お祭りは楽園
「あー、生き返るー」
「るか、おっさんくさいこと言ってないで着替えて来い」
「はーい」
季節は本格的に夏である。蒸し暑い街中を抜けて葉月洋食店へ着くと、そこは外とは打って変わってひんやりと涼しい空気が店中に広がっていた。
あまりの気持ちよさにそのままへたり込みたくなるが、店長のお小言が酷くなる前に私は店の奥で着替えて仕事を開始する。
常連さん達も連日の暑さに堪えているのか、「暑くて死ぬ」とお冷を一気飲みしてテーブルにへばりついていた。
「てんちょー、かき氷作ってー」
「うちにかき氷機なんてねえよ。食べたかったら祭りに行け」
「……そういえば祭りは今日でしたね」
思い出したようにぽん、と手を打ったのは、常連客の中でも一際落ち着いているおじいさんの神谷さんだ。店の中でものんびりとホットコーヒーを飲んでいることが多い神谷さんだが、今日は流石に暑いのかアイスコーヒーだ。
「お祭りですか?」
「そっか、るかちゃんは知らないか。今日はここら一帯では有名な祭りがあるんだ。花火も上がるし屋台も沢山出るから、るかちゃんもバイト終わってから行ってみたらどうだ?」
「でも今日はバイトが終わるのが遅いので、残念ですけど無理ですね……」
「店長、どうにかならないの? るかちゃんが居るの今年だけなんだからさ」
行きたかったなという気持ちが顔に出てしまっていたのか、私を見た斉藤さんが店長に声を掛けた。けれど流石に決まっている仕事を投げ出すつもりなどない。「せっかくですけど、今回は諦めますよ」と言った私に対し、意外にも店長の返答は「いいぞ」と軽いものだった。
「え、でも仕事が」
「どうせここらじゃ周りの家で花火が見えないからな、客がそんなに来ることもないだろう。今日は早めに閉めるからお前も祭りに行けばいい」
「本当ですか! やった!」
思わず飛び上がらんばかりに喜んでしまいお客さんに笑われてしまった。それでも地球のお祭りなんて初めてで、一体どんなものなのか楽しみで仕方がなかった。
「蓮さんは? お店閉めるんなら蓮さんも暇になりますよね」
「俺は……いいよ」
「え?」
厨房で鍋を磨く彼も勿論行くものだと思っていたのだが、けれど苦笑いと共に意外な言葉が返って来る。
「どうしてですか? 何か用事……でも元々仕事が入ってた訳ですし」
「見習い、お前そう言って去年もその前も行ってないだろ。お前も今年が最後なんだからるかと行って来い」
「いや……でも」
「お祭り嫌いなんですか? 人ごみが駄目だとか」
「そういう訳じゃないんだが……」
どうにも煮え切らない様子だ。ここまで言葉を濁す彼は初めてで、そんなに言い辛い理由があるのだろうかと首を傾げる。別にそこまで嫌ならば無理強いするつもりもなかったのだが、お客さんから「見習い君が行かないとるかちゃん一人になっちゃうわね、変な人に絡まれないといいけど」と言われ渋々頷いてくれた。
何か私の所為で行くことが決定してしまったようで本当に申し訳なかった。
「あの蓮さん、無理に行かなくて大丈夫ですからね、私一人でもちっとも平気ですし」
「いや、気にしなくていい。こっちこそ大丈夫だから。……それにるかのことだから食べ物に釣られてほいほい怪しいやつに付いて行きそうだしな」
「失礼な!」
「絶対に違うって否定できるか?」
「ぐ……いや、流石に怪しい人だったら付いて行きませんよ!」
力を込めて言い返したのだが非常に疑わしげな目で見られた。
バイトを早々と切り上げて帰る準備をする。先ほど斉藤さんが浴衣を貸してくれると言っていたので途中で教えてもらった彼女の家に寄ってから行く予定である。
店長に声を掛けて私達は店を出る。
「店長、お先です」
「失礼します」
「ああ。せっかくの盆祭りだ、楽しんで来い」
びくり、と不意に蓮さんの肩が揺れたのが見えた。
……そういうことか。
「蓮さん、どうですか?」
「……ああ、いいんじゃないか」
初めて来た浴衣は正直言って窮屈だ。動きが制限されるしただでさえ人間よりも重い体がいつもよりも更に重たく感じる。とはいえそんな不満も差し引いて余るくらい浴衣というものは可愛らしかった。今私が着ている浴衣は紺色の布地に大小様々な花が散りばめられていて一目見て気に入ってしまった。
蓮さんの前で腕を広げるようにして浴衣を見せたのだが、彼は言葉を発したもののどこか上の空で心ここにあらずといった様子である。
