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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「椅子取りゲーム」

登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向の恋人。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 彼方と同じ優樹の店で働く従業員。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。


「椅子取りゲーム」




その日の日向は、元気がなかった。


いつものように、日向はバイトが終わったら、

学校の近くの駅まで、自分を迎えに来てくれる。

そしてどちらかともなく手を繋ぎ、日向の家までの距離を歩く。


しかし、その日の日向は、いつも以上に無口だった。

落ち込んでいるというよりも、どこか上の空のような様子で、

何かを考えるかのように、ぼーっとしていた。

そして、時折どこか遠くを見つめたまま、辛そうな顔をして、

ぎゅっと、いつもより少し力強く、手を握った。


日向の家に着いて、隣り合ってソファーに座り、

手を繋いだまま、何をするわけでもなく、テレビを見て過ごす。

静かな時間を共有するのが、二人の日課だった。


けれど、日向はテレビを見つめているのか、どこか別のところを見ているのか、

その視線は遠くにあるように見えた。

繋いだ手は力強くて、まるで自分の存在を確かめているかのようだった。


日向はわかりやすい。隠し事ができない人だ。

何か悲しいことや、辛いことがあれば、口を噤む。

誰にも言わず、だた黙って独りで抱え込む。

それが日向の悪い癖だと、百合はわかっていて、何も聞けなかった。

支えてあげたいと、守りたいと、そう思っていても、

日向は、その心の内を見せようとはしない。

無理に聞き出そうとすれば、その脆く儚い心が壊れてしまいそうで、怖かった。


ふいに、その遠くを見つめる長い睫毛が揺れたと思えば、日向は静かに百合を抱きしめた。

肩口に顔を埋めて、愛おしそうに背中に手を回す。

短くなった髪が、チクチクと肌を掠めた。


「百合…好きだよ。…百合が一番、好きだよ。」


その声は、縋るような声だった。


―何かあったんですか?

