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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「決意の朝」



登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向の恋人。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 彼方と同じ優樹の店で働く従業員。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。


「決意の朝」





「日向先輩、そろそろ起きないと。」


百合の声で、目が覚める。

窓からは、眩しいほどの朝日が降り注いでいた。


昨夜は夕方に少し眠ったせいか、百合の唇の感触に変な気分になったせいか、

なかなか寝付けず、遅くまで抱きしめた百合の寝顔を眺めていた。

百合の寝顔は、あどけなく無防備で可愛らしくて、

自分の隣で安心しきっている姿を見て、堪らなく嬉しくなった。


そんな百合は、日向に抱きしめられたまま、

眠そうな顔をした日向の頬を、指でつんつんとつつく。

日向は、まだ眠たい瞼を閉じ、うーんと低く唸って、百合を一層強く抱きしめる。


「…キスしてくれたら、起きる。」


百合が離れないように抱きしめて、日向は甘えるたような声を出す。

抱きしめた腕から伝わる優しい体温に、幸せを噛み締める。

日向は、こんな自分を受け止めてくれた百合が、愛おしくて仕方がなかった。


「もう、腕を解いてくれないと、キスできませんよ。」


ギュッと抱きしめられた百合は、身動きができずに、困った顔をする。

腕を解こうとしても、身をよじってみても、日向の唇には届かない。


「じゃあ、まだしばらくこのままだな。」


そう言って、必死にキスをしてくれようとする百合を抱きしめたまま、

日向は満足そうに微笑む。

そんな日向を見上げて、百合もまんざらでもないような笑顔を向ける。


「もー。日向先輩って、意外と甘えんぼですよね。」


百合はそう言って、日向の背中に手を回す。

ぎゅーっと抱きしめると、日向は幸せそうに、百合の額にキスをした。


隣に百合がいてくれることが、幸せすぎて、涙が出そうになる。

百合は、こんな自分の傍にいてくれる。

温かい笑顔で、抱きしめてくれる。

キスをして、好きだと言ってくれる。

真っ直ぐな瞳で、愛してくれる。


いつも自分は、救われてばかりだ。

自分だって、ちゃんと百合を守れるようになりたい。

もう二度と、百合を不安にさせたくない。

あの日のように、泣かせたくない。

そのためには、こんな弱いままじゃいられない。


ずっと、自分たちが守り続けた箱庭が、周りの環境が、

変わっていくことが怖かった。

彼方が変わっていくこと、自分が変わることが、怖かった。

けれど、日向は初めて、変わりたいと思った。

百合を大切にするために、強くなりたいと思った。


百合を抱きしめたまま、日向は百合の耳元で小さく囁く。


「百合、あのさ…俺、髪切ろうかな…。」


その言葉に、百合は驚いた。

以前、図書室で話した、

「髪を切ったら人は変わるか」という話を思い出す。

「髪を切ったから人が変わるのではない、変わりたいから髪を切るのだ」

そう百合が言えば、日向は髪を切ることを拒んだ。


「…変わりたいんですか?」


「…うん。」


窺うように百合が聞くと、日向は力強い声で答えた。


「私はそのままの日向先輩も、好きですよ。」


変わることを怖がって、伸ばし続けた髪。

百合は手を伸ばして、そのしなやかな黒髪に、触れてみる。

甘えるように指に絡む感触が、好きだった。


日向は髪を梳く百合の手に、自分の手をそっと添える。

そして、真っ直ぐに百合を見つめた。


