「偽りの家族」
登場人物
高橋日向 双子の兄。一人称は俺。
高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。
坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。
中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。
矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。
渡辺真紀 バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。
竹内京子 二年生。優樹の妹。
新田百合 一年生。日向の恋人。
桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。
白崎先生 精神科医。
リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。
お姉さん リッキーの飼い主。
竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。
篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。
麗華 彼方の客。
智美 彼方の客。
梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。
川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。
「偽りの家族」
営業も終わり、誠は店内の片付けをしていた。
客や他の従業員はもう帰ってしまったし、
優樹はいつも通り、酔い潰れてソファーで眠っていた。
テーブルを片付けて、床を掃除して、クラスを洗いながら、誠は考える。
優樹の周りには、人が集まる。
京子に、彼方、従業員や、たくさんの客。
それが心地よくもあり、たまに煩わしくもなってしまう。
だから夏と冬、一週間だけ仕事を休んで、一人になる。
何をするわけでもなく、ただ静かに一人でいることが好きだからだ。
誠には、二つの顔がある。
「みんなのお兄ちゃん」という、いつもの明るくお喋りな自分。
そして、素のままの、根暗で疑い深い、昔のままの自分。
前者は店や人前で見せる、営業用。
後者は優樹しか知らない、ありのままの姿だ。
ヘラヘラ愛想笑いをするのは、疲れる。
そう思ってしまうあたり、いくら憧れている優樹の真似をしても、
優樹と自分は、全く違う人間なのだと思わされる。
優樹のように、屈託なく、楽しそうに無邪気に笑えるのが、羨ましい。
必死に真似をしようとしても、やはりどこか違う。
顔では笑っているが、心の奥は渇いているような気がする。
顔が引きつっていないか、ちゃんと笑えているか、不安になってしまう。
だから、一人で考える時間が必要なのだ。
まあ、今年の夏休みは、あまり一人になる時間はなかったのだけれど。
バンドの曲を作るために、将悟の家に泊まり込むのは二、三日の予定だった。
けれど、日向の事件があったため、結局ほとんど一人にはなれなかった。
正直、面倒だと思った。
けれど、バス停で日向を見つけた時、一緒にいる相手が悪かった。
将悟は世話焼きで、馬鹿なお人好しだ。
彼は、誰が倒れていようが、迷わずに助けようとする。
それをを止めたり、自分が冷たい人間だと思われる方が、遥かに面倒だと思った。
だから、あの時は仕方なかったのだ。
一人でいたなら、倒れている人間になんて、見向きもしなかったのに。
冷たい言い方だけれど、他人がどうなろうが、知ったこっちゃない。
知らないフリをしていれば、面倒事は回避できる。
他人事だ。自分には関係ない。
自分は、自ら面倒事に首を突っ込もうとする将悟とは、違う。
そんな将悟を「馬鹿だ、お人好しだ」と思いつつ、やっぱり羨ましかった。
他人のために、どうしてそこまでできるのか。面倒だとは思わないのだろうか。
どうしてそんなに純粋で真っ直ぐに、「正しさ」を疑わないのか。
こんな薄汚れた自分とは違う。
