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優しい空間

 少し前まで、自分の気持ちなんてよく分からないと思っていた。それなのにいざ蓮さんが好きだと自覚してしまえば、私は本当にごく自然にその気持ちを受け入れてしまっていた。


 転がるように恋に落ちたというよりは、元から存在していた想いがようやく表面に現れたと言ってもいい。むしろどうして今まで自覚出来ていなかったのか不思議なくらい、彼への気持ちは私の心の中にしっかりと根付いていた。






 自分の気持ちの整理もついた、そんなある日。12月に突入して随分寒くなった某日、私は近くのスーパーを訪れていた。この間は蓮さんに心配を掛けたし悪いことをしてしまったのでお詫びとしてケーキでも作ろうかと思ったのだ。


 今までも何度かお弁当やお菓子を作って食べて貰っていたのだが、店長曰く私は料理よりもお菓子作りの方が向いているだろうと言われたのだ。確かにある程度感覚で作る料理よりもきっちりしっかり分量を量るお菓子の方が個人的に作りやすい。適量、という言葉はあまり得意ではないのだ。



「やっぱ、苺だよなあ……」



 ケーキと言えば苺、蓮さんと言えば苺である。果物コーナーで私は赤い果物を前にして立ち往生していた。お詫びであるし何より好意を抱く相手にあげるのだ、美味しいと言ってもらいたいに決まっているのだが……少々高かった。


 いやいや、何を躊躇っているんだ私は。例えちょっと値が張っていたとしても蓮さんが喜んでくれるのならそこは奮発すればいいじゃないか。私の食費をちょっとばかり節約すればいいだけの話……大丈夫、だ。


 私は息を呑んで、出来るだけ多く入っていそうな苺のパックを選んで買い物籠に入れる。こうなったらとことん苺尽くしのケーキを作ろう。これぞ料理は愛情、蓮さんに私が作れる最高のケーキをあげるのだ。



「るか? ここで会うなんて珍しいな」



 そう意気込んでいた時、不意に背後から掛けられた声にびく、と飛び上がるほど驚いてしまったのは仕方がないことだった。何しろ先ほどからずっと頭の中で思い浮かべていた人が現れたのだから。



「蓮さん……」



 何で、よりにも寄ってこのタイミングで来るんだ。

 振り向いた先には案の定、私と同じように買い物籠を片手に持った蓮さんが立っていた。彼は固まった私を特に気にすることなく近付くと、ひょいっと買い物籠を覗き込む。



「苺か、たまには俺も買おうかな」

「え!?」



 予想以上に大きな声が出てしまった。何を驚いているんだろうとばかりにこちらを見る蓮さんに何でもないと必死で首を振って誤魔化す。



「れ、蓮さん。今日は苺高いですよ、今度にした方がいいです!」

「……の割に、お前は買うんだな」

「あはは……まあそれは色々とあって」

「まあ確かにちょっと高いな。今日は止めとくか」



 よし。


 いざケーキを渡した所で苺の味に飽きられていても困る。それに蓮さんのことだからその苺を使って私よりも遥かに美味しいものを作り出しそうなので止められて良かった。



 特に示し合わせた訳ではないがそのまま一緒に買い物を続けていると、私が生クリームを掴んだ所で蓮さんは「ああ」と何か合点が行ったかのように声を上げた。



「ケーキだな」

「え?」

「卵、無塩バター、苺、生クリーム。小麦粉と砂糖は家にあるとして、ケーキを作るんじゃないのか?」

「……そう、です」



 夕飯などの他の材料だって買っていたのに、この材料ならば他のお菓子だって作れるのに、それなのに見事に言い当てられてしまった。普段はありがたくてたまらない彼の職業病が今日ばかりは憎い。

