「魔法の手」
登場人物
高橋日向 双子の兄。一人称は俺。
高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。
坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。
中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。
矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。
渡辺真紀 バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。
竹内京子 二年生。優樹の妹。
新田百合 一年生。日向の恋人。
桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。
白崎先生 精神科医。
リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。
お姉さん リッキーの飼い主。
竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。
篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。
麗華 彼方の客。
智美 彼方の客。
梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。
川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。
「魔法の手」
「高橋さん!どっちっすか!?」
「何が?」
キッチンに戻ると、虎丸は興奮したように日向に声を掛けてきた。
梨本店長も、川口シェフも、含み笑いをしながら日向を見つめている。
「彼女っすよ!巨乳の子の方ですよね!?」
「あの巨乳に靡かない男はいないよなあ!?」
虎丸と梨本店長は、椿のことを彼女だと思っているみたいだ。
それにしても、人の彼女の姉に向かって巨乳だなんて、少し失礼じゃないか。
自分の周りの男は、どうしてこんな人間ばかりなんだ。
「…小っちゃい子の方だろ。」
寡黙な川口シェフがボソッと呟く。
川口シェフはクールで男らしくて、日向は少し憧れていたのに。
こういうことも言うのか。意外だ。
小っちゃいとは、何のことを言ってるのだろう。
身長か、胸か。
「どっちすか!?三人で賭けしてるんすよ!」
虎丸はグイッと日向に詰め寄る。
梨本店長も川口シェフも、興味深そうに日向を見つめる。
三人の視線に、日向は溜息を吐く。
「…左側の小っちゃい子だよ。」
日向の言葉に、川口シェフは小さくガッツポーズをした。
「ええええマジっすか!?なんで巨乳じゃないんすか!?」
「お前ロリコンかよおおおお!」
外れたのが悔しいのか、虎丸は大げさに残念がって見せる。
梨本店長も同様に、わざとらしく頭を抱える。
それにしても、ロリコンなんて酷い言われようだ。
「ロリコンって…。彼女も高校生ですよ。」
日向は少し唇を尖らせる。
確かに百合は幼く見えるが、歳は日向と二つしか変わらない。
同じ高校生同士なんだから、ロリコンなんかではないと思う。
「…俺の勝ちだな。」
川口シェフは残念そうな二人を見て、小さく笑う。
二人はとても悔しそうだ。一体何を賭けていたのか。
彼氏としては、なんだか面白くない。
「人の彼女で賭けするのやめてくださいよ。」
日向は呆れながら、途中だった食材の仕込みに取り掛かる。
梨本店長も川口シェフも、賭けの結果を聞いて満足したのか、自分の定位置に戻り、仕事を再開する。
けれど、虎丸はカウンターに手を付いて、尚もキッチンの中の日向に話しかけてくる。
「えー、じゃあ、あの巨乳の子もうちの学校の子っすか?」
「大学生だって。彼女のお姉さんだよ。」
椿は百合の五つ年上で、二十一歳の大学三年生だと聞いた。
日向の三つ年上だが、たった三歳違うだけで、見た目はすっかり大人のお姉さんに見えた。
