表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
67/171

「傷だらけの心」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向の恋人。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

優樹   彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

誠    彼方と同じ優樹の店で働く従業員。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。


 「傷だらけの心」




「いらっしゃい。」


百合は亮太と真紀と共に、将悟の家に来ていた。

亮太から渡された携帯電話で将悟と話した内容は、

何故か日向がずっと将悟の家に泊まっていて、

ひどく落ち込んでいる様子だから、顔を見せてあげてほしい、というものだった。

けれど、詳しいことは一切話してくれなかった。


どうして将悟の家に泊まっているのか、

落ち込んでいるのは、やはり自分と喧嘩したからなのか、

どうして日向ではなく、将悟が連絡してきたのか、

聞きたいことは山ほどあったのに、将悟は何も教えてくれなかった。


「そこの角曲がって、一番奥の客間に日向がいるから、顔見せてやってよ。」


そう言って、将悟は家の奥を指さす。

将悟の家は広く、古くからあるであろう和風の作りだった。


「はい…お邪魔します。」


あれから何度も連絡を取ろうとしたが、

メールを送っても返事はないし、電話も出てくれようとはしない。

ついには「電源が入っていない」という音声まで流れた。

着信拒否をされているのではないかと、疑ってしまう。

将悟に呼ばれたものの、日向は自分と話をしたくないのではないか、

顔も見たくないのではないか、と不安になる。


「なー、俺も日向と遊びてえ!」


「アンタは遊ぶより、受験勉強しなさいよ…。」


能天気な亮太に、真紀は呆れたようにため息を吐く。


「はいはい、お前らは居間でくつろいでろ。」


百合に気を利かせてくれたのだろう。

そう言って、将悟は亮太と真紀を居間へと誘う。


「百合ちゃん、頼むな。」


将悟は二人を居間に案内しながら、振り返って百合に言う。


「はい…。」


その背中を見送ると、百合は少し震える足で奥へと向かった。

角を曲がって一番奥。

この白い襖の先には、日向がいるのだろう。


けれど、その部屋からは物音一つせず、静かだった。


「…日向先輩。百合です。」


いきなり入るわけにも、白い襖にノックをするわけにもいかず、

百合はどうしたものか、と考えて、襖越しに声を掛ける。


「百合…?なんで…」


眠っていたのだろうか、その声は力なく、低かった。

微かに襖越しに、布が擦れる音が聞こえる。


「入っても、いいですか?」


静かに百合が聞くと、少しの沈黙が流れる。

そして布の擦れる音が止むと、日向は小さく返事をした。


「…いいよ。」


襖を開けると、頭まで布団を被った日向が、

こちらに背を向けて、膝を抱えて座っていた。


「なんで…布団被ってるんですか?」


その言葉に、日向は何も答えなかった。

やはり、嫌われてしまったのだろうか。

百合は襖を閉めて、背を向ける日向に声を掛ける。


「…怒ってますか?」


日向は百合の方を見ることなく、小さく呟く。


「怒ってるのは…百合だろ…?」


日向は顔の半分ほどを布団で隠して、

背中を丸めて、膝を抱えているようだった。


「私のこと…嫌いになりましたか?」


顔も見たくないくらい、嫌われてしまったのだろうか。

百合の心にも、不安が募る。


「違う…そうじゃない。」


そう言った日向は、どんな表情をしているのだろうか。

百合からは、日向の顔が見えない。


「じゃあ、こっち向いてください。」


百合の言葉に、日向は俯いて、小さく首を振る。


「…それは、できない。」


顔を上げようとしない日向に、百合は静かに近付こうとする。

日向の顔が見たい。

顔を見て、ちゃんと話をしたい。


けれど、日向は、百合が近づくことを拒んだ。


「ごめん…。近寄らないで…ほしい。」


拒まれたことに、百合はショックを受ける。