まあ、その理由は分かっている。
「あの、蓮さん。いくらお盆祭りだからって幽霊も参加してる訳じゃないんですから、そんなに怖がらなくても」
「当たり前だ、幽霊なんてこの世にいる訳がないからな!」
「あー、はい。そうですね。だったらお祭りに行きたくない理由もありませんよね」
「ぐ……」
返答に窮した蓮さんの手を引いてお祭りが行われる広場まで向かう。ただの盆祭りという名前で怖がっているという訳ではなく、実は広場の側には墓地があるのでそれも苦手なんだろうと思う。どちらにしろ怖がり過ぎだと思うが。
私も日本のものは初めてだが、蓮さんも一度お祭りの楽しさを味わって幽霊のことなんて忘れてしまえばいい。
足取りの重い蓮さんを引っ張って(墓地を通り過ぎる時だけやたらと足が早かった)広場に到着すると、そこは沢山の人と屋台で賑わいを見せていた。浴衣を着ている人も多く、太鼓を打つ人を取り囲むように踊る人達も居る。
そして何より私の意識を奪ったのは勿論嗅覚を強く刺激する様々な食べ物の匂いである。かき氷、たこ焼き、クレープ、フライドポテト、チョコバナナ、焼きそば……何でこんなに色々な匂いが混ざっているのにどれも美味しそうに感じるんだろう。
……ああ、私ここに住みたいかも。
「アホなこと言ってんなあ」
「え、声に出てましたか!?」
「思いっきり」
恥ずかしい。かーっと顔が熱くなるのを感じて俯くと、頭上からくすくすと笑い声が聞こえてきた。さっきまではびくびくしていたのに既に調子を取り戻している。
「……蓮さん、元気になりましたね」
「お前のおかげでな。気が抜けるようなこと言うから」
「気が抜けるって」
……何だか釈然としないが彼が元気になったのでまあいいか、と気を取り直して私は屋台に視線を戻した。さて、どれから食べるか冷静に見極めなければ。
予め使っていい金額は決めてある。子供のお小遣いのようだがそうでもしなければ財布の中身など気にすることなく好きなだけ買い漁ってしまうのだ。それこそ子供みたいである。私の無尽蔵とも言える胃袋では買えば買った分食べてしまえるので自重しなければならない。
「蓮さんは何食べますか?」
「るか、目が輝いてるな。……とりあえず暑いしかき氷からかな」
「私も食べます!」
蓮さんに続くようにかき氷の屋台へと足を向け列に並ぶ。前には数人並んでいるが作るのが早いのか然程待つことなく番が回ってきそうだ。
「うーん……苺、メロン、ブルーハワイ……種類多いですね」
「おれは苺にするけど、るかはどうする」
さらっと選んだ彼とは対照的に私は色とりどりのシロップに目移りして中々決めることが出来ない。グレープやレモンも美味しそうだし、抹茶なんてきっとこれを逃したら一生食べられない気がする。
そうこうしているうちにも列は進み、前のお客さんがかき氷を受け取った所で「メロンにします!」と宣言した。やはり最初に食べるのなら定番にするべきだろう。
「ほい、お前の分」
「え?」
味を決めた所で満足してかき氷が出来ていたことに気が付かなかった。蓮さんに緑が鮮やかなかき氷を渡された所で私ははっと我に返る。
「蓮さんお金……!」
「おごってやるよ。見習いとはいえこれでも社会人なんだぞ? 学生に払わせねえよ」
まあるかの胃袋のことだから、流石に全部は無理だぞ? とからかうような声色で続けられた。私はどうしようかと受け取ったかき氷と蓮さんを交互に見ていたのだが「溶けるから早く食え」とストローのスプーンを手に持たされて、お礼を言って食べることにした。
「甘くて美味しいです」
「ああ、美味いな」
しゃくしゃくと氷をシロップに絡ませながら食べると、冷たさと共に甘い味が口の中に広がる。基本的な原料が氷なので大したエネルギーにはならないが、それでも美味しいと思えることが大切なのである。
それからたこ焼きやクレープ、綿菓子など普段あまり食べることのないものを買っては食べ、その度に幸せな気分になった。故郷でもお祭りはあるが、そこは食文化があまり発展していない機械人の祭りである。当然食べ物系の屋台は殆どないのでこことは大違いだ。
「蓮さんって意外に食べるんですね」
「るかが美味そうに食うからつい食べたくなってな」
