表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
93/171

「あまのじゃく」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。



 「あまのじゃく」




学校を終えて、バイトへ行く前に一度自分のアパートに寄る。

夏休み中は賑やかな兄のマンションで暮らしていたから、一人の部屋は静かで、なんだか寂しい。

とりあえずテレビをつけて、鞄を置く。

夕方のニュース番組が、静寂を掻き消す。

そんな雑音を聞きながら、京子は制服を脱いで私服に着替える。

バイトまでは、まだ少し時間がある。


京子は携帯電話を操作して、電話帳を開く。

相手はこの時間に起きているかどうかはわからないが、取り敢えず通話ボタンを押す。

短いコール音の後、相手はすぐに電話に出た。


『もしもし?』


電話の向こうからは、眠たそうな低い声。


「寝てました?」


『いや、起きてたよ。ベッドでごろごろしてた。』


欠伸をするような声が聞こえる。

ほとんど寝起きと変わらないのだろう。


「どうでもいいニュースと、悪いニュース、どっちから聞きたいですか?」


京子は眠そうな彼方に構わず、言葉を続ける。

一応、連絡すると言った以上は、定期的に報告をしようと思っていた。

学校が始まり、色々な情報も増えたことだし、京子は彼方に電話をしたのだった。


『うーん…とりあえず、どうでもいいニュースかな。』


彼方は少し悩んだような声を出し、どうでもいい方を選んだ。


「今日学校で、面白い噂を聞いたんですけど。」


『え?なになに?』


面白い、という言葉に彼方は興味を示す。

京子にとっては面白い噂でも、噂の張本人にとってはどうだろう。


「百人切り。学校で噂になってますよ。」


『百人切り?』


「学校の女の子と、寝たんじゃないんですか?」


『…ああ。女の子って、ホント、口軽いよねー。』


彼方は不愉快な様子も見せず、ケロリと言い放つ。

電話の向こうでは、あの胡散臭い笑みを浮かべているのだろう。


「否定しないんですか。」


『んー、さすがに百人はナイよ。無理無理。体力持たない。僕を何だと思ってるの?』


おかしそうに、ケラケラと笑う彼方。

京子は大きく溜息を吐いた。


「百人、とまではいかなくても…本当にそういうことしてたんですか。」


『…まあ、もう学校行かないから、別にいいじゃない。

 どうせ、噂なんてすぐなくなるよ。』


否定もしないで無邪気に笑う彼方に、京子は呆れる。

本当に、誰とでも寝ていたのか。

日向のことを好きだと言っておいて、何をしているんだ、この男は。

その中に自分も数えられていると思うと、京子は憂鬱になる。

いや、あの夜のことは、誰にも話していない。

自分と彼方しか、知らないことだ。


『で、悪いニュースって?何があったの?』


さっきとは打って変わって、彼方は真剣な声になる。

彼方でも不安に感じるのか。さっきよりも声が低くなっている。

急くような、焦るような彼方の声に、京子は悪戯心をくすぐられる。


「聞きたいですか?」


『教えてくれるんでしょ?』


「どうしよっかなー。悪いニュースだから、聞きたくないんじゃないですか?」


『もう…。』


意地悪にそう言うと、溜息が聞こえた。


『意地悪しないで教えてよ。そのために電話くれたんでしょ?』


カチッという、乾いたガスライターの着火音が聞こえる。

痺れを切らして煙草を吸い始めたのか。

ほんの一か月前までは咳き込んで吸えなかったくせに、今では彼方も立派なヘビースモーカーだ。

寝ながら煙草を吸うのは駄目だと、散々言ったのに。


「寝煙草は駄目ですよ。」


『え、なんでわかったの?京子ちゃんこわいー。』


彼方は驚いて、すぐに茶化して笑う。

喫煙者ほど、ライターの着火音が意外と大きいことを知らない。

そういう音は、非喫煙者の方が耳につくのだ。


『ほら、ちゃんと座ったから。教えて。』


ゴソゴソと布がこすれる音が聞こえる。

電話越しでは、本当にベッドから降りたかどうかまでは、わからないが。


「私のバイト先で、日向さんが働いていました。」


『へえ。偶然。』


ヒューと、下手な口笛を吹く音が聞こえる。


『…余計なこと、言ってないだろうね?』


一層低い、探るような声。

それも当然か。自分が日向に近付きすぎるのは、よくないことだ。

もし自分が口を滑らせたら、彼方が何処で何をしているのかが、バレてしまう。

けれど、京子だって、馬鹿な女じゃない。


「言ってないですよ。ほとんどシカトしてます。」


その言葉に、彼方の笑い声が聞こえる。


『あはは。京子ちゃんらしいや。』


「だって、どんな顔したらいいんですか。」


『別に、普通でいいんじゃない?

