魂を代価にみんなに幸せを
「おめでとうございます!」
玄関を開けると黒いスーツの男に祝福されました。
「あなたが選ばれました!」
「はぁ」
ニコニコと笑顔で笑う男はかなり胡散臭いです。
「あなたの願い、私が叶えます。申し遅れました。わたくし、悪魔です」
悪魔さんですか。初めてそう名乗る人にお会いしました。
ボロいアパートの玄関で話をされるのもご近所には迷惑でしょう。私を尋ねてくる人というのもずいぶんと久しぶりなので、上がってもらって中で話をすることにします。
「無用心ですね。初対面の人物を部屋に招くなんて」
「私の部屋に取られて困るものなんてありませんから」
「悪魔を名乗る頭のおかしい男に殺されるとか考えないんですか?」
「私の命をとられても、私は別に困りませんから」
そろそろ死のうかと考えていたところなのです。私など生きているだけ、人類資源の無駄遣いなのです。
「ははは、なかなかです。さすが選ばれるだけはありますね。命なんてとりませんよ。悪魔がとるのは魂と、昔から決まっていますからね」
「そういうものですか」
「はい」
マグカップに水道水を入れて悪魔を名乗る黒スーツの男の前におきます。男はありがとうございますとマグカップをとり、ゴクゴクと飲みます。
「うん、実に水道水ですね」
それはそうですね。
悪魔さんは嬉しそうです。
「さて、いきなりで信じられないかもしれませんが、あなたが悪魔に選ばれました。おめでとうございます」
「それは本当におめでとうというものなのでしょうか?」
「さて、それはどうでしょうか? 願いがかなっても猿の手のように本人の願いどおりになるかわかりませんし、願いがかなってみたら思ったほどたいしたことは無かった、と不満を述べる方もいますから」
「その説明では相手が警戒しますよ」
「ご心配ありがとうございます。ですが悪魔というものは契約には真摯であるべきなので。悪魔というものはこの契約以外で人と関われない寂しいものなんですよ」
「そういう事情があるんですか」
「わたくしもいきなり会う人に、いきなり腹を割って願い事を言いなさいと無遠慮で胡散臭いことは申しませんからご安心を」
「初対面の方にご安心を、と言われて安心はできないと思います」
「これはなかなか手厳しい。いえ、私もこのように人と話すのも久しぶりで浮かれていますので、御容赦を」
胡散臭いものの、話が上手いのか好きなのか、それとも本当に楽しそうな様子に釣られたのか、話が弾みます。
「参考までに私が昔に人と契約した話などを、過去の失敗談でもありますので笑ってやってください。まずは……」
一通り聞いたころには私もすっかり楽しくなっていました。悪魔さんは悪魔と契約した人の話を、まるで落語のように語ります。
「わたくしもね、あのチョビ髭オヤジがあんなにやたらと人を殺すとはそのときは分かりませんでしたよ」
「あれもこれもあなたが関わってたんですね」
「いえいえ。わたくしは人の願いをかなえるだけですので、まさかこれが人の望みか、と愕然とするばかりでして。いやー、人の心にはまこと、悪魔が潜んでいますねー」
「悪魔さんがそれをいいますか」
けっこう歴史の節目節目でこの悪魔さんが人のお手伝いをしていた、ということらしいです。
あんなこと、こんなこと、なるほど悪魔の所業というものですね。
「今の人間の社会も悪魔さんが作ったようなものですね」
「いえいえ、わたくしは人の願いをかなえるお手伝いをするだけで、今の時代を築いたのは人の願いの積み重ねの結果ですよ」
「それで今回は私が選ばれた、ということですね」
「あなたが疑っているのも解りますよ。ですが契約は契約なのでこの説明は聞いておいてください」
「はい」
「わたくしはあなたの願いを聞き、それを達成するために尽力します。願いの代償はあなたの魂です。あなたの願いが叶いあなたが満足したとき、わたくしはあなたの魂を貰いうけます」
「願いがかなっても私が満足しなければ、悪魔さんは魂を手に入れられないと?」
「はい」
「ずいぶんと曖昧ですね」
「そんなことはありませんよ。あなたが満足したと感じたときにあなたの魂はその肉体を離れます。そのためにわたくしはあの手この手を使いあなたの願いを叶えるのです。これはそんなゲームであるとお考え下さい」
「では何をもって私が満足したことになるんでしょうか?」
「それを知ってるのはあなただけですよ」
私がどうすれば満足するのか、私はそれを知りません。私にはそれが解りません。これが叶えば満足というもの、それが私の願いなのですか?