自分の周りには綺麗な人間ばかりだ。
そんな綺麗な人間に紛れた自分は、浮いていないだろうか。
ちゃんと綺麗な人間のフリを、できているだろうか。
そんなことを考えながら、グラスを洗い終えて、手を拭く。
そして、洗い場を離れて、ソファーで静かに眠る優樹の寝顔を見つめてみる。
優樹は今年二十八歳になるはずだ。
小奇麗にしているから、年齢よりは若く見えるけれど、
無防備な寝顔の目尻には、小さな皺ができていた。
優樹とは八年くらいの付き合いだが、最初に出会ったときよりも、
お互い大人になって、お互いに老けたと思う。
そりゃそうだ。何の苦労もなしに、ここまで来たわけじゃない。
当然だが、苦労や悩みがない人間なんて、いないだろう。誰だって悩むし、落ち込む。
けれど、優樹はいつも笑っていて、悩んでいる姿や、落ち込んでいる姿を見せない。
それは強がりなのか、隠しているだけなのか、優樹はいつも気丈に振る舞っていた。
「優樹君。片付け終わったから、そろそろ起きろよ。」
そう言って、ソファーで眠る優樹の肩を揺さぶる。
このままソファーで寝かせておくわけにはいかない。
風邪をひいてもらっても困るし、そろそろ起こしてあげないと。
「んー。」
低く唸って、寝返りを打つ。そう、優樹は寝起きが悪い。
寝起きが悪いと言うより、一度眠ってしまったら、なかなか起きない。
声を掛けても、揺さぶっても、「うーん」と声を上げるだけで、起きる素振りはない。
「もうみんな帰ったんだけど。」
誠はため息を吐きながら、優樹の眠るソファーの隣に座る。
優樹はもぞもぞと身動きをして、少し顔を上げた。
珍しい。いつもは全然起きないのに。
「…今何時?」
「七時前くらい。」
「マジか。俺超ぐっすりだったな。」
「いつものことだろ?」
口調がいつもと違うのは、優樹の前だからだ。
優樹の前でだけは、素の自分でいられる。
下手な愛想笑いなんてしなくていい。楽だ。
優樹はゆっくりと体を起こして、ソファーに座る。
元々のパーマなのか、寝癖なのかわからないくらい髪が跳ねていた。
そんなことを気にする様子はなく、優樹は大きな欠伸を一つして、
ポケットから煙草を取り出し、咥えた。
そして眠そうな顔のまま、煙草に火を点ける。
寝ている間に優樹の体の下敷きになったのか、煙草の箱は潰れていた。
「誠ー、お茶飲みたい。」
紫煙を吐き出しながら、優樹は甘えた様な声で呟く。
「ウーロン茶?」
誠はカウンターに戻って冷蔵庫を開ける。
冷蔵庫の中は綺麗に整頓されていて、酒やソフトドリンクが大量に詰め込まれていた。
お茶類は一番上の棚。様々な種類を取り揃えている。
「んー、緑茶。」
「はいはい。」
手前の方から緑茶が入ったペットボトルを取り出し、グラスに注ぐ。
せっかくグラスを全部洗ったのに、と思いながらも、誠は優樹には逆らえない。
それが何故だかはわからない。優樹を慕っているからこそ、だろうか。
まあ、グラスの一つや二つ、また洗えばいいか。
そう思って、誠は冷蔵庫の奥の方から、コーヒーの入ったペットボトルを取り出して、
グラスをもう一つ用意して注ぐ。これは自分の分だ。
その二つのグラスを持って、誠は優樹の元へと戻る。
そして、緑茶が入った方を、優樹の座るテーブルの前に置く。
「サンキュ。」
そう言って、優樹はまだ眠そうな目を擦って、グラスに口を付ける。
そして、優樹の座るソファーの、隣のソファーに座る。
遠すぎず、近すぎず。これが、ちょうどいい二人の距離だ。
窓の外を見れば、空は高く、眩しいくらいの朝日が差し込めていた。
日差しに目を細めて、誠はグラスに入ったコーヒーを飲む。
朝に飲むコーヒーは美味しい。少し酔った頭をスッキリさせてくれる。
優樹の方を見れば、なにやら考え事をしているように、難しい顔になっていた。
「何考えてんの?」
優樹は俯いたまま、紫煙を吐き出す。
白い煙が、広がって、薄まっては消えた。
「いや…彼方、大丈夫かなと思って。」
そういえば、今日いきなり彼方が、仕事を休みたいと優樹に連絡してきた。
彼方が仕事を休むのは珍しい。それも当日になって、突然に。
何をしているのかは知らないけど、誠は気にも留めなかった。
だって他人になんて興味がない。ただ、優樹の邪魔をしなければ、それでいい。