自分のことを嫌いになったのか、という問いを否定したのに、

自分が近付くことを許してくれない。

顔も見せてくれない。目を合わせようともしてくれない。

やっぱり、嫌っているのではないか。

自分のことなんて、好きではないのではないか。


「あの…日向先輩…、」


何か、言わなければ。

ちゃんと、話をしなければ。

必死で切り出した言葉は、日向に遮られる。


「待って。…言わないで。」


その言葉に、百合は口を噤む。

泣いてしまいそうだ。

日向と話をすることさえ、拒まれるのか。

百合は唇と噛み締め、静かに日向の次の言葉を待つ。


そんな百合の様子を、知ってか知らずか、

日向は躊躇うように、ゆっくりと言葉を洩らす。


「百合…。…その、…別れるとか…言わないでほしい…。」


その言葉は、震えていた。

どんな顔をして、日向はそう言ったのだろうか。

日向はまだ、自分のことを好きでいてくれるのか。

日向も自分と同様に、嫌われていることを、怖がっていたのか。


「日向先輩…。私、日向先輩のことが、好きですよ。

 別れるなんて、言うはずないでしょう…?」


百合がそう言うと、日向は少し顔を上げた。


「本当に…?」


窺うような、弱弱しい日向の声。

その声に、百合はゆっくりと日向に近付いて、

日向の纏った布団越しに、後ろからそっと日向を抱きしめた。


「本当です。日向先輩のことが好きすぎて、

 この間は、あの女性に嫉妬しちゃいました。…ごめんなさい。」


布団越しに抱きしめた日向の体は、少し細くなっている気がした。

けれど、久しぶりに触れる日向の体温が温かかった。


「…もう怒ってない…?」


怒ってはいないが、疑惑も晴れない。

首筋の噛み跡について問い詰めたいけれど、

こんなに弱弱しい日向を見たら、百合は何も聞けなくなっていた。


「怒ってないですよ。日向先輩、顔、見せてください。」


そう言って、百合は布団で顔の半分を隠した日向の正面に座り、

そっと、その布団を剥がす。

日向は一瞬、抵抗しようと布団を握る手に力を込めたが、

諦めたように目を逸らして、布団から手を離す。


露わになった日向の顔に、百合は息が詰まった。


少し痩せこけた頬。

泣いていたのか、少し赤くなった瞳。

あまり眠れなかったのか、目の下にはうっすら隈ができていた。

そして不自然に腫れた右頬と、鋭い刃物で切ったような切り傷。


「そのほっぺ…どうしたんですか?」


震える声で、百合は問う。

日向は目を逸らしたまま、手で頬を覆って小さく答えた。


「…猫に、ひっかかれたんだ。」


それは嘘だ。

視線を背けた日向の目は、泳いでいた。


「…腫れてますよ?」


先程よりもハッキリとした口調で、百合は日向に迫る。

日向は百合の目を見ることができずに、ただ俯き、長い睫毛を揺らす。


「転んで…ぶつけたんだ。」


目を逸らしたまま、日向は小さく呟く。


「…嘘、吐かないでください…っ!」


日向が言っていることが嘘だということは、明白だ。


どうして、嘘を吐くのだろう。

どうして、こんな姿になっているのだろう。

日向に何があったのだろう。


痛々しい日向の姿。

何よりも目を引いたのは、首筋につけられた首を絞められたような痣。

猫に引っ掻かれたものじゃない。

転んでぶつけたものじゃない。

これは明らかに人為的なものだ。


どうして日向が、こんな目に遭わないといけないのだろう。

日向は優しい人間だ。

口数は多い方ではないが、何よりも他人を気にして、さり気ない優しさをくれる。

感情表現が不器用で、寂しがりのくせに、素直に甘えられない。


それでも、こんな自分を愛してくれた。

不器用な優しさで、喜ばせてくれた。

それなのに、自分は日向に何もできないのか。

どうして何も言ってくれなかったのか。

自分だって、日向を守りたい。


百合はそっと、日向の首元に触れる。

その指先に、日向の体が一瞬、ビクッと震えた。


けれど百合の手は、優しかった。

温かい手で、そっと、その首筋の痣をなぞる。


日向はゆっくりと、おそるおそる顔を上げると、

百合は泣きそうな表情をしていた。


「百合…?」


百合は瞳いっぱいに涙を溜めて、日向を真っ直ぐに見つめる。

いつもの強い瞳は、涙でキラキラと揺れていた。


「…なんですか…これ…。なんで…。

 誰に…誰に、こんなことされたんですか…!?

