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偽名仮名の住所録  作者: まつかく
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第68夜 『死者たちの夏』

墓場の守人という仕事は、決して楽な仕事ではない。


お盆が近くなると忙しくなるのは当然として、各故人の命日、記念日などにも忙しくなる。キリキリと遠くヒグラシが鳴き、山奥、人里はなれた霊園に、樹々を通り抜けてきた空気が涼を運ぶ。


ヒグラシの物憂げな鳴き声は、『死者』たちの時間が始まることを森から森へと告げる。

太陽が沈み夜が更け、再びヒグラシが鳴く翌早朝まで、死者たちはうつろな姿で甦る。


だがヒグラシに目覚め眠るのは死者ばかりではない。墓場の守人も死者たちに合わせて夕刻に目覚める。

それが守人の仕事が始まる時間だからだ。


きつい仕事である。

何が一番きついかと問われたなら、守人は睡眠と答えただろう。


電気も水道もない山奥で、冷房もなしに寝なければならない。太陽の熱は守人の小屋の屋根を焼き、セミたちが間断なく聴覚を刺激して睡眠を邪魔する。

冬はいい、春もいい。秋だって嫌いじゃない。ただ夏だけはこの仕事を辞めたくなるのだ。


目覚めた守人は小屋から出ると、小川を囲って造られた水場へと向かった。

水場には屋根があり、直射日光は防げるのだが、日が斜めに差すこの時間ではあまり意味がない。


冷水にフェイスタオルを浸し、全身を覆う汗を拭き取ってゆく。

数を増やしたヒグラシの鳴き声に紛れ、背後から誰かが近寄ってくるのに気付く。


それが人間でないことはすぐにわかった。障気ともいうべき密度の高い空気が、拭きたての背中にじんわり触れるからだ。


守人は慣れたもの。

落ち着いた動作でふわりとワイシャツを身につけ、気配のした背後へ振り向く。そこには甚八がいた。


「こんばんは。甚八さん」


甚八は守人がこの仕事を始める前からこの墓場に葬られている。いつとも知れない以前に亡くなられた老人だ。

薄青く、半透明の姿で背後の景色を揺らめかせている。


甚八は生気のない、それでいて優しさに満ちた笑顔で小さく唇を動かした。守人はいつものように答える。


「ええ。今起きたので汗を洗っていたのですよ」


一部の死者を除いて、死者は喋らない。正確に言うと生者の鼓膜を振動させない。

彼らは物理的手法ではなく、意識に直接語りかけてくるのだ。甚八はこの墓場の長老のような存在で、威厳があった。


ほとんど毎日のように守人の前に現れ、守人の行う粛然とした墓場の管理に感謝し、ねぎらってくれる。

皆が、甚八のようであったらいいと守人は思う。


皆が皆、死に甘んじているわけではない。うるさい奴もいれば、陰険な奴もいる。

守人は小屋へ戻り、手桶などの準備を済ませて仕事にかかる。


まだ陽が残っているうちに墓場全体を巡回しておかねばならない。

山奥という事もあって、腹を空かせた動物、暇をもてあました動物が供え物などを荒らしていることが多い。


墓花が散乱していたり、供え物に悪戯されていると死者はざわめき冷静を失うのだ。

守人が霊園内の半分ほどを回ったところで、ようやく起き出してきた霊と鉢合わせる。


死者のすべてが甚六ほど早起きではない。寝坊して夜半に起き出してくる者もいれば、何年もの間ずっと眠ったままの者もいる。


「こんばんは」


守人が挨拶すると、死者はささやくように唇を動かし、揺れる。

そして、青く透き通ったまま、死者たちは夕暮れの空をじっと見上げる。

彼らのほとんどがじっと空を見つめる。

彼らが何を考え、なぜ空を見上げるのか、守人にはわからない。ただそういうものなのだと納得している。


「頼みたい事があるんですが」


中には意志の強い奴がいて、守人の鼓膜を直接に振動させることもある。この中年の死者もその一人だ。

薄ぼんやりの姿のまま、彼は不安そうに言う。


「……僕は、結婚指輪をつけたままだ。妻がきっと探している。指輪を妻の元へ届けてくれませんか。僕はおっちょこちょいで、よくこういったポカをやるんです。指輪が届いたなら、妻もきっと安心するでしょう」


その頼み事に、守人はいつも決まって同じ返事をする。


「次に奥さんがここへ来られた時に、ご自分でお渡しなさるのが良いでしょう」


なかにはお喋りな死者だっている。


「ねぇ、守人さん。ちょっと聞いてよ。うちの娘なんだけど、もうすぐ子供ができるのよ。ということは私はお婆ちゃんって事よね。やだわぁ。でもあの子、ちゃんと子育てできるのかしら? 子供が生まれたらアナタ、オシャレなんかにかかずらっていられないんだから。あの子、我慢できると思う?」


