親子コミュニケーション
「もしもし、るかですか?」
自宅への電話番号を押して暫く待つ。そうして何度目かの電子音の後に画面に映ったのは、にこにこと楽しげないつものお父さんだった。
「お母さんは?」
「出掛けていますよ。深雪さんに用事でしたか?」
「……お父さんでいい」
「それはよかった」
私の言葉にそれは嬉しそうに微笑むお父さんに居心地の悪い思いをしながら、私は電話を掛けた目的であるそれを引っ張り、画面の前に広げた。
お父さんに見せたそれは、私が着用している人間の皮である。
「皮膚の修復の仕方、教えて欲しいんだけど」
この間料理をした時に指の皮をすっぱりと切ってしまった。その場は絆創膏で乗り切ったものの、いつまでもそれではいられないので直しておかなければならない。
本物の人間の皮膚とは違い、私達の皮はそれに似せただけの合成繊維だ。当然放っておいても傷は治らないしいつまでもそのままなので修復しなければならない。一応取扱いのマニュアルには修繕方法も記されていたのだが、それでも実際にやってみようとすると頭がこんがらがってしまう。
普段素っ気ない態度を取っている所為か、お父さんに頼るのは何となく気が引けるのだが背に腹は代えられない。
「補修用の糸は付属されていましたよね? まずその中からその部分にあった色の糸を選んで下さい。……はい、それですね。それで縫っていくんですけど、ちょっと待っていて下さい」
色を見比べて切れた皮膚の部分と全く同じ色の糸を選別すると、お父さんが画面の外へと消えて行った。その間に酷く細い針に糸を通して待っていると、しばらくしてから何かの切れ端を持ったお父さんが戻って来る。
「それって、皮?」
「ええ、そうですよ」
見本を見せる為か皮の一部を鋏で切り、私に見えやすいように皮膚の色とは全く違う黒い糸を取り出したお父さんは一針一針、今切ったばかりの部分を繋ぎ合わせるように縫い合わせていく。
「雑にならないように、時間が掛かってもいいですから丁寧に縫って下さいね」
「こう?」
「上手です」
私も画面に映る手を見ながら真似していくのだが……脳裏に、あの皮膚は一体どこから持ってきたのだろうということが過ぎって仕方がない。
人間の皮は高い。否応なく必ずオーダーメイドで作らなければならないし、その素材である合成繊維だって特殊な作り方をされているので当然値段が張る。だからこそこうした小さな損傷は自分で修復するのが一般的だ。更に個人では手に負えない場合は専門の店もあり、相当ぼろぼろにならない限りは廃棄するなどありえない。
だからこそ皮の切れ端なんて普通は持っていることなどないのだが……私は手を動かしながら疑問を口にした。
「その皮、どうしたの?」
「以前駄目にしたやつのあまりです」
「駄目にしたって……」
「ちょっと直せそうにもなかったので」
「……ふーん」
さらっと口にされたが、しかしあえて詳細を告げないのであれば進んで言いたいことではないのだろう。きっと追及すれば話してくれるとは思うが、無理やり聞き出したかった訳ではないのでそのまま会話を終わらせた。
……廃棄しなければ駄目な状態って、人間だったら大怪我しているような状況なのではないのか。
「はい、後は糸を切ってお終いです」
ただ縫えばいいというものではない。糸は限りなく細いし、縫い方も繊細かつ複雑でとても神経を使った。もう二度と皮膚を傷付けないようにしようと心に決めるくらい。
ふう、と一息ついて縫い目を眺める。一見しただけでは全く縫ってあるようには見えない上、触り心地にも違和感がない。苦労しただけ綺麗に出来上がったようで安心した。
「よかった」
「それならばれることはないですね」
「……そういえばさ、ばれるって言えば、お父さんはお母さんに何で機械人だってばれたの?」
先日蓮さんにばれそうになるのを必死に隠したのが頭を過ぎり、お父さんの時はどうだったのかが気になった。今まであまり詳しい話は聞いていないのだ。お母さんと恋人になって、それで正体を告白したんだろうか。
