第32夜 『スケジュール』
君のスケジュールを教えてあげよう。
君は死ぬ。それだけだ。
人生は限りない可能性に満ちていて、夢を追う姿は美しい。そう人は言う。たしかにそうあれば、どんなに素晴らしいかと思う。
でも、今の私にはそうは思えないのだ。恋愛も仕事も、趣味も夢も。ただの暇つぶしでしかない。
病院の待合室で手に取る、まるっきり退屈な興味を持てない雑誌とおなじ、暇つぶしなのだ。
時には、開いたページに大きくかかれた見出しに思いがけず興味をそそられるかも知れない。あるいは勉強のつもりで目を通すかも知れない。しかし、しょせんは『順番待ち』の退屈しのぎなのだ。
そして、いつか順番はやってくる。
死の順番など、わかるはずがない? だからギリギリのそのときまで精一杯生きる?
ははは、それは大変な勘違いだ。死の順番、スケジュールは決まっているよ。なにせそれが死神の仕事なのだから。
いま、私は分厚いコンクリートに囲まれて、空気清浄機の音を横耳にこれを書いている。死から逃れるために、だ。
隣の部屋を倉庫として大量の食料を買い込み、地中に引きこもる生活を長い間続けた(本当は食料も必要ないんだがね)。
快適とはいえないが、死ぬよりはマシだろう。
退屈しのぎに書いたこの手記がいつか人の目に触れれば、世界中に『死の真実』を知らしめることが出来るはずだ。
何年ここに、地中にいるかって? せっかくだから、正確な時間を書こう。
私が地中に逃げ込んでから経過した時間は……168年と3ヶ月、5日、2時間16分……21秒だ。
不老不死だって思う? とんでもない。死にたくないからこうしているだけだ。
じゃあ、なぜ死なないかって?
それを説明するには、168年と1ヶ月、2日、2時間16分……21秒前に戻らねばならない。
168年と1ヶ月、2日、2時間16分……21秒前。私はがらくた市で、古時計を買った。茶色い木枠にはまった、いかにも時代遅れのやつだ。
別にコレクターというわけでは無かったが、なんとなく気を引かれたのだ。ジュース1本の出費なら冒険ともいえない。
「古くて汚い」と妻になじられながら電話機の横に置いた。
次の日、その時計が爆発し、妻が怪我を負った。
妻を病院に送ろうと私は車を出した。焦っていたせいか、道を間違え途方もない遠回りをして病院に着くと、病院は走り回る医師や看護師で大わらわ。
後日知ったことだが、その混乱の原因は街のハイウェイにヘリコプターが墜落したせいだと知った。ロータリーに鳩を巻き込んだらしい。
操縦士は辛くも脱出したが、ハイウェイを走っていた車のドライバーたちが大怪我をおった。
そのハイウェイが、本来私が病院へ来るまでの最短ルートだったのは言うまでもないだろう。
このような偶然が、連日のように私の身の回りに起きたのだ。
普段、やらないようなことをしたおかげで、私はことごとく助かった。
空き缶を拾い、ゴミ箱へ捨てようと数歩後ずさると、目の前にレンガが落ちてきたり。妻を心配して珍しく同僚からの食事誘いを断ると、同僚は後輩を連れ、中華料理屋へ行ったらしい。
そして食事に行った同僚たちはことごとく寄生虫にやられ、頭がひしゃげて亡くなった。
私はその頃になると、気付いていた。――私は死神に狙われている。と。
私の性格パターンからすると、どの危機も『たまたま』まぬがれたに過ぎないのだ。
いつものように空き缶を無視していれば、脳天にレンガが直撃していただろうし、いつものように妻をほったらかしにして同僚たちと飲みに行っていれば、私の頭もひしゃげていただろう。
時計も、ハイウェイでの一件も偶然助かったに過ぎないのだ。
ああ、死神。間抜けな死神よ。
私にスケジュールを知られてしまった間抜けな死神。
当然、私は熟考した。死神は完璧なものではないらしい。
死神の手元にあるであろう、『ある程度詳しい』私に関するデータをもとに、私を殺そうとしているのだろう。
たぶん、そのデータには、妻に冷酷な仕事人間、公共心に欠け、短気な人物。とでも書かれているに違いないのだ。
でも本当は私は妻を心から愛していたし、『ええかっこしい』と思われたくなくて、公衆道徳を守るのがためらわれていただけだ。
そして、私はある結論にたどり着いた。
人間の『死のスケジュール』は決まっているが、絶対ではない。と。
自然に、さりげなく殺す……。担当する死神にその手腕がなければ、こうしてミスが発生するのだ。
老衰はどう説明する? と君は訝るだろう。
簡単なことだ。
人間に必要な空気成分に、微量の老化物質を混ぜておけば人間は時間と共に弱り、あとはスケジュール通りに何らかの『刺激』を与えてしまえばよいのだ。
地下にこもる前に、『老化を促進する遺伝子』が発見されたと新聞で読んだが、あれはきっと誤りだ。
説明の付かない活動を、老化に結びつけただけのペテンに過ぎないのだ。細胞の死はイコール個体の死ではない。私が証明している。
