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偽名仮名の住所録  作者: まつかく
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第33夜 『魔術師あらわる』

国会の壇上に魔術師が現れる。

紫の三角帽子を深くかぶり、同色のローブを身につけている。帽子に隠れて表情はもとより、年齢も判然としない。どよめきを一身に受けて軽やかに衣をひるがえす。


「我こそは偉大なる魔導士マーリンの弟子の弟子の弟弟子、偉大なるマルーニである」


「なんだお前は! ここは国会だ! お前のようなアホが入って良い場所じゃない、引っ込め!」


魔術師は肩を落としてため息を吐くと、ヤジを飛ばした与党議員の方へと手をかざした。


「これから重大な話をします。少し黙りなさい」


「黙るのはお前だ! 警備員は何をしている! たたき出……」


瞬間、魔術師の奇声が議場に響く、ヤジ議員の足下から薄黄色の煙が上がり、みるみるうちに議員をつつんだ。議員の甲高い悲鳴が天井まで届き、黄色の煙がそれを追う。

煙がはれると、議員の姿は豚に変わっていた。ヒステリックにブキィと鳴く。本人も驚いたし、周りも驚いた。


「私が偉大なる魔術師である証明が省けましたね。では本題に入ります。豚さんはうるさいので退場を願います」


豚議員は催眠術にかけられたがごとく、ブキィと返事をして後方の出口に向かった。魔術師は壇上のコップを傾け喉を潤すと、マイクを引き寄せ透き通る声で言った。


――長年の苦行を経て、私は力を得た。

それは、世界を変えるほどの術であり、スプーンを曲げたり、カードの数字を当てたりする手品のようなちっぽけなモノではない。

私がその気になれば、世界などものの数分で掌握できるだろう。


だが、私は邪悪な存在ではない。むしろ、この国を、この世界を憂うものだ。

ゆえに、今日はあなた方に手を貸すためにここへ来た。


「手を貸す?」


「あの男、何を言っているんだ」


ざわめきが右から左へ流れ、議場は騒然とする。しかし、魔術師がそっと手を上げると、すぐに静かになる。


「この世界にいらないモノ……それを、その存在を消し去ってあげましょう」


困惑が音となって壇上に返ってくる。


「たとえば」魔術師は両手を高く上げ、奇声を発した。すると、各議員の机に置かれていたコップが一瞬にして消え去った。

「今、コップを消したように、この世界から『なにか』の存在を消し去ってあげましょう。あなた方には何を消すかを提案して頂きたい。国民の代表として」


ふてぶてしい顔をして壇上を見上げていた大物議員が、手を上げた。


「じゃあ、君。アレだゴキブリを消してくれたまえ。アレを見ると寒気がするんでね。まさか出来ないとは言わんだろう?」


「簡単なことです」奇声が議場に反響し、やがてその余韻が消え去ると、魔術師は腕をおろした。「今、ゴキブリが消えました」大物議員のもとに中年の秘書官が駆け寄り、耳打ちする。


「本当か! 本当にゴキブリが消えたんだな!」


感嘆をふくむ驚きの声があがる。この力は本物らしい。


「これで、ゴキブリが消え、人類はあの虫に怯えることなく暮らせるでしょう。――しかし、私の力にも限度がある。あと三つ、あと三つのモノだけ消してあげましょう。それを決めてください」


議員たちは互いに顔を見合わせ、口々に何を消すべきか相談をはじめる。


「いらないモノってなんだ?」


「ちくしょう、あの男、ゴキブリを消しやがったが、これで製薬関連株ががた落ちだ。私は大損だよ」


「うちのカミサンを消してほしいよ。いや、愛人の方がいいか」


「あと三つしかないんだぞ阿呆なことを言うな」


一人の若手議員が、長老たちをたしなめる。


「皆さん、真剣に考えてください。国民の生活がかかってるんです。もっと生産的なことにしましょう」


討議の結果、一つ目は若手議員の提案した『公害』に決まった。


「わかりました。工業廃棄物による土壌汚染や排気ガスによる大気汚染を消してあげましょう。これで人々は安心して暮らせるでしょう。はい、消えました。あと二つ」

あっさりと言う。


「なぁ、『金』を消したらどうなる?」


「議員をやる意味がなくなるだけさ」


「人間から『欲』を消したらどうだろう? 平和になるんじゃないか?」


「欲がなければ産業や経済が成り立たんさ。みんな飢え死にだ」


「お弁当についてくる、緑のギザギザはいらんのと違うか?」


「アホ抜かせ。アレがなかったら昼食の時間が殺伐としてしまうだろう」


また例の若手議員が顔をしかめる。


「みなさん! まじめに考えてください!」



結局、二つ目は『核廃棄物』に決まった。


「はい――消えました。あと一つ」


三つ目ともなると、議論は紛糾した。議員の多くが気がついたのだ。

この、『なにか不必要なモノを消す』という行為は、歴史に残るのだと。

『ゴキブリを消した政治家』『公害を無くした政治家』

どの議員も歴史に名を刻みたく思い、様々なアイデアを持ち出す。


しかし、そのどれもが既得権益と密接に関わっており、全員が納得するモノはなかなか見つからない。


「病気だよ! 病気! 世の中から病気を無くせば良いんだ!」


「医療関連や、製剤関連に大打撃じゃないか!」


「しかし、病気がなくなれば皆が健康に暮らせるんだぞ! あんたは株を持ってるから反対するんだろう! それとも身内が大病院でも経営してるのか!?」


「そんなことより犯罪者はどうだ? 世の中から犯罪者が消えれば、平和に暮らせる」


この意見に関しては、ほとんどの者が口をつぐんだ。自分が消えるかも知れないからだ。


「戦争はどうだ!」


「原発は!」


「いや宗教だ!」


口角泡を飛ばす議員たち。白熱し、なかには殴り合いを始める輩もでてくる。ヤジが、罵倒が飛び交った。

そうして二時間ほど経過しても、熱狂は収まらず、合意点は見いだせていなかった。

すると、誰かが狂乱の人々を避けるように壇上へ歩み寄ってゆく。一歩ずつ、冷静な足取りだ。

それは例の若手議員だった。


若手議員は壇上を見上げ、悲しそうに言う。


「魔術師よ。無様なようだが、このままでは決まりそうにない。議員なら誰にだって利権や人脈がついて回る。あちらを立てれば、こちらが立たず……。国民のため、人類のために何かを決めるには、我々では幼すぎるのだ」


魔術師は優しく微笑み、少し帽子を上げた。千年先を見通すかのような深い光をたたえた瞳で若手議員を見つめる。


「あなたなら、三つ目は何を消すのですか?」


若手議員の背後から、他の議員たちのヤジが飛んでくる。


「勝手に抜け駆けするな!」


「お前は二つも選んだだろう!」


「政治のイロハも知らん若造が!」


「静かに!」魔術師は大声で罵声を制すると、再び若手議員に目を落とした。幼子に語りかけるように優しく問いかける。「あなたは、あなたなら何を消すのです?」


若手議員はまっすぐな瞳で魔術師を見つめ、言った。


「政治家――ですよ」そう言って寂しげに笑う。


「なるほど、もっともだ。では三つ目は『政治家』で」


議場内は悲鳴に満たされた。

意味もなく議場から逃げ出そうとする議員、若手議員に飛びかかる議員。突然に沸騰した恐怖が議員たちに取り憑いた。


「消えたくない!」


「助けてくれ!」


魔術師は両手を高く掲げ、大声で叫んだ。

「この世界から、『政治家』よ、消え去れ! 」


目の前の若手議員だけが消え去った。



  《魔術師あらわる 了》

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