第1夜 『CM』
ある男がうんざりしてテレビを消す。
途端に灰色になった画面が鏡面となり、自らの姿が映し出された。雨雲より暗い表情に、生気を失った目が浮かんでいる。
「ああ、皮肉なことだ」
男は呟いた。
コメディ番組より連続ドラマの方が、笑えることが多い――その笑いも皮肉な意味ではあったが――とにかく男は退屈だった。
数日前に「何故、俺はテレビを見ているのか?」という疑問がふと湧き上がってからは、加速度的にテレビ離れが進んでいる。
教師という仕事の影響もあるのかも知れない。湧き出した疑問に対して、ある種、哲学的とも呼べるほど真摯に考える癖がついていた。
いまとなってはその疑問が「何故、こんなにつまらないものを喜んで見ていたのか」に変化している。これこそ惰性とでも言うべきなのだろうか。
男は灰色のモニターに映る、苦々しい表情の自分と問答を続けた。
「テレビを見て、ますます自分が退屈していることに気がついたぞ。これは末期かも知れん。よくもまぁ、こんなつまらないモノを見ていたものだ。見ていた自分にも腹が立つが、見せる側にも腹が立つぞ」
突然にジリリと電話が鳴り出し、男は睨めっこを一時中断する。おそらく、この電話はテレビ局からのものに違いない。
テレビの主電源を落とすと、その情報はすぐさま中継局へ伝えられるのだ。
「もしもし」
「夜分遅くに失礼します。こちらは視聴状況監視センターです」
「でしょうね」
「そちらのテレビに問題でもありましたか? 先ほど主電源が落ちたようですが。この状態では、貴方様の趣向にピッタリの番組が始まったとき、自動で映し出せません。何か問題が発生したのでしたら――」
「問題だって? 大アリさ」
今日にかぎって男は噛みついた。いつものように、適当にあしらう気にはなれない。
「こんなに執拗な視聴率調査をしているくせに、肝心の番組がつまらないじゃないか」
「番組内容に対して、ご意見があるのですね?」
「ああ、そうだ」
「私はコールセンター業務で、番組内容を関知しておりません。いま制作責任者におつなぎします」
男は少々、戸惑った。なんだか大事になりそうな予感がする。
――しかし、これはいい機会かも知れない。これを機に一視聴者として、もの申してやろう。これはテレビ業界のためでもあるのだ。
「そうしてくれ」
回線は一瞬の断絶音を聞かせ、その直後には転送された。
「もしもし? 制作責任者のG田ですが……」
「君が番組コンテンツを作っているのか。いいかい、いち視聴者として言わせてもらうがね、番組が酷くつまらないぞ」
「ほう、ドラマやバラエティー、コメディ、音楽番組がですか?」
制作責任者の声がどこか満足げに聞こえる。
「そうだ、ドラマやバラエティー、コメディ、音楽番組、あとはドキュメンタリー、アニメ……思いつく全部がつまらない。いや、CMはまだ見れるか」
「……ふむ」
「昔は沢山面白い番組をやってたじゃないか。どうして今はこんなにつまらなくなったんだ?」
「それには……様々な事情がありまして」
「どうせ、過激な番組を制作すると、スポンサーなり活動家なりがウルサイ――とでも言うつもりだろ。そんなイイワケは聞き飽きたぞ」
現状でテレビのチャンネルと言えば、四つのチャンネルしか残っておらず、そのすべてが同一のグループ企業の運営するチャンネルだった。
ゆえに制作する側への不満は、このG田の会社への不満と言って差し支えない。
「生き残ったのは、あんたの所だけなんだから、しっかりしてもらいたいもんだよ。まったく」
「先ほど、《《CMだけが面白い》》とおっしゃいましたが、それは『純粋に面白い』のでしょうか?」
G田のどこか含みのある言い方に、男は少し考えてから答えた。