食事だってそうだ。
人間の口に入るモノ、その原料である大地や海に、毒素が仕込んでるに違いない。
水俣病の原因となった水銀や、ダイオキシンなどとは違う、もっとかすかな、隠し味とも呼べない老化物質。
木々が生み出す酸素だって、老化を促進する。
ある意味、地球全体が人間を老化させる土壌となっているのだ。死神の手によって。
話を戻そう。
私は生きている。
ここへ入ったのが30才の頃だから、私は198年生きている。
数世紀をまたいで生きる人間など、聖書の登場人物ぐらいのモノだと君は笑うだろう。しかし私は生きている。
様々な死神の『罠』から逃れることで、病気もしないし年も取らない。
死神の奴、きっと気をもんでいるに違いない。
スケジュールの一番上の欄には私の名前が居座り続け、奴の出世の妨げになっていることだろう。
きっと、私を見つけたら、なりふり構わず襲いかかってくるに違いない。
『自然な死』などにこだわらず、ナイフや棍棒で襲いかかってくるに違いないのだ。
だが奴はこの地中の事には気がついていない。奴が私を殺すことは不可能だ。
食料は合成、空気は地下で生み出している。電波の影響も考え、ラジオやテレビなど置いていない。完璧な安全圏なのだ。
しかし、私はひどく退屈している。
やることもなく、ただ生きているだけ。最近、それがたまらなく虚しいのだ。この手記を書き始めたのも、そのせいだろう。
今なら、病院の待合室にあるような、くだらない読みたくもない雑誌を、片っ端から手に取るだろう。虚しい。
入院していた妻はどうなっただろう、同僚は、友人は?
考えても意味がないことはわかる。私を知る人、私の知る人。どちらももう地上にはいないのだ。しかし、過去の幻影が幽霊のようにコンクリートの壁にちらつき、古い映画のように何度も再生されるのだ。
虚しい。ただひたすらに悲しい。
誰かに、私のことを知ってほしい。そして、誰かのことを私は知りたい。
もう、こうしているのに疲れた。
私も、希望というモノを夢見てみよう。死の直前まで戦ってみよう。
* * *
男はそこでペンを止めた。
おもむろに引き出しから護身用のナイフを取り出すと、小さな切っ先を確かめる。
壁に掛けてある防毒マスクをしっかりと装着し、168年間閉じたままだった入り口へ向かう。
潜水艦のハッチのような入り口は、錆びてどっしり重い。取っ手を回すたびにヒステリックな響きが鼓膜をくすぐる。
「死神を、殺す」
男は決心していた。
「自由になるんだ。死から、制限から」
死神を殺せば、人類全体に不老不死が果たされるのだ。
開いたハッチから見上げる空は褐色で、オレンジの雲が薄くかかっていた。夕方なのだろうか。
ゆっくりと外界に身を乗り出して、男は愕然とした。
周囲は瓦礫だらけだったのだ。
ビルは半倒壊し、首の折れた信号機が風にあおられ右に左に揺れている。
マンホールに偽装した地下室は、大都市の中心部のはずだった――が今は見る影もない。
思わず、叫んでしまう。
「お、おい! 誰かいるか! 誰か!」
マスクによってくぐもった声は虚しく風に乗ると、急いでビルの隙間に消えてゆく。都市を移転したのだろうか? それにしても、この荒廃具合は……。
耳を満たすひゅうひゅうという音に紛れて、足音が聞こえた。
広いストライドでこちらへ駆けてくる。みると、黒い上下のスーツに身を包んだ男だった。
――人間がいた。生存者だ。
男が安堵から膝を落とすと、走りながら黒服が叫んだ。
「あ! お前、H田だな! やっと見つけたぞ! ちくしょうめ!」
瞬間、それが死神なのだと気がついた。
久々に呼ばれた自分の名が懐かしく思える。そういえば、自分はそんな名だったな、と。
「あんた、死神か」
走り寄ると、黒服は息も絶え絶えに言った。
「その呼び方は良くないが、そのようなものだ。お前168年も逃げ切りやがって! 俺の出世はお前のせいで駄目になったんだ! 痛い目にあわせてやる! ちくしょう、なんで今頃になって……」
「なんで、出てきたと思う?」
「俺に殺されるためだろう! やってやる! やってやるぞ俺は!」
黒服はすごい形相で腰のあたりをまさぐる。H田もナイフの刃を出した。しかし、死神は眉を寄せ、腰をさぐるばかりでいっこうに武器を取り出さない。
「どうした? やるんじゃなかったのか?」
「いや、武器を携帯していないことを忘れていた。さっきの発言は取り消そう」
「そうはいかないさ。あんたを殺して、俺は人類を救うんだ。死によって誰も悲しまない、誰も苦しまない世界を作るんだ」
じりじりと距離を詰めるH田に、黒服は手のひらを見せ、降参のポーズを作った。
「悪かった、命を狙って悪かった。頼むよ、見逃してくれよ、なぁ」
「お前は、そう言われて見逃したことがあるのか?」
