よほど面白かったのだろうか。徳川くんは喫茶店中に響くかと思われるくらいの大声で笑う。

「あはは、たまちゃん。おかしいー」

「おかしいのは徳川のほうだよ」

 ありったけの演技力を駆使しつつ、恨めしい視線を作る。

「誰が徳川なんか呼んだのよ」

 もうね、すっかり呼び捨て。失礼だと思いつつも、思いっくそ呼び捨て。

「人事部長の岡さん」

 スカッとした青空みたいな表情で、答えが返ってくる。

 わたしは頭を抱えた。岡さん……たしかにね、うちの職場は定着率が高いとは言えませんが。でも、よりにもよって、唇ピアス野郎に救いを求めることはないでしょうに。

「え、たまちゃん。ぼくのこと嫌いでしたぁ? 仲良くしましょうよー」

 にこにこピアス野郎が、上目遣いをする。あっ、その生まれたての小鹿のような、縋るような。澄み切った、けがれのないまなざし。やめてくんない?

 直観した。こいつめ……在職していたときに、わたしのことシッカリ観察していやがった。辞めるまでの三か月間、ほとんど会話らしい会話などしたことがなかったのに。

 媚びと親密さのあいだ、ギリギリ攻めてくる感じ。カラコン装着の両目が、キラキラ光っている。

 やられたなあ。

 笑いを噛み殺しながら、彼に向かって顎を上げた。

「今、嫌いになりました」

「えー。そんなこと、言わないでくださいー」

「うるさい。あ、もうすぐ行くわね。面接、がんばって」

「ありがとうー! いってらっしゃーい」

 カラッとした徳川の声が背中にへばりついたまま、横断歩道を渡った。

 ――三時間後。

 徳川はネームプレートを首から下げて、フロアの隅で業務研修を受けていた。女子社員の説明を、懸命にメモに書き取っている。

 喫茶店で会ったときとは、明らかに表情が違っていた。

 一度は勤めていたところなのだから、そんなに真面目にならなくてもいいのに。そう思っていたとき、同僚がわたしに話しかけてくる。

「将軍さま、がんばってるね」

「将軍さま? ああ、苗字が徳川だから?」

「そう」

 いつのまに、そんな仇名(あだな)がついていたんだろう。わたしは思わず、首を傾げた。同僚が、そんなわたしを見て、くすくす笑う。

「岡部長が、呼んだんだって」

「あ。今朝、聞いたよ。本人から」

「なんで呼んだか、知ってる?」

 知らん。

 わたしは両手のひらを上に向けて、肩をすくめた。

 同僚が、ちょいちょい、と手招きをする。いかにも誰かに話したくてたまらない雰囲気いっぱい。大概の女が秘密の共有をしたいときに匂わす、含み笑いと一緒に出てくる台詞。

「これは噂なんだけど」

 なーんだ、悪いけど。わたしってね、そんなことに関心ない。

 彼女に近寄っていたけれども、大袈裟に顔を背けて後ずさりをする。

 どうせホストクラブにいて云々とか、そのレベルだろう。以前の徳川からは、まるきり想像もつかないほどの意外なバイトだ。それが女臭い連中の、暇潰しのネタになっているのは容易に想像できる。

 同僚の驚いた顔が、目に飛び込んでいた。なにか言いかけた唇のかたちが、中途半端にゆがんでいる。

 そういう顔、女の一番ブスなところだ思うよ? と、腹の底で思いつつ。

「ごめん、あんまり他人の噂には興味ないなあー。自分に危害があるかもしれない話なら、聞きたいけど」

 相手が怒ったように眉をひそめる。

「ふん。玉出さんって、ほんっと。つまらない人ね」

「だって」

 もういいよ、そう言い捨てて彼女は背中を向ける。

 やっちゃったかなあ。

 気まずいままで、これからの一日を過ごすのもツラいな。

 たとえ表面上だけでも、合わせておくべきだったのだろうか。

 そんなことを考えながら退勤時刻まで、なんとか過ごす。ちょっとしたことが気分を左右してしまい、それからの稼働は散々だった。

 コートの襟を直しながら、廊下に出た。

「玉出さん、お疲れさま」

 振り向くと、岡部長がいた。わたしを見ながら、にこにこ笑っている。

「お疲れさまです」

「早速なんだけど、玉出さんに頼みたいことがあるんだよね」

 はて。

「わたしが出来ること、ですか。さほど、ないように思いますが」

「ご謙遜を」

 岡部長は笑いながら片手を、ひらひら振る。

「部長の方こそ。だって、わたし。単なるバイトじゃないですか」

「それなんだけど」

 部長は声をひそめて、顔を近づけてきた。ふんわり、柑橘系の香りがする。

「うちの会社。組織編制を大幅にしたいと考えているんだよ」

「すれば、いいじゃないですか」

 なんだって、そんな話をわたしに振ってくるのよ。

「それでさ、玉出さん。あなた、ここの年数そこそこ長いでしょ」

 わたしは岡部長から顔を離した。

「嫌味ですかー」

 冗談めかして笑顔を作った。だが部長の反応は、一緒に笑ってくれるものではなかった。頬だけはゆるめても双眸はギッチギチに、こちらを見据えている。正直、怖い。

「嫌味? そんなわけがない。ちょうど考えていた人材に、ぴったりなのに」

 部長の真剣な声が聞こえる。

「じ、人材とか」

 あわてて手を横に振った。しかし岡部長は人差し指を立てて「ちっちっ」と、動かす。

「玉出さんに新人教育を全部、お任せしたいんだ。入社時研修から、一人前になるまで」

 そんなこと、気分屋の自分にできるわけがない。

「きみの態度を見ていたよ? 見ていた、というか観察していたと言うか」

 人事部長が、こめかみをさする。

「あとは徳川くんからの要望、かなあ」

 将軍さまが? 一体、どんな過大評価を人事部長に語ってくれたのだ。

「彼がね、玉出さんの研修は多分とってもわかりやすいはず……なんて言うのよ。実際に、ぼくもそう思うんだよ。だからさ、来月の異動で部責になってくれない?」

 部責って?

 責任者でしょ?

 この、わたしが?

 眩暈がした。頭の芯が、ぼよんぼよん揺らいでいる。

「で、でも」

 わたしは必死に否定しようと試みる。だが、南部長は間合いさえも詰めてきた。

「部責になったら、固定で手当てがつくんだよ? 月、三万円」

「か、考えさせてください。即答は、できません。わたしみたいな気分屋オペレーターは、そんな重たい仕事は」

 ニカッ、と部長が笑いかけた。と、同時。

「たまちゃーん」

 徳川の甘えたような、明るい声が背中から聞こえてきた。

 と、同時。

 人事部長が言う。

「可愛い出戻り後輩のために、ぼくのためにも。受けてくれるよね?」

 ……三万円の手当のために、そう言ってくださいませんでしょうか。

 駆け寄ってくる徳川と人事部長の、すがるような視線が鬱陶しいとは思いつつ。

 あんまり悪い気分がしないのは、どうしてなのだろう。





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