家族
「るか、随分機嫌がいいな」
「もうすぐクリスマスですからね!」
駅前で流れていた覚えたてのクリスマスソングを口ずさみながら、私は賑わう店内でテーブルを拭いていた。そう、あと一週間ほどでクリスマスだ。
「何だ? そんなに楽しみってことは、るかちゃんひょっとしてデートでもするのか?」
「やだなあ、違いますよ」
武藤さんがにやにやと面白がるように言うのに軽く返しながら食べ終えた皿を回収して蓮さんの元へと持っていく。
「蓮さん、お願いします」
「ああ。……あのさ、るか」
皿を渡すと彼はやけにそわそわと忙しない様子で視線をあちこちに彷徨わせる。珍しい、こんな蓮さんはあまり見ることなんてないので私は少々首を傾げて彼の言葉を待った。
「クリスマスって予定とかあったりするか……?」
「はい、勿論!」
「もしよければ俺と……って、え?」
「るかー、ハンバーグ出来たから奥のハゲに持ってけー」
「はーい。……というか店長失礼ですよ、聞こえちゃいます」
「聞こえてるぞー」
仕事中なので蓮さんとの会話を切って店長に返事をするのだが、まったく店長は失礼な人だ。まあお客さんも全く気にした様子もないのでいいのか?
「え、あの、るか?」
「何ですか?」
「……何でもない」
ハンバーグを片手に持った所で蓮さんのやけに戸惑った声が聞こえて来て振り返ったのだが、彼は何か言いたげにもごもごと口を動かした後結局何も言わずに仕事に戻ってしまった。
それにしてもあとクリスマスまで一週間か。本当に楽しみだ。
私はハンバーグを運びながらまもなくやって来るクリスマスに思いを馳せた。
そして待ちに待った一週間後のクリスマスイブに私が訪れたのは空港だ。
先ほど飛行機が到着してから、私はずっと落ち着くことが出来ずにきょろきょろと辺りを見回しては時計とにらめっこを繰り返している。目的の飛行機から降りたであろう客が目の前を通り過ぎるのを見ながらまだだろうかとひたすら待ち続けていると、騒がしい到着ロビーの中で私の名前を呼ぶ声が微かに聞こえて振り向いた。
「るか、お待たせ」
「直接会うのは久しぶりですね」
「……お父さん、お母さん!」
待ち人だったのに関わらず一瞬言葉を躊躇ったのは仕方がない。何しろ二人のこの姿は知ってはいてもすぐに反応出来るものではなかったのだから。
日本にやって来た両親は私と同い年くらいの外見だ。お父さんは留学していた頃の皮膚の使い回し、そしてお母さんは日本人であった最後の姿と同じものを作ってもらっている。
「それにしても……やっぱり久しぶりにこの姿だと変な感じがしますね。いい年して二十歳の頃の恰好なんて」
「深雪さんに初めて会った時の姿ですから、私としては懐かしくて好きですよ」
「……惚気は余所でやって」
ああ、やっぱりこの二人はいつでもどんな姿でも変わらない。久しぶりのやり取りを間近で見て妙な安心感を覚えた。
お母さんとしても娘と同じくらいの見た目はどうなんだと思ったらしいが作り直すのにもお金が掛かるし、何より元の自分の姿が一番しっくり来るのだと言う。
「さて、そろそろ行きましょうか。せっかくの日本なんですから楽しまないと!」
お父さんはそう言っていつも以上にふやけた笑顔を見せる。父親としての威厳は何もないが、それでも釣られて私もお母さんも笑ってしまった。
クリスマスは家族で過ごす。これが我が家の決まりというか、当たり前の恒例行事だった。故郷ではそもそもクリスマスなんてイベントは広まっていないしごく普通の平日なのだが、この日だけは私達家族にとっては特別な日だ。何せお母さんの誕生日なのだから。
「お母さん」
「何?」
「誕生日おめでとう!」
空港から電車に乗ろうと移動しようとしていた時に私がそう言うとお母さんは少し驚いたように目を瞬かせ、やがてとても優しく目を細めた。
「……ありがとう、るか」
何年か振りに訪れた故郷を懐かしむお母さんはもとより、お父さんもかなり楽しそうだ。向こうの惑星からここまで来るには、まず三日間宇宙船に乗って地球のとある場所にある発着場へと行く。そこから飛行機に乗って日本へと来るのだが……長期間の移動はかなり体に負担が掛かるにも関わらず、二人とも全く疲れた様子を見せていない。きっと私同様、今日がとても楽しみだったのだと思った。
