飴玉の少女
「はあ……」
退屈だ。俺は騒がしい周囲を睨み付けながら大きくため息を吐いた。
この辺りでも大きくて有名なショッピングセンター、そしてその中に作られた子供用の遊び場が俺の現在地だった。
ここに子供を預けて買い物をする親は多い。店があるフロアからは隔絶されており、入り口には警備員もいるので子供が無断で飛び出すこともなく、また専門のスタッフも常に子供達の様子を見ているのでセキュリティー的にも子供を持つ親からは人気なのだ。
遊具や玩具も豊富に揃っているので子供も喜ぶのだが……無論、全ての子供が喜ぶ訳ではない。まさしく俺がそれだった。
確かに世間的に見れば俺は子供だ。だが幼児も多いこの場所で楽しく遊べるほど子供かと言えばそうではない、そんな年頃なのである。来年には中等部に上がるというのに、こんな所で待たされるというなら家で留守番していた方が余程良かった。
俺は遊び場の隅に置かれた妙に低いベンチに腰を下ろして、只々時間が経つのを待っている。どうせ母さんが帰って来るまで時間が掛かるだろう。子供には無駄なことを許さない癖に買い物だけは無駄に長いのだ、あの母親は。いかに安く買うかを追求するあまり、本当に商品を吟味するのに時間を掛ける。今頃あちこちの店に入っては出てを繰り返している頃だろう。結果的に節約になるので無駄ではないらしい。
わいわいとはしゃぐ子供が目の前を通り過ぎるのを自然に目で追い掛けながら、つい苛立ちを覚えた。俺は嫌々ここに居なければならないのに、あいつらは随分楽しそうだ。
家族は嫌いじゃない。だけど時々――こうして唯唯諾諾と従っている時などに――無性に腹が立つ時がある。門限も厳しいし必要なこと以外の行動は全て却下される、窮屈でたまらなくなるのだ。
遊んでいる子供にも色々な種族がいる。機械人が大半を占めているのは事実だが、他の種族もちらほらと混ざっているのが見える。暇つぶしにそいつらが何の種族か頭の中で推測していると、不意に誰かが隣に勝手に腰を下ろした。
「白いお兄ちゃん元気ないね。どうしたの?」
「……別に」
誰だいきなり。
無邪気な声に振り向くと、そこには俺よりも四、五歳程年下に見える黒い姿の機械人の少女がくりくりとした目でこちらを見上げていた。
早くどこかに行けと視線を逸らすが、少女は全く気にした様子もなく話し掛けて来る。
「元気がない時はエネルギーが足りないんだって!」
「それくらい知ってる」
「じゃあ、はい!」
彼女はスカートのポケットに手を突っ込むと何かを握り締めてこちらに差し出して来た。開かれた小さな手の中には、何やら見たことの無い物が乗っかっている。
赤いビニールに何か丸い物が包まれているらしく、その両端はねじって封がされていた。
「何だよそれ」
「あめだよ」
「アメ?」
聞いたことが無い。そんな思いが顔に出てしまっていたのか、少女得意げな顔を見せる。
「日本の食べ物なの!」
「にほん……ってどこだ」
「えっとね、何だっけ……そうだ、地球っていう星の中にあるんだって」
地球……確かどこかで聞いたことがある気がするが、少なくともこの辺りの銀河にある惑星ではなかったはずだ。
他の惑星の食べ物なんて口にしたことはない。学校で他の種族のやつらが美味しそうによく分からない物が入った弁当を食べているのを見る度に興味が湧いたが、母さんに食べてみたいと言っても案の定「無駄」の一言で切り捨てられた。まさかこんなところで別の惑星――しかも相当離れている――の食べ物を目の当たりにするとは思わなかった。
少女は勝手に俺の右手を掴むとそこにアメとやらを落とし、満足げに笑みを浮かべる。
受け取ったそれは、想像以上に軽かった。
「美味しいものを食べると幸せになれるんだよ? だから白いお兄ちゃんにもおすそわけ!」
いちごみるく美味しいよ、と言われたがいちごみるくとは何だ。
「……そんな簡単に幸せになれたら世の中皆幸せだろ」
おめでたい頭だなと思いながらも一応……別惑星の食べ物には興味あるし、ビニールをそっと開くと中からピンク色の丸い物が姿を現す。自分で食べる訳でもないのに何故か嬉しそうな少女を見ながら俺はアメを口の中に入れた。
がりっ
「固いな」
「ああっ、それは噛むものじゃないの!」
「噛むものじゃない……?」