「母は強し、と言います。きっと大丈夫ですよ」


「母は強しと言えばね、私の姑さん。つまり旦那のお母さんの話なんだけど……」


このように、延々と話が繋がり終わりが見えない。

この女性に関して言えば、もう二年は同じ話をしている。『初孫』『娘』『姑』ばかりだ。

初孫はすでに生まれているだろうし、娘さんはきっと立派に母親業をこなしていると守人は思う。


だが、娘夫婦が墓所へと報告に来るまで、この母親の話は変化しないだろう。

お盆に帰省する機会がなければ、墓前の報告を受けるまで死者の知識は更新されないのだ。


ゆえに延々と同じ話題を話し続け、二年経っても初孫が生まれていないという奇妙な話になっている。

おそらく、死者と生者を分かつのは『時間軸の差』なのであろう。

それを四次元と言っていいのかどうか、守人にはわからないことだったが。


長く墓地の守人をやっていると、どの死者にも共通点があることに気付く。

それは『心配ばかりしている』ということだ。


守人は俗世で良く聞かれる『恨み、つらみ、そねみ』を死者の口から聞いたことがなかった。

うらめしや、と怨念を表明する死者というのは、よっぽど酷い目にあったに違いない。守人はそう断じる。


少なくとも、この墓地にいる死者たちからはそういった感情は見えない。

毎日のように、ヒグラシとともに姿を現し、透けた姿でただ夕暮れ空を見つめるだけ。

現世に残してきた親き人たちを心配して。


守人が一番悲しくなるのは、水子たちだ。

彼らは霊園の端で身を寄せ合ってはすすり泣いている。自らの死という状況がつかめていないのだと守人は思う。


だが語るに彼らは言葉を知らず、ただ守人の心をふさがせる。

もしかしたら、『恨み』という概念すら、持ち合わせていないのかも知れない。


夏が忙しいのは、墓参りのせいだけではない。

お盆に自宅へ帰る死者たちが、色めきたって活発になるからだ。


お盆が近づくと、霊場には迎えがやってくる。

緑の細長い物体、キュウリの精霊馬だ。

割り箸、もしくは爪楊枝の四本足を持ったキュウリたちが、それぞれ乗せるべき主人を捜してチョコチョコと墓の間を行ったり来たりする。


迎えがある者やよし。彼らはそっとキュウリの背中に腰を預け、懐かしき我が家へ帰って行く。

迎えがない者は、可哀想だ。


ただ、じっと立っている。最後のキュウリが最後の迎え人を背に乗せるまで、期待を胸にじっと待っている。


それも行ってしまうと、また空を見上げる。

守人は哀れだと思うが、何ができるわけでもない。この霊場にいる大半は、お盆を霊場で過ごすのだ。

指輪を妻に渡したい男性も、娘が初孫を生む女性も、こうして霊場に残る。


彼らが世情を知る機会は、次のお盆、あるいは次の命日まで持ち越しとなる。

もっとも、命日に誰かが墓参りに来ればの話ではあるが……。


守人はお盆の間、高台から霊園全体を見下ろしていることが多い。

夕暮れの墓地に点々と残された死者の霊は、何を思い空を見上げるのだろう。

いつもと同じ空が、違って見えるのだろうか。


乾いた夏が過ぎお盆が終わると、ナスビの牛に乗って続々と死者たちが帰省してくる。


『孫が成人した』だの『息子に嫁ができた』など、新たに知りえた状況が霊場のそこいらで囁かれ、穏やかな、それでいて清閑な雰囲気が生まれる。

夏の終わりの風物詩である。

敬われる死者と、忘れられた死者。

その格差が守人には悲しいが、自分がどうこうできる問題ではない。


ぬぐえない寂しさがこみ上げ、毎年のように胸を締め付ける。毎年この時期にはやるせない気持ちになるのだ。



或る夕方。守人は目を覚ました瞬間に思い立った。

半裸のまま小屋を飛び出すと、水場へ駆け寄った。


そこにはすでに甚八が立っており、優しい微笑みを浮かべて揺れている。


「甚八さん。良いことを思いつきましたよ」


青色の幽霊は、ぼんやりと宙に浮かんだまま守人を見つめた。


「命日を祝いましょう」


ちょっとした、思いつきだった。

――命日を忘れ去られ、誰も来ないなら、この霊場全員でその命日を楽しめばいい。


発想を転換すれば、死者にとって命日は誕生日である。

生者としての役目を終え、死者として生まれ変わった日なのだ。甚八は不安そうに揺れた。守人は自信満々に答える。