百合は、そう問いたい気持ちを押し込める。

余計な詮索は、日向を戸惑わせるだけだ。


「私も、日向先輩のことが、一番大好きですよ。」


そう言って、日向の背中に手を回す。


最初は猫のようだと思った。

素っ気なくて、あまり構われるのが好きじゃなくて、気まぐれ。

けれど、日向のことを知っていくうちに、全く真逆であることに気付いた。

素っ気ないのは、言葉が不器用だから。

構われるのが好きじゃないのではなくて、上手く甘えられないだけ。

気まぐれなんてことはなくて、ただ言葉にする勇気がないだけ。

誰よりも孤独を怖がるのに、傷付くことが怖いから、独りになりたがる不器用な人。


しかし、それも、将悟の家に泊まったあの夜から変わった。

日向本人が「変わりたい」と、そう望んだ。

こうやって、甘えるように、日向から抱きしめることも多くなった。

照れながらも、自分の気持ちを素直に伝えることも多くなった。

百合は日向に求められることが、嬉しかった。


けれど、今日の日向は、何かが少し違った。


「…あのさ、今日…泊まらない…?」


日向は、躊躇いがちに、甘えた声を洩らす。

肩口に顔を埋めたままで、表情は見えない。


「え?いいんですか?」


百合は日向の言葉に、嬉しく思いながらも、少し戸惑った。

日向からそんなことを言うのが、意外だったからだ。

いつもは、帰り際に名残惜しくなっても、

「ちゃんと待っててくれる人がいるんだから帰らないと駄目だ」とか、

「女の子が遅くまで出かけるのはよくない」と、寂しそうな顔で口に出すのに。

今日はどうしたのだろう。


「うん。…まだ、一緒にいたい…。」


先程よりもギュッと、強く抱きしめられる。

甘える子供のような仕草に、百合は少し戸惑いつつ、

日向が『まだ傍にいたい』と、言ってくれることが嬉しかった。

けれど、そんな珍しいことを言うのは、やっぱり日向に何かあったからだろう。

聞きたい。けれど、困らせたくない。

百合は無理に聞き出そうはせずに、日向から話してくれるのを待とうと思った。



それから、いつものように一緒にスーパーに行って夕飯の買い出しをした。

「今晩のメニューを何にしようか」と、スーパーの中でうろうろ悩みながら、

「簡単なものにしよう」という日向の提案で、豚のしょうが焼きに決まった。

材料を買って、家に帰って一緒に調理をする。

不器用な自分の包丁捌きを、日向はチラチラと心配そうに見つめて、

そのころには、落ち込んだ様子ではなくなっていた。


料理慣れしていない自分と違って、

日向は手際よく、豚のしょうが焼きの下ごしらえをしながら、

付け合わせのサラダ、大根の煮物、味噌汁を、慣れた手つきで器用に作り上げる。


日向の家庭事情を知った時に気付いたのは、

日向は「料理が好き」とか「料理が趣味」というわけではなく、

ただ、彼方と二人で生きる術として「料理が得意」になったのだ。

家に帰らない母親の代わりに、毎日二人の食事を作っていたのだから、

料理慣れしているのも、手際がいいのも、当然だろう。


出来上がった夕食を食べながら、

たまたまテレビを付けたらやっていたクイズ番組を見た。

常識問題から四文字熟語や難解な問題などいろいろあって、

二人であーでもない、こーでもない、と、そのクイズ番組に夢中になった。

意外と日向は、難しい漢字や、問題を、涼しい顔で答えていた。

日向曰く「成績はそんなによくないけど、こういうのは本で読んだことがある」らしい。

そういえば、図書室ではいつも本を読んでいた。

「本が好きなんですか?」と問えば、「そんなわけじゃない。ただの、暇つぶし」と答えた。


百合が最初に見た日向は、どこか寂しい人だった。

どうしてそう思ったのかと問われれば、それは答えに困る。

図書委員会の仕事で、一人でカウンターに座っていた日向は、

ニコリとも笑わず、ただ事務的に返却や貸し出し作業をしていた。

暇があれば本を開き、視線を上げることは、ほとんどなかった。

最初に本の貸し出しをしてもらうために声を掛けた時、

目も合わせない素っ気なさに、少し怖い印象を受けた。

けれど、長い睫毛の先の、伏し目がちの瞳が、何故か妙に気になった。

「この人は何を見ているんだろう」

「どこか自分と違う世界を生きている気がする」

そう思ったのを覚えている。


今思えば、こんな家庭環境のせいだと納得できる。

頼れる人もいなくて、甘えられる人もいなくて、

彼方とたった二人きりで生きてきた、

子供なのに、子供でいられなかった子供。


一つ、一つと日向のことを知るたびに、

自分は、日向の手を離してはいけない。

傍にいなくてはならないと、そう思った。

そんな日向を、たくさん甘やかしたい。たくさん満たしてあげたい。

幸せだと、感じられるようにしてあげたいと思っていた。


夕食を終えて、食器を片付けて、テレビを見ながらだらだらして過ごした。