けれど、優樹は一日中彼方のことを気にしていた。
女のところに行っているなら、別にそんなに気にしなくてもいいのに。
どうせ今頃、仕事のことなんて忘れて、女と仲良くしているのだろうから。
優樹は彼方のことを気にしている。
いや、彼方のことを、特に贔屓目で見ている。
そのことが、何故か、気に入らない。
「…優樹君って、アイツのこと、すごい気にしてるよな。」
面白くない。どうしてあんな奴のことを、優樹は気にするのか。
優樹には、アイツの胡散臭さがわからないのだろうか。
何故、疑わずにいられるのか。
「そりゃ、アイツは夜の仕事も経験ないし、まだ若いし、それに…」
そう言いながら、優樹は深く煙草の煙を吸い込む。
そして、ゆっくりと吐き出す。
白い煙は、優樹に纏わりつくように膨らんだ。
「昔のお前に、似てるだろ?」
いつものように、優樹は笑う。
目尻に薄い皺を寄せて、屈託のない無邪気な笑み。
「俺に?」
思ってもみない言葉に、誠は呆気にとられたように、口を薄く開いた。
似ているだなんて、なんだそれ。自分と彼方は全然違う。
自分は、あんなに愚かではない。
「『世界に信じられる人間なんていませーん。
みんな自分のことわかってくれませーん。人間なんて嫌いでーす。』って感じ?」
大袈裟に両手を広げて、優樹は意地悪な笑みを浮かべる。
別に、嫌みで言っているわけではない。優樹はこういう人間だ。素直なだけだ。
茶化すように言うが、昔の自分のことを口に出して言われると、少し恥ずかしい。
「俺…そんな風に見えたわけ?」
誠はポケットから煙草を取り出し、火を点ける。
照れ隠しのように、気持ちを落ち着けようと煙を吸い込む。
優樹の煙草より重い、小さな星の絵柄が散りばめられた煙草。
高校の頃から、一度も銘柄を変えることもなく、吸い続けていた。
立ち込める深く強い香りが、好きだった。
煙が重く留まって、肺を汚す感覚が好きだった。
「あの頃のお前は、反骨精神の塊だったろ?」
確かに、優樹と出会ったころは、やんちゃ盛りだった。
けれど、もうそういう人間と付き合うのは止めた。
あの頃の自分を知るのは、優樹だけだ。
「…昔の話だろ。」
「今でも変わらないんじゃねーの?」
「これでも、あの頃よりは大人になった。」
優樹は「そーかそーか」と言って笑った。
鈍感そうに見えて、変なところは鋭いと思う。
確かに、優樹に比べれば、まだ自分は子供のままかもしれない。
いくら成人を迎えても、大人になった、だなんて、確かな実感は湧かない。
二十五歳になっても、自分はちゃんとした大人になれたのか、不安に感じる時もある。
優樹のように、堂々と、ずっしり構えることなんて、まだ、できない。
そもそも子供と大人の境界とは何だろう。
二十歳未満が子供?二十歳を超えれば大人?
未成年でも、自分よりしっかりした人間もいる。
逆に、成人していても、どうしようもなく未熟な人間だっている。
境界なんて曖昧じゃないか。自分はどっちなのだろう。
大人の自覚なんてない。けれど、子供のままでもない。
自分は、大人になり損ねた子供なのかもしれない。
優樹は短くなった煙草の火を消し、大きく息を吐く。
そして緑茶を一口飲んで、誠を見据える。
「彼方も、そろそろ仕事始めて一ヶ月くらいだろ?
一ヶ月って言ったらさ、仕事も慣れて、余裕が出てくるころだ。
だからこそ、迷いが出てくる時期だ。」
真面目な大人の顔で、優樹は言う。
優樹は無邪気な子供のように見えて、誰よりも大人だ。
それは年齢だけじゃない。考え方もしっかりしている。
「迷い?」
誠が聞き返すと、優樹はしっかりと頷いた。
優樹はよく周りを見ていると思う。
自分が『他人事だ』と、知らないフリをして、背を向けたことでさえ、
優樹は気付いて、自ら歩み寄り、話を聞き、解決しようとする。
こう見えて、優樹は人の感情の些細な動きに敏感だ。
「ああ。誰だって夜の仕事始めた時は、悩むだろ。
『なんでこんなことしてるんだろう』って、
慣れてきたら、『いつまでこんなこと続けるんだろう』って。」
確かに、夜の仕事なんて、不安定だ。
先が見えないし、いつまでも続けられるわけではない。
ただただ、忙しい毎日の繰り返し。未来なんて、見えやしない。
どんどん普通の世界から、切り離されている錯覚さえする。