「……そうだね。CMというのは、視聴者の購買意欲を煽るために、アノ手コノ手で商品を印象付ける。たかだか十数秒の間にね。俺はそのテクニックを楽しんでいるのかも知れないな」
「……なるほど」
他になにかCMの魅力はないだろうかと考えるうちに、男に突飛な閃きが訪れた。
「なぁ、こんなのはどうだろう? 一日じゅうCMだけを流すチャンネルを設けたら……面白いんじゃないか?」
「そんな! それは駄目ですよ、そんなチャンネルを誰が見ると言うんですか」
「俺は見るね。いまのつまらない番組編成より、よっぽどCMだけの方がいい」
「それでは我々テレビ制作の人間は必要なくなってしまう」
テレビ局は番組を作り、視聴者がそれを楽しむ。
その番組に、宣伝したい商品のCMを流すため、様々な企業が広告費を払う。
CMだけのチャンネルを視聴者が観るというのならば、番組の存在はおろかテレビ局の存在すら必要なくなる。
餌も付いていない針に、魚が興味津々で食いついてくるようなものだ。
それは、これまでテレビメディアが作り上げてきたビジネスモデルの、崩壊を意味していた。
「あんたらが作る番組は、いまやCMにも劣るんだよ」
「しかし! それではまるで……」
自らの生活もかかっているからだろう。G田は困惑と怒りに、声が裏返っている。そこに突然、第三の男が割り込んできた。
「素晴らしいアイデアじゃないかG田君!」
「やはり……聞いてらしたんですね、F川さん……」
どういう事かさっぱりわからず、男は尋ねた。
「おい、誰だアンタは?」
すかさずG田が答えた。
「いま発言された方は、うちのスポンサー企業の広報部長、F川さんだ」
スポンサー企業がテレビ局の通話を聞いていて、なおかつ会話に口出しされても、文句のひとつも言わないG田……。それが、互いの力関係を如実に表しているように思われた。
「いやぁ実に素晴らしいアイデアだ」
「アンタもそう思うかい?」
「ああ、素晴らしいよ。電話をモニターしていて良かったよ。G田君、君たちは今までこのような素晴らしいアイデアを握りつぶしてきたんじゃないだろうね?」
「いえ……そのような事は……」
「まぁいい。あとは私とこの男性で話をするから、君は電話を切りなさい」
G田は低い声で「はい」と返事をしたあと、会話から外れた。
* * *
次の週からしばらくの間は、男は退屈することなく過ごした。
男の提案したアイデアそのままに、CMだけのチャンネルが設立されたからだ。
何より、ポテトチップスでベトベトになった手で、リモコンを触る必要がなくなったのは男にとって喜ばしい事だった。チャンネルを変えることなく、CMだけのチャンネルを見続けた。
――ジリリ。と電話が鳴ったので、男は片手に持ったコーラを傍らに置き、受話器を取り上げた。
「もしもし?」
「もしもし、私ですG田です」
「これはこれは、お久しぶりです」
「この間、あなたに伝えられなかった事を、いまお伝えします。あの時はスポンサー企業に盗聴されていたので、本当の事を伝えられなかったのです」
「本当の事? なんの話ですか?」
「あなたは私の作った番組を『つまらない』と言いましたよね? あれは当然です」
「どういう事だ?」
「私は番組をわざとつまらなくしているんです」
「良くわからないな。どうしてそんな事を」
「あなたがた視聴者を、テレビ離れさせるためです。ちなみに、あなたが今楽しんでいるCMチャンネルにも私は介入してつまらなくします。今後はつまらない『CM番組』となるでしょう」
「やめろ、せっかく楽しんでいるのに。なぜそんなことをする」
「今のテレビメディアは、広告戦争なんです。スポンサー企業が、テレビやネットであなた方を洗脳している」
「洗脳だって? 馬鹿らしい。そんな荒唐無稽な」
