第25夜 『地底人にはカフェ・ラテを』
ある男が考えに考えぬいた上で、結論を導き出す。
――地底人は存在する。
彼らは何万年も以前、それこそ人間が人間となる以前から地球の地下に生きながらえてきた。
彼らは地下世界に王国を作っているのだ。それは洞窟のような空洞を利用しているのかも知れないし、あるいはシェルターのような近代的なモノかも知れない。
彼らは、長年にわたる地下での生活に飽き、今や地上を、地球の覇権を狙って着々と準備を進めているに違いない。
我々人間が作った地下道や、地下鉄、あるいは下水道だって彼らの知るところであろう。
彼らが地上を我が掌中に収めんと軍隊を派遣してくる際には、地下道や下水を利用するはずだ。彼らがマンホールから太陽の下に出てくる日は、そう遠くはない。
男の結論はこうだった。
その結論に付随し、地底人の偵察が地上に紛れ込んでいると男が確信するのも、無理からぬことだったといえる。
男は自分の研究室に数ヶ月間こもり、あるゴーグルを開発した。
そのゴーグルをつけて誰かを見れば、相手の生体活動の全てが数値化され、人間と地底人を見分ける事ができるという――画期的なものだ。
地底人の偵察は、人間社会に溶け込むために人間そっくりの風体をしているに疑いはなく、この新たに開発したゴーグルを使えば、地上を狙わんとするフトドキ者たちをあぶり出すことができるのだ。
男は早速、完成したゴーグルを首にかけ、街へと繰りだした。
駅や繁華街など、人通りの多い場所でじっくり観察していれば、偵察を、スパイを発見できるに違いないのだ。
男は大通りに面したオープンカフェでエスプレッソを注文すると、一番通りに近いテーブルに作戦本部を置いた。
たかだか一分間の間に、50人は目の前を行き交う場所だ。
スパイを発見した場合に備えて、メモとカメラを準備する。写真を撮り、風体を書き残し、のちの証拠とするためだ。余裕があれば尾行することも覚悟しなくてはならない。
――地球を守るため、多少の危険は甘んじて受けねば。
緊張に噴き出した手汗をズボンでぬぐい、男はゴーグルを装着した。すると、早速ゴーグルからアラームが鳴る。
目の前の男、髪をきちんと七三に撫でつけたサラリーマン風の中年。ゴーグルはその男に反応しているようだった。
ゴーグル内部のモニターに、数値化された男の生態情報が下から上へ流れてゆく。
そしてゴーグルを通して七三の男は赤く染まる。『人間外』を検知すると、その人物は赤く表示されるのだ。
まさか、こんな偶然があるとは。男はゴクリと生唾をのんだ。
目の前を通り過ぎようとしている人物が、たまたまスパイである確率はどれほどなのか。
そんな計算をゴーグルがしてくれるワケもなく、男の自信作はただピー、ピーとアラームを鳴らし続けるだけだった。
そんな男の挙動が、よほど怪しかったのか。それとも、スパイらしく普段から周囲に気を配っているのか。七三の男は立ち止まり、男のほうをじっと見つめてくる。
男の心臓はしゃく、しゃくと耳の奥に鼓動を聞かせる。
かち合った視線を逸らせぬまま、男が全身を硬直させていると、やがて七三が言った。
「やぁ、こんにちは。面白いメガネをしてらっしゃいますね」
男は、七三が発したその言葉で呪縛のような硬直から解かれた。そして思わず叫んでしまう。
「黙れ! スパイめ! 私にはわかっているんだ! 貴様、地底人のスパイだろう!」
カフェ周辺を行き交っていた人々の視線が一瞬にして二人に集まる。七三が数歩後ずさると、男はさらに強気になった。
「逃げるのか! スパイめ! 地上は私たちのものだ! 渡さんぞ!」
周囲からわき上がった苦笑を七三は見回した。
行き交う人々が「春だなぁ」と興味を失い、再び歩き始めるのを待って、七三はようやく男のテーブルへと歩み寄ってきた。
そして声を殺して囁く。
「叫ぶのは、やめてください。私は地底人なんかじゃありません」
