初めての、地球
三日に一度更新予定です。
「ここが、地球……」
狭い電車からようやく解放された私は、雲一つない青空を見上げてほう、と息を吐いた。故郷よりも随分と空が綺麗に見える。お母さんの話だとここは然程都会と言える土地ではないようなので余計に空気が澄んでいるのかもしれない。
私の名前は……鈴木、るか。――機械人である。
元地球人と機械人のハーフである父親と、元地球人の母親の間に生まれたのが私だ。今日から一年間、私は生まれた惑星を初めて離れて地球の、ここ日本へと留学する。
不安も勿論あるもののずっと楽しみにしていたのだ。私は大げさにならない程度に周囲を眺め、故郷との違いに一つ一つ驚き感心していた。
景色を見ているだけでも面白いが、何と言っても私がもっとも楽しみにしているのは食事だ。機械人であるとはいえ元日本人の血が多く流れる私にとって、故郷の料理は決して美味しいものとは言えなかった。
それこそ生まれた時からずっとオイルや固形燃料だけ食べ続けてきたら味に疑問など抱かなかったかもしれないが、最近は他の惑星の輸入品も手軽に入手出来るようになって我が家の食卓にも色んな料理が並ぶようになった。
機械人は絶対数が少ないのでその分他種族との結婚が多い。だからこそ栄養補給のみに焦点を絞った機械人の食事はほぼ間違いなく他の種族からは「不味い」と称され、移住してきた沢山の人達が食事改善に奮闘した結果が今の状況である。
現在も他の惑星に渡って食文化を学ぶ人は多く、政府も食糧事情を改善することで移住者の拡大を狙っており積極的に支援している。
かくいう私も日本で入ることになっている大学の専攻は栄養学だ。機械人の体にどこまで人間の栄養学が通じるのかは分からないが、今後も地球の様々な食材が輸入されていくことを考えれば役に立つこともあると思う。
地球人であったお母さんは勿論のことお父さんも地球の料理が大好きなので、うちなどはわざわざ地球にいるお母さんの友人に定期的に食品を送ってもらっているほどである。当然食費は嵩むものの、「だったらその分働く」というのが両親である。
ちなみに他種族の混じらない純粋な機械人はといえば、興味津々に色々食べて分析する人もいれば、単なる栄養補給に拘るのは非効率だと一刀両断する人など様々だ。生粋の機械人であるおじいちゃんはというと、おばあちゃんが喜ぶなら何でもいいらしい。
それにしても……と私は地球に降り立った時に使用したパスポートに目を落とす。地球での身分を証明してくれる大切な物なのだが、問題はその氏名の欄だ。
「鈴木、かあ……」
名前は本名だが、苗字は地球で違和感のない偽名だ。偽名とはいえおばあちゃんの本名だったのだから決して関係ないとは言わないのだが……はっきり言うと、私はお母さんの苗字を使いたかった。
もっと言えば当然片桐姓になると疑ってもいなかった。しかしいざパスポートを渡されてみれば鈴木である。
「お母さん!」
「え、何が駄目だったの?」
「お父さんと同じなんて嫌だ」
そう訴えると、またかとため息をつかれた。
……別に、お父さんが嫌いな訳じゃない。家族には優しいし怒った所なんて滅多に見たことない。だけど、何というか……お母さんに対する態度に胸焼けを起こすのだ。
お父さんはお母さんが好きすぎる。あからさまに口に出しているのではないが、視線や行動を見ていれば「この万年新婚夫婦が!」と叫び出しそうになる。当時思春期だった私はそんなお父さんを見ていられなくなり見事に反抗期に突入することになって、そして落ち着く時を見失って現在までこんな状態なのである。
お父さんの友人にテオおじさんがいるので比較してしまうことも大きい。あんなに素敵な人が友人なのだから、お父さんも少しは見習ったらいいのだ。
ちなみにおじさんは私の初恋だ。彼に憧れて、地球での容姿を選択する時は迷わず彼が日本にいた時に着ていたような金髪碧眼を選んだ。お母さんと同じ黒髪でもいいのだがそうすると必然的にお父さんとも一緒になるので諦めた。機械人にはない髪は面倒だが色んな髪型に出来るのが楽しくて長めのものにしている。
