第17夜 『月と太陽とミャー子さん』
お月様が太陽に恋をしました。
しかし、太陽は地球を照らしてばかりで、お月様の熱い目線に気付きもしません。
お月様のため息は地球の海へと向かって容赦なく吹きつけ、地球ではそのたびに高波が起こりました。
ある夜、お月様は山の頂上にいたネコのミャー子さんに相談をもちかけます。
「ねぇ、ミャー子さん。私って魅力がないのかしら?」
「どうして、そんな事を言うの?」
「だって、太陽さんが私にまったく興味を示さないんですもの」
ミャー子さんは、なるほどな、と頷きました。――最近、津波が頻繁におこるのは、このせいなのね。
「ねぇ、お月様。恋をするのは結構だけど、ため息を地球に吹きかけるのはおやめなさいな。地球に住む私たちは、いい迷惑だわ」
「あら、そうなの?」
「そうよ、ため息のたびに津波が起こるから、私たちはそのたびに、こうして山頂まで逃げてきているのよ?」
「あら、ごめんなさい。うっかりしてたわ。でも仕方ないでしょう? 届かない愛は、私の肺まで締めつけるのだから」
ミャー子さんの隣で、犬のヴァウ夫くんが頷きました。
「ミャー子さん、このままじゃ、お月様が可哀想だ。僕たちで何とかしてあげようよ」
ヴァウ夫くんは、いつもこうです。妙に同情心が強く、余計な事にまで首を突っ込むのです。ミャー子さんは少しイライラしました。ヘドが出そうです。
でも、ミャー子さんはヴァウ夫くんにお金を借りていたので、ヴァウ夫くんの頼みをムゲにもできません。
「わかったわ。少し考えてみましょう」
次の日の夜、ミャー子さんは、また山頂に登りました。
「閃いたの」ミャー子さんは得意げにヒゲをヒクヒクさせます。「お月様。あなたに魅力が無いわけじゃないわ」
「じゃあ、なぜ?」
「会う時間が短すぎるのよ」
「あら、でも短い時間で私は恋に落ちたわ。そういうのって、時間とかじゃないと思うの。そうねきっと、フィーリングよ。大事なのはフィーリング」
「黙りなさい」
ミャー子さんの一言にお月様は黙りました。
「そんなことを言っているから、あなたは駄目オンナなの。地球から見ていればわかるわ。考えてもみなさい、あなたと太陽が出会う時間は朝と夕暮れだけでしょう?」
「ええ。私が一番ドキドキする時間よ」
「でも、その時間のお月様は、ちっとも綺麗じゃない」
ヴァウ夫くんが低脳っぽく楽しそうに手を叩きました。
「ホントだ、ホントだ。言われてみればそうだよ。朝とか夕暮れのお月様って、なんか薄ぼんやりしてて、ちっとも綺麗じゃないや」
「あら失礼な犬と猫だわ! そんなこと、ないわ! ちゃんとオメカシしているのだから!」
「黙りなさい」
お月様は黙りました。
「朝と夕暮れのあなたは、空が明るいせいで、薄ぼんやりなの」
「そう、そう。白っぽいよね」
「でも、あなたが一番輝くのは、太陽が完全に居なくなった後なの。真っ暗な世界でこそ、あなたは銀や金、赤に輝ける」
「だって、私は月だもの。夜こそは私の舞台」
「だから、その姿を太陽に見てもらうのよ。そうすれば、太陽だってお月様の事をいっぺんに好きになっちゃう」
「そんなこと、出来るかしら」
「任せて」
ミャー子さんは山から下りると、ヴァウ夫くんにスコップを手渡した。
「さあ、ヴァウ夫くん。穴を掘りなさい」
「わかったよ。どのくらい掘ればいい?」
「地球の裏までよ」
「こんな小さなスコップで、かい?」
「それしか無かったの」
「たった一つで、かい?」
「一つしか無かったの」
「つまり僕一人で、かい?」
「私、汚れるのは嫌だわ」
ヴァウ夫くんは、大人たちが遠吠えする気持ちが少しわかりました。
それから数ヶ月。くる日もくる日も、ヴァウ夫くんは小さなスコップで穴を掘り続けました。
いつしかスコップは折れ、仕方なく手で掘るようになりました。
体はすっかり鍛えられ、もはや立派な炭坑夫です。
相変わらず、月はため息をつき、そのたびにヴァウ夫くんは死にかけました。津波が穴に入り込むのです。
でも負けません。
ミャー子さんは、週に一度、作業の進み具合を確かめに来ては、ヴァウ夫くんをなじります。
「まぁ、ちっとも進んでいない! グズ! ゴミ! カス! あなた、もしやサボっているんじゃないでしょうね?」
「サボるどころか、死ぬ気でやってるよ」
「でも、死んでないじゃない」
