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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「丸い背中」



登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。


 「丸い背中」




「プリン作ったんだけど…食べる?」


「え?プリン…ですか?」


日向は甘い。

それはもう、際限なく甘い。

日向に甘やかされた百合の体は、夏休み前よりも少し、少しだけふくよかになっていた。

それも当然だ。毎日、日向と過ごして、日向と一緒に料理をして、

一緒に食事を摂り、おやつまでも作ってくれている。

日向の作る食事やお菓子は美味しいし、ついつい食べ過ぎてしまう。


それに、バイトを始めてから、日向は盛り付けにもこだわるようになった。

チーズケーキにはイチゴジャムを添えて、クッキーだって星型やウサギ、

ハートやクマなど色々な形で、ドライフルーツやカラースプレーまで乗っていることもある。

アイスクリームもコーンフレークと生クリーム、チョコソースにフルーツまで添えてパフェ風に。


自分のために、手間をかけて作ってくれているのは嬉しいが、

上手く料理もお菓子も作れない自分が、恥ずかしくなる。

日向の料理の腕を、少し分けてほしいくらいだ。

それに、夏休みに入ってから体重が三キロも増えた。三キロも、だ。

これは百合にとって、由々しき事態である。


最近になって、百合はダイエットを公言したが、

日向は相変わらず、毎日お菓子も欠かさずに作ってくれる。


「百合、プリン好きって言ってただろ?」


そう言って、日向は百合に小さく笑いかける。

その笑顔に、百合は弱い。

けれど、このままでは、どんどん太ってしまう。


「私…ダイエットしてるって言いましたよね…。」


百合は唇を尖らせて、小さく呟く。

せっかくダイエットしているのに、日向は甘い。甘すぎる。

自分を甘やかしすぎだ。また体重が増えてしまう。


「…食べない?今日のプリン、自信作なんだけど…。」


日向は首を傾げて、百合を窺う。

日向のそんな些細な仕草でさえも、百合には可愛く見えてしまう。

日向はカッコいい。けれど、自分に見せる仕草の一つ一つは、可愛らしいのだ。

恋は盲目だ。自分でもわかっている。

好きになってしまったから、日向の声、仕草、笑顔、全部が魅力的に見える。


自信作なんて、そんなことを言われたら、食べるしかないじゃないか。

百合は、今日も日向の甘い誘惑に負けてしまう。


「…食べます。」


その言葉に、日向は嬉しそうに微笑んだ。


「ちょっと待ってて。今持ってくるから。」


そう言って、日向はキッチンへ消えていく。

そして、何かを切るような包丁の音が聞こえてきた。

今日のプリンには何を添えるのだろう。

家に帰って体重計に乗るのが憂鬱だ。


しばらくして、日向はお盆に百合が好きなミルクティーと、プリンを二つ乗せて戻ってきた。

プリンには生クリームとイチゴがたっぷりと添えてある。

ああ、カロリーが高そうだ。


「おまたせ。」


日向はお盆からミルクティーとプリンをテーブルに並べる。

テーブルに乗せられたプリンは、見た目も綺麗で美味しそうだ。

いや、日向が作るものは、全部美味しいに決まっている。


「わ~可愛いですね!美味しそう~。」


店で出されるような綺麗な盛り付けのプリンに、百合は思わず溜息が洩れる。


「食べてみて。」


そう言って、日向はテーブルを挟んで百合の向かいに座る。


「わーい。いただきまーす!」


こんなに綺麗な盛り付けをされていると、崩すのは躊躇われる。

けれど、日向は『味の感想待ち』といった様子で、百合を見つめていた。

当然だろう。何しろ、『自信作』なのだから。


