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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「変わる覚悟」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向の恋人。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 彼方と同じ優樹の店で働く従業員。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。



「変わる覚悟」




「指、切るなよ?」


日向は、心配そうに百合の手元を見つめる。


「もーっ!そんなに不器用じゃないですー!」


百合は少し拗ねたように、頬を膨らませた。


日向と百合は、将悟の家の台所で朝食の準備をしていた。

泊めてもらっているお礼に、と言うと、将悟の祖母は快く台所を貸してくれた。

将悟の広い家は静かで、まだ誰も起きてきていないようだった。


台所には日向の軽快なリズムで刻む包丁の音と、

おそるおそる不器用にじゃがいもの皮を剥く、百合の可愛らしい唸り声が響いていた。


「日向君、裏の畑で茄子を取ってきたの。よかったら使ってね。」


振り返れば、将悟の祖母が、籠にたくさんの茄子を乗せて、ニコニコと立っていた。


「有難う御座います。」


日向は祖母から茄子を受け取り、礼を言う。

大きさも形も不揃いな茄子。

いかにも家庭菜園で作った野菜という感じだ。


将悟の祖母は、優しい人だった。

柔らかい物腰で、ニコニコとしていて、可愛いおばあちゃんという印象だ。

ある程度の日向の事情は、将悟から聞いているのか、日向には何も聞かず、

「気を使わないで、ゆっくりしていきなさい」と言ってくれた。


「わあ!何にするんですかー?」


百合は日向が受け取った茄子を見て、目をキラキラと輝かせる。

人数も多いし、亮太はよく食べるし、食材が増えるのは有難かった。


「煮びたしにでもするか。」


日向はそう言って、微笑む。

百合は少し不器用だから、簡単な料理の方がいいだろう。

いくら不器用な百合でも、茄子くらい切れるはずだ。


調理に取り掛かると、ふいに台所の扉が開く。

現れたのは、将悟だった。

足元に三匹の猫を連れて、将悟は台所に入ってくる。


「おはよ…って…っ!?」


言いかけた将悟は、日向を見て、絶句する。

そして、気まずそうに、目を逸らした。

その後ろから、大きな欠伸をしながら誠も顔を覗かせた。


「どーしたの?将君…」


そう言いながら、誠も日向を見て、一瞬唖然としたが、

すぐにニヤニヤと笑って、茶化すように言った。


「昨晩はお楽しみでしたね!」


「…え?」


日向は言われた意味がわからず、首を傾げる。

百合は日向の隣で、口元を手で覆って、笑いを堪えているようだった。

将悟の祖母も、相変わらずニコニコと微笑んでいた。


「お前…ちゃんと鏡見たか…?」


将悟は呆れたように、ため息を吐く。


寝ぐせでもついているだろうか。

いや、顔を洗う時に鏡を見たけれど、寝ぐせなんてなかった。


「鏡?」


不思議そうに首を傾げる日向に、将悟は目を逸らしたまま小さく呟いた。


「いいから、洗面所行って鏡見て来い…。」




そう将悟に促されて、日向は洗面所に向かう。

百合も後ろからニコニコしたまま、ついてきた。


みんな何故ニヤニヤとしていたのだろう。

茶化すように言った、誠の言葉の意味は何だろう。


そう思いながら、日向は洗面所に入る。

そして、鏡を見て、日向は絶句した。


「…百合。」


チラリと、後ろで微笑む百合を見る。

日向の首筋には、百合が残した赤いキスマークが、たくさんついていた。


「えへへー。日向先輩が、もっと、って言ったんですよー?」


百合は悪びれる様子もなく、首を傾げて微笑む。

そんなに幸せそうな笑顔をされると、怒るのも、呆れるのも、馬鹿らしくなる。

確かに「もっと」と、言ってしまったのは自分だし、

結局、日向は百合の笑顔に、絆されてしまう。


「なんか…恥ずかしいだろ…。」


日向は小さくため息を吐いて、両手で首元を覆って、キスマークを隠す。


どうして顔を洗ったときに、気付かなかったのだろう。

将悟や、誠や、将悟の祖母にまで、このキスマークを見られてしまった。

しかも、百合と一緒に眠った次の日、というのが、余計に生々しい。