ヴァウ夫くんは何も言い返せませんでした。でも負けません。
半年後、ヴァウ夫くんの偉業はようやく達成されました。穴が地球の反対側まで貫通したのです。
穴を確認したミャー子さんは嬉しそうにヴァウ夫くんの頭を撫でました。
「偉いわ、ヴァウ夫くん」
「ありがとう。僕も嬉しいよ、ミャー子さん。指の三本と片目、片耳を失った甲斐があったってものさ」
「そうね、見た目はすっかりブサイクで、気持ち悪くなってしまったけど、あなたほど、心優しい犬はいないと思うの」
「あまり、おだてないで。本気にしてしまうだろう? こんなに怖い顔になっちゃったんだから、きっと、みんなに嫌われるんじゃないかなぁ」
「そうね」
実際、そうでした。
夜になると、お月様は落ち着かない様子で、満月になったり、三日月になったりしていました。
「イライラしちゃ駄目。少しは落ち着いたらどう?」
「だって……迷うんですもの。満月のほうが綺麗かしら? それとも三日月のほうが綺麗?」
「私は満月のほうが好きだわ」
「僕は三日月が好きだなぁ」
お月様はミャー子さんの意見を採りました。
そして、穴を通して対面する時間が来ました。
地球の穴を、太陽の光が光線となって、お月様の頬の辺りに差します。ようやくお月様と太陽が一直線になったのです。
すると、太陽は大声で叫びました。
「なんだよ! なんなんだこれは!」
お月様は、うっとりします。(さすが太陽さん。なんて雄々しい素敵な声なのだろう)
ミャー子さんもドキドキしました。(どうなるのかしら)
ヴァウ夫くんは片目になったせいで視力が落ちすぎて、何が起こっているのかわかりません。
太陽がまた叫びました。
「誰だ、僕の愛する地球さんに、こんなでっかい穴を空けたのは! こんな穴あきの地球さんなんて、気持ち悪い!」
お月様はショックを受けました。(太陽さんが地球を愛していた!)
ミャー子さんは、(シメた!)と思いました。失恋と新たなる恋は、セットになりがちだからです。
ヴァウ夫くんは、(穴を空けたのは僕です)と誇らしい気持ちになりました。
それぞれの想いが交錯するなか、太陽はさらに怒鳴ります。
「なんだよ! 穴の向こうにいるネクラそうな奴は! 頬に大きなシミがあるじゃないか! 気味悪い!」
太陽が穴の上を通り過ぎた後、お月様は自分が恋に破れたことに気付きました。太陽は面食いだったのです。お月様はシミだらけの顔を恥じ、雲を呼んで隠れてしまいました。
ミャー子さんはお月様に語りかけます。
「残念だったけど、むしろ良かったかもね」
「酷いわ! どうしてそんな事いうの?」
「だって顔で相手を選ぶ奴なんか、ろくでもないわよ。いずれお月様も太陽に泣かされていたかも」
「……いまは、そんなふうに考えられないわ!」
「そうね。ゆっくり傷を癒すといいわ」
「僕もそう思う。恋愛は顔じゃないよ」
ヴァウ夫の言葉に、お月様は雲から顔を覗かせました。
「わかったような口をきかないでよ! そうやって、失恋した私を狙ってるんでしょう! ブサイクな犬のクセに! 気持ち悪い!」
そう言うと、お月様は分厚い雲の向こうへと行ってしまいました。
帰り道、ヴァウ夫くんはミャー子さんに問いかけます。
「僕って、そんなに酷い顔になったかい?」
「顔の好みは、好きずきだと思うわ。でもお月様の態度は酷い。ヴァウ夫くん、あんなに頑張ったのに」
どこか、返答を濁された感じがして、ヴァウ夫くんはモヤモヤしました。ミャー子さんは続けます。
「そうよ、世の中、顔じゃないわ! でも……」
「でも?」
「少し離れて歩いて」
ヴァウ夫くんは怒りませんでした。ミャー子さんは、悪気無く本音を言う性格であることを知っていたからです。
言われた通り、少し離れて歩きます。
――少し悲しいな。
怖い顔になったヴァウ夫くんのえもいわれぬ悲しみは、長い時を経ても子孫たちに受け継がれました。
遺伝子が薄れ、すっかりカッコ良くなった子孫たちは、いつも不思議に思うのです。
なぜ僕は、カッコ良い犬を見ると、いつも敵視して唸ってしまうのだろう。
なぜ僕は、時々、無性に穴が掘りたくなるのだろう。
なぜ僕は、月を見ると、いつも遠吠えしたくなるのだろう。
なぜ僕は、猫を見ると、いつも吠えて追い払いたくなるのだろう。と。
《月と太陽とミャー子さん 了》