私はそれを知りません。
悪魔さんが尋ねます。
「あなたの願いは、望むものはなんですか?」
「そうですね……」
私の願い、私の望み。
「私はすべての人に幸せになってほしいと考えてます」
「これはこれは、また大きな願いですね」
悪魔さんはは腕を組みしばし考えてます。
「ちょっと、あまりにも抽象的でどうすればいいか解りませんね。人を幸せにするためのなにか具体的な方法はありませんか?」
「具体的な方法ですか?」
「ええ。人の幸せというのも個人差が多く曖昧ですからね。人というものはこれがあれば幸せというものがあれば」
「今だとお金ですか。お金のことで悩んで不幸になる人が多いですね」
「お金ですか?」
「はい。お金さえあれば問題が解決する人は多いです」
「お金の価値は国が決めて発行してますが」
「そうですね。なのでニセ札がいいでしょう。大量に良くできた、本物と区別のつかないニセ札をばらまいて下さい」
「大量に、ですか。それって1億2億じゃ効かないですよね」
「4桁5桁足りません。少なくとも今のこの国の借金分は無いと足りません。この国の借金を帳消しにするためにもそれぐらいのお金は必要でしょう」
「なるほど、なるほど。それはインフレになりますね」
「それならそれで、みんなが物的資源も人的資源も見つめなおして、人や物を大事にできるようになるのではないでしょうか?」
「解りました。大量のニセ札の発行ですね」
「みんながお金持ちになれば貧困の悩みは解決します。次に必要なのは幸せを感じる手段ですか」
「ほほう、幸せを感じる手段ですか」
「幸せとは個人ごとに感じ方の違うものですが、誰もが同じように幸福感を得られるものがあります。ドラッグです」
「麻薬は不幸になると言う人が多そうですが?」
「中毒になり健康を害することは不幸になるでしょうが、それならなぜ麻薬であるタバコとお酒が違法では無いのでしょうか? 嗜好品として税率も高く国の税収源ともなっています」
「そうですね。国ごとの歴史でアルコールが違法の国もあれば大麻が合法の国もあります」
「健康への被害を考えれば合成ドラッグは中毒性も高く良くありません。なのでタバコやお酒よりも健康被害の無い麻薬を、安価で誰もが簡単に手に入れられるような世の中になってほしいです」
「身体への悪影響がタバコとお酒よりも少ない、中毒性も低い麻薬というと、大麻とLSDでしょうか。タバコもお酒も税率が上がりますから、それよりも安い値段で大量にバラまくのは難しくは無いですね」
「できますか?」
「規模が大きいので時間はかかりますが、簡単にできますよ。もともと薬局で覚醒剤を売っていたお国柄ですし、今ではドラッグストアでお酒とタバコを販売する国民性ですから、薬物への抵抗も少ないでしょう」
「これで誰もがお金持ちになって、誰もが簡単に幸せになれます。最後にひとついいですか?」
「最後と言わずあなたが思うことをいくつでもどうぞ。一緒に考えてみましょうよ」
「ありがとうございます。ですがこれで人は幸せになれると思うのですよ。今の人達は考え過ぎてるのでは無いか、と私は思います」
「ほほう、考え過ぎてると」
「みんな自分ではどうにもできないことに悩んだり、未来を思い悩んだりしてます。己の収入と経済状況から、子育ては無理だと判断する賢さがある人達が増えて、少子高齢化が進んでいます」
「人が賢くなったことが人の未来を暗くしているという話ですか?」
「賢い人が増えたことが結果的に人の未来の可能性を狭めているのでは無いか、と考えてます」
「それについては同じことを考えた人が既にいますよ」
「そうなんですか?」
「はい。その対策は既に人が行っています。予防接種に含まれる混ぜ物の影響で人の知能指数は10から20ほど下がるようになってます。子供のころに予防接種を受けた人達は知能の発達が阻害されるようになってますよ」
「私と同じことを考えた人がいたんですね」
「ただ、副作用で鬱病と自閉症を発症しやすい脳になってしまうのが欠点ですね」
「その欠点を取り除いて、更に知能を下げることはできますか?」