お昼ご飯をお父さんと並んで食べていると、お母さんに「二人とも本当に表情がそっくり」だと笑われてしまった。
「そうかな?」
「るかはお父さん似だからね。今は見た目が全然違うのに親子だって分かるくらい」
「それはお母さんだからだよ」
仮に表情がそっくりだったとしても、流石に傍から見たら親子には見えないと思う。お父さんとお母さんは黒髪黒目の日本人顔だが、私は金髪碧眼の日本人離れした外見である。
きっと今の私達は周囲から見れば、来日した外国人と日本を案内する友人、と言ったところだ。
「ねえ、次はどこに行くの?」
「行けば分かりますよ」
今回は二人が行きたい場所に着いて行っている形なので、私自身はあまり目的地などを把握していない。だからこそお父さんに聞いたのだが、はっきりとした回答を得ることは出来なかった。
朝から買い物や食べ歩きを終えて、次は果たしてどこに向かうのだろうか。
いくつかの電車を乗り継いで、途中で花屋に寄りつつ歩いて十分程。そうして辿り着いた場所は、あまり想像していなかった所であった。
「お墓?」
日本には沢山の娯楽施設があるし、先ほどからクリスマスの人で賑わう繁華街にばかりいたので本当に予想外だ。喧噪から離れ静寂に包まれるこの場所には、私達三人以外の姿はなかった。
蓮さんだったら絶対に来られないだろうな、なんて思い浮かべながら二人に連れられて墓地の中を進む。すると沢山の墓石の中に、どこかで見たような名前が刻まれているのが見えた。
そして二人の足はその前で止まる。片桐家と書かれた墓石の前で。
「これって……」
「私の両親の……るかの、おじいちゃんとおばあちゃんのお墓だよ」
「おじいちゃん……」
お母さんの両親が亡くなっているということは、言葉にされたことはないものの何となく分かっていた。私は未成年だったので着いていけなかったが、お母さんとお父さんは何年かに一度地球を訪れている。けれどその時にお母さんが両親に会って来たという話は一度もなかった。
「……お父さん、お母さん。この子が私の娘、るかって言うの。ここに、地球に来られる年齢になったんだよ」
寂しそうな、けれど同時に嬉しそうな顔をしたお母さんが、そう墓石に語りかけるように静かに口を開いた。
「深雪さん、水を持ってきます」
「はい、お願いします」
そんなお母さんを見たお父さんは、それだけ言って背を向けて離れて行ってしまった。きっとお母さんの邪魔をしない為だろう。私も離れた方がいいかとも思ったのだが、その前にお母さんが話し掛けて来たのでその場に留まることにした。
「ごめんね、るか。せっかくの日本に来たのにお墓参りで」
「そんなのいいに決まってるよ。お母さん達と会えるだけでも十分楽しみだったもん」
「……今日ね、二人の命日なの」
「え?」
今日が命日。だって今日はクリスマスイブで、何よりお母さんの誕生日だ。
つまりお母さんは、自分の誕生日に両親を亡くしたことになる。
「二人が死んでから、私はずっと一人ぼっちだった。寂しくて、苦しくて堪らなかった。……だけどね、そんな時に太郎さんが言ってくれたの。私に家族をくれるって」
「それって、プロポーズ?」
「それがね、わざわざ地球にお義母さんとお義父さん連れて来て、プレゼントですって言われたの」
「はい?」
どういうことだ、普通そこは自分と結婚して家族になりましょう的な展開ではないのか。お父さんが分からない。
お母さんはその時のことを思い出しているのか、先ほどよりも明るい表情でくすくすと笑っている。
「おかしいでしょ?」
「うん、お父さんおかしい」
「だけど気持ちはすごく嬉しかった」
お母さんは不意に私の後ろへ回り込むと、背後から抱きしめるように手を回した。真冬の寒空の下なのに、とても温かい。
「今の私には沢山家族が増えた。お義母さん、お義父さん、太郎さん、それに……るか。太郎さんは、一人ぼっちだった私にこんなに家族をくれたの」
「お母さん……」
遠くでお父さんがこちらに戻って来るのが見えた。お母さんにもそれが分かったのだろう、抱きしめられていた腕が解かれるのが分かり私は後ろを振り向いた。
「るか、生まれて来てくれてありがとう」
家族になってくれて、ありがとう。と、お母さんは泣きそうになりながら笑っていた。




