遠距離親友
墓参りを終えた私達は、お父さんの「るかのバイト先を見たいです」という言葉に応え葉月洋食店へと向かっていた。
「お店にはお隣さん、居るの?」
「居ると思うよ」
「……お隣さんというのは、確か料理人の見習いだとかの」
たった今まで洋食店という響きに嬉しそうにしていたお父さんだったのだが、蓮さんの話になった途端急に声が鋭くなった。
お母さんはきっと私が蓮さんのことを好きだと気付いていると思うが、お父さんには言わない方がいいだろう。
「こんばんはー」
「あれ、るかちゃん今日休みじゃなかったのか?」
「バイトに来たんじゃないですよ。ほら、おか……ここで、働いてるの」
入り口近くにいた常連さんに挨拶をして店に入ったのだが、危なかった。この姿でお母さんなんて言おうものなら可笑しなことになるだろう。けれどなんと呼べばいいのか分からなかったので言葉を濁す。
「るか?」
「店長、今日はお客として来ました」
「そっちは友人か? ……それより、見習いのやつどうにかしてほしいだが」
「蓮さん?」
「朝からずっとどんよりしやがって鬱陶しいんだよ。仕事はするが重苦しくて邪魔だったから、今は気分転換に買い出しに行かせてる」
店長は「あいつ帰って来たら頼むわ」と面倒くさそうに言って厨房に戻る。しかし蓮さんに一体何があったのだろうか。普段はおおらかで落ち込んだ姿など殆ど見たことがないのに。
「蓮さん、どうしたんだろ」
「そりゃあ、るかちゃんとクリスマスが過ごせなかったからでしょ?」
お母さんとお父さんを席に案内しながらぽつりと呟いた独り言は、しかし誰かに拾われる。聞き覚えのある女性の声に振り返れば、そこにはコーヒー片手に意味深な笑みを浮かべた斉藤さんが居た。
「……え、嘘!?」
「嘘じゃないわよ、久しぶり」
ひらひらと手を振りながらそう言った斉藤さんの言葉が向かった先は私ではない。突然お母さんが驚いたように声を上げたかと思えば、お父さんもぱちくりと目を瞬かせている。
……どういう、こと?
「茜……!」
「直接会うのは何年ぶりだっけ。手紙でるかちゃんのことは聞いてたけど、まさかここでバイトすることになるなんて思わなかったわ」
「偶然ですね。茜さん、ご主人もお元気で?」
「生真面目過ぎるのまでいつも通り」
驚いたまま固まったお母さんとは裏腹に、お父さんはすぐに我に返って斉藤さんと話し始める。知り合いだったの? というか手紙って何のことだ。
「何だ? どういう知り合いなんだ?」
唖然としていた私の代わりに他の常連さんが首を傾げながらそう言う。返事を促すように私も両親を見ていれば、斉藤さんがお母さんの腕を引き寄せ嬉しそうに肩を叩いた。
「とっても大事な、親友よ」
親子ほど年の差がある外見であるにも関わらず、彼女はとても誇らしげに堂々と言い切った。
「え、じゃあ私のこと、知ってたんですか?」
「最初は確信持てなかったけど、名前も聞いていたのと同じだったし留学期間も一緒だったらそうなんだろうなとは思ってたわ」
注文した料理を待つ間、私達は斉藤さんと同じテーブルに着いて事情を聞いていた。もう既に店内では別の話題が飛び交っており、こちらにあまり注意を向けられることもない。
斉藤さん――茜さんはお母さんが日本に住んでいた時からの友人だったのだそうだ。お母さんが地球を離れても手紙のやり取りは続き日本に来た際には会っていた。私が彼女の家がある市に留学することも話していたので、もしかしたら会うかもなんて軽く言っていたとのことだ。
しかし本当に会えるとは思ってもいなかったらしく、お母さんは「るかに会ってたんなら手紙で教えてよ」と、少し拗ねるように文句を言っていた。
「クリスマスにこっちに来るとは言ってたから驚かせようと思って」
「まったく……」
「茜さんは変わりませんね」
にやりと効果音が付きそうな笑みを浮かべた彼女を見てお父さんが朗らかに微笑む。けれど茜さんは「何言ってんのよ」と片眉を上げ、先ほどよりも少々声の音量を落とした。
「変わってないのはあんた達でしょうが……性格も、見た目も」
私が何より驚いたのは、彼女は私達が機械人であると知っていたということだった。