聞きなれない名前も人間の皮も正直慣れなくて苦手なのだが、しかし機械人だとばれない為なので仕方がない。
機械人という名前は正式な種族名ではないのだが、分かりやすいので最近は私達の種族の日本語訳として大分定着して来ている。その理由というが、なんとうちのお母さんなのである。
お母さんは元地球人ということを生かして、他の機械人が地球に行く前の研修の仕事をしている。主に向こうの慣習や言葉を教えているのだが、その時に「機械人」という言葉を使っていたのを他の担当の人も真似するようになり一般的な言葉へと変化した。
しかしお母さん曰く、「最初に機械人って言ったのは太郎さんだけどね」とのことで、発端はお父さんだったらしい。
さて、日本に降り立って最初にすることは住む予定のアパートへたどり着くことである。
今いるのはそのアパートの最寄り駅のはずなのだが、辺りは閑散としており人通りも少ない。先ほどまで乗っていた電車の人口密度が嘘みたいだ。
道を聞く人もいないので、とりあえず私はもらった地図を広げて現在地と照らし合わせた後、目的地に向かって歩き出したのだった。
……機械人だからって、誰もが計算に強いだとか記憶力がいい訳ではない。確かに精密な作業を得意とする人は多いし、他の種族と比べればある程度機械や分析方面に強いのは確かだ。
つまり何が言いたいのかというと、いくら地図が読めても道に迷う人は迷うのである。
「なんで着かないの……」
おかしい。何故アパートにたどり着けないんだろう。磁場でも狂っているんだろうか。最初に周囲を知っておこうと色々寄り道したのが間違いだったのか、とにかく駅に着いた時から時間はあっという間に過ぎて行ってしまっている。
現在午後4時。乗り換えの関係でお昼ごはんを食べ損ねていた私は、それはもう空腹だった。
「お腹空いた……」
遠出したりするといつもよりもずっと空腹になるのは何でなんだろうと思いながら、とりあえず先に食事をしようと店を探すことにした。……しかし今目の前に広がるのは広大な田んぼと畑で、とてもお店がありそうな雰囲気はなかった。
こんなことなら比較的栄えていた駅前で何か食べてこればよかったと後悔する。駅方面へ戻るか、この辺りで何とか店を探し出すかと頭を悩ませながら歩いていると、不意にどこかで良い匂いがした気がした。
その匂いが消える前に急いで匂いの元を辿る。ふらふらと匂いに釣られながら足を進めると、その匂いは民家の裏手から発せられているのが分かった。
何だ、お店じゃないのかとも思ったが一応建物を回り込んでみると、そこにはガラスの扉と『葉月洋食店』と書かれた小さな看板があった。それを見た瞬間の私の心は、まさに地獄に仏と言わんばかりの心境であった。……お母さんが言っていたのを覚えただけで実は地獄も仏も何なのか知らないが。
早速扉を開けて店内に入ると、すぐにテーブルを拭いていた白い服の男がこちらを振り返り「あっ」と小さく声を上げて眉を下げた。
「お客さんか? 悪いがまだ開店前なんだ」
「そ、そんな……」
再び絶望に叩き落される。もう活動できるエネルギーはそんなに残っていないというのに。思わず荷物を手放してがくりと両膝をつくと、男は慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫か!?」
「……さい」
「は?」
「お願いですから何か食べさせて下さいっ! お金ならあるので!」
地球に来て早々なんて醜態を晒しているんだと頭を抱えたくなる気持ちもある。だがそんな羞恥心をかなぐり捨ててしまうほど、今の私には余裕なんてなかった。
縋るように顔を上げてそう叫ぶと、それに呼応するかのように私のお腹が激しい音を立てて空腹を主張した。無駄に長い沈黙が店内を包むものの、またしてもそれを破ったのは二度目のお腹の音である。
男は初めぽかんと意表を突かれた顔をしていたのだが、二度目の音が鳴ると同時にふっとその表情が緩み、そして声を立てて笑い出した。
「ははっ、賄いの残りでいいなら出してやるから、そこに座ってろ」
「あ……ありがとうございます!」
助かった!