ふんわりと落ち着いた雰囲気を漂わせていて、自分たち高校生とは、全然違う。
自分も百合も、いつかはあんな風になれるのだろうか。
「ってことは…あの子も将来巨乳になるんじゃね?」
二人の話を聞いていたのか、キッチンの奥から梨本店長が声を出す。
それに乗っかるように、虎丸も囃したてる。
「それを見越してあの子を彼女にしたんすか!?高橋さんやるぅー!」
「ゆくゆくは自分好みの巨乳に…か。お前すげーな!計画犯!」
茶化す虎丸と梨本店長。
川口シェフは黙ったまま、小さく笑っていた。
男しかいないキッチンは、咎める者もなく、下品な話ばかりだ。
こんな話、百合や椿に聞かれたらどうするんだ。
「そういうのじゃないですって…。」
小さく呟いて、日向は肩を落とした。
最初は不安だったバイトも、なんだかんだ言って楽しくやれている。
面倒見がよくて気さくな店長と、寡黙だが優しいシェフ、自分を認めてくれるスタッフたち。
自分が知らなかった箱庭の外は、とても広くて明るくて、暖かい場所だった。
今までの、閉ざされた暗く狭い世界とは違う。
彼方と二人きりで閉じこもっていたら、知り得なかった世界。
その日、百合は、日向がバイトを終わるまで店で待っていてくれた。
夜シフトの人と交代して、いつもより少し遅い時間にバイトを終えて、
店の外で椿と別れ、日向は百合とスーパーに寄ってから家に帰った。
百合はずっと嬉しそうな顔をしていて、いつものように手を繋いでくれた。
「びっくりしたよ。急にお姉さん連れてくるから。」
日向の家へと向かう帰り道。
辺りはすっかり夕日で赤く染まっていた。
徐々に日も短くなり、夏の終わりが近付いているような気がした。
日向は右手に買い物袋を、左手に百合の手を握って、家までの短い距離を歩く。
柔らかくて小さな掌から伝わる体温が、優しくて温かい。
「ホントは友達を誘ったんですけど、なかなか捕まらなくて。」
百合は、はにかみながら笑う。
友人が捕まらないのは、当然だろう。
夏休みももう終わるし、今頃になって宿題に追われている生徒も多いだろう。
自分もその一人ではあるが、宿題が終わっていないなんて、カッコ悪くて百合には言えない。
今まで散々情けない姿ばかり見せてきたけれど、これからは、百合になるべくカッコ悪い姿は見せたくない。
百合が頼りにしてくれるような、強い男になりたい。
ちっぽけでも、男のプライドだ。
それから、いつものように二人で夕食を作って、テレビを見ながら食事をした。
今日はのメニューは、揚げ物だ。
エビフライにアジフライ、コロッケに唐揚げがたくさん食卓に並ぶ。
どうせ揚げ物をするのだから、油がもったいないし、いろんな種類を作ろうとした結果だ。
けれど、さすがに作りすぎたと思う。
食べ終えるころには、日向は少し胃もたれをおこしていた。
体弱いだなんて、学校生活を送っていく上での偽りの設定のはずだったが、あながち間違いでもないのかもしれない。
そういえば、百合といる時以外、まともに食事をしなくなった。
一人でいると、食事をすることを忘れる。
何故だかお腹がすくこともほとんどないし、一人分の食事を作るのが馬鹿らしく思えてしまう。
誰かのために料理をするのは好きなのに。
自分のためだけに料理をするだなんて、面倒だし、しんどい。
普段からあまり食べないのに、久しぶりにこんなに油っぽい揚げ物ばかり食べたから、胃が悲鳴を上げたのだろうか。
食事を終えた日向は、ソファーに寝転がっていた。
胃もたれで気持ち悪い。胃が重い。吐き気がする。
少し前に飲んだ胃薬は、まだ効きそうにない。
カッコ悪いところを見せたくない、と思ったばかりなのに。
「お水、飲みますか?」
百合は、水の入ったグラスを日向に差し出す。
同じものを食べたのに、百合は平気そうだ。
心配そうな眼差しで自分を見つめている。
「うん…。ありがとう。」
日向は体を起こしてグラスを受け取る。
少し動くだけでしんどい。
吐いてしまえたら楽なのだろうが、それも難しそうだ。
吐きたいのに、吐けない。胃薬が効いてくれるのを待つしかない。
日向は気休めに、受け取ったグラスの水を一口だけ口に含む。