時折、日向は愛しそうに自分を抱きしめて、切ない溜息を洩らす。

その溜息の意味を、百合は聞けずにいた。


時間も遅くなり、そろそろ寝る準備をしようと、シャワーを借りた。

着替えは日向がTシャツとハーフパンツを貸してくれた。

シャワーを終えて、体を拭いて日向のTシャツに袖を通すと、

思った以上に体格が違いすぎて、大きすぎるくらいだった。

日向は男子の中で特別に背が高いわけでも、体格がいいわけでもない。

けれど、貸してもらったTシャツは、襟元もぶかぶかで肩が出てしまうし、

裾が太ももの真ん中くらいにまでかかって、まるでワンピースを着ているかのようだった。

「ハーフパンツは必要ないか」そう思って、そのままリビングに戻ると、日向は驚いた顔をした。

頬を少し赤くして、目を逸らしながら、「ちゃんと服着て…」と消え入りそうな声を洩らした。

そんなこと言われてもハーフパンツのウエストはぶかぶかだし、

例え着たとしても、すぐにずり落ちてしまう。

そう告げると、日向は「ちょっと待ってて」と言って奥の部屋へ行った。


日向は過保護だ。

まるで年頃の娘を持つ父親のようなことを言う。

いや、たまに自分の父親より、父親っぽいことを言うと思う。

「人前でそんなに肌を出すな」とか「あまり短いスカートを履くな」とか。

ソファーに座っていても、さりげなくブランケットを膝に掛けてくれる。

そんな日向に、過保護だと思いつつ、ああ、大事にされているんだな、と嬉しくなる。


けれど、恋人同士なんだから、そんなに気にしなくてもいいと思う。

胸元の開いたキャミソールも、ふわふわのミニスカートも、

日向に可愛いと思ってほしいから、着ているのに。

もっと見てくれてもいいのに、とは思っているけれど、口には出さない。

いや、恥ずかしくて、そんなこと言えない。


しばらくして、日向がリビングに戻ってくる。

手には、綺麗に畳まれた服を持っていた。


「俺の中学の頃の服だけど…。」


そう言って差し出された服は、仄かに湿っていて、消臭剤の香りがした。

きっと、箪笥の奥の奥からひっぱり出して、慌てて消臭剤でもかけたのだろう。

几帳面な日向らしい。


その服を受け取って、脱衣所に戻って着替える。

まだ少し大きいけれど、先程よりは様になったと思う。

百合が着替え終えてリビングに戻ると、日向は百合の姿に、安心したような顔をした。

そして、入れ替わるように、日向もシャワーを浴びに風呂場へ行ってしまった。


そういえば、さっきまでのぶかぶかのTシャツも、今着ているTシャツも、半袖だった。

制服でも、私服でも、常に長袖の服しか着ない日向が、

半袖の服も持っていることに、百合は驚いた。

日向の腕や体に付けられた、無数の痣と傷。

その傷だらけの体を隠すために、学校でも、外でも、

自分の前ですら、長袖を脱ぐことも、肌を晒すこともない。

けれど、多分、彼方の前でだけは、隠すことなんてしないのだろう。


噛み跡と共に、ほのかにチラつく彼方の影。

日向にとって、彼方は、かけがえのない存在であることは、わかっている。

人間にとって、大切なものが一つだけとは限らないことも、わかっている。

それでも、自分だけを見ていてくれたらいいのに、とも思ってしまう。

そんなことを言ったら、日向を困らせてしまうのに。


―なんだか、彼方と日向のことを取り合っているみたいだ。


そんなことを思う。

彼方は日向の双子の弟で、

自分は日向の彼女であることは、覆りようがない事実なのに。

日向だって、自分のことを大切にしてくれている。

双子の弟に嫉妬するなんて、馬鹿みたいだと思うのに。

自分は日向の傍にいるけれど、日向の一番近くにいたのは彼方だ。

日向が一番大切だと思っているのは、自分と彼方、どっちだろう。


そんなことを考えながら、百合はリビングで日向がシャワーを終えるのを待っていた。

よくリビングを見渡せば、部屋の中にはあまり物がないことに気付く。

年頃の男の子なのだから、漫画やゲーム、プラモデルや趣味のものくらい、あってもいいのに。

話を聞いてある限り、日向に趣味らしい趣味はないことは知ってるけれど、

この家には家具や家電、服など、生活できるだけの必要最低限のものしかなかった。

この部屋で、日向はどうやって育ったのか。

彼方がいない今、どうやって一人で過ごしているのか。


なんて思っていると、日向がシャワーを終えてリビングに戻ってくる。

まだ髪は仄かに湿っていて、石鹸のいい香りがした。

着替えた服も、やはり長袖で、肌を隠していた。

やっぱり自分には、見せないのか。



夜も更けてきて、そろそろ寝ようということで、日向の部屋に案内された。

いつもはリビングで過ごしていたし、日向の部屋に入るのは初めてだった。

案内された部屋も、あまり物がなく、がらんとしていた。

綺麗に片付けられている、と言えば聞こえはいいが、クローゼットと箪笥、

小さな本棚、膝くらいの高さの小さな机と、シングルベッドが一つ。

