第40夜 『観察者たち』
無人の森の中で、木が倒れる。はたしてその木は音を立てるか、という暇に任せた議論がとうとう紛糾する。
ある哲学者は言う。
「観察者がいなければ、音という概念は存在しえない。ゆえに無人の森ならば音はしない」
一方で科学者は言う。
「観察者の有無に関わらず、音とは振動である。倒れたならば観察者の有無を論じずとも音は存在する」
結局は音という概念を争う無益な議論なのだ。
ある時、終わらない議論を横耳に、ある若者がつぶやく。
「てか、誰もいない森のなかで倒れた……って言うけど。誰も見てないなら、いつ倒れたかわからなくね? 最初から倒れてたんじゃね?」
奇才、あらわる。
議論の場は騒然とし、誰もが不安げに顔を見合わせた。
誰かが叫んだ。
「そうだ、観察者がいないなら音はおろか、倒れた証明すらできないではないか」
「木は倒れるさ! なにをいまさら」
「勝手に木が倒れるのか! なんの前触れもなく!」
また若者がつぶやいた。
「雷かなんかで倒れたんじゃね?」
「そうか! 落雷による倒木だ!」
「しかし、それならば、近くの村の誰かなりが雷鳴を聞いているハズだ! ということは音はあった」
「いや違う! 雷鳴は雷鳴でしかない。雷鳴を聞いただけで『ああ、いま無人の森で木が倒れたな』と気付く奴なんていない! そもそも問題の説明に天候や森外部の状況は盛り込まれていないぞ!」
こうして議論は堂々めぐり。やれ、森に動物がいたなら。やれ、それこそ音もなく倒れた。
「見たのか!」
「見てない!」
「いつの時代の話だ!」
「人間がサルだった時代のことさ! その頃は音という概念は存在しない!」
「概念はなくとも、音は存在する!」
子供の口げんかの様相をていしてくると、議論の内容も変質する。
「そもそも人間はサルだったのか! 誰か見たのか? 言い切れるのか?」
「見てなきゃ信じられないのか? それなら地球の誕生を見た観察者はいないぞ! あんたの理屈なら地球は存在しないハズだ」
「外から地球をみた宇宙飛行士がいる。存在しないとは言ってない! ただ誕生が……成り立ちが、しょせんは想像の産物だってことだ」
「貴様! 科学を軽く見るな! 地球はビッグバンによって生まれたのだ。ビッグバンの時にも大きな音はしたはずさ、観測者がいなくてもね!」
「黙れ! 科学カルトめ! そもそも真空状態で音が発生するのか!? それがしょせんは推測だと言うのだ!」
「憶測だって!? なら地球が突然、ポッと湧いたとでも言うのか! 誰かが作ったとでも言うつもりか!?」
論者同士、互いを親の敵であるかのように罵倒する。
その頃、この星の周回軌道上を旋回する宇宙船の内部では緊急警報が発令されていた。
「マズい! イプシロン007号天体の連中が、地球の存在に疑問を持った! 気付かれる!」
「今すぐ破棄せよ! 内部のマザーコンピューターに自爆命令を出せ! 木っ端みじんに爆破せよ!」
若者はつぶやいた。
「あれ? なんか聞こえね? 地震?」
「黙れ! 音なんてどうでもいい! 議論に水を差すな!」
《観察者たち 了》