「…情けない姿ばかり見せて、ごめん。

 ちゃんと百合を守れるように、強くなりたいんだ。

 百合を悲しませないように…強く。」


不安や、孤独に、怯えていた日向ではない。

迷いのない、真っ直ぐな瞳。

変わることを選んだ、強い決意。


百合はそんな日向に、心を射止められた。







割と熱い夏の朝。

目を覚ました京子は、洗面所で歯を磨いて、顔を洗う。


夏休み入って、ずっと兄のマンションに入り浸っている。

春休みとゴールデンウィーク、夏休みに冬休み。

毎年長期休みは、兄のマンションで二人っきりで過ごした。

学校が始まれば、自分のアパートに戻らなければいけないのだから、

夏休みくらい、ずっと兄の傍にいたいと、京子は思っていた。

しかし、いつもと違って、

今年は彼方も一緒に、兄のマンションに住み込んでいる。


最初は、京子は彼方が苦手だった。

ニコニコ、ヘラヘラ笑う、その仮面のような笑顔に、気味の悪さを感じていた。

でもそれは、何かを隠すような笑顔。

その笑顔の仮面の下に隠したのは、双子の兄である日向への恋心だった。


彼方は、少し自分に似ていた。

兄への想いを隠して、ただ黙って傍に居ようとする自分に。

だからだろうか。時々、辛そうに日向のことを話す彼方に、

無意識だけれど、自分を重ねてしまう。


兄に恋心を抱いてしまった自分は、馬鹿だと思う。

けれど、自分は彼方とは違う。

いつか兄が、自分以外の女性を選ぶことを、ちゃんとわかっている。

わかっていて、今はただ黙って、妹として、傍に居ようと思う。

それでいい。自分はそれで満足だ。


兄妹で結ばれることなんて、ない。

それが、有り得ないことだって、理解している。

いつか兄に、彼女ができたとしても、ちゃんと祝福できる。

今までもそうしてきた。これからもそうできる。

自分は、彼方とは違う。


京子は顔を拭いて、鏡を見つめる。


大丈夫だ。自分は間違えない。

ちゃんと聞き分けよく、「妹」として接しられる。

今日もちゃんと、優樹の「妹」として接しられる。

大きく息を吐いて、京子は洗面所を出た。


いつもこのくらいの時間には、優樹と彼方が仕事を終えて、

リビングでくつろいでいるはずだ。

リビングの扉を開けると、エアコンの涼しい風が頬を撫でる。

しかし、リビングには優樹の姿はなく、彼方一人がソファーに座っていた。


「お兄ちゃんは?」


京子が声を掛けると、彼方は振り返って答える。

仕事終わりのせいもあるのか、少し疲れた顔をしている気がする。


「部屋で寝てるよ。」


なんだか、甘ったるい香りがする。

部屋中を見渡すと、彼方は、煙草を燻らせていた。

兄の吸う煙草と違う、バニラの香り。


「あれ?彼方さん煙草吸ってましたっけ?」


自分の記憶では、彼方は非喫煙者だった気がする。

煙草を吸っている姿なんて、見たことがない。


「…気分転換、かな。」


彼方はテレビに視線を向けて、静かな声で答える。


「とんだ不良少年ですね。」


そもそも彼方は、未成年で高校生だ。

年齢を詐称して優樹の店で働くのも、飲酒をするのも、

煙草を吸うのも、許されてはいない。


「優樹さんの前で、そんなこと言わないでよ?」


横目で京子を見て、彼方は言う。


当然、そんなことを兄に言えるわけない。

兄に彼方を紹介した自分も、共犯みたいなものだ。

彼方の実年齢がわかるようなことは言わない、

それが、二人の中での暗黙のルールだった。


彼方は煙草に口を付けて、軽く吸うと、ケホケホと咳き込んだ。

煙草なんて、吸い慣れていないのだろう。


「咳き込むくらいなら、吸わなきゃいいのに。」


呆れたように京子は言う。

煙草の煙で苦しくなる呼吸を整えて、彼方は小さく息を吐いた。


「…煙草って、体に悪いんだよね。」


そんなの、わかりきったことだ。

それでも、自分の兄や誠のように、

好き好んで、煙草を吸い続ける人間だっている。