いかがわしいことなんて、一切していないけれど、

あの誠のニヤケ面と、将悟の気まずそうな顔は、確実に勘違いされたと思う。


「そーゆーのは、ちゃんと隠しとけ。」


そう言って、将悟は洗面所を覗いて、日向にタオルを投げ渡す。

これを首に巻いて、キスマークを隠せと言うのだろう。

当然だ。こんな生々しいもの、恥ずかしくてみんなには見せられない。

それに、亮太に見つかれば、うるさく問いただされるだろう。


日向はため息を吐いて、首にタオルを巻くことにした。





朝食は賑やかなものだった。

日向と百合、将悟、誠、亮太、真紀、

そして、将悟の祖母も一緒に、食卓を囲んだ。

少し腫れた頬も、頬の傷跡も、首に巻いたタオルにも、

亮太は少し不思議そうな表情をしたが、何も言わないでいてくれた。


「ええっ!?これ日向が作ったのか!?」


「すごっ!女子力やばー!」


並べられた朝食に、驚きを隠せない亮太と真紀。

テーブルの上には、焼き魚に卵焼き、ポテトサラダ、

茄子の煮びたし、そして味噌汁。

日向が作り慣れた、ごく一般的な日本人の朝食だった。


「私も手伝いましたよ!」


百合はそう言って、誇らしげに胸を張る。


「あー、でも茄子の切込み雑!包丁下手だなあ!」


亮太は笑いながら、茄子の煮びたしをつつく。


「ホント、私の方が上手ね。」


真紀も、少し雑な切込みの茄子を眺めて、鼻で笑う。


「お前ら、作ってもらっておいて、文句言うなよ。」


将悟は粗を探す二人をたしなめるように、呆れた口調で言う。


「見た目はちょっとアレだけど、美味しいよねー。」


誠は、もうすでに食べ始めていた。


「やっぱ男の料理って感じだよなー。」


亮太は悪びれる様子もなく、そう言って、乱雑に切られた茄子を口に入れる。

味付けは日向がやったのだから、問題ないだろう。

けれど、みんなが笑う、その切込みを入れたのは、日向じゃない。


「…それ、百合が切ったんだ。」


「…え?」


ボソッと日向が呟くと、亮太はマヌケに口をポカンと開けた。

この少し雑な茄子の切込みを、まさか百合がやったなんて、

思ってもいなかったのだろう。


「…もう、坂野先輩なんて知らないですー。」


百合は日向の隣で、拗ねたように頬を膨らませて、そっぽを向く。


「ごめん!百合ちゃん~!」


両手を合わせて、必死に頭を下げる亮太。

それを見て、亮太の隣で、真紀は口元を手で覆って、笑いを堪えていた。


「ふん、いいですよーっだ。私には日向先輩がいますもん。

 日向先輩はお料理も上手だし、カッコよくて、優しいんですよ!」


百合は頬を膨らませたまま、隣にいる日向の腕にしがみつく。

その仕草が、やけに可愛らしくて、嬉しいけれど、

みんなの前では、少し恥ずかしかった。


「百合…。」


日向は照れて、百合の手を剥がそうとする。

けれど、百合は離れてはくれなかった。


「ちょっと…こんなところで惚気ないでよ…。」


日向にしがみつく百合を見て、真紀は頬杖をついて、ため息を吐く。

それでも百合は、嬉しそうに日向の腕にしがみついていた。


「日向君のココには、百合ちゃんのキスマークがいっぱいあるもんね~。」


自分の首筋を指さして、誠は茶化すように笑う。

首に巻いたタオルの下に隠した、百合の唇の痕。


「ええっ!?まじで!?」


亮太は驚いたように、口をポカンと開ける。

真紀も亮太の隣で、言葉を無くしていた。


「ちょっ…!誠さん…飯時に、そんな話しないでください…。」


将悟は慌てて、誠を制止しようとする。

けれど、誠は意地悪な笑みで、楽しそうに言葉を続ける。


「ホントのことだもんねー?」


照れて、恥ずかしそうに俯いている日向と、

ニコニコと微笑む百合を見つめて、誠は茶化すように、首を傾げる。


「ねー。」


百合は照れる様子もなく、誠に同調するように、首を傾げた。

肯定するような百合の仕草に、みんなの視線が、日向へと集まる。

その視線に、日向は何も言えず俯いたまま、さらに視線を落とす。


「日向…大人になったな…。」


亮太は、わざとらしくしみじみと呟く。


「…もう、やめてくれ…。」


日向は恥ずかしさで赤くなった顔を両手で覆って、小さく呟いた。




それから、みんなでいろんなことをした。

猫達と遊んだり、夏らしくスイカ割りをしたりした。

そして、みんなで昼食にカレーを作った。


日向の料理慣れした包丁捌きにみんなが驚き、

亮太の大胆で、不器用すぎる包丁捌きをみんなで笑って、

百合の危うすぎる皮むきに、みんなで肝を冷やした。