「嘘だ! このペテン師め! このゴーグルにはお前が地底人であると分析結果が出ているのだぞ!」
男はアラームを鳴らし続けるゴーグルを外し、肉眼で七三を睨んだ。一見すると、いや、どれほどじっくり見ても、外見は人間そのものだ。上手く化けたモノだと思う。皆が騙されてしまうのも無理はない。
「ふむ。その――ゴーグルはあなたが作ったのですか?」
「そうだ! 貴様ら地底人の侵略を阻むため、地球の平和を守るため、戦いを忘れた人々のため、わざわざ開発したのだ!」
「ふむ」とアゴをさすり、七三は椅子をひくと、男の向かいに腰を下ろし、言った。
「あまり、目立ちたくないので、そのアラームを止めてくれませんか?」
「認めるのか! 自分がスパイだと、くそったれの地底人だと!」
「止めてくれたら、お話ししましょう」
男はひっきりなしに鳴り続けるアラームを止めるため、ゴーグルの電源をoffにした。
「まったく」七三はぐったりと椅子にもたれ掛かった。「すごいモノを開発しましたね」
「すべては地球のためだ」
「地球人にそんなクリエイティブな知性が残っていたとは。どうしてなかなか侮れないモノだ」
「ふふふ。褒められるのはくすぐったくなるが、貴様ら地底人の好きにはさせんのだよ」
「地底人、地底人というのはやめてくれませんか。私は地底人じゃあない」
「なんだと、まだシラを切るつもりか」
「いえ」と、かぶりを振ると、七三はテーブルに身を乗り出し、周囲にチラチラ視線を配ってから囁いた。「私は宇宙人ですよ」
「な! なに!? 宇宙人?」
「ええ、人間の姿を借りて、地球の様子を見守っているのです」
――荒唐無稽な話だ。
男は不愉快な気分。こんな酷いデタラメがあっていいものだろうか。地底人ならともかくも、ウチュージンだって?
しかし、ゴーグルは確かに『人間外』との判定を下したのだ。七三の言う事は本当かも知れない。
男は、思わず弱腰になってしまう。
宇宙人ならば、映画やSF小説の影響で人類より遙かに高度な科学技術を有しているイメージがあったからだ。もちろん地底人よりも。
もし仮に戦っても、地球人が負けるイメージしかない。地底人ならともかくも。
宇宙人に勝つには、いつも何らかの奇跡が必要になるはず――。
「む、むう。地球を侵略しにきたのか?」
「しませんよ。こんな汚い星」
「汚いとか言うな。じゃあ、なぜ? 人間の姿でここに?」
「観光環境保全です。ある程度、管理しておかないと観光地としての価値がなくなりますから。――まぁ、仕事ですね。僕にだって自分の星には妻子がいるし早く帰りたいんですけど、仕事って奴はまったく」
「はあ。それは、お勤め御苦労様。どの時代もどの世界も、仕事とは馬鹿馬鹿しいモノですな」
こうして、しばらくは七三宇宙人の愚痴が続いた。上司と折り合いが悪いらしく、転職も考えているらしいこと。かといって転職して収入が下がれば、妻に三行半をつきつけられそうなこと。
そんな相談に乗るうちに、地球に対する悪意はないことがわかり、二人はすっかり打ち解けた。
「まぁ、不景気ですからね。しばらくは今の仕事を続けるしかないんですけど」
「うん。いい職場があれば、紹介するよ」
「ところで、さっき地底人がどうのとか……言ってましたよね? 地底人っているんですか?」
「いる。きっといる。奴らは地上を狙っているのだ」
「物騒な話ですな。地球が戦火に巻き込まれてはかなわない。よし、ここは一つ、僕も協力しますよ。環境保全課に籍を置く者として見過ごすわけにはいきませんからね」
「よし、では協力して地球を守ろう!」
二人は共闘を誓い、大通りの監視を再開する事にした。
七三宇宙人の生態情報をゴーグルに入力し、宇宙人では機器が作動しないよう設定する。これで宇宙人はスルーされ、地底人を見つけやすくなるはずだ。
男が調整を終え、ゴーグルを装着して通りを見やると、間を置かずアラームが鳴る。