とても年頃の男の子の部屋とは思えないほど、殺風景だった。


「日向先輩のお部屋ですか?」


わかりきっていることを聞く。

それ以外に、誰の部屋だというのだ。

けれど、この寂しい部屋を見たら、そう聞くしかできなかった。


「うん。俺と…彼方の部屋。」


そう言って、日向は表情を曇らせる。

寂しそうに、切なそうに長い睫毛を揺らした。

よく見れば、壁の縁には、制服の学ランが二着掛けられていた。

日向のものと、おそらく彼方のものだろう。


「ここで、ずっと一緒に眠っていたんだ。」


日向はベッドに腰掛けて、切なそうに布団をなぞった。


「一緒に?」


どう見たってシングルベッドだ。

男子高校生が二人で眠れる広さではない。

こんな狭いベッドで、二人は身を寄せ合って眠っていたのか。

幼いころからずっと、変わることなく、二人きりで眠っていたのか。


「うん。彼方は寝相が悪いから、ベッドから落ちないように俺がこっち側。

 まあ…彼方が寝返り打って、何回か落とされたことはあるけど。」


思い出すように、日向は切なそうに笑う。

こっち側、と言うのは、壁側ではなく、その反対。

彼方がベッドから落ちないように、日向が壁になっていたのだろう。


百合は部屋の真ん中で立ち尽くしたまま、日向の話を聞いていた。


「最近さ、…一人で眠るのが、怖くて…。」


日向は目を伏せて、小さく呟く。


「怖い?」


「眠る時も、目が覚めた時も、『ああ、独りなんだな』って、…思って。」


夏休みが始まってから、彼方はアルバイトでこの町を離れていると聞く。

それ以前からも、日向を避けるようになったと聞いた。

そういえば、電車の中で会った彼方は、少し変わった気がした。

髪を切ったからではない。染めたからではない。

何かが、根本的に違った。

それが何かと聞かれれば、答えに困るのだけれど。


「日向先輩は独りじゃないですよ。私がいます。」


そう言って、百合は日向の隣に腰掛ける。

ぎゅっと、ベッドを撫でる日向の手を握れば、日向の顔が綻んだ。


寂しがり、怖がりなこの人は、誰よりも人の体温を求めている。

人に受け入れられることを、望まれることを願っている。

すぐに凍えそうになる心を、温めてあげないと。


長い睫毛が上がったと思えば、そっと日向に抱きしめられる。

体温を感じながら、日向は百合の長い髪を梳いて、愛おしそうに指で遊ぶ。


「同じシャンプーの匂い…。」


肩口に顔を埋めて、日向は切なそうな溜息を漏らす。

こうして触れ合うことが、日向は好きみたいだ。

自分の小さな肩に寄り掛かるように凭れて、甘えるように温もりを貪る。

そんな日向の、自分だけに見せる子供のような姿が、好きだった。


すっかり短くなった髪の隙間から覗く日向の首筋には、

自分が付けた赤い印が、未だ色濃く残っていた。

それはまるで、首輪のように日向を縛るもののようで、百合は優越感に浸る。


この人は自分のもの。他の誰のものでもない。

手を繋ぐのも、こうして触れ合うのも、照れながら甘えてくるのも、自分だけだ。

弱くて、脆くて、繊細で綺麗な日向は、自分だけの恋人だ。


百合は満足げな笑みを浮かべて、日向の首筋の印を指でなぞる。

一つ、二つ、三つ…無数の印を、確かめるように数える。


「くすぐったい。」


日向は肩を震わせて、顔を上げる。

くすぐったいと言いながらも、その表情は嬉しそうだった。


「えへへ。だって、日向先輩は私のもの、っていう印ですもん。」


そう言って微笑む百合は、日向の首筋をなぞる手を止めなかった。

日焼け一つしていない、滑らかな白肌に咲いた、赤い花。


こんなに綺麗な肌を傷をつけるなんて、どうしてそんなことができるのだろう。

日向の母親は、日向のことを愛してはいないのだろうか。

親は無条件に、自分の子供を大切にするものではないのか。

そんな当たり前な愛情ですら、日向には与えられないのか。

ずっと愛情を与えられることもなく、ほったらかしにされて、

たまに母親が帰ってきたかと思えば、暴力を振るわれるなんて、可哀想な人だと思う。

しかし、これが同情かどうかも、わからない。

けれど、自分と日向は、性格も趣味も、育ってきた環境も、何もかもが違いすぎる。

だからこそ、惹かれたのだ。


赤い印から視線を上げると、日向は切なそうな瞳で自分を見つめていた。


「…ね、俺も痕つけたい…。」


そう言って、百合の肩に手を添える。

日向の角張った指が、少し不安そうに震えた。

痛いほどに自分を見つめる日向に、百合は戸惑った。


「え…?」


いつもの少年の顔ではない。切なそうに情欲に染まった男の顔。

それが何故か、あの日の彼方に重なって―鳥肌が立った。


「…いや…っ!!」


百合は、日向を拒絶するように、突き飛ばした。

無意識だった。反射的だった。

日向を拒む理由なんか、ないのに。