百合はスプーンでプリンを掬って、口に入れる。


「美味しい…!」


口に入れた瞬間に、言葉が飛び出す。

それほど、日向の作るプリンは美味しかった。

あまりの美味しさに、思わず頬が緩んでしまう。


「言ったろ?自信作だって。」


日向は嬉しそうに微笑む。

本当に日向は、よく笑うようになった。

百合はそんな日向の優しい微笑みが大好きだった。


「もー、日向先輩の作るものは全部美味しいから、全然ダイエットできないです…。」


百合は頬に両手を添えて嘆く。

そういえば、ほっぺにも少し贅肉が付いたような気がする。ぷにぷにだ。


「ダイエットなんてしなくていいだろ?」


そう言って、日向は百合をじーっと見つめる。


「俺はさ、俺が作った料理とか、お菓子とかを、

 美味しそうに、いっぱい食べる百合が好きなんだけどな。」


「え…?」


日向は時々、平然と恥ずかしいセリフを口にする。

それはきっと、無意識に口を出た言葉で、

言った後になって、日向は恥ずかしそうに顔を背けた。


「俺…何にもできないから。こんなことでしか、百合に喜んでもらえないし…。」


日向は、自分に自信がない。

いや、きっと自分のいいところに、気付いていないのだろう。

日向のいいところは、たくさんあるのに。


日向はカッコいいし、可愛いし、真面目だし、器用だし、繊細で優しい人間だ。

毎日バイトで忙しいはずなのに、こうして日向は自分の好きなものを作ってくれる。

自分のことを考えて、自分のことを想ってくれる。

それだけで充分だ。


「そんなことないですよ!私は日向先輩と一緒にいられるだけで幸せですよ!」


そう言って、百合は微笑む。

そうだ。こんな素敵な人と一緒にいられる自分は幸せだ。

何もできないなんて、そんな悲しいことを言わないでほしい。


「百合はいい子すぎる…。」


顔を背けたまま、日向はボソッと呟く。

唇を尖らせて、まるで子供が拗ねているようだ。


「もっと…俺を困らせるくらいの、ワガママ…言ってもいいのに…。」


頬杖をついて、小さな言葉を洩らす。

これも無意識だろうか。いや、意識的か。

日向は恥ずかしそうに口元を手で覆って、俯いてしまった。

必要とされていないと、不安なのだ。


ワガママなんて、いつも言っている気がする。

バイトで疲れているはずなのに、毎日自分との時間を作ってくれる。

いつも日向に駅まで迎えに来てもらっているし、

食事だって、おやつだって、自分の好きなものばかりだ。

テレビだって、自分が見たいものばかりに合わせてくれる。

日向はそれをワガママだと思っていないのか、なんでも自分の言うことを聞いてくれる。


「…じゃあ、日向先輩から、キスしてください。」


百合は日向を見つめて、ニッコリと微笑む。


ワガママを言っていいのなら、日向からのキスがほしい。

いつも自分からばかりだから、日向からがいい。


「え?…今?」


日向は少し驚いた顔をして、顔を上げた。


「今、です。」


有無を言わせない微笑みで百合がニッコリすると、日向は顔を赤らめた。


「それはちょっと…恥ずかしい。」


日向は恥ずかしがりだ。すぐ顔が赤くなる。

手を繋ぐのも、抱きしめるのも、キスだって、何度もしているのに、

毎回最初は、少し恥ずかしそうな素振りを見せる。

そんなところも、可愛いのだけれど。


「日向先輩が困るくらいのワガママ、言っていいんじゃないんですか?」


そんな日向を見て、百合は意地悪に笑う。

日向の困ったような表情が、好きだった。


「…一回だけだぞ。」


日向は赤い顔のまま、椅子から立ち上がり、百合に近付く。

背中を丸めて少し屈んで、椅子に座ったままの百合と目線を合わせる。

長い睫毛の先の瞳は、照れたように、困ったように揺れていた。

そんな日向の表情が大好きだった。


百合が瞳を閉じると、日向は躊躇いがちに、百合の頬に手を添えた。