 だって日向は、僕と京子ちゃんがこういう関係だってことは、知らないよ?』


「一度、飼育小屋の前で見られています。」


夏休み前に、彼方と話しているところを、彼方を迎えに来た日向に見られた。

ほんの少しだったけれど、確実に日向は京子の顔を見ている。

その時のことを日向に問いだたされたら、誤魔化しきれる自信がない。


『覚えてないでしょ、日向は。

 あの時は少しだけだったし。それに、日向は人の顔を覚えるの苦手だし。』


本当にそうだろうか。

学校での噂や、彼方の話でしか、日向のことは知らないけれど、

日向は彼方と違って、なんだか利口そうな気がする。

鋭そうというか、頭が切れそうだ。

些細なことで、自分と彼方の関係がバレてしまいそうで、怖い。


『それで?それが悪いニュース?それ以上はないの?』


再び、退屈そうな欠伸が聞こえる。

彼方にとっては、退屈な情報だったのだろうか。

もう少し、危機感を抱いてもよさそうなのに。


「それで、って…心配にならないんですか?

 私が日向さんに、あなたのことをバラすかもしれませんよ?」


『しないでしょ。京子ちゃんは、僕のことを裏切れない。』


彼方は、キッパリと言い切った。


「どこからそんな自信が出てくるんですか。」


『京子ちゃんは、優樹さんのことが好きだから。

 優樹さんが困るようなことは、言えないでしょ?』


彼方の言っていることは、もっともだ。

優樹の迷惑になるようなことは、したくない。


けれど、自信満々な彼方が、少し癪に障る。

そんなに自分のことを信用しているのだろうか。

それとも、駆け引きか。

彼方に上手く踊らされているような気がして、気に入らない。


「ホント、嫌な人ですね。あなたは。」


京子は皮肉気味に吐き捨てる。

電話の向こうからは、鼻で笑うような声が聞こえた。


『僕、京子ちゃんのことだけは、信用してるんだから。』


「そんなこと言っても、私は靡かないですよ。」


『あれ?機嫌悪くしちゃった?ごめんごめん、そんなつもりじゃないんだ。』


甘い声で、彼方は囁く。


『僕、友達なんていないし、信用できる人もいないしさ。…京子ちゃんだけなんだよ。』


ご機嫌取りのつもりだろうか。

けれど、彼方の言葉は、薄っぺらい。

「君だけだよ」「君だけは」

そう言えば、自分が黙って従うと思っているのだろうか。

他の女はそれで落ちたとしても、自分は違う。


「よく言えますね。私だけ、なんて。」


『本当のことだよ。』


「どうせ、いろんな人に言ってるくせに。」


『やだなあ。本当に日向のことを頼めるのは、京子ちゃんだけなんだよ。』


信じて、と彼方は甘い囁きを繰り返す。

言葉は違っても、こうやって彼方は女を誑かしてきたのか。


「どうだか。」


『ね、お願い。今度お礼するからさ。』


甘い言葉に靡かないからって、今度はモノで釣る気か。

いいだろう。少し困らせてやろう。


「…駅前のマルシェのチーズケーキ。特大ホールで。」


『ケーキ?…わかったよ。今度持ってくね。』


彼方は可笑しそうに笑う。

少しは渋ると思ったのに、やけにあっさりしている。

要求が子供っぽすぎただろうか。

けれど、ただで情報を流すのは、割に合わない。

それに、地元で有名なマルシェのケーキは結構高い。

これくらい、貰っても当然だろう。


『それで、他にも何かある?』


「ベリータルトもあると嬉しいです。」


『そうじゃなくって…。っていうか、そんなに食べると太るよ?』


彼方は少し呆れたように言う。


「残念ながら、私は太らない体質なので。」


『今だけだよ。歳取ったら、大変なことになるよ?』


そう言って、溜息を一つ。


『で、僕は日向のこと、聞いてるんだけど。』


日向のこと、と言われても、京子はそれほど日向に詳しくはない。


「日向さんのこと、って言われても…。うーん。」


学校で噂に聞く程度と、バイト先で誰かと話してるのを聞くくらいだ。

そういえば、昨日はいつも以上に日向が虎丸と仲良く話していたのを思い出す。


「あ。なんか最近、モテるようになったらしいですよ。」


『へえ、あの日向が。』


「学校でも女の子に囲まれてるらしいですよ。本人が言ってました。」


『ふぅん。』


虎丸に羨ましがられながら、日向は溜息を吐いていた。

きっと、日向はそういうのは苦手なのだろう。