 失敗した時の保険という意味でも、そして驚かせたかったという意味でも蓮さんにはケーキを作ることを知られたくなかったのに。



「クリスマスも近いしな……俺も練習しておこうか。食べてもらいたいし……」

「あああ、駄目、駄目です!」



 蓮さんが何か言いたげに視線を送って来た気もするが、それどころではない。彼の言葉を封じ込めるように遮って強く否定する。



「え、どうしてだ?」

「どうしても!」

「どうしてもって……何かあるんだろ?」



 理由は? と問い掛けられ、私は口を噤む他なかった。訝しげにこちらを見る蓮さんから目を逸らしながら言い訳を考えていたのだが、何にも思いつかない。


 そうしているうちにも彼の顔に困惑の色がどんどん広がっていく。駄目だ、このままじゃこの前の二の舞である。また理由も分からない彼を困らせてしまうことになる。

 ただケーキをあげて驚かせたかっただけなのに、どうしてこうも上手く事が運ばないんだ。



「……まあ無理に言わなくても」

「あの、蓮さん」

「ん?」

「その、ですね……私」



 些細なことで拗れる可能性があるのなら、もうここは驚きなんて置いておき正直に話した方がいいだろう。



「……確かに苺のケーキを作ろうと思ったんですけど」

「うん」

「そのケーキは……蓮さんに渡そうと思っていて、だから……ケーキを食べる口は残しておいてください!」



 練習なんてしなくても、蓮さんが作るケーキの方がずっと私のものよりも美味しいだろう。けれど彼の作るものを押しのけてでも、今は私のケーキを食べてもらいたい。


 そう思いながら彼を見上げると、蓮さんは拍子抜けしたように目を瞬かせていた。



「俺の為に?」

「そうです」

「……そっか」



 彼は口元を押さえて小さく笑みを溢す。スーパーのざわめきの中でも彼が発した「嬉しい」という言葉は私の耳にしっかりと届いた。



「だからケーキを作るのはちょっと止めておいて欲しいなー、と」

「分かった。……るかのケーキか、楽しみだ」



 あんまり期待しすぎないで欲しいが、それでも顔を綻ばせる彼を見ていると蓮さんに美味しいって言ってもらえるケーキを作るんだ、とやる気が湧いてきた。


 だからこそ、気が付けば私は「期待してて下さいね」なんて見習いとはいえ料理人に結構な啖呵を切ってしまったのだった。














「お、デコレーションも綺麗だな」

「でしょう? 拘ったんです」



 完成したケーキを前に、私は胸を張りながらそう言って皿に取り分ける。

 これでも機械人なので力仕事はお手の物、ハンドミキサーなんて無くても生クリームだって余裕だ。デコレーションも苺を沢山使って、中々見た目鮮やかな仕上がりになったと自負している。


 現在私が居るのは自宅ではなく隣の蓮さんの家だ。本当はケーキを渡してそのまま戻ると思ったのだが、彼の厚意で一緒に食べることになった。

 せっかくあげたのだからと一度は断ったのだが「一ホールは流石に一人じゃあ食べきれないな。あーあ、どこかに一緒に食べてくれるやつが居たらなー」なんてわざとらしく言われれば、頷かずにはいられなかったのである。


 私がケーキを用意している間に彼がコーヒーを淹れて食べる準備は万端だ。



「それじゃあ、頂きます」

「どうぞ」



 どきどきしながら彼がケーキを口に入れるのを真剣に見届ける。ケーキを放り込んだその口が咀嚼を経て緩むのを見た私は、ほっと息を吐く。



「美味しいよ。ほら、るかも食べろよ」

「頂きます!」



 微笑む蓮さんを見て、私も嬉しくなりながらケーキを食べ始めた。今までで一番スポンジ生地が上手く行ったんじゃないだろうか。噛むとふんわりとした食感と優しい甘味が広がり、かと思えば甘酸っぱい苺が瑞々しい。無意識のうちの私も口元を緩ませていた。


 二口食べた所でコーヒーを飲む。私はあまり豆などのコーヒーの味の差が分からないのだが、それでも今飲んだコーヒーが美味しいということは分かる。ケーキの甘味とマッチしているからか、それとも蓮さんが淹れてくれたからか。




 そんな風に味わい、彼に勧められるままに次々にケーキを食べていると予想以上にあっという間にケーキは無くなってしまった。ちょうど小腹が空くおやつの時間だったとはいえ、結局私も半分ほど食べてしまっていたのだ。


 ……つまり蓮さんももう半分ケーキを食べたのだが、最初の言葉に反して彼はまだまだ余裕そうだった。まるで苦しそうな顔もしていない。



「……蓮さん。あんなこと言っておきながら、一人でも全部食べられたんじゃないですか」



 一度で半分も食べたのだ、時間を置けば一ホールくらい平気だったのではないだろうか。お祭りの時も思ったのだが、彼は存外よく食べる。

 疑わしげな目で見ていると、彼はそんな私をものともせずにからっと笑った。



「予想以上に美味しかったんでな。……それに言っただろ? るかが喜んで食べてるのを見るのが好きなんだよ、俺は」



 蓮さんはいつもこうして私の言葉を封じるずるい人だ。



「……私だって、蓮さんが喜んでくれたの、嬉しかったです」

「お相子だ」



 何だかとても恥ずかしい会話をしている気がする。以前ならば食べているのを見るのが好きだと言われても、嬉しいという気持ちだったり温かい気持ちになったりしていたのに、今はどちらかというと顔が熱くなったり、何だかむず痒い気持ちだ。無意味に叫びたくなるような、変な感じ。



 けれど互いにぎこちなく笑い合うこの空間は、何故か妙に心地良くも感じるものだった。






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