「あっ、あいつだ! あの少年を捕まえろ! 七三さん、あいつ人間じゃない!」
「任せてください!」
宇宙人はひらりと通りへ飛び出すと、目の前を通り過ぎようとしていた少年を羽交い締めにし、力ずくでカフェのテーブルへと連行した。
制服を見る限り、どうやら中学生らしい。否、中学性を《《装っている》》らしい。
無造作に空気を入れた髪型が爽やかで、どこか堅苦しい宇宙人とは対照的だ。
「ようこそ、地底人くん。地上は渡さんよ? 君」
「はぁ? 地底人? 頭おかしんじゃね? 警察はなにやってんだよ。こんな異常者を出歩かせるなってんだ。何のために税金払ってると思ってるんだ」
「大した税金も払っていないくせに、偉そうに言うな。もうネタは上がってるんだ! 観念しろ」
宇宙人も腕を組んで、高圧的に少年を見下ろす。
「ふむ。こいつ、少なくとも、我々宇宙人仲間じゃありませんね」
「そりゃあそうだろう。コイツは悪しき地底人に違いないのだから」
「おい、勝手に話進めんな! 俺は地底人じゃねぇって!」
「嘘をつくな! スパイめ! 」
七三宇宙人が注文したカプチーノがテーブルに届くまで、こうした断定と否定の押し問答が続いた。
そして、カプチーノを美味そうに飲む七三の男が実は宇宙人だと知ると、少年の警戒心は多少弱まったようだった。
「宇宙人……ってか。マジかよ……」
「そうさ。宇宙人でもカプチーノは美味い。シナモンスティックは嫌いだがね」
「……わかった。白状するよ。俺、確かに人間じゃない」
「やはり地底人のスパイか!」
「違ぇよ。そんなんじゃねぇ」少年はうつむいて、ぼそりと呟いた。「俺、キツネなんだ」
「キツネ!?」
「ああ、キツネだよ。最近、山や森がひでぇ住みにくくなったからさ、何代か前から俺の家族は人間に化けて街で暮らしてる」
――なんて荒唐無稽な話だ! あり得ない!
おもわず男は憤ったが、キツネ少年の横では七三の宇宙人がカプチーノの泡で遊び、「なるほどね」とうんうんと頷いている。
宇宙人の言葉を信じて、キツネを信じないと言うのはアンフェアというものか。
「その君は。いや、君らキツネは――だ。人間社会を打倒する目的をもっていたりするのか? なんと言うか、その『キツネの新世界を作る』? とか」
「んなこと、しねぇよ。人里って俺ら動物には憧れの世界なんだ。美味いもん沢山あるし、危険な罠はないし、猟師だっていない。人間社会を乗っ取るなんてとんでもない。俺らはこうして街の隅っこで生きてるだけで幸せさ」
どうやら、悪い奴ではないらしい。
宇宙人は新たにコーヒー牛乳を注文し、キツネ少年に与えた。そして紳士的に振るまう。
「僕のおごりです。時間を取らせて悪かったね。ゆっくりしていくといい」
「あんたら、地底人探してんの? ってか、地底人っているの?」
「いる。この平和な地上を侵略しようと工作員を派遣してきているのだ。我々は見えざる敵と日夜こうして戦っているのだよ」
「じゃあ、さ。俺も手伝うよ。俺も地球大好きだしさ。学校サボって暇なんだよね。一緒に地球守るよ」
こうして男はゴーグルの認識情報に、さらにキツネの生態情報を加えることになった。
「きたぞ、あれだ! あの女! 人間でも、宇宙人でも、キツネでもない!」
「よっしゃあ! 引っ捕らえるよ!」
腕を組んだ三人に、囲まれ睨まれ、ようやく女は白状した。
「白状します……。私、実は人魚なんです。魔女のお婆さんにもらった薬で人間に化けて、この街で王子様を捜しているんです」
「王子様だと!」
「ええ、年収一千万以上で、親と別居、酒はいいけどタバコは吸わない。年収一千万以上とは言いましたけど、自営業はイヤで、公務員。そんな人を探しているんです。私の王子様になってくれる素敵な男性を」
「君、家事は得意かい?」
宇宙人が興味深げに問うと、女はうつむいた。
「洗濯はできなくはないですけど、料理とか掃除はちょっと……イヤかも。あと子供は嫌いです」