「我々テレビ局の仕事は本来、あなた方視聴者をテレビに釘付けにする事でした。より多くの時間をテレビの前に座らせて、CMをより長時間見せるため……」
「それに何の問題がある? 面白ければいいじゃないか」
「面白いですって? よく考えてください、あなたはCMを面白いと思い込まされている……そう洗脳されているんですよ。ほとんどのCMにはサブリミナルメッセージや、心理学的効果を狙った映像、音声が組み込まれている。知らず知らずのうちに踊らされているんですよ」
「馬鹿な。君はどうかしてるよ。そんなものは陰謀論だ」
「そうでしょうか? あなたは今、C社のポテトチップを食べながらP社のダイエットコーラを飲んでいるはずだ。あなたに選ぶ権利などなく、コンビニへ行ってその二つを無意識に手にしたハズだ。そして、あなたの行ったコンビニは7ストアーでしょう?」
「はは、面白い事を言う。しかし仮にそうでも僕は別にかまわないよ。たいしたことじゃない。C社ポテチは美味いし、P社のコーラは宇宙一だからね」
「……聞いて下さい。問題はスポンサー企業たちが、広告費を削減するために、あなたたち自身を広告塔に仕立て上げようとしている事です」
「広告塔?」
「そう、あなた方自身に商品のアピールをさせようとしているんです。あなた方はCMで見た商品を買い、それをさらに宣伝する」
G田は言葉に熱を帯びさせ続けた。
「もはや、メーカーの商品開発は限界に近い。コーラを見てもわかるでしょう? 商品開発にどれだけ資金を投入しても、その商品の売り上げが爆発的に伸びる事はない。開発費の無駄遣いってわけですよ。……しかし、売り上げを倍に伸ばす方法が一つある」
もったいぶってG田が続ける。
「敵対企業の商品を市場から駆逐すれば……自社製品のコーラにコーラ難民達が流れ込む。C社とP社のコーラ戦争だけに見れば、もはや趨勢は決しています。ほら、あなたがいま飲んでいるP社のコーラが完勝した」
「つまり何が言いたいんだ?」
「スポンサー企業達は、自社の商品開発よりも『信者』を増やす方が手っ取り早いと考えたんですよ。奴らはCMを使い、あなた方を『信者』――いや、もはや『兵隊』に仕立て上げてるんですよ。これは企業宗教なんです、こんな事は許されてはならな――」
「馬鹿馬鹿しい! 時間の無駄だ」
男は電話を叩きつけた。どうかしてる。
腹の虫が治まらないまま、男はテレビをつけた。しかし、G田の言葉が脳裡をよぎってしまい、大好きなCM番組にどうにも集中できない。《《洗脳されてる》》、だって?
男は苛立ちに溜息を吐き、テレビCMを横耳に、読みかけの小説を開いた。
時代小説は余り好みではなかったが、買ってしまった以上、読み切らないと気持ちが悪い。
まぁ、なんとなくテレビを見づらくなった現状では、退屈しのぎにはちょうど良い。
――そうして、明智光秀は本能寺に火を放った。
乾いた空気が、炎を伝播し、本堂を飲み込んでゆく。
光秀は呟いた。
「信長公、愚かなり。I葉社の防火素材を建材に使っていれば、逃げおおせる時間を稼げたやも知れぬのに!」
本能寺にはI葉社の防火素材はもとより、S警備保障のセキュリティすら導入されていなかった。これではまるで『討ってくれ』と言わんばかりだ。
光秀は溝尾庄兵衛を傍らに呼び寄せた。
「庄兵衛、我々はこれより帰陣する。行軍の帰路にY野屋はあろうか?」
「ござります! 今なら並盛り、飯250g、肉75gで280円にござります」
「それは重畳なことだ。他チェーンとは比べものにならん。あぁ闇夜に輝く橙色の看板が待ち遠しい。燃え落ちる本能寺を見て、思わず連想してしまった」
男は憤った。なんだって!? ふざけてる!
時代考証が無茶苦茶じゃないか!
こんな戦国時代に、牛丼のY野屋だって!?
安土桃山時代の牧歌的な風景に、あんな下品なオレンジの看板が、あろうはずもない!