未だに笑いながら店の奥へ向かった男の背中を見送りながら、私はよろよろと立ち上がって傍の椅子に腰掛ける。先ほどの匂いが強くなるのを感じながら待っていると、一分も経たないうちに皿を持った男が戻ってきた。
「これは……?」
「チャーハンだけど。他の国の人か? だったら分かんないかもな」
「ちゃーはん」
私の髪と目を見たのか、男は首を傾げながらそう言う。確かに勢いでこの容姿を選んだものの、日本では目立ってしまうかもしれない。目の前の彼もそうだが日本人は大体皆黒髪黒目だと言うし。
だがむしろその方がちょっとおかしなことを言っても今のように納得してもらえるかもしれない。どうせ今から代わりの皮を注文することも出来ないので前向きに思っておこう。
目の前に置かれた皿から食欲を刺激する匂いが容赦なく襲いかかって来る。私は渡されたお手拭きで手を拭くと、すぐさまスプーンを手に取ってチャーハンを口に含んだ。
何だ、これ。
「お……」
何なの、これ。
「お?」
「美味しい……!」
やばい、泣きそうだ。
一口食べただけで衝撃が全身を駆け巡った。温かくて味がしっかりと付けられたパラパラのお米に、他の具材。大した物は使っていないようなのに、こんなに美味しいなんて。
「こんなに美味しいもの、初めて食べました! 宇宙一美味しいです!」
「あ、ありがとう……」
感動のあまりがばりと顔を上げて勢いよくそう言うと、男は戸惑った様子で視線を彷徨わせ、やがて照れたように笑った。
両親が作る料理だって勿論嫌いではなかったが、向こうではどうしても日持ちするような食材しか手に入らないし、他の惑星の食材で代用することもあって本場の味を知っている両親はあまり納得がいってない様子だった。
素人とお店の味の違いもあるだろう。とにかく、美味しくてたまらない。
感動を噛み締めいざ二口目を掬ったところで、がちゃりと入口の扉が開いた音がして思わずスプーンを置いて振り返る。
「おい見習い、何してんだ」
店に入ってきたのは男よりも年嵩の不機嫌そうな顔をした男だった。彼は私の隣にいた男とチャーハンを交互に見るとぎろりとした目を鋭くする。
「て、店長」
「まだ開店前だってのに、しかも勝手に飯を出すとはどういうことだ」
「……すみません」
チャーハンを出してくれた男がさっと血相を変えて頭を下げるのを見て、ようやく状況を理解する。私は慌てて立ち上がって店長と呼ばれた男に向き合い、大きく頭を下げた。
「ごめんなさい! 私がどうしても食べさせて欲しいってお願いしたんです!」
この人は悪くないのだと、私が我儘を言って困らせたのだと必死に弁解しようと息を吸い込んだのだが、それよりも早くまたしても私の腹が唸った。
ぐるるるるる、とまるで肉食獣の声ではないかと疑うようなすごい音が、先ほどよりも大きな音で鳴り響き、私は頭を下げたまま固まった。一口食べたのが余計に空腹に響いたらしい、早く食べさせろとばかりに唸りまくる。
沈黙になどさせるかとなり続ける腹の音に、店長は目を白黒させて私とお腹に視線を行き来させ、そして最後に鋭い目はどこに行ったのか豪快に爆笑した。
あれ、こんなやり取りさっきやったような。
「ふ、ははははっ……あー笑った。外人の嬢ちゃん、あんたおもしれーな」
「ど、どうも……?」
「こんなに腹空かせてたらそりゃあ食べさせたくなるわな。見習い、怒鳴って悪かった」
「いえ……」
「邪魔して悪かった。ゆっくりしていけよ」と店長はそう言って荷物を抱えて店の奥へ消えていく。完全に姿が見えなくなったところで、見習いと呼ばれた男はほっと息を吐いた。
「あの、ごめんなさい」