固形物を噛まずにどうやって食べるんだと砕いた欠片を飲み込んで首を傾げていると、彼女は再びポケットから同じアメを取り出す。今度は二つだ。
少女はもう一度俺に一つアメを渡した後、残りのアメを両手でビニールの端を引っ張り開けた。そうやるのかと俺も同じようにアメを取り出す。
ころりと出てきたアメを少女はひょいっと口の中に放り入れた。
「こうやって舐めて食べるんだよ?」
「舐める……」
少女の真似をするようにアメを舌の上で転がすと、先ほど一気に食べた時とは違い少しずつ味がしみ出してくるのが分かった。よく分からない味だ。
「……何か、不思議な味がする」
「それはね、甘いって言うんだよ!」
先ほどから教える立場に立っているのが嬉しいのかご機嫌な様子だ。ふふん、と鼻を鳴らして胸を張った少女は片方の頬をアメで膨らませながら楽しげに言った。
「あまい……これが」
今までに味わったことの無い味だ。とろりとして、どこか優しい味。
「お兄ちゃん、元気になってよかったね!」
「え?」
「あ、お母さん来たから行くね、ばいばい!」
勝手に納得したようにそう言ったかと思えば、少女はすぐに遠くにいる女性の元へと走り去ってしまった。
俺は無意識のうちに、待ってくれとその少女に手を伸ばし……けれど届くことはなく。
そこで、目が覚めた。
空中に手を伸ばした状態で意識が戻り、茫然としたままぱたりと手を下ろす。
目の前には薄暗い照明。視線だけで辺りを見回してみればそこは寝る直前まで見ていた宇宙船の中だった。
そう、後少しで故郷に着くのだ。上半身を起こして照明を明るくすれば、寝る前まで部屋に居たはずのるかはどこかへ消えてしまっていた。るかのことだ、恐らく船内で軽食の買い食いでもしているに違いない。
それにしても随分懐かしい夢を見た。そうだ、あれが最初だったと思い出す。あの時初めて甘いという味を知って、そこから様々な味を覚えた。いちごミルクの飴、あれが地球の食べ物との出会いだった。
あの少女に会わなければ俺はきっと全く違う人生を歩んでいたかもしれない。仮に料理の道に進んでいようと日本を修行先に選ぶこともなかっただろうし……そしてなにより、るかに出会うこともなかっただろう。夢の中では鮮明に覚えていたはずの少女の顔もおぼろげだが、構わず心の中で彼女に感謝した。
「レンさん、あと三十分くらいで着くって言ってましたよ。そろそろ準備しないと」
ぼうっとしていた意識がはっきり覚醒した辺りでるかが部屋に戻って来た。予想を裏切らないというか、本当に手元に何か良い匂いのする包み紙を抱えているのを見て思わず笑いそうになった。
本当に、夢みたいだ。こうしてるかと一緒に帰ることが出来るなんて。
「ああ。……ところでるか、飴って日本から持ってきたか?」
「ありますよ。レンさんが好きだって言ってたいちごミルク、ちゃんと買っておきました。取ります?」
「頼む」
日本を旅立つまでに、るかはお気に入りのお菓子や両親に頼まれたという食材を大量に買い込んでいた。彼女は鞄の中をごそごそと漁ると、そこから見慣れたパッケージの袋を取り出して開封する。
夢で見たのと同じ、ビニールに包まれた飴を一つ受け取って口に入れる。
「……甘いな」
「レンさんって本当にいちご好きですよね」
「それを言うなら、お前は本当に食べ物全般が好きだな」
ちょうど買って来たばかりのパンに似た食べ物に被り付いたるかにそう切り返すと、むっと言葉に詰まっていた。けれど咀嚼の口は止まらない。
ゆっくりゆっくりと、もったいなくて飴を少しずつ味わう。……ああ、夢と同じだ。この優しい味。
「好きだ」
「え?」
「この味」
「……そうですか」
最後の一口を食べ終わったるかは、そう言ってやけにがっかりした顔をした。そして不貞腐れたように荷物を纏め始めた彼女に、俺も準備をしようとベッドから降りる。
「るか、好きだよ」
「……そうですか」
丸まった彼女の背中にそう投げかけると、先ほどと同じ言葉を返される。
だが分かっている。答え合わせのように回り込んでそっと横顔を窺えば、その表情は先ほどとは正反対だった。心拍数だって体温だって言うまでもない。
照れた様子で俯いたるかを見て、俺は気が付けば笑みを溢していた。
「美味しいものを食べると幸せになれる」と、そう言ったあの少女の言葉は正しかった。
甘くて優しいこの飴は、こうして俺に幸せを運んでくれたのだから。