男は本を閉じ、その表紙に向かって汚い言葉を浴びせた。
ふざけてる、このペテン本め! 偉大なSき屋なら、戦国時代から存在してもおかしくはないが、Y野屋なんて!
それに同じ並盛りなら、Sき屋の牛並のほうが、肉が10gも多いのを知らないのか!
これを書いた作家はどうかしてるよ! 勉強不足だ!
男は苛立ったまま、つけっぱなしのテレビを消音し、苛立ちを紛らわせるためサウンドプレイヤーに歩み寄ると、音楽をかけた。
じわりと染み出すように、お気に入りのミュージシャンの曲が部屋を満たす。
素晴らしい曲だ、美しいメロディ、重なり合う音符。なにより声と歌詞がいい。
――君に伝えよう この溢れる気持ちを
言いたい事は 一つだけ
P社のコーラは 最高なんだ
カロリーオフで 味もすっきり
すっきりしよう 僕らの関係も――
男は歌詞を口ずさみながら、ソファへと戻った。とても共感できる歌詞だ。少しリラックスできた。
――さて、遊んでばかりもいられない。仕事をしなければ。
男は放り出してあった鞄から、紙束を取り出した。それは先日行われた期末テストの答案用紙だ。早めに採点を終えないと、週末までに間に合いそうにない。
――ジリリ。
男は電話を睨み付け、受話器を取り上げた。電話口の向こうから、女の声がする。
「ねぇ、私……わかる?」
「ああ。別れて以来だな。どうした新しい彼氏でもできたか?」
「違うの。私、間違ってた。それをあなたに伝えたくて……」
「間違ってた?」
「うん……避妊具の事なんだけど……」
「あぁあれか」
「私、間違ってた。やっぱりS模社のコンドームなんて有り得ないわ……。あなたの言った通り、Oモト社の0.03……もうそれ以外なんて……避妊具じゃない」
「ようやくわかってくれたか。わかってくれたならいい。……ところで今週末……逢わないか?」
電話を切った後も、男のニヤケは消えなかった。週末が楽しみで仕方がない。食事する店も、泊まるホテルも、『いつもの場所』で文句なしだ。週末までにOモト社の0.03を買っておかないと――。
男は平手で顔を軽く叩き、気を取り直した。仕事に戻ろう。
まったくもって、教師というのは大変な仕事だ。生徒達を、正しく導かなければならない。彼らが、これからの日本を作ってゆくのだから。
一人目の生徒の答案用紙を広げると、設問を確認する。
――〈問題1〉A君が、オスバーガーで食事をしました。
A君の注文はテリヤキバーガー320円。セットは冷えたポテトと、ぬるいドリンクはC社のコーラ、320円。さて、料金はいくらかかったでしょう?
「うむう。これは……少し難しかったかな」
男は呟きながら生徒の解答を確認した。
解答:『ゲロマズのオスバーガーで、しかもコーラまでがションベンにも劣るC社となると、A君は店に一円も払うべきじゃありません』
「ほう、正解に近いじゃないか」
男は、赤ペンで三角をつけ、コメントを書き込んだ。
『もうひとつ、忘れている点がありますね。オスバーガーなんかで食事しようとしているせいで、A君には友達がいない。とあれば完璧でした』
男は次の問題へと目を走らせる。
―― 〈問題2〉B君はMドナルドで食事をしました。
ダブル・クォータパウンダー・バーガーが、セットでお得な790円。
さらに今ならMック特製グラスまで付いてきます。
ジューシーな肉感と、食べ応え。
B君はそのMックの感動的なおいしさに、ダイエットも忘れて追加の注文もしてしまいました。ベーコンレタスバーガー単品で、290円。
もちろん店員のスマイルはタダでした。さて気持ちよく食事をしたB君の払った料金は?
「これは簡単だろう」
男は解答に目を向けた。
――解答:『I'm lovin' it』
やれば出来るじゃないか!
男は特別点として、大きく二重丸を描いた。
《CM 了》