ほんの一瞬だけ、日向の唇が触れる。遠慮がちな、優しいキス。

プリンを食べていたせいか、甘いような気がした。


目を開けると、日向は真っ赤になった顔で、口元を手で覆っていた。

どこまでも純粋で恥ずかしがりな人だ。


「それだけですかー?」


恥ずかしがる日向が可愛くて、百合は日向の首に手を回す。


「あっ…百合…。」


そのまま日向を抱き寄せて、キスをした。

さっきより、長いキス。

日向は躊躇いながら、百合の背中に手を回して、抱きしめ返してくれた。


唇が離れると、百合ははにかんで笑う。


「…一回だけ、って言っただろ。」


照れ隠しのように、日向は顔を背ける。

耳まで真っ赤だ。


「もっと、です。」


ワガママを言っていいと言ったのは日向だ。

今日はとことん困らせてやろう。

困ったような顔をした日向に、百合は自分の中にある悪戯心がくすぐられた。


それから何度もキスをした。

最初は恥じらっていた日向も、徐々に照れがなくなってきたのか、

キスをしながら自分の髪を撫でてくれた。

その指先が優しくて、百合はもっと嬉しくなった。

唇が離れると、二人で照れて笑った。

それは二人の幸せで優しい時間だった。



それからは、ソファーに座って二人でテレビを見た。

けれど、相変わらず、日向から触れてくることはない。

百合から触れないと、日向は触れてくれない。

両手を膝の上で組んで、まるで自分自身の手を捕まえているようだった。


一昨日の夜、百合は無意識に、反射的に、日向を拒絶してしまった。

日向は、あの夜のことを引き摺っている。傷付いたような顔が忘れられない。

日向を拒絶したあの夜から、以前のように、日向から自分に触れてくることは無くなった。

遠慮しているんじゃない。怖がっているのだ。また拒絶されることを。


けれど、時々日向は、寂しげに自分の手を見つめてくる。

それは以前と同じ、手を繋ぎたい合図だ。

そんな視線に気付き、百合は自ら日向の手に、自分の手を添えた。

手が触れると、日向は少し驚いたような顔をした。

そして、自分に窺うような視線を向けて、遠慮がちに、ぎこちなく指を絡めた。


さっきまでキスをしていたのに、すぐ臆病に戻ってしまう。

日向は自分のことが、本当に大好きなんだと思う。それは自惚れじゃない。

言葉は少ないけれど、ちゃんと愛情は伝わっている。

日向の視線が、指が、鼓動が、自分のことを好きだと言ってくれている。

だからこそ、嫌われるのを怖がる。

今日向が臆病になっているのは、自分のせいだ。

自分が日向を拒絶してしまったから。


『自分は大丈夫だ』と言っても、日向は優しいから、その言葉を疑う。

その言葉は、強がりなんかじゃない。無理なんかしていない。

日向だから『大丈夫』なのに。

もっと触れてもいいのに。

もっと触れてほしいのに。


百合は隣で座る日向の肩に凭れかかってみた。

一瞬、日向の体が驚いたようにビクンと震えた。


「…どうした?」


「今日は甘えたい日です。」


百合は日向の手を取り、自分の頭に添える。


「もっと触ってください。」


そう言うと、日向はぎこちなく百合の頭を撫でる。

緊張しているのか、肩が固い。長い睫毛は伏し目がちだ。

優しい指先は、まるでガラス細工でも扱うように、そっと髪を梳いた。


「日向先輩って、意外と猫背ですよね。」


日向の背中は丸い。

それはまるで、壊れやすく脆い自分自身を守っているように、

内側へ、内側へ籠ろうとする日向の性格を表しているようだ。

怖がりで、臆病な日向の背中。


「うん。…彼方にも、よく言われてた。」


そう言って、日向は背筋をピンと伸ばす。

猫背のことを、気にしているのだろうか。

背筋を伸ばした日向は、座っていても、自分よりも頭一個分くらい大きい。

当たり前だけど、男の人だなあ、と百合は思った。


けれど、無意識だろうか。