「なんてワガママな女だ!」
やはり男は憤った。
人魚とはいえ、どうせ自堕落な女に違いない、今は美人だが、結婚したらぶくぶくと肥え太り、旦那を金稼ぎのマシーンとしか認識しなくなる類なのだろう。
宇宙人は新たに注文したミルクティーを人魚に与えると、二人でひそひそと話し始めた。
――宇宙人は、年収一千万以上あるのだろうか。
男はそんなことを考えながら、ゴーグルに人魚の設定を加える。
「む。次は、あの婆さんだ!」
「よっしゃあ! 地球を守るぜ」
すっかり人魚となれ合って、働かなくなった宇宙人を尻目にキツネ少年が飛び出した。
老婆は言う。
「わかった、わかった。白状するよ。あたしゃ魔女だ。薬代を払わず逃げた人魚を捜してるのさ」
高額な薬代は、宇宙人が立て替えた。ほんとうに年収一千万以上あるのかもしれない。人魚はそんな宇宙人に「素敵」と熱い視線を送り、腕にすがる。
魔女はモカを注文し、ふてぶてしく椅子を引いた。
「少年! あの人相の悪い男だ!」
「がってん!」
人相の悪い男は言う。
「僕は人の皮をかぶった悪魔だ。決して地底人ではない。せっかくだから、僕はダーク・ローストコーヒーを頂きましょう」
そう言って、上品なスーツを翻し、椅子に腰を下ろした。聞けば、悪魔のクセに人間の妻と娘がいるらしい。
キツネ少年がテーブルの端に置かれた悪魔のハットを戯れにかぶろうとすると、手をパチリと叩かれる。
「およしなさい。無くしたり汚したりすると、妻に怒られる。妻は悪魔より悪魔的でね」
「少年! 次はアイツだ!」
「あいよ!」
「少年!」
「あいあい!」
かくして、やりとりが続けば続くほど、カフェには客が溢れた。
宇宙人に始まり、キツネ、人魚。魔女に、悪魔。タヌキ。
ゾンビもいたし、虫人間、河童もいる。幽霊や死神だっていた。
しかし、地底人だけはいない。
「どうしたことだろう少年。妙なものばかりが引っかかって、地底人のスパイがまるで捕まらない。奴らを見つけるより先に、私の心が折れそうだ。なぜ街にこんな妙な者ばかりが溢れているのか」
「まだ、百人ほどじゃないかよ。諦めちゃ駄目だって。いつかは捕まえられるってばよ」
「しかし、もう私はゴーグルを覗くのが怖い。よくよく考えて見れば、ゴーグルの画面は赤一色だ。つまり、この大通りには『人間以外』しか居ないと言うことなんだ。それが宇宙人であれ、キツネであれ……」
「そのうち見つかるって」
「もしかしたら……人間は……私しか残っていないのではないか?」
「悲観的になるなって、オッサン。大丈夫だって」
すると、人魚とイチャついていた七三宇宙人が、ようやく男のほうを向きなおった。
「『あなただけ』が人間であるというのは、間違った認識ですよ」
「ああ、そうだったね。人間はまだどこかに沢山いるはずだ。そう信じて頑張るよ」
「いや、そうではないのです。あなたは人間ではない」
男は硬直した。宇宙人は何を言わんとしているのか。
男自身が人間ではないとすれば、人間とは何なのだ。男が黙っていると、宇宙人は続けた。
アナタは我々宇宙人が環境保全のために作った人間型生体アンドロイドです。地底人から地上を守るというのも、組み込まれた保全プログラムの一環なんでしょう。まぁ貴方たちアンドロイドに環境を自治保全させるつもりが、逆に環境は破壊されるし……。
『地底人が攻めてくる』だなんて異常なプログラムバグが発生している所を見ると、失敗だったようですな。本当に地底人がいたら面倒だな、と一瞬心配しましたが、それもどうやら取り越し苦労だったようだ。
宇宙人はそんな事を言う。
「なんだよ、オッサンも人間じゃないんだ? ロボットなの?」
「生体アンドロイド、だ」ゴホンと咳払いすると、七三宇宙人はさらに続けた。