お父さんと結婚してから数年後、お母さんは彼女に機械人になったと打ち明けた。以前私が蓮さんに機械人だと言いたいとお母さんに打ち明けたことがあったが、その時に言っていた親友というのは茜さんのことだったのか。
そして今まで地球から故郷まで食品の仕送りをしてくれていたのも茜さんだったようだ。日持ちのする地球のお菓子は私にとって幼少期の大きな楽しみだったので、「本当にありがとうございました!」と彼女に頭を下げる。
「とっても美味しかったです!」
「それは良かったけど……深雪、るかちゃん本当に鈴木さんに似てるのね」
「やっぱりそっくりだと思うよね」
お母さん、何で苦笑いを浮かべているんだろうか。
「オムライスとカレーライス、ナポリタンお待ちどう」
お母さんとお父さんの昔話を聞かせて貰っていると、店長がトレーに三人分の料理を乗せてこちらへやって来た。普段は私がやっているので彼がこうして厨房を出て料理を運ぶなんて滅多にないことだ。
「店長すみません。呼んでくれれば運んだのに」
「セルフでもねえのに客に運ばせる店があるか。……見習いのやつ遅いな。また変なトラブルに巻き込まれてんのか?」
「そういえば、蓮さん遅いですね」
いつも買い出しに行くお店は然程遠くないのだが、もしかして本当に何かに巻き込まれたのだろうか。……また、誰かに告白されていたりして。
自分で考えた癖に何だかもやもやしたものが渦巻く。
「そうそう、そういえば今日の見習い君本当にすっごく落ち込んでたわよ。よっぽどるかちゃんとクリスマスデートしたかったのね」
「デートって……」
確かにクリスマスに予定はあるかとは聞かれたけど、蓮さんが何を言おうとしたのかは分からなかった。あの時は久しぶりに両親に会えることに浮かれていて、あまり他のことを深く考えていなかったのだから。
「……るかは、その男性と付き合っているんですか」
「え、つ、付き合ってはないよ……」
不穏な空気を発するお父さんの言葉に、そうだったらいいのにと思いながら否定する。
そんなお父さんと私のやりとりを面白そうに見ていた茜さんは、不意に視線を入り口に向けた。
「ま、時間の問題だと思うけど。……噂をすればってね」
「え?」
「すみません、戻りました……」
冷たい空気が入って来るのに後ろを振り返れば、そこには酷く疲れた様子の蓮さんが店内に入って来る所だった。服もよれよれでぐったりという言葉が似合う彼に店長も遅くなったことを咎めず「大丈夫か?」と尋ねている。
「ええ、まあ……」
「また何かあったのか?」
「店を出た所で酔っ払いに絡まれまして……それはどうにかしたんですけど、その後コンビニ前で不良に因縁付けられて、挙句の果てにしつこく宗教勧誘を……」
「……大変だったな」
店長のこんなにも憐れんだ顔、初めて見た。
それにしても今日の蓮さんはついていないようだ。以前私も同じような日があったので気持ちは分かる。
「ったく、そんなしけた面してるから変なもん引き寄せるんだよ。……ほら、るかが来てるぞ。いい加減元気になれ」
「え? るか?」
自分のことに精一杯で私のことなど目に入っていなかったのだろう。割と近い場所にいたのだが店長に言われてようやく蓮さんの目が私を捉え、そして驚きに染まった。
「何で……」
「お客として来ました。蓮さん、大丈夫ですか?」
「ああ、平気だけど……」
弱々しい力の抜けた笑みを浮かべた彼は私のいるテーブルを不思議そうに見回して言葉を止める。四人掛けのテーブルには私と、見た目だけは私と同じくらいの両親、そして茜さんがいる。蓮さんも勿論茜さんのことは知っているので一体どういう組み合わせなんだと思ったのではないか。
「斉藤さんはともかく……そっちの二人はるかの、その、友達なのか?」
「と、友達……かな」
真実を言う訳にもいかない。いや、いつかは言いたいけどこんな色んな人が居る場では告げることは出来ないので曖昧な返事をした。両親を友達なんて言うのは変でたまらないが仕方がない。
「はじめまして。いつもるかがお世話になっています」
「え、はあ……俺の方こそ」
「食いしん坊な子ですけど、どうぞこれからもよろしくお願いしますね」
食いしん坊はあえて言うことでもないと思うんだけど。