そんな二人にため息を吐きながら、

丁寧に包丁を教える真紀の、意外と面倒見がいい一面を知った。

将悟は、「指を切るのが怖い」と言って、一度も包丁に触れなかった。

ギターを弾く繊細な指を、傷つけたくなかったのだろう。

誠は、ただニコニコと猫を抱えて、みんなが料理をする様子を眺めていた。


出来上がったカレーは、野菜の大きさも形もバラバラで、不格好なものだった。

それでも、みんなではしゃぎながら、騒ぎながら、作ったカレーは美味しかった。

久しぶりに、賑やかで楽しい時間を過ごしたと思う。



けれど、そんな楽しい時間は過ぎるのが早かった。

夕日が照らし始める頃になると、亮太と真紀は家に帰ってしまった。

百合も、家に帰さなければいけない。


百合を駅まで送る道中は、ずっと手を繋いでいた。

一緒に一晩過ごした後だと、離れるのがとても名残惜しい。

繋いだ手を離したら、また百合が離れていってしまうのではないかと、不安になる。

駅のホームで電車を待つ間、このまま時間が止まってしまえばいい、とさえ思った。


百合は日向の少し切なそうな表情に気付いたのか、

繋いだ手を引いて、上目づかいで日向を見上げて、首を傾げる。


「日向先輩、ちょっと、しゃがんでください。」


その言葉に、日向は意味がわからずに、不思議そうな顔をした。

けれど、素直に膝を曲げて、少し腰を屈めて、百合と目線を合わせる。

百合は満足そうに日向を真っ直ぐに見つめて、日向の肩にそっと、手を添える。

そして、つま先を伸ばして、日向の頬に、軽くキスをした。


柔らかい百合の唇が、日向の頬に触れる。


「百合…こんなところで…」


日向は百合にキスされた頬を手で押さえて、顔を赤らめる。

いくら駅のホームには誰もいないとはいえ、ここは外だ。

誰に見られるかもわからないし、少し、恥ずかしい。


「えへへ。いいじゃないですかー。」


そう言って、百合はニッコリと微笑む。

その柔らかい笑顔が、好きだった。


「…恥ずかしいだろ。」


日向は照れて、顔を背ける。

すると、百合は小さな声で呟いた。


「…日向先輩が、寂しそうな顔をしてたから。」


「え…?」


日向の不安を感じたのか、百合は真っ直ぐな瞳で日向を見つめる。

その瞳は力強くて、不安なんて簡単に、溶かしてしまうほどだった。


変わりたいと言ったばかりなのに、

些細なことで不安になる自分に、少し恥ずかしくなる。

そんな自分に、百合はいつだって、優しく微笑んでくれる。


百合に気を使わせないように、不安にさせないように、

言葉だけではなく、ちゃんと強くなりたいと、日向は思った。


「大丈夫ですよ。みんな、日向先輩のこと、大事に思ってますよ。」


そう言って、百合はふわりと微笑んだ。






「俺も…家、帰るよ。」


百合を駅まで送って、将悟の家に帰ってきた日向は、白い子猫を撫でながら呟いた。


白い子猫のアンズは、腹を撫でる日向の手に、

気持ちよさそうに、首を伸ばして、首輪の鈴を鳴らし、小さく鳴き声を洩らした。

将悟より、誠より、何故かアンズは日向に懐いていた。

野良猫だった頃の孤独感が、日向と少し似ていたのだろう。


「…は?帰ってどうするんだよ…。」


日向の言葉に、将悟は驚いたように、怪訝そうな顔を日向に向ける。

俯いてアンズを見つめる日向の表情は、昨日までの暗いものではなかった。


「もう母親も、家にいないかもしれないし…」


強い決意に溢れた、真っ直ぐな瞳。

膝を抱えて、俯いて黙っていた昨日までとは違う。


「それに、俺はもう、大丈夫だよ。」


そう言って、顔を上げた日向は、小さく笑った。

その笑顔は、迷いなんてない、朗らかなものだった。


「…なんか変わったな、お前。」


将悟は、小さく微笑む日向をじーっと見つめて、呟く。


自分が知らなかっただけかもしれないが、日向は百合の前では、よく笑う。

いつもクールに澄ましていると思っていたが、照れたり、恥ずかしがったり、

拗ねたり、困ったりと、意外と表情がコロコロ変わる。

そんな風に日向を変えたのは、きっと百合だ。


「そうか?」


日向は、自分を見つめる将悟に不思議そうな顔をして、首を傾げる。

そして、少し照れたように呟いた。


「…まあ、でも…百合のおかげ、かな。」


そう言って、眼を逸らして、恥ずかしそうに頬を掻く日向は、

すっかり暗い表情も消えて、スッキリとした顔だった。



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