「大丈夫ですよ。上司に許可は取りますから。なにも死者だけが寂しく過ごすことはない」


そうだ、と守人はさらなる閃きを得た。

「そうだ、それがいい。命日を迎えた死者の友人たち――他の霊園の死者も呼ぶんです。なにも命日は悲しい日じゃない、本来は生者のためでなく、死者のための日なんだ」


「……」


それでもやはり甚八は不安そうだ。

「他の霊園を仕切るキツネたちに僕が連絡を取ります。全国に広がる稲荷明神ネットワークを駆使すれば、生き別れた友人にだって会えますよ。甚八さん、どうか協力してください」


頼み込む守人に、渋っていた甚八がようやく笑顔を見せた。


守人は甚八の協力を得て、各死者に会いたい人のリストを書いてもらう。生き別れた家族、懐かしき友人、若き日の恋人に、恩師。

死者たちのリストはそういった人たちの名で埋め尽くされていった。


ある程度の要望を確認すると、守人は本来の姿であるキツネへと姿を戻し、総本山である伏見稲荷へと向かった。

伏見稲荷に祀られている守人の上司は、当初、その提案に難色を示した。


上司は言う。

「死者のために何かするのは、六地蔵やほかの神に任せるべきだ。我々キツネがでる幕ではない。出過ぎたマネというモノだ」


守人は抗議する。


「しかし、現世は地獄でも霊界でもありません。現世にとどまっている死者の受け持ちは、誰と決まっているわけではないではありませんか」


数時間におよぶ守人の必死な説得に、ようやく上司も折れた。

即日のうちに上司が全国へ……全国の墓所を管理する各地蔵尊、稲荷たちに通達した。

それは、各墓所の守人に、死者の名と関連する人物を仔細にリストアップさせるものだった。


各墓所から『面白いじゃないか』『画期的だ』と賛同を得て、死者ネットワークは急速に拡大した。


守人同士が頻繁に連絡を取り合い、葬られている死者のリストを交換する。総本山から派遣された子狐たちが、事務を手伝ってくれたおかげで、立派な死者のデータバンクができあがった。


各墓所で孤独な命日を迎えていた死者たちは、この改革を大いに喜んだ。

自分が寂しい思いをしないだけではない。友人の命日に呼ばれ、馳せ参じ、祝ってやる事ができるのだ。


墓所はとたんに活気づいた。死者の誰もが忙しくなったのだ。

多い者は三日に一度、少ない者でも一週間に一度、友人の誰かしらが命日を迎え、死者年齢をひとつ増やすのだ。


ネットワークのおかげで指輪の男性は妻と再会することができた。

彼の妻は列車事故で亡くなり、誰も知らないうちに無縁仏として葬られていたのだ。喜ぶというのは決して良い心がけではないが、男性は嬉しそうだった。


さすがに夫婦とは言え、自分の墓を離れるわけにもいかない。だが、所在が明らかになったことで、夫婦は互いの墓を頻繁に行き来するようになった。


初孫の話ばかりしていたお喋りの中年女性は、自分の両親や祖母、祖父と再会し、あらためて孫の自慢をしては話に花を咲かせる。

無限に等しい時間のなかで、父親にたしなめられるまでお喋りは続く。


水子たちも報われたと思う。

赤子の扱いに慣れた婦人の霊たちが、水子たちの世話を買って出たのだ。彼らは泣き止んで、時には笑顔まで見せるようになった。


死者に新たな知り合いができ、新たな友人ができる。仕事が増えたせいで、守人はなかなかゆっくりできない。

死者だけで行うお盆祭りも企画しなければならない。


だが、この多忙は嫌ではない。むしろ良い気分だ。

守人は筆を動かしながら、自分も友人を沢山作っておこうと思う。一方で、死んでからでも遅くはないかなとも思い、苦笑する。


肉体の死は、魂の死にイコールではない。死には死の、生には生の楽しみがあって良いじゃないか。

最近は、人里での幽霊騒ぎもほとんど無くなったと聞く。

幽霊の目撃例も、怪談話も、とんとナリをひそめたそうだ。


当然だ、と守人は思う。

昔とは違って、幽霊たちも忙しくなったのだ。人間を脅かしたり、怖がらせたりする暇などない。


今日も霊園は賑やかだ。

いずこからか訪ねてきた死者が、かすかに空気を動かす。


余韻となって生まれたそよ風が、ひとときの涼を運んでは、霊園に咲く彼岸花を揺らしている。



《死者たちの夏 了》

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