 なんで私には…本当のことを話してくれないんですか…!?

 私は日向先輩の…彼女じゃないですか!

 私に…私にだけは、全部教えてくださいよ…。

 日向先輩のこと…大切なのに…なんで…。」


感情が昂り、畳みかけるように紡いだ言葉。

叫ぶような悲痛な声には、嗚咽が混じった。


「日向先輩のこと…全部知りたいです…。」


そう言った百合の瞳からは、涙がポロポロと零れていた。

日向は泣きじゃくる百合の体を、そっと抱きしめた。

久しぶりに抱きしめた百合の肩は、一緒に過ごした日々と同じで、

柔らかくて、細くて、温かくて、愛しさが込み上げる。

その体温と甘い香りが懐かしくて、日向は百合の肩に顔を埋めた。


「…全部知っても…俺のこと、嫌いにならない…?」


百合の耳元で、日向は不安そうに声を洩らす。


「嫌いになんて…なるわけないでしょう。

 日向先輩の全部を、受け止めてあげます。」


百合は日向の背中に手を回して、優しく頷く。


「…離れていかない…?」


百合を強く抱きしめて、日向は確かめるように問う。


「当たり前じゃないですか。」


不安そうな日向に、百合は涙を拭って、

いつもの芯の強い、凛とした声で答える。


躊躇いながらも、ポツリポツリと、日向は語りだした。

ゆっくりと、言葉を詰まらせながら。

細く脆い体を、震わせながら。

百合の肩で、涙を滲ませながら。


千秋とは何もないこと。

彼方がつけた噛み跡のこと。

離れてしまった彼方のこと。

幼いころから、母親に虐待されていること。

母親に「殺してくれ」と乞うたこと。

死ねきれずに、逃げてきたこと。

独りが、怖いこと。


百合は日向のあまりに残酷な現実に、

何も言うことができずに、ただ静かに頷いた。

全てを話し終わった後、日向は百合の肩で静かに泣いた。


「百合…どこもいかないで…。ずっと一緒にいて…。」


百合の肩を強く強く抱きしめながら、日向は切ない声を洩らす。


「日向先輩…。」


そっと、日向の髪を撫でる。

変わることを拒んだ、伸びきった髪。


「…捨てないで…。独りに…しないで…。」


いつもと違う弱弱しい日向の声に、百合は胸が締め付けられた。


自分が守らないと。

孤独に怯える、弱いこの人を。


「日向先輩、顔上げてください。」


その言葉に、日向は弱弱しく首を振る。


「…やだ。」


子供のように肩を震わせて泣く日向。

日向が顔を埋める肩は、涙が滲んでほんの少し温かい。


「日向先輩…ちゃんと私のこと見てください。」


百合が日向の耳元で優しく言うと、

日向は手で涙を拭って、ゆっくりと顔を上げる。

真っ赤になった瞳で、日向は百合を切なそうに見つめた。


百合は、顔を上げた日向に、ニッコリと微笑む。

そして、日向の細くなった肩に手を添え、目を瞑った。


唇が触れる。

触れるだけの、優しいキス。

日向の唇は、温かくて、柔らかくて、少しだけ荒れていた。

触れた指先から、唇から、愛しさが溢れる。


短いキスの後、唇が離れると、日向は驚いたように、手で口元を覆っていた。


「好きですよ。日向先輩のことが、大好きです。」



その言葉に、日向はまた泣きそうな顔をした。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