一年間のスタート
「るか、地球はどう?」
「大変だけどすごく楽しいよ!」
地球へ留学に来てから二週間程経った某日、私は自宅となったアパートでお母さんと端末で話をしていた。最新式の惑星間通信端末は電話やメールは勿論のこと、内蔵されているカメラで映像も送れるのが嬉しい。少々タイムラグはあるものの、距離を考えればまあ仕方のないことだ。
画面の向こうのお母さんはいつも通り元気そうだ。興味津々にこちらの生活のことを尋ねて来るので、私もついつい嬉しくなって思いつくまま学校のこと、バイトのことを話し出す。
地球に来て三日目に早々と私のバイト先は決まった。初日に駆け込んだ洋食店に改めてもう一度訪れたところ、バイトとして雇ってもらえることになったのだ。蒼井さんの料理は勿論店長の料理も本当に美味しくて、ああ地球に来て本当に良かったと実感する。
そんなことをお母さんに話すと「太郎さんそっくり」と笑われてしまった。いやいや、地球に来た機械人ならきっと皆そう思うのであってお父さんにだけ似ている訳ではないはずだ、きっと。
「それでね、そのお店で働いてる見習いの人がお隣さんなんだよ」
「え、隣? ……すごい偶然だね」
「そうそう、びっくりした」
まだ暮らし始めてそんなに時間は経っていないが、それでも隣人である蒼井さんには随分お世話になっている。いくら研修や両親から地球の話を聞いていても実際に住んでみれば分からないことは山積みで、そんな時彼は一つ一つ丁寧に説明をしてくれた。
『日本に来たばかりだろうし、分からないことがあったら遠慮せずに聞けよ』と言ってくれた言葉につい甘えてしまっているのだが、嫌な顔一つせずに一々相手をしてくれる蒼井さんは本当に人間が出来ている。
いい人に出会ったなあ、と喜びを噛み締めていると、急に画面の向こうにいるお母さんが横を向き嬉しそうに手招いた。
「太郎さん、るかと電話してたんです」
どうやらお父さんが帰って来たようだ。呼ばなくてもいいのに、お母さんはお父さんを引っ張るようにして画面の前まで連れて来てしまう。
少しばかり久しぶりに見るお父さんは相変わらずの気の抜けた顔をしていた。
「るか、元気でやってますか?」
「……うん」
「くれぐれも戸締りや身の回りには気を付けて下さい。ストーカーになんて遭ったら大変ですから、変な人には関わらないように――」
「もう、分かってるから!」
ただ心配されているだけと分かっていてもつい口調が荒くなってしまう。けれど私がどんなに酷い反応を示そうと、結局お父さんは嬉しそうに笑うだけなのだ。
バイトがあるからと電話を切り支度をしていると、そういえば昨日買ったカレンダーをまだ開けていなかったことを思い出したので出掛ける前に付けてしまおうと思った。
「……よし」
無事に壁に貼り終え、カレンダーを眺める。
故郷と地球では祝日も記念日も全く違うのでカレンダーは必需品だ。これから一年間、このカレンダーを捲って行くのだと思うとわくわくして気持ちが弾む。
「さて、行くか」
軽く頬を叩いて気持ちを引き締め、私はバイト先である葉月洋食店へと向かった。
「るかちゃん、カレーひとつお願いな」
「はい、少々お待ちください!」
注文を取るのも結構慣れて来たものだ。このお店は常連客が多く、新しくバイトに入った私にもとても気軽に接してくれる。
この店は漢字の並んだ堅苦しい店名や、気難しそうな見た目の店長とは裏腹に意外とお洒落な内装だ。インテリアや食器類はシンプルながらにセンスが光る品ばかりで、これが店長――葉月さんの趣味だと言うから驚きだ。
厨房に注文を通して空いた席の片付けをしていると、隣でスパゲティを食べていた斉藤さん――常連の奥さんが声を掛けて来た。
「るかちゃんってさ、見習い君のことどう思うの?」
「蒼井さんですか? すごく親切な人ですよね」
「もーそうじゃなくてさ、かっこいいとか思わない? 結構見た目もいいし。この辺の主婦には割と人気なのよ、あの子」
「かっこいい……?」
かっこいいんだ、蒼井さんって。
そうは言われても、正直地球人のかっこよさの基準が分からないのが現実である。首を傾げている私に斉藤さんは「理想が高い子ねえ」と苦笑している。