駄目だ。水をですら、口に入れるだけで気持ち悪い。
中途半端な吐き気に、日向は口元を手で覆って、背中を丸める。
「ごめんなさい。私が揚げ物食べたいなんて言ったから…。」
「ううん…。大丈夫。しばらくしたら治るから…。」
自分でも、こんなにひどくなるだなんて思わなかった。
どうして自分は、こんなに精神的にも肉体的にも弱いのか。
自分の情けなさに恥ずかしくなる。
背中を丸めて、ソファーでうずくまる日向。
そんな日向を見て、百合はそっと、日向の背中に手を伸ばす。
そして、ゆっくりと、優しく、丸まった背中を撫でる。
背中から伝わる体温が、心地いい。
ゆったりとしたリズムに、癒される。
少しだけ、楽になったような気がする。
「ありがとう。…俺、百合に撫でられるの、好き。」
そう言って、日向はわずかに顔を上げる。
まだ少し吐き気はするが、百合の優しさが嬉しかった。
「ちょっとは楽になりましたか?」
百合は、心配そうに日向の顔を覗きこんでいた。
真っ直ぐに、自分だけを見つめてくれる百合の瞳が好きだ。
その優しさに、もっと甘えたくなる。
「うん。…もっと撫でて。」
日向は、百合の肩に凭れかかる。
百合は日向を抱きしめるようにして、背中と髪を撫でてくれた。
百合の長い髪から仄かにシャンプーの香りがする。
強くなりたいと言いながら、こうやって百合に甘えるのも好きだ。
百合はこんな自分を受け入れてくれる。優しく受け止めてくれる。
それが嬉しいのと同時に、今まで誰かに甘えたことなんてなかったから、ちょっとくすぐったい気持ちになる。
恥ずかしいような、照れくさいような、そんな気持ち。
百合の体温と甘い香りに包まれていると、幸せだ。
心なしか、胃もたれはゆっくりと治まってきた。
百合の手は、魔法の手みたいだ。
いつも自分を、救ってくれる。
「ありがとう。もう大丈夫。」
そう言って、日向は百合を抱きしめる。
「治まりました?」
「うん。」
「よかったぁ。」
ふんわりと、百合は柔らかく笑う。
自分から触れるのはまだ少し怖いが、やっぱり百合を求めずにはいられない。
百合を腕の中に閉じ込めて、何処へも行けないようにしたい。
離れてしまわないように、自分だけのものにしてしまいたい。
日向は、意外と自分は独占欲が強いと思った。
「あ、そう言えば、さっきお姉ちゃんに何言われたんですか?」
ふいに、百合は思い出したように口を開く。
「えっ…。な…なんでもない…。」
突然の言葉に、日向は目を泳がせる。
さっき、とは、椿に耳打ちされた時のことだろう。
―避妊はちゃんとしないとね。
あんな恥ずかしいことを言われて、動揺してしまった。
百合は、そんな日向の様子を気にしていたのか。
「『なんでもない』は駄目です!気になります!」
百合は日向をじーっと見つめる。
あんなこと、百合に言えるわけない。
思いだしただけでも、赤面してしまうのに。
「いや…だからその…なんていうか…」
「なんていうか?」
真っ直ぐな瞳が、痛い。
「…言わなきゃ駄目?」
「駄目です。」
百合はニッコリと微笑む。
有無を言わせぬ微笑みが、日向を逃がさない。
百合は、こう見えて少し頑固なところがある。自分の意思は絶対に曲げない。
きっと、日向が言うまで、何度も聞いてくるだろう。
誤魔化そうとしたって、自分は上手く嘘は吐けない。
「…そういうこと…してるのか…みたいな…。」
日向は消え入りそうな声で、小さく呟く。
百合の顔が見れない。
こんなことを言って、引かれたりしないだろうか。
嫌われたり、しないだろうか。
「そういうこと?」
意味が伝わらないらしく、百合は首を傾げる。
こんな言葉で伝わるわけがない。
けれど、ハッキリとは言い辛い。
それに、わからないのなら、これ以上は、言えない。
いや、こんなこと、もう言いたくない。
「…もう…自分でお姉さんに聞いて…。」
日向は、真っ赤になった顔を両手で覆って俯く。
恥ずかしくて、何処かへ隠れてしまいたい。
「日向先輩、顔赤いですよ?」
そんな日向を見て、百合はおかしそうに笑った。
夕方、京子は自分の部屋で、アパートに帰るための支度をしていた。