お母さんがそう言って頭を下げると、蓮さんは動揺しながら同じように頭を下げた。見た目は彼よりも下だがお母さんの落ち着いた様子に、蓮さんも丁寧に「こちらこそ」と畏まっている。
「君のことはるかからよく聞いていますよ。ええ、とてもよく」
そんな妙な雰囲気を壊したのはいい笑顔を張り付けたお父さんである。二人に割り込むようにそう言ったお父さんに蓮さんは少し目を見張った後、訝しげにお父さんを見やる。
何故か暫し無言でお互いを見ていた二人に周囲のお客さんの視線が集中し出した。「お、修羅場か?」「見習い頑張れー、俺はお前を応援してるぞ」なんてよく分からない煽りまで飛び出し、一層騒がしくなった店内に店長が息を吐いた。
「見習い、今日はもういいぞ」
「店長?」
「どうせ今日は早めに閉める予定だったしな、そんなに仕事もないから上がれ。……うかうかしてっと取られるぞ」
後半、声を潜めてそう言った店長は続いて「お前らも今日くらいさっさと家に帰れよな」と常連さん達に告げる。常連客の多くは家庭を持っているので、家で待っている人もいるのだろう。
……それにしても、あえて聞き流していたが「取られる」っていうのはつまり、そういうことなのだろうか。何とも言えない気持ちでお父さんを見ながら、私はくるくるとスパゲティをフォークに巻いた。
三人とも食べ終わった所で帰る支度を終えた蓮さんが店の裏から戻って来た。
「蓮さん、今から帰るんですか?」
「ああ」
「そうだ、よかったらこれから一緒にクリスマスケーキ食べませんか? るかの手作りなんですけど」
「深雪さん!?」
ついでに一緒に帰るくらい出来ないだろうかと思っていたのだが、お母さんの提案の方が一枚上手だった。即座に反応したお父さんの声を聞きながら、私は蓮さんの顔を窺う。
お母さんはきっと、私に気を遣ってくれたのだろう。クリスマスに家族と過ごせるのは当然嬉しいが、好きな人と一緒に居られるのだって嬉しいに決まっている。ケーキだってこの間作った時よりもきっと上達したはずで、両親の為に作ったものだけど彼にだって食べて貰えたら、と思う。
蓮さんは少し迷った様子で私の方を見てきたが、私が大丈夫ですよとばかりに大きく頷くと、少し表情を和らげた。
「るかの手作りなら、それはもう喜んで」
少々不服そうなお父さんをちらりと見ながら、けれど蓮さんははっきりとそう言った。
そのまま一緒に帰ることになった私達は、夕食代を支払った後茜さんに挨拶をして店を出た。
両親は私の家の場所を知らないので、私と蓮さんが前を歩き、その後ろにお母さんとお父さんが歩く形になっている。
「……ごめんな」
「何かですか?」
「せっかく友達と楽しんでる所に割り込むようなことして。今日、すごく楽しみにしてただろ」
「確かに楽しみでしたし実際に楽しかったですけど、今から蓮さんも一緒に楽しむんですよ、何の問題もありません!」
クリスマスですから、この前よりももっとクリームのデコレーション頑張ったんです、見てくださいね。と言うと彼は肩の力を抜いて「ありがとう」と笑った。
「太郎さん、いつまで不貞腐れてるんですか」
「……いえ、すみません」
「るかだっていつまでも子供じゃないんですから」
背後から聞こえる声は然程大きく無く、更に車道を通る車の音で聞こえにくいが注意深く聞けばなんとか聞き取れる。
「ただ、今日は深雪さんの誕生日で……家族で過ごすものだと思っていましたから」
「太郎さんは気を遣い過ぎです。今日はもう十分家族の時間を貰いましたから、私は本当に幸せですよ。それに……」
「それに?」
「……ほら、あの子も将来家族になるかもしれないじゃないですか」
ちょうど大型トラックが横を通り抜けたのに、その言葉は何故かしっかりと耳に入って来てしまっていた。動揺して無意識に足が止まる。
「るか?」
「何でも、ないです」
意識的に聞いていなければ聞こえなかっただろう。だから蓮さんに聞かれていなくて本当によかったと胸を撫で下ろす。
機械人であるとか、そもそも彼の気持ちの問題だとか。そんなに都合よく行くはずがないと思うのに、お母さんの言葉に私は顔が熱くなるのを感じた。




