隣人は機械人です。 ２

もう少しだけ

　お正月が過ぎれば、一変して街はバレンタインムードへと早変わりだ。ほんの少し前まで明けましておめでとうと挨拶していたのが嘘のような切り替わり方に驚く。

　そんな中、大学は二月の初めで講義は終わってしまうので浅井君などは「義理チョコすらもらえない」と酷く落ち込んでいた。その様子があまりにも悲壮だったので思わず真紀に14日に皆で集まらないかと提案してしまった程だ。

　チョコを交換してから遊ぼうと思ったのだが、その時に私の送別会を行ってもらえることになった。そう、私の大学生活もこれで終わりなのだ。もうここに通えるのも本当に少しだと思うと寂しくなる。

「ねえ、るかはどんなチョコにするの？」

　食堂でバレンタイン特集が組まれている雑誌を目の前に広げられて真紀に問いかけられる。促されるままに覗き込んでみれば、様々な種類のチョコレートの写真が一面に広がっていた。

　ガトーショコラ、トリュフ、生チョコ、フォンダンショコラ……食べたことの無いものも色々あるが、どれも美味しそうで目移りしてしまう。

「るか、一応言っておくけど自分で食べる為じゃないからね」

「あっ」

「……まったくこの子は」

　ついつい自分で食べたいものを考えてしまっていた。まあ全てあげる訳ではないので余りや味見で食べることもできるだろう。

「そういう真紀は？」

「別に彼氏もいないし、せっかくだからるかの好きなやつにしようかな」

「本当！？　……ってあの、私は何でも嬉しいから、浅井君にも聞いたらどうかな……？」

　喜んだのもつかの間、ちらちらとこちらを窺うやつの視線を感じて慌ててそう付け足した。今まで真紀から貰ったお菓子はどれも美味しかったし、何でも嬉しいというのは事実だ。

　何で浅井君？　と首を傾げる真紀を見て私は、ああ結局一年で全然進展しなかったな、と密かにため息を吐いた。

　結局悩んだ挙句生チョコを作った私は、バレンタイン当日大学の友人達と集まってチョコを交換し合った。

　その後遊んでから居酒屋で送別会となったのだが、連絡先を聞かれるのが一番大変なことだった。一応向こうに届く住所も無くもないが手紙ですら送料が馬鹿にならないし、万が一訪問されても困る。もう会えないのは寂しいが、何とか誤魔化すしかなかった。

「鈴木、その一年間ありがとな」

「どうしたの、改まって」

　酒も回り皆好き勝手に話し始めた頃、浅井君が近寄って来て神妙な顔でそんな事を言った。

「いや、授業でもそうだが……真紀とのことも色々取り計らってくれてただろ？」

「……まあ成果は芳しくないようだけど」

「ぐっ」

　うっかり本音が飛び出してしまうと浅井君が言葉に詰まったように呻く。

「私が居なくなっても自分で頑張りなよ？」

「分かってるよ。……で、俺はいいとしてお前はどうなんだ」

「私？」

「例のやつには告白したのか？」

　真紀への恋愛相談を受けるうちに、私も蓮さんのことを浅井君に話してしまっていた。勿論機械人云々については避けているが、それでも彼への気持ちを自覚したと知っている浅井君は「鈴木だってちゃんとケリを付けとかないと後悔するぞ」と心配そうに告げた。

　機械人であると蓮さんに伝える以前に、私はまだ彼にこの気持ちを伝えていないのだ。

「俺も頑張るからさ、お前も思い切って言ってみろよ」

「……そうだよね」

　お正月に蓮さんの気持ちを聞いてしまった。もしかしたら酔っ払いの戯言であったかもしれないけど、それでもあんなに苦しそうに泣く彼を見てしまったらその気持ちが偽りだとは到底思えない。

　思えば私は機械人だと言うことばかり考えて、肝心の想いを伝えるということを忘れてしまっていたのだ。

　浅井君とお互い頑張ろうと決意を固め、早速真紀の元へ向かう彼の背中を見送った。

　きっともう二度と会えないだろう。そう思うと泣きそうだったけれど、それでも何とか最後まで涙を堪えて笑顔で皆と別れた。

「短かった、なあ」

　つい堪え切れずにぽろぽろと溢れる涙を拭いながら、私は駅からアパートまでの道を歩いていた。大学生活は終わりを迎えてしまった。そして地球で暮らせるのだって後一か月ちょっとしかない。

　もらったチョコを食べながらまた泣いてしまうんだろうな、と寂寞を抱きながら夜道を歩いていると不意に進行方向に見慣れた人影を見つけた。

　この時間ならばちょうど仕事終わりだろう。帰ったらチョコを渡そうと思っていたのでちょうどいいと声を掛けようと思ったのだが、それよりも早く別の人影に気付いて私は声を掛けるのを中断した。

「あの子って……」

　見たことがある。暗いので絶対と確信を持って言うことは出来ないが、それでも以前見た場所と殆ど一緒であるし、何より蓮さんに向かって何かを差し出している姿を見ればほぼ確定だ。

　これでも機械人だ。通り過ぎる人々の顔などは覚えていないが、以前一悶着を起こした相手ならばよく覚えている。恐らくチョコレートであろう、蓮さんにそれを差し出す黒髪の少女は彼に告白していた子だ。