「まあるかちゃん自身も可愛いし、海外だったらもっとかっこいい人なんて多いかもしれないわね。るかちゃんってハーフなのよね?」
「ええまあ、そんな感じです」
正確に言うとクォーターだ……地球人と機械人の。しかしそんなことまさか言えるはずもないので曖昧ににこりと笑って誤魔化しておいた。
「るか、しゃべってんのはいいが働け。給料減らすぞ」
「すみません!」
店長から声が掛かり、うっかり片付けの手が止まっていたことに気が付く。慌てて仕事を再開した私は斉藤さんに会釈し、重ねた皿を厨房へと運んでいく。
厨房では店長が鍋を振り、その隣で店長と同じように白い調理服を身に纏った蒼井さんがその様子を見ながら皿を洗っていた。
「蒼井さん、これもお願いします」
「ああ」
見習いである蒼井さんはまだお客さんに料理を出すことを許されていない。だから開店中はこうして雑用をしたり、店長の調理を見て技を覚えるのだという。
……正直、もったいないなと私としては思ってしまう。勿論見習いという立場なのだから仕方がないのだが、蒼井さんの料理の味をもっと皆に知ってもらって、食べてもらいたいのだ。だってあんなに美味しいのだから。今の所、彼の料理の味を知っているのは店長と私だけである。
この店は開店時間こそしっかり決まっているが、閉店時間はある程度は決まっているものの割とまちまちだ。客の数や店長の都合などによって変わるのだが、今日はいつもよりも遅くに来る人が多く、私のバイトが終わったのも遅い時間だった。
「鈴木」
「……あ、はい」
明日の講義は何限目からだったかと帰る準備をしながら考えていると、蒼井さんが声を掛けて来た。彼は私のことを名字で呼ぶのだが、鈴木という名前は呼ばれ慣れていないので未だに反応が遅れてしまう。
「俺ももうすぐ上がるからちょっと待ってくれ。もう遅いし、女の子が一人で帰るのは危ないぞ」
「はい」
確かに、外は真っ暗でいくら治安が良い国とはいえ気を付けるに越したことはない。……お父さんも言っていたし。
少しの間蒼井さんを待ってから、私達は店長に見送られて帰路を歩き始めた。
「鈴木は留学しに日本に来たんだったか?」
「はい。一年だけなんですけどね」
「一年か……ちょうど帰る時期が俺と同じだな」
「帰る?」
「元々あの店で修業させてもらうのは三年の約束なんだ。あと一年したら故郷に戻って、そこでいつかは店を持つのが俺の夢でさ」
少し照れ臭そうに夢を語る蒼井さんを見上げる。私よりもいくつか年上なのにその表情はやや子供っぽい、というか純粋だ。
「じゃあ後一年したらあのお店、店長だけになっちゃうんですね」
「元々一人で気ままにやってた所に俺が転がり込んだみたいな感じだったから、むしろのびのびするかもしれないけどな」
「そんなこと……あ」
軽口を叩く彼に言葉を返そうとした時、不意に目の前に何か白い物がちらついた。気のせいかとも思ったが、その後またすぐに同じような小さなそれが風に舞うようにして横切る。暗闇だからか、妙に白色が映えて見える。
「雪?」
「違うぞ。これは……桜だ」
この気温で雪が降るはずが……と考えていると、蒼井さんはやんわり否定してその白――桜を器用に空中でキャッチした。
桜……確か、花の種類だったはず。よく見てみれば少し離れた道沿いに植えられた木々に同じような花が咲いているのが見えた。
風に乗る花びら同様、花を付ける桜の木も暗い中でぼんやりと光っているように見えてとても幻想的だ。
「もう大分散ってるが、夜桜もいいもんだな」
「はい、綺麗です!」
「一年しかいないんなら、桜も今しか見れないかもしれないな。……のんびりしてるとあっという間に時間が過ぎていくぞ? 鈴木も気を付けろよ、俺がそうだったから」
もう二年なはずなのに本当に短かったと語る蒼井さんに、確かにまだ二週間だがそれでも瞬く間に過ぎたなと今更に実感した。せっかく地球に来たのだし、一日一日無駄にしないように過ごせたらいい。
お父さんやお母さんのように、きっと一生思い出に残る一年になるのだろうから。
「蒼井さん、私鈴木って呼ばれるの慣れてないんですよ。だから皆と同じようにるかって呼んでもらえませんか?」
「そういうことなら、俺も蓮でいい。改めてよろしくな、るか」
「はい、蓮さん」
まずはこの親切な隣人と親しくなる所から始めようと思う。