お父さんは少し困ったような顔で私の言葉を聞いた後「……まあ、言ってもいいですかね」と前置きし、淡々と当時の状況を語り始めた。
正直、想像していた以上にずっとヘビーというか、殺伐とした話だった。お父さんのストーカーに殺されそうになったお母さんを庇ってばれたなんて聞いて、二人が無事でよかったとほっと息を吐いた。
それにしたってストーカーに殺されそうになるなんて本当に怖い。日本は故郷よりも治安がいいと聞いていたが、それでも何があるか分からないものだ。
「ですから、るかも気を付けて下さいね」
「うん。でもバイト先の人もお隣さんも皆いい人だから大丈夫」
「……そういえば隣の男性と親しくなったとか、深雪さんから聞きました」
何故か急に表情を消したお父さんに不穏な空気を感じ、思わず画面から少し距離を取ってしまった。
先ほどよりも低い声で「るか」と名前を呼ばれるとつい背筋が伸びる。
「いくらその男性が親切だからと言って、部屋に上げたりなんてしてませんよね?」
びくり、と非常に分かりやすく体が跳ねる。この間も料理を教えてもらった時に家に上がってもらったし、その時だって蓮さんに対してまるで警戒も何もしていなかった。
「……えーと」
「はあ……。私が言えた義理ではありませんけど、あまり気を許し過ぎないように。いいですね?」
「でも蓮さん悪い人じゃないし大丈夫だよ。むしろすごくいい人で」
「いい、ですね?」
「はいはい、分かった! これから出かけるからもう切るね、それじゃあ」
「るか、話はまだ――」
言葉を遮って電話を切る。このままだとどんどん話が長くなりそうだったので仕方がない。今から出掛けるのは本当なのだから。
蓮さんは私から見るにとてもいい人だ。初対面から美味しいご飯を出してくれたし、その後も地球の生活に戸惑う私を何度も助けてくれた。
だがそれでも彼がどういう人間であるかを私が完全に認識出来ている訳ではない。まして私は他の機械人と比べても圧倒的に他者の感情を読み取ることが出来ないのだ、それもあってお父さんは心配しているのだろう。
機械人は通常、あらゆるものを感知するセンサーが備わっている。けれど私の場合生まれつきそのセンサーを上手く作動させることが出来ない。
医者には仮説ではあるが、機械人の血が薄すぎる所為ではないかとも言われた。私に流れる純粋な機械人の血は四分の一、他は全て日本人のものだ。センサーは人間には本来ない感覚である為、上手く扱えなくなってしまった可能性が高いのだという。
正直な所、私自身はあまりそのことについて気にしたことはない。無くても然程問題なく暮らしていけるし、そもそもセンサーがあるという感覚が分からない為使えなくて辛いと感じることもなかった。
だが両親はそうではなかった。お母さんが私がセンサーを使えないことを気にして、以前隠れて泣いていたのを見てからは、極力話題にすることを避けた。
とまあそういう経緯も――他にも色々あるだろうが――あってお父さんは私に対して過保護だ。ストーカーの話もあったことだし、周りの人達はともかく他の人には気を付けよう。
直した皮をしまうと、私は今朝作ったお弁当を鞄に入れて家を出た。今日私はバイトが無いのだが、店長と蓮さんにお弁当を食べてもらおうと朝早くから張り切ってお弁当を準備していたのである。店長にはあらかじめ伝えており、大学の先生にもバランスの良いレシピを聞いてなかなかの力作に出来上がったと思う。
「だから――」
喜んでもらえるだろうかと考えながら、もうすっかり歩き慣れた道を進み店の近くまでやって来た時、最近よく耳にする声がどこからか微かに聞こえてきた。
無意識のうちにぐるりと首を回して周囲を確認すると、道路を挟んで向こう側に蓮さんの後ろ姿を見つけた。いつも通り彼に声を掛けようと息を吸い込んだ所で、しかし私は呼吸をぴたりと止める。
彼の背中で最初はよく見えなかったのだが、蓮さんの目の前には二人の女の子が彼に向き合っていたのだ。更に言えば、片方は怒りを露わにし、もう一方は今にも泣き出しそうである。
これは、もしや。
「……修羅場ってやつ?」
鈴木さんが持っていた皮は前作の台風の時のやつです。