日向は明らかに傷付いた顔をして、百合の肩から手を離す。

そして、辛そうに瞳を揺らして、目を伏せた。


「…そっか。ごめん。」


日向の残念そうな小さな声に、すぐに後悔が押し寄せる。

日向を拒みたくなんか、ないのに。

傷付けるつもりも、なかったのに。

どうしてこんなことをしてしまったのか、罪悪感でいっぱいになった。

なんで今更、彼方に乱暴されたことを思い出したのか。

なんで、今。


「あ…。ご…ごめんなさい…。」


百合は慌てて、隣で目を伏せる日向に声を掛ける。

日向は肩を落として、少し背中を丸めて俯いていた。


「ううん。…百合の嫌がることはしないよ。」


小さな声を洩らして、日向は膝の上で手を組んで、額を押し付ける。

綺麗な黒髪の隙間から見えた表情は、泣きそうだった。


「俺さ…、百合に嫌われるのが…一番怖い…。」


日向は辛そうに自分の手をぎゅっと握って、眉を寄せて、唇を噛む。

そんな顔を、させたかったわけじゃないのに。

孤独から守ってあげたいと思っていたのに。

日向には、幸せそうな顔で笑っていてほしいのに。


「あ、あの…嫌だったわけじゃなくて…その…」


百合は必死で言葉を探す。

『彼方と重なって見えて、怖くなった』なんて、言えるわけがない。

そんなことを言ったら、更に日向を傷つけるだけだ。

けれど、上手い言葉が思いつかない。

言い訳がましい言葉を並べても、きっと日向の不安は拭えない。

下手な言い訳を並べても、きっとモヤモヤと日向の心に残るだろう。


言いかけた百合の口は、何も紡げず、俯いて押し黙ってしまう。


「…彼方のこと、…思い出した?」


百合が何も言えないままでいると、躊躇いがちに、日向が口を開いた。

視線を向けると、チラリと窺うように、日向は横目で百合を見ていた。


「え…えっと…。」


どうしてわかってしまったのだろう。

自分では『平気だ』『大丈夫だ』と思っていたのに。

亮太や将悟にも、そう言えたのに。

それの言葉は、自分でも気付けなかった『強がり』で、

案外、心の奥底に嫌な記憶として残っていたのか。


日向と彼方は、全然違う。

双子なだけあって、やはり顔は似ているけれど、日向は日向で、彼方は彼方だ。

自分は日向のことが好きで、日向のためなら、なんだってしてあげたいのに。

日向を拒絶するなんて、とんでもないのに。

どうして重ねてしまったのだろう。重なってしまったのだろう。


下手に隠すのはよくない。隠し事もしたくない。嘘なんて吐きたくない。

百合は唇を噛んで、小さく頷いた。


自分を見つめる日向の長い睫毛が揺れたかと思えば、日向は顔を上げた。

そして、眉を下げて辛そうな顔のまま、真っ直ぐに百合を見つめる。


「…あの時は、何も知らなくて、…守ってあげられなくて、ごめん。」


日向の方が辛いはずなのに、日向は泣きそうな顔をしながら、自分に頭を下げる。

日向も、あの時のことを、気に病んでくれるのか。

気付けなかった、守れなかった自分を責めているのか。

日向が悪いわけじゃないのに。

日向じゃないと気付けなかった自分が、馬鹿だっただけなのに。

日向はこんな自分のために心を痛めてくれる、繊細で、優しい人。


「日向先輩…。」


愛しい。触れたい。抱きしめてほしい。

百合は手を広げて、日向を見上げる。

上手い言葉が見つからないのなら、抱きしめて好きだと伝えたい。

日向の体温で、全部塗り替えてほしい。


けれど日向は、触れていいのかわからず、迷っているようだった。

また拒絶されるのではないかと、怖がっているのだろう。


「ぎゅって…してください。」


その言葉に、日向は躊躇いがちに、百合に手を伸ばす。その手は少し震えていた。

そしてまるでガラス細工でも扱うように、優しい手付きで百合を抱きしめた。


「俺…ちゃんと百合の事、大切にするよ。だから…ずっと傍にいてほしい。

 何もしないから…何もしなくていいから…傍に置いて。」


耳元で聞こえる声が切なくて、百合は日向の背中に手を回す。

例え何があったとしても、絶対に離さないように、ぎゅっと力強く抱きしめた。


触れる体温が心地よかった。

縋るように、自分を抱きしめる日向の震えた手が、愛おしかった。

怖がりなこの人を、守らなきゃいけないと思った。

どんな日向でも、受け止めたいと思った。

自分だけが、日向を理解してあげたいと思った。

なんでもしてあげたい。なんでも言ってあげたい。

どんな我儘でも、叶えてあげたいとさえ思った。


「何しても、いいんですよ。」


ポツリと、小さな声を洩らすと、日向は百合を一層強く抱きしめた。


「…こうしてるだけでいい。」



自分より大きい、けれど小さな子供のような日向の背中。

百合はこの脆い背中を、大切に大切に、守りたいと思った。


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