「当たり前じゃないですか。」


そう言って、京子は彼方の隣に座った。


彼方は何を思って煙草を吸い始めたのか。

ストレス解消とでも、思っているのか。

その割に、咳き込むし、口を付けることもなく、

ただ紫煙を燻らす煙草を持っているだけだ。


「日向が、本が好きで…僕は、そんなに難しい本とか読めないんだけど、

 日向の読んでる本を…少しだけ、読んだことがあるんだ。」


彼方は長い睫毛を揺らして、ゆっくりと、たどたどしい言葉を紡ぐ。

紫煙が、ゆらりゆらりと、広がっては消えた。


「煙草って、ゆっくり自殺するようなものだ、

 って、何かの本に書いてあった…気がする。」


小さく呟いた言葉。


それは、死にたいということだろうか。

だから、煙草を吸い始めたのだろうか。


「…彼方さんって、とことん馬鹿ですね。」


そう言って、京子は彼方を見つめる。

何かを考えるように、その表情は暗かった。


最近の彼方は、少し、情緒不安定だ。

自分の前では、あの気味の悪い作り笑いすら、しなくなった。


「…そうかな?」


「そうですよ。」


首を傾げる彼方に、京子は静かに答える。

馬鹿としか、言いようがない。

精神的にボロボロになるまで悩んでいるくせに、

何故か、見当違いなことばかりする彼方。

どうして、もっとうまく生きれないのかと、京子は思う。


「ねえ、僕さ、…来月も、…いや、ずっと、優樹さんの店で働こうかなあ。」


ボソッと、消え入りそうな声で、彼方は呟く。

長い睫毛が、切なげに揺れた。


彼方が優樹の店で働くのは、夏休みの間の今月末までだ。

当然、来月からは学校が始まるし、毎日通える距離ではない。


「学校はどうするんですか?」


「…やめる。」


京子が首を傾げて聞くと、彼方は煙草の煙を吸い込んで、

少し苦しそうに顔を歪めて、ゆっくりと紫煙を吐き出す。

そして、再びケホケホと咳き込んだ。


「卒業まであと半年じゃないですか。もったいない。」


咳き込む彼方を横目で見て、京子は呆れたようにため息を吐く。


今は八月だ。

あと半年で高校を卒業できるというのに、

どうして、わざわざ学校をやめるなどと、今更になって言いだすのか。

もったいないとは、思わないのか。


彼方は暗い表情のまま、ゆっくりと煙草を灰皿に押し付けて、火を消した。


「家に帰るのが、ちょっと…怖いんだ。」


煙が消えたと同時に、彼方は思いつめたように、小さく言葉を洩らす。

京子には、その言葉の意味が、すぐにわかった。


「それは…日向さんに会うのが?」


京子の言葉に、彼方は大きくため息を吐く。

おそらく図星だろう。

いつだって彼方を悩ませるのは、双子の兄の日向のことだった。


「…うん。…でも、日向に会いたい…。」


彼方は両手で顔を覆って、俯く。

京子には、彼方の表情が見えない。

けれど、きっと、辛そうな顔をしているのだろう。


「そんなに会いたいなら、会ってくればいいじゃないですか。」


静かに、京子は言う。

彼方は顔を隠して俯いたまま、泣きそうな声で呟いた。


「…会えないんだってば。」


鼻を啜る音が聞こえる。

彼方はまた、泣いているのか。

最近は胡散臭い作り笑いの代わりに、

辛そうな顔や、泣き顔ばかり見ている気がする。

一緒の暮らすうちにわかったのは、

彼方が不器用で、愚かで、寂しい人だということ。


「会えないなんて、自分で勝手に決めつけてるだけじゃないですか。

 彼方さんは、会う勇気がないだけじゃないですか?」


京子の問いに、彼方は何も答えなかった。

何も答えない代わりに、彼方は肩を震わせた。

きっと、日向を想って、泣いているのだろう。


「…意気地なし。」


静かな部屋には、京子の吐き捨てるような言葉だけが響いた。



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