「優樹君も?」
「まーな。」
「そんな素振り、全然なかったじゃん。」
自分がいつも見てるのは、気丈に笑う優樹ばかりだ。
優樹が迷ったり、悩んだりする姿を、見たことがない。
強気で無邪気で、頭が冴えて、しっかりとしている大人。
優樹は自分の弱い部分を、人に見せない。
「当たり前だろ。そんなカッコ悪い姿見せたくねーもん。
それに、俺がウダウダ悩んでたら、お前らが不安になるだろ。」
そう言って、優樹はまた一本、煙草を咥える。
火を点けて紫煙が揺らめくと、いつものキラキラとした笑顔を見せる。
「俺は、『みんなのお父さん』だからな。」
ほら今も、強気に笑っている。
誰よりも苦労しているはずなのに、そんな素振りを微塵も見せない。
見せないんじゃない。見せられないのだ。
誰からも頼りにされるからこそ、誰にも頼れないのだ。
「…お父さんは大変だな。」
そう言って、冗談めかして大袈裟に肩を竦めてみる。
「誠だって、『みんなのお兄ちゃん』だろー?」
優樹はケラケラと無邪気に笑う。
この男は『家族ごっこ』にこだわる。
それはきっと、早くに家族を亡くしているせいだろう。
優樹がみんなのお父さん。自分がみんなのお兄ちゃん。
彼方がみんなの弟で、京子は優樹の娘。
亡くした家族の代わりに、優樹はこの偽りの家族関係を、大事にしている。
強がっていたって、弱さを見せなくたって、優樹も寂しいのだろう。
寂しさを埋めるために、他人に愛情を与える。
それが優樹の居場所の作り方。自分とは全然違う、綺麗なやり方。
「でも、お前は彼方のこと、苦手みたいだな。」
紫煙を吐き出しながら、優樹は呟く。
相変わらず、鋭い。
「…そんなに、わかりやすかったか?」
本当に人のことをよく見ていると思う。
確かに彼方のことは気に入らないが、
それを匂わせるようなことを言ったことはなかったし、
営業用の『みんなのお兄ちゃん』の仮面を被って、
態度に出しているつもりもなかった。
ちゃんと隠せているつもりだった。
「いや、なんとなく。彼方にはバレてないんじゃね?」
優樹がそう言うなら、安心だ。
優樹以外には、気づかれてはいないだろう。
誠は灰皿に煙草を押し付けて、煙草の火を消す。
そして、少し考える。
このタイミングで、言うべきか、言わないべきか。
自分は知っている。彼方が嘘を吐いていることを。
けれど、言ってしまったら、面倒事になりそうだし、優樹を悩ませる。
きっと誰にも悩む姿なんて見せずに、一人きりで。
だったら、言わない方がいい。
「…アイツ、胡散臭いだろ。」
そうだ、適当に誤魔化そう。
胡散臭いから気に入らない、それでいい。
それ以上は、言う必要はない。
しかし、優樹は小さく微笑んだ。
「まあ、なんか隠してるだろうな。」
そう言って、優樹は咥えた煙草の煙を吸い込む。
驚いた。優樹も怪しいと思っていたのか。
誰のことも疑わない男だと思っていたのに。
「でも、それはしゃーないじゃん?
誰にだって、人に言えないことの一つや二つあるものだし。
お前だって、ヤンキーやってたこと、みんなに黙ってるだろ?」
紫煙を吐き出しながら、優樹は笑う。
「それは…まあ、そうだけど。」
昔、自分がやんちゃしていたことを、隠しているつもりはない。言わないだけだ。
言ったところで、どうにかなるわけでもないし、昔のことだ。
若気の至りだったんだ。今更になって、言う必要はない。
「だろー?彼方にだって、言えないことくらいあるさ。
女のことだって、隠してるみたいだったけどな。アイツ、バレバレだっつーの。」
軽い調子で、優樹はケラケラと笑う。
彼方が隠しているのは、そんなことじゃないのに。
けれど、誠は黙っていることを決めた。
どうせ、あと一週間くらいで九月になる。
そうすれば、彼方はいなくなる。
ならば、波風を立てる必要はない。
「さっすが。みんなのお父さん。」
「まーな。お前らは、俺の息子みたいなもんだからな。」
『家族ごっこ』であったとしても、優樹はこの関係を大事にしている。
この関係を守るために、優樹は頼れる男であり続ける。
こうして自分の居場所を守っている。強い、男。
「それに、俺は自分を頼ってくれる奴を、見捨てたりしねえよ。」
そう言って、優樹は強気な瞳で笑った。