「うーん。そうですね。今よりコストを下げられるワクチンの作り方を広めて、そこに新しい混ぜ物が必要ということにすればなんとかなりますかね。この新型ワクチンでの利権をちょっと調整してやれば、早めに広めて定着させることができそうです」
「ではそれをお願いします」
「ただ、どれもがあなた一人が対象では無く規模が大きいものばかりですから。範囲をこの国だけで行うにしても2年はかかりますよ」
「でも2年でこの国の人達はみんな幸せになれるのですね」
「さて、この国の人達がそれを幸せというかどうか」
「いいえ、きっと幸せになります。悪魔さん、私の望みを聞いてくれてありがとうございます」
「いえいえ。まだ話を聞いただけじゃ無いですか。実行に移るのはこれからですよ。久しぶりの大仕事なので張り切っていきますよ。2年後をお待ち下さい……あれ? ちょっと、どうしました?」
私の話をまじめに聞いてくれた悪魔さんの優しさが有り難く、頭を深く下げてお礼を言いました。嬉しくてじわりと涙が浮かびます。
こんなふうに誰かに私が思うことをそのまま話したのは久しぶりです。
それをまじめに聞いてくれたのは、悪魔さんが初めてでした。
それが嬉しくて、あとからあとから涙が溢れました。
悪魔さんが心配して肩を叩くので顔を上げると。
私の目の前に倒れている人がいました。
私の目の前に倒れている人は私でした。
おや?
……どうやら悪魔さんが私の話を聞いてくれたことに、私が満足してしまい、魂が身体から離れたようです。
「……こういうことってあるんですか?」
悪魔さんに聞いてみます。
「いえ、わたくしも初めてですよ。というか、話を聞いてあげただけで満足って、あなた、どれだけ満足の閾値が低いんですか?」
「私、怒られてますか?」
「いえ、怒ってません。怒ってませんよ。しかしこれはどうしたものか」
悪魔さんは腕を組んで悩みます。頭をグルグルと回してウーンウーンと唸ってます。
私は悪魔さんを悩ませてしまったことに申し訳無い気持ちでいっぱいです。
「よし、ではこうしましょう!」
悪魔さんが指をパチンと鳴らすと黒い棺桶のようなものが現れます。悪魔さんは私の身体をそっと持ち上げて棺桶の中にいれます。
「契約をちょっと変えましょう。わたくしもね、ただ話を聞いただけでわたくしの仕事が終わりというのはですね、悪魔の沽券に関わりますので」
「はぁ、どのように変えるのですか?」
「あなたの身体は大事に保管します。そしてあなたの望み、ニセ札と麻薬と人類の知能低下をわたくしはこれから頑張って実行します」
「はい」
「2年後の世界を見て、あなたが不満を感じたらあなたの魂は身体に戻って甦ります。あなたが満足を感じたら、あなたの魂はわたくしのものです。このような契約変更など今まで例はありませんが、あなたが同意してくだされば成立します」
「いえ、私は充分に満足したのでこのまま悪魔さんのものになってもいいのですが?」
「わたくしはこう見えても自分の仕事に誇りを持っていますので。こんな遣り甲斐のありそうな大仕事も実に久しぶりのことですし。是非ともあなたにはこれから2年間、お付き合い頂きたいのですが、いかがでしょう?」
悪魔さんはその仕事に、悪魔としての在り方に誇りと美学を持っている方のようです。
そんな悪魔さんを私のような者に付き合わせるのは申し訳無い気がするのですが。
「お願いします。2年後が楽しみだと口にして下さい。そうすれば先程の計画、この悪魔が全身全霊を賭けて挑ませて頂きます」
先程の計画、私の考えた全ての人が幸せになる方法、ですか。
実行できたらみんなが幸せに。この国だけでも、みんながお金持ちになって、誰もがそのお金で幸せになれる国に。
そのときには誰も難しいことを考えることができなくなった、みんなが幸せになれる世界に。
それが2年後に。それは、とても、
「2年後が楽しみです」
「ありがとうございます。では改めて契約成立ですね。これから2年間よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
というわけで、私の魂を代価にみんなが幸せになる予定です。
2年後が本当に楽しみです。