「俺とお前は違うさ、俺は仕事で、お前は怨恨じゃないか。俺を殺しても解決にならんよ。それに……死神は俺だけじゃない。俺が死んでも誰かがリストを引き継ぐさ」
「そいつらも、殺すさ」
「へへ、よく言うよ。俺らは殺せても、ボスは殺せやしない。それに今日は俺がついてなかっただけで、他の奴らはもっと優秀さ」
「何故武器を持っていない? ひょっとして……」
H田はふと不安になった。もしかして……武器を持ち歩いていないのは――。H田の表情を読んだのだろう。黒服はニヤリと笑う。
「想像の通りさ。もうこの地上に人間は存在しない。人間はお前が姿を隠したすぐ後に滅亡したのさ。2012年12月にね」
H田は目の前が真っ白になった。
「それも……スケジュールだったのか」
「ああ、西暦500年頃に急遽決まったんだ。上からの……ボスからの指令でね。あの一ヶ月は地獄だったよ。なにせ、分刻みで殺さないと間に合わないからね。ま、身を隠してたあんたが最後の人類ってわけさ。60億ほど……順番を飛ばしてね」
「私の妻や……同僚も……」
「俺の担当じゃなかったけどね」
筋肉が脱力し、薄い空気が肺を締め付ける。安らかに眠ったと信じていた妻が、あれからすぐ一年後に殺されていたのだ。
へなへなと膝をつき、ナイフで地面を刺した。ナイフを強く握り、えぐるようにしてぐるぐる回す。
「お前らの……上役にあわせろ。そいつをまず……殺してやる」
「はは、ボスを殺すって? もう会ってるじゃないか。それにもうナイフを刺してる」
「……どういうことだ」
「ボスはこの天体、地球なのさ。地球全体が機械なのは知らんだろう。俺らは天体の中心、中枢にあるマザーコンピューターから指令を受けて動いてるだけさ」
「機械」おもわずポカンとして呟く。
「そうさ。あんたら人間はこの地球環境が不自然だと思わなかったのか? この完璧な循環システムに疑問を覚えなかったのか? 雨が川になり海にそそぎ、生命が生まれてはぐくまれ、子を産んで灰になる。木々が天を目指し、風が雲を運ぶ。空気や水、生命と自然。これは『神の奇跡』とかじゃなくて『科学の結果』なのさ。あんたら人間もそのシステムの一環というわけ。俺らは雇われバイトって寸法さ」
「嘘だ! 機械ってのは誰かが作らないと! 誰かが設計しないと存在し得ない! それに、こんな奇跡のような星を機械で作ったなんて……そんな、デタラメだ!」
「作ったのは、あの人らさ」
そう言って黒服は天を指さした。巨大などら焼きのような円盤が、複雑に光を発散させながら中天を横切ってゆく。――UFO。
「まぁ、循環デザインの素晴らしさに関しては異論はないさ。でもそれもモデルになった星があるって話だから……えっと、何だっけな」黒服は大げさに考え込む素振りを見せた後、皮肉っぽく笑った。
「ええっと、そうだ。遙か昔に滅亡した星、名前はたしか、地球だった。そこにはあんたらそっくりの生物がいたって聞くな」
「地球は……ここだ!」
「まぁそれも間違いじゃない。でも正確には、太陽系地球サンプル・イプシロン005号天体、だ。001も002も同じように駄目になった。結局ここも他のサンプル同様、環境の循環システムが駄目になった、『知的生命体』の端くれである人間が駄目にした。何度やっても同じ結果なのに……どうして実験を続けるんだろうな。006号の廃棄も決まったし……やっぱり酸素を活動エネルギーにする生き物は下等なんだろうね」
「殺せ……」
H田は黒服の足下にナイフを投げた。すっかりみじめな気分になり、すべてに絶望した。
「なんだよ。いまさら。……ま、あんたも大変だったね。破棄まで残り少ないけど、自由にやんなよ暇つぶしでもしてさ。俺はそろそろ次の仕事……007号天体に行かないと。007の連中、ようやく火の使い方を覚えたらしくてさ。ここからが面白いんだよ。じゃ、ま、そう言うことで」
振り返って「あ、あとアレだ」黒服が肩をすくめる。
「循環システム止まってっから、食いモンは探しても見つからないよ。まぁ隠れ家に戻ってのんびり暮らしなよ」
H田はなすすべもなく地下へ戻ると、ペンを取った。ありのままを書くべきか、迷った。
死神のこと。滅亡した人類のこと。
人類が騙されテストされていたこと。妻や友人の最後。
破棄される天体のこと。
考えこんで数時間が過ぎたころ、H田はようやく気を取り戻した。
おもむろに書きかけていた手記を破り去り、新しいページにペンを走らせる。
人生は、素晴らしい。
長きその先に何が待ち受けていようと、やがて確実に死を迎えようとも、人生は素晴らしい。
素晴らしき人生を演出してくれた、素晴らしき妻よ、素晴らしき友人よ。ありがとう。感謝にたえない。本当にありがとう。
君たちこそ、私の人生だった。ありがとう、ごめんなさい。
いま、会いに行くよ。
男はナイフを強く握った。
《スケジュール 了》