私は当然よく食べるのだが、蓮さんも男の人だからかかなり食べる。味の研究でもしているのかもしれない。それと今日知ったのだが、彼は苺が好きなようだった。かき氷は勿論、クレープも苺たっぷりなものを選んでいたので尋ねると、クレープに噛り付いている時に聞いたからだろうか、無言で嬉しそうに頷かれた。
そうして食べ歩きをしていれば夕日に照らされていた広場はいつの間にか真っ暗になっている。そろそろ花火の時間だ、と周囲の人が話しているのを聞いて私は彼を見上げた。
「花火見に行きませんか?」
「お、るかがようやく食欲から離れたな」
「……ご飯はいつでも食べられますから」
口に出してからその返事はどうなんだと自分で思った。
ごみを捨てて来るからちょっと待ってろと沢山の人の間をすり抜けてごみ箱を探しに行った蓮さんを一人待とうとするのだが、道の真ん中では無いにしろ立ち止まっているとどんどん人混みに流されそうになる。
「鈴木?」
人の波に呑まれないように気を張っていると、どこかで聞いた男の人の声が耳に入った。鈴木なんてとてもありふれた名字なので自分ではないかもしれないが人混みの中、その声の主を探すようにキョロキョロと視線を彷徨わせていると「こっちこっち」と背後で先ほどと同じ声が聞こえた。
振り向いた先にいたのは、大学の友人だ。Tシャツにジーンズというラフな格好の彼は軽そうな風貌だが真面目君、というのが特徴の浅井君である。
「あれ、浅井君も来てたの?」
「ああ、というか鈴木も来るんなら言ってくれればよかったのに。あっちで真紀達と花火の場所取りしてるんだ。お前も来ないか?」
「真紀、達? ……浅井君、二人で来なかったの?」
「ばっ……ふ、二人でなんて誘える訳ないだろ!」
この浅井君、同じゼミの真紀のことが好きなのだがどうにも全く進展する気配がない。真紀は真紀で浅井君を「いいやつだね」とからっと言っており欠片も意識している様子がないのである。
むしろ今までの駄目駄目っぷりを見れば一緒にお祭りに来れただけでも快挙だ。
「せっかくイベントごとなんだからもっと積極的に行けば? 真紀に意識してもらえるかもよ」
「やっぱりそれすらまだなのか……って俺のことはいいだろ! で、鈴木は来ないのか? それとも他に連れが」
「るか、待たせ……誰だ」
浅井君の申し出を断ろうとしていた時、ちょうど蓮さんが戻って来た。彼は浅井君を見ると胡乱げな表情を浮かべて私の肩に手を置く。まるで不審者のように見られた浅井君は少々顔を引き攣らせていた。
「こいつに何か――」
「蓮さん、彼は大学の友達なんですよ」
「大学の?」
「は、はい。鈴木にはいつもお世話に……?」
何故か疑問形で言葉を濁した浅井君は私と蓮さんを交互に見て「彼氏と来てんなら早く言えよ。勘違いされただろ」と小声で責めるように言った。
「え、彼氏って、それこそ勘違い……」
「じゃあ俺は戻るから……あの、鈴木とは本当にただの同級生なんで!」
やたらと念押しするようにそう言った浅井君はそれじゃ、と早足で人混みの中に消えて行った。それと同時に頭の上で大きなため息が聞こえ、私は釣られて顔を上げる。
「……るか、あいつは本当に友人なんだな?」
「そうですけど」
「ならいいが。……お前がふらふら変なやつについて行かないか監視するのが俺の役目だからな」
「だから、着いて行きませんってば!」
信用無いな、と一度ため息を吐いていると、急に蓮さんが私の手を握って歩き出した。
「え?」
「今見てきたけど、あっちならまだ場所空いてたから行くぞ」
「あの、手」
「るかはぼけっとしてるからしっかり捕まえておかないとな」
この広場へ向かった時とは逆に彼が私を引っ張るように先導して足を進める。けれど歩いている途中で花火は始まってしまい、大きな音と共に夜空に綺麗な花が咲いた。思わず二人して立ち止まって花火を見ていると、不意に隣の蓮さんが少しだけ嬉しそうに微笑んだのが見えた。
「……あいつには、彼氏に見えたんだな」
「蓮さん?」
「何でもない」
花火の音、人々の歓声。周囲は騒がしかったけれどぽつりと呟かれた彼の言葉は聞き逃さなかった。
不意に繋がれた手に力が籠められる。
私は他の機械人よりも鈍いとよく言われる。センサーが使えないのが致命的で、相手の気持ちや意図を掬い上げるのは決して得意とは言えない。
けれど、相手の体温や心拍数など分からなくても。
センサーなんて使えなくても、今私の手を握る蓮さんの手が酷く熱いなんてことは考えるまでもなく分かることだった。