彼方の名前を口にする日向の表情は、少し悲しそうだった。


「ねえ、百合は…俺とずっと一緒にいてくれる…?」


顔を上げると、日向は切なそうな瞳で自分を見つめていた。

『百合は』という言葉に、少し引っ掛かりを感じる。

けれど、日向の縋るような瞳に、百合は何も聞くことができなかった。


「当たり前じゃないですか。ずっと一緒です!」


そう気丈に微笑んで見せた。

けれど、日向はまだ不安そうな瞳で、百合の顔を覗きこむ。


「俺が高校卒業しても?」


「もちろんです。」


「専門学校行っても?」


「離れませんよ。」


「美容師になって、働き出しても?」


確かめるように、一つ一つ、ゆっくりと日向は問いかける。

そんなことを問いかけるうちに、伸ばした背筋は猫背に戻っていた。

無意識に、背中が丸くなっている。

私は、もう日向のことを傷付けたりしないのに。


「日向先輩が嫌だ、って言っても、離れてあげません!」


百合は、不安そうに呟く日向の猫背に手を回して抱きしめる。

細くなったままの日向の体は、少しだけ、頼りない気がした。


「それ、信じて…いいの?」


躊躇いがちに窺う日向に、百合は日向の胸に顔を埋めたまま言った。


「信じられませんか?」


日向は力なく首を振って、そっと、百合を抱きしめる。

また、日向の腕は、躊躇っているようだ。


「ううん。そうじゃない…。そうじゃないんだ…でも…」


百合の体温を確かめるように、日向は肩口に顔を埋める。

百合からは日向の顔が見えない。どんな表情でそう言ったかはわからない。

けれど、日向の声は震えていた。


やっぱり日向の様子がおかしい。情緒不安定だ。

一昨日からだ。自分が日向を拒絶したからじゃない。その前からだ。

もちろん、自分が日向を拒絶したことも、原因だと思う。

けれど、それ以前から、日向は落ち込んでいた。


何が日向を不安にさせるのだろう。

そこに、自分も踏み込んでいいのだろうか。

言いたくないことは、言わせたくない。

言わせることで、日向を傷付けてしまうかもしれないから。


けれど、その不安を、少しでも取り除いてあげたい。

日向を守れるのは、自分しかいないはずだから。


「どうしたんですか?日向先輩…一昨日から、様子がおかしいですよ。」


返事はない。

日向は自分の肩口に顔を埋めたまま、顔を上げない。


「日向先輩…?」


暫しの沈黙が訪れる。

エアコンの乾いた風音と、テレビから流れるワイドショーが静かな部屋に響く。

窓の外からは、遠くで夏の終わりを告げる蝉の鳴き声が木霊する。


百合は黙っていた。

日向が何か言葉を紡ごうと、口を開いては躊躇って閉じたからだ。

紡がれない言葉は、溜息にも似た呼吸になって吐き出される。


そんなに、自分には言えないことなのか。

自分は日向の彼女なのに。なにもかも、わかってあげたいのに。

何を隠しているのだろう。何が日向を、こんなにも不安定にさせるのだろう。

日向はまだ、重い事情を抱えているのか。


どれくらい沈黙が流れただろう。

その間に、日向は何度も言葉を紡ごうとした。

けれど、躊躇われた言葉は、音にはならなかった。


しばらくして、日向が口を開いた言葉は、とても悲しい言葉だった。


「俺…百合にまで、離れていかれたら…生きていけない。」


消え入りそうな小さな声は、不安そうに揺れていた。

自分を抱きしめる日向の腕は、弱弱しく縋りついてくるようだった。

今百合は、日向の丸い猫背の背中の内側にいる。

日向の守る世界の、内側にいる。

それはまるで、必死に自分を離すまいと、閉じ込めているようだった。



「ねえ…俺を殺さないで…。」


耳元で聞こえた、切ない声。

日向はまた、独りになることを怖がっている。



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