イヤホンで好きな邦楽を聞きながら、服や靴を次々にキャリーバックの中に詰め込む。
雑誌やアクセサリーは置いていったほうがいいか。重し、嵩張る。
誕生日に優樹に貰った簪だけは持っていこう。
使うことはなくても、部屋に飾っておきたい。
「京子ちゃん。」
振り返ると、部屋の入り口に彼方が立っていた。
音楽を聴いていたから、気付かなかった。
女性の部屋に入るのなら、ノックくらいしてほしい。
京子はイヤホンを片方外して、彼方に向き直る。
「ノックもしないで、いきなり何ですか?」
「ごめんごめん。」
京子が不機嫌に問うと、彼方はヘラヘラと笑いながら謝る。
ここ数日落ち込んでいるようだった彼方は、すっかり元に戻っているように見えた。
彼方の耳からは赤いピアスは消えて、代わりに銀のピアスが揺れている。決意のつもりだろうか。
「学校、明後日からでしょ?もう帰っちゃうの?」
遠慮もなしに、彼方は京子の部屋に入ってくる。
そして、床に座る京子の前にしゃがみ込んで、目線を合わせた。
「ええ。色々と準備もあるし、バイト先にも一度顔を出しておかないと。」
京子はキャリーバックに詰める服を畳みながら、淡々と答える。
彼方はその様子を見つめながら、言葉を続けた。
「そういえば、夏休み中一度もバイト行かなかったんだね。」
「何処かのお馬鹿な誰かさんのせいで、バイトなんかしている暇なんてなかったんですよ。」
たっぷりと嫌みを込めて、京子は棘のある言葉を吐く。
こんな言葉、彼方に効果がないことは知っているけれど。
「何?心配してくれてたの?」
言葉の意図と反して、彼方は意地悪そうにニヤニヤと笑う。
からかっているかのような笑みが、癪に障る。
「…そういうところは嫌いです。」
京子はプイと、素っ気なく顔を背ける。
彼方は少し、自信過剰だ。
わざわざわかっていることを、口に出して言わなくてもいいのに。
そういうところが気に入らない。なんだか悔しいし、面白くない。
そんな京子を気にする様子もなく、彼方は首を傾げて京子の顔を覗きこむ。。
いつもの張り付いたような笑みを浮かべたまま。
「ねえ、たまに学校のこと教えてよ。電話で。」
「それは…日向さんのことを、ですか?」
彼方が興味のあることなんて、日向のことしかない。
学校のこと、なんて遠まわしに言わなくても、京子にはわかる。
彼方は本当に、ここに残るつもりなのか。
「無理ですよ。私、日向さんと接点ないし。」
「学校で、すれ違うこともあるでしょ?」
「そんなこと滅多にありません。」
学年も違うし、教室の階も違う。
お互い部活にも入っていないし、委員会だって違う。
いちいち気にしていないだけかもしれないが、移動教室ですれ違ったこともない。
日向の様子なんて、わかるわけがない。
「…そっか。」
彼方は、目を伏せて肩を落とす。
その表情は、残念そうだけれど、薄く笑みを浮かべたままだ。
そんな不器用な笑顔の仮面で自分の本心を隠すなんて、どこまでも未練がましい人だ。
「諦めるんじゃなかったんですか?」
「諦めたよ。…でも、気になるじゃない。」
困ったように、彼方は笑う。
どうして、そんなに寂しそうに笑うのか。
諦めただなんて、嘘じゃないか。
ここに残って、彼方はどうするのだろう。
日向と離れて、ここでずっと生きていくのか。
それとも、あの夜小さく零した言葉通り、消えてしまうのか。
「…たまに、ですよ。」
ポツリと、京子は小さく呟く。
「え?」
「たまに連絡してあげる、って言ってるんです。」
自分でも、どうしてこんなことを言ったのかは、わからない。
なんとなく、ただなんとなく一緒に暮らしているうちに、彼方のことをほっておけなくなっていた。
馬鹿で、愚かで、不器用な人だ。ほっとくと何をしでかすかわからない。
それに、叶わない恋をしているところは、自分に似ていた。
自分は彼方のように愚かではないが、情が湧いても仕方がない。
「ありがとう。やっぱり京子ちゃんは、意外と優しいよね。」
「『意外と』は、余計です。」
彼方の顔が、少しほころぶ。
けれど、やっぱり寂しそうな微笑みだった。