　こんなに遅い時間にここにいるということは、蓮さんを待っていたのだろうか。

　向こうはこちらに気付いていないようで、蓮さんが女の子からチョコレートを受け取る瞬間を、その時に彼はふっと微笑む姿を見て私は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

「……っ」

　以前彼が告白されている時はこんな気持ちにならなかった。だというのに彼に好意を抱く女の子を見て、そしてその好意の証を受け取る彼の姿を見て堪らなくなっていた。

　思わず胸の辺りのコートを握りしめていると、女の子が頭を下げた後彼に背を向けて走り去って行く。残った彼はどうするのか、そのまま蓮さんに視線を向けると不意に彼がこちらを向いた。見ていることに気付かれたのだろうか。

「……るか」

　驚いたように声を上げた彼を無視することも出来ず、私は重い足取りで彼の元へと向かった。こっそり見ていたことを咎められた気分で俯きながら蓮さんの前までたどり着くと「今、帰りか？」と普段と同じ様子で尋ねられる。

「はい、大学の友達に送別会をしてもらって」

「送別会……そっか、もう最後だもんな」

　側に来れば嫌でも彼の手にある綺麗にラッピングされた可愛らしい小箱が目に入って来る。蓮さんはそれを鞄の中に入れ、私を促すようにして歩き出した。

「……」

　いつもならば他愛無い話が途切れることなく続けられるのに、今日に限って何も話題は出てこなかった。そして蓮さんも何も口にすることなく無言で帰路を進む。

　頭の中では先ほどの光景が焼き付いて離れなかった。あの子のチョコレートを受け取る彼の姿を消したいのに、そう思えば思うほど何度も何度も繰り返し蘇ってくる。

　以前告白を断っていたし、走り去った女の子の様子を見れば多分二人が付き合うことになったわけではないと思う。だがそう思っても心には薄暗い感情が残る。

　例えあの子でなかったとしても、機械人である私よりもやはり普通の人間を好きになった方が彼にとって幸せなのではないだろうか、と思ってしまったのだ。今は私のことを好いてくれているかもしれないが、それだって私が機械人だと知らないからに他ならない。

「るか」

「……何ですか」

　ネガティブな考えしか出来ない自分が嫌になったその時、ずっと黙り込んでいた蓮さんが私を呼んだ。立ち止まった彼に合わせて足を止めると、彼はわざわざこちらに向き直り真剣な表情で私を見下ろした。

「好きだ」

　たった三文字。それだけの言葉で私の意識は完全に奪われた。

　以前に言われた時とは違う、はっきりとした意識のある彼は固まった私を見て真剣な顔を崩し、少しばかり笑みを浮かべた。

「好きだ、るか。お前のことが」

「え、あの」

「……こんな道端でムードの欠片も無くて悪いが、今言わなきゃって思った。……さっきの、るか見てただろ？」

「さっきのっていうのは、あの女の子の……？」

「ああ。誤解されてるかもしれないって、思ったのと……あの子が、背中を押してくれたから」

　背中を押した？　だって彼女は蓮さんのことが好きなはずなのに。

　疑問符を頭に浮かべたまま黙り込んでいると、彼は私の手を取って歩き出した。

「どうせもうすぐ離れるんなら、このまま綺麗な思い出のまま終わらせようと思ってた。だから言うつもりなんてなかったんだ。……だけど、あの子が言ったんだ。お節介だけど、はっきりさせなきゃ絶対に後悔するって、自分がそうだったからって。……俺達が付き合ってないこと知ってたみたいだった」

　彼女は今日、改めて蓮さんに告白しに来たのだという。以前は結局全て友達にまかせて自分では何も言えなかったから、と。あのままで終わらせたくなかったのだと。

　私だって浅井君に同じことを言われた、後悔すると。

「それに……」

「それに？」

「俺に一目惚れしたのは、るかに向ける顔を見たからだって。……知らないうちに、そんなに顔に出てたんだな」

　顔を覆うように手をやった彼は、繋がる手に力を込めて再び私の名前を呼んだ。

「るか」

「はい……」

「後少しで離れるとか、色々あるけどさ。難しいこと全部抜きにしてお前の気持ちが知りたい。……俺のこと、どう思ってる」

　彼の言葉に、先ほどまで機械人だとか人間だとかずっと悩んでいた自分が思い出される。答えなんて決まっている。もし環境や種族に苦しむことがないのなら、そんなの。

　胸がいっぱいになって目頭が熱くなった。

「……好き、です。蓮さんが。いつもあったかい気持ちをくれる蓮さんが、好き、なんです」

　泣きそうになるのを堪え、息を詰まらせながらもそう言い切った。やっと伝えられたと、気が抜けるように力の無い笑みが浮かんだ。

「……ありがとう、るか」

　俺と同じ気持ちになってくれてありがとう、と彼は酷く優しく、そしてどこか切なく微笑んだ。

「ところで、俺にバレンタインのチョコはくれないのか？」

「こんな所で会うと思わなかったので今は持ってませんよ。そういう蓮さんこそ無いんですか？　逆チョコってやつ雑誌で見ましたよ」

「ホワイトデーの方が三倍だぞ？　それまで楽しみに待っとけ」

「期待してますから！」

　先ほどまでとは違う、いつもの軽快な会話を交わしながら私達は歩いた。

　もう少し、もう少しだけこのままと、そう願いながら。