まあ、彼女がいるから当然か。

女たらしな彼方と違って、日向は誠実そうだ。


『…でもそれは、代わりでしょ?僕の。』


彼方は、電話の向こうでクスクスと笑う。


「よくそんなことが言えますね。」


どこからそんな自信が湧いてくるのか。

少し自意識過剰すぎやしないか。


『女の子ってわかりやすいよねー。

 僕がいなくなったら、「次は日向」なんて。ホント、女の子って怖い怖い。』


そう言って、彼方は意地悪そうに笑う。

確かに、彼方がいないからって日向に乗り換える女子は、馬鹿だと思う。

顔が整っていれば、彼方でも、日向でも、どっちでもいいものなのか。

双子で顔が同じでも、二人の性格は根本的に違う。


『それで?日向は調子に乗ってるの?』


「いえ、本人は嫌がってましたけど。」


『あはは。日向らしい。どうせ、女の子に囲まれておどおどしてるんでしょ。』


なんだろう。彼方の言動が少しおかしい。


『日向がモテるなんて、バッカみたい。そんなの似合わないのにね。』


無邪気な子供のように、クスクスと笑う彼方。

けれど、まるで、日向のことを馬鹿にしているみたいだ。

彼方はこんなことを言う男だっただろうか。


「なんか、変です。」


『変?何が?』


「日向さんのこと、馬鹿にしてますよね?」


馬鹿にしている。見下している。嘲笑っている。

彼方は日向のことが、好きだったはずだ。

なのに、何故そんなことを言うのだ。


少しの沈黙の後、煙草の煙を吐き出すような息が聞こえた。


『…僕ね、日向のこと、嫌いだもん。』


それは、ハッキリとした低い声だった。

冷たくて、残酷な言葉だった。


嫌い、という言葉は強い。言葉の弾丸で打ち抜かれたようだ。

自分に向けられた言葉ではなくとも、京子は胸に棘が刺さったような気分になった。

言葉として口に出されただけで、息が詰まりそうになる。


けれど、そう言った彼方は、冷たいほど、淡々とした口調だった。


彼方に、どんな心の変化があったのだろう。

口を開けば「日向、日向」と、日向の名前を呼び、

日向を思って、心配して、悲しんで、泣いて、体を震わせていたのに。

嘘でも日向のことを「嫌い」だなんて、言えなかったくせに。

日向がいないと生きていけない、とさえ、言ったのに。

どうして彼方は、日向のことを嫌ってしまったのだろう。

好きだったくせに。大切に思っていたくせに。


「好きだったんじゃ…ないんですか。」


『好きだった。でも、もう諦めるって言ったでしょ?』


「自分のモノにならないからって、嫌いになるんですか。」


『それもあるけど…。』


吐き捨てるように、彼方は言う。


『日向だけが幸せそうにしてるのがさ、なんかムカつくんだよね。』


「…どうして。…好きな人の幸せを、願えないんですか?」


『だから、好きじゃないって。もう、好きじゃない。』


彼方の声から、苛立ちを感じる。

そう思い込もうとしているだけのようにも聞こえる。

もう好きじゃない、嫌いだと、まるで自分に言い聞かせるように。

他人の言葉で、惑わされることがないように。


日向が幸せそうでムカついているんじゃない。

羨ましがっているんだ。妬んでいるんだ。

そして、何故、日向の隣が自分じゃないのか、嘆いているんだ。


彼方はまた、迷っている。まだ、迷っているんだ。

強がっているだけだ。誤魔化しているだけだ。

本当にどうしようもないくらい、馬鹿で、愚かで、不器用な人だ。

過呼吸をおこすくらい悩んでいるのに、誰にも頼れない、打ち明けられない。

彼方が本音で話せるのは、自分しかいない。


きっと、電話の向こうでは、辛そうに顔を歪めているんだ。

やっぱり京子は、彼方のことを、ほっとけない。


「…明日、夕方に私の家に来てください。」


『え?…突然、何?』


彼方は驚いて、訝しげな声を洩らす。


「ケーキの催促ですよ。お礼、くれるんでしょう?」


自分もなかなか素直じゃない。

こんな口実がなければ、彼方を誘う理由が思いつかない。

素直に心配してるなんて、言えない。


『ああ、わかったよ。チーズケーキとベリータルトね。』


「他にも色々買ってきてくれてもいいんですよ?」


『はあ…。京子ちゃんは怖いなー。』


そう言って、彼方は呆れてから笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