「いや、気にしなくていい。店長も許してくれたし。それより早く食べなくていいのか」
そうだった。きゅ、と胃が締め付けられるような感覚を思い出し、わたしは急いで席に戻ってチャーハンの続きを食べ始めた。
「やっぱり美味しい」
何口食べても感動が薄れない。本当に美味しい。
「本当にこれで見習いなんですか!?」
「まだ二年だからな」
「じゃあ店長の料理はもっと美味しいってことに……」
「美味いぞ。次は店が開いてる時に来ればいい」
「はい!」
意気込んで返事をするとまた笑われた。
「ごちそうさまでした!」
あっという間に食べ終わってしまった。満腹には程遠いが、活動するには問題ないくらいには回復した。さすがにお代わりをせびるほど厚かましくはないつもりだ。
「本当にありがとうございました」
「今にも倒れそうだったし、元気になってくれてなりよりだ」
もし本当に倒れたりしたら一大事だ。下手に病院に運ばれて初日から機械人であることが露見してしまったら両親に顔向けできない。私は改めてお礼を言うことにする。
「あの、おいくらですか?」
「金はいらない」
財布を取り出しながら尋ねるとちょうど店長が戻って来る。先ほどとは違い、見習いさんと同じ白い服に着替えていた。
「見習いが作った賄いで金を取ったりしない。……美味かったか?」
「はい!」
「ならいい」
満足気に私を見た店長は「そろそろ開店時間だ」と見習いさんに告げると再び奥へ戻っていった。
「すみません、あとちょっと聞きたいんですけど」
皿を回収して厨房へ向かおうとする見習いの男を呼び止め、私は鞄から紙を取り出す。
「何だ?」
「この住所って分かりますか? 道に迷ってて」
「どれどれ……」
視線が紙面をなぞると、何故か彼の表情が徐々に驚きに染まっていく。どうしたんだろうかと顔を覗き込むと、彼ははっと我に返ったように体を揺らしてこちらを見た。
「あの……分かりそうですか?」
「あ、ああ、大丈夫だ。ところで、どうしてここに? ……もしかして、引っ越しとか」
「よく分かりましたね? そうです」
「……大きな荷物持ってるからな」
「成程」
店の場所に印を付けてもらいそこからアパートまでの道を、道中の目印になるものと一緒に教えてもらった。先ほどたどり着けなかったのはどうやら気が付かないうちに一本道を間違えてしまっていたようで、遠回りにはなるが大通りを通る分かりやすい道順を説明してくれた。
「何から何まで本当にお世話になりました!」
「いや……。またな」
何度もお礼を言って店を出ようとすると、見習いの彼は曖昧に笑って私にそう言った。
彼の言う通りに道を進めば、思った以上に呆気なくアパートは見つかった。先ほどまで最寄り駅とは一体、と愕然としていたのが嘘のようだ。家に着いた後にもう一度駅まで行ってみたらとても近かった。
その日は支給された端末で両親に無事に着いたと連絡を取ってすぐに眠ってしまい、管理人さんや他のアパートの住民に挨拶したのは翌日だった。
「はじめまして……あ」
隣の部屋のインターホンを押すと、がたがたと音がどんどん入口に近づいてくる。
そして扉が開いた先に出てきた顔は、昨日見たばかりのものだった。
「見習いの……」
「蒼井蓮、だ。よろしく」
あの洋食店で見習いをしていた彼が、そこに居た。そうか、だから住所を見て驚いていたのか。
彼を見て驚いたのは勿論だったのだが、それ以上に嬉しくなって安心してしまった。地球に着いて初めて話して、そして初めて優しくしてもらった人だ。
私は彼を見上げて、持ってきた蕎麦をずいっと差し出した。
「鈴木るかです。一年間ですが、よろしくお願いします!」