ミッシングリンクは学校で習ったかい? 人間は進化の過程において中間過程がスッポリ抜け落ちている部分があるんだ。公式には、人類が猿の時代から、中間を経ず、急激に人間へと進化したことになっているんだがね。
いまだに我々宇宙人にもよく解らないことだが、その失われた時期に、なぜか地上から地球人類種が居なくなってしまったのだよ。
そして、いなくなった人類の代わりに、我々が生体アンドロイドを代理として地球に置いたというワケだ。だから、外見上だけを見れば、急激に進化したふうに見える。
「へぇ。オッサン猿の代わりだったんだ?」
不思議そうにするキツネ少年に向かって、七三は肩をすくめた。
「一応、猿が進化すれば、いずれこうなるという最新の科学的予測をもとに、生体アンドロイドの外見は作られていますがね」
「そんな! じゃあ人類の歴史は……有史以来の歩みは、すべてアンドロイドによるものだと言うのか!」
「そう言うことです。文明も我々が作ったんです。織田信長もアドルフ・ヒトラーも生体アンドロイドですよ。もちろん、あなたもね」
「なんてことだ……」
「でも、面白いですよね。今の世界は『人間のフリをした何か』しかいない。人間なんて、存在しないのに、その模倣品……フェイクだけが溢れているんですよ。そして、『人間らしく』なんて放言したりしている。まぁ、みんな、貴方のように自分が本当に人間であると思い込んでるのでしょうが」
地球は、すでに人間のものではなかったのだ。男はうなだれ、自らの両手を見つめた。
「なぁ、オッサン。気を落とすことないって。人間がいないとか小さな事じゃないかよ。『誰が人間か』なんて馬鹿らしいって。人間が居ないなら、俺らみんな人間ってことにしちまえばいい。宇宙人も、キツネも人魚も、みんな人間ってことにしちまえばいい。仲良くやればそれで良いじゃん」
――そうかも知れない。
どうせ、みんな『フリ』をしているだけなのだ。
本物がないのならば、贋作もオリジナルと言えるのではないか。男はゴーグルをつけて、周囲を見回した。
『人間の生体数値』を正常に表示させるものなど、誰もいない。
その『人間の生体数値』そのものが、しょせん、宇宙人の科学的予想に基づいたもの――に基づいたもの。
赤い画面の向こうで、キツネ少年が笑っている。
テーブルの向かいでは宇宙人は人魚と電話番号の交換をして、魔女と悪魔が契約している。
男は大きく息を吐いて、いからせていた肩をゆっくり下ろした
こんな世界でも、平和ならいいか。
ふと、男が大通りに目をやると、マンホールの蓋が少しずつ横にスライドしてゆくのが見えた。通りを歩く『赤表示』の人々はそれに気付かない。
幽霊は足がないだけに、足元に注意を払わないし、タヌキは歩きながらアクビばかりしている。
やがて、マンホールの蓋が開ききると、中から何者かが顔を覗かせる。
男は息を飲んだ。
何者かがモグラのようにひょっこりマンホールから頭を出して、キョロキョロと周囲を見回したのだ。
その人物に、ゴーグルのアラームは反応しない。それはつまり、正常な人間、完璧な人間の数値を示していたのだ。
男は胸が熱くなった。
人間は存在した。滅んではいなかったのだ。
太古の昔、人類の祖先達は進化の過程で地上を捨て、地下へと移り住んだに違いない。
そうして、着実に進化を重ね、いまようやく陽の下に返り咲いたのだ。
宇宙人たちの進化予測と違わぬ、いかにも人間らしい姿で――。
男が感動に呆けていると、マンホールから地上を覗いていた人間は、跳ねるように穴から飛び出し、手刀を高く挙げた。
それを皮切りに次々に武装した人間たちが、街中、見渡す限りのマンホールからポップコーンのように溢れだす。
数百、数千。いや、もっと多い。
それぞれが手にする武器は男が見たこともない奇妙な形で、昼の陽光を浴びてはギラギラと輝く。
そして、指揮官らしき人物による、身震いするような号令が、昼下がりの街に響いた。
「全軍、進撃!」
《地底人にはカフェ・ラテを 了》




