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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「望んでいたはずの、残酷な現実」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向の恋人。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

優樹   彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

誠    彼方と同じ優樹の店で働く従業員。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。



 「望んでいたはずの、残酷な現実」





昼過ぎの眩しい日差しの中、彼方は電車に揺られていた。

街の方から、彼方たちの住む田舎の方へと向かう下り電車。

普段から電車を使う人間も少ないこの田舎で、

彼方以外の乗客は、誰一人いなかった。


夏休みが始まって、日向から離れて三週間が過ぎていた。

携帯電話を眺めてみても、日向からの連絡は一度もない。

便りがないのはいい便り。

そんな言葉を思い出してみても、やはり少し寂しい。

けれど、もう日向に甘えるわけにもいかないから、

なるべく日向のことは考えないように、日々を過ごした。


「週に一度は家に帰る」と言ったけれど、

あんな大失態をした後で、日向に合わせる顔がなかった。

それにあの時、咄嗟に口をついた言葉で、日向を傷付けてしまった。

酒に酔って日向への想いを隠せなくなるのなら、

夏休みが終わるまで、帰らない方がいい。

いや、夏休みが終わっても、帰るべきではないのかもしれない。


日向から離れて、発作の出る頻度は減った。

それでも、いつ発作が起きるかわからない不安は拭えなくて、

病院から処方された、発作を抑える薬を飲み続けた。

何度か病院に通って、薬を調整してもらったら、

副作用に悩まされることもなく、ずいぶんと楽になったと思う。


その薬ももう既に無くなっているわけで、

彼方は家ではなく、病院へと向かっていた。


薬と酒と女に溺れて、絵に描いたような堕落生活。

けれど、どうでもよかった。

なんだってよかった。

適当に捌け口になるものを探して、日向への想いを、忘れようとしていた。


自分が滅茶苦茶になってしまえれば、

日向への想いもなくなるんじゃないかと、心の隅で考えていた。

自分が救えないほど堕落してしまえば、

日向だって自分になんて見向きもしなくなる。


それでいい。

日向は綺麗なまま、幸せになってくれれば、自分も少しは救われる。

日向の幸せが、自分の幸せだ。

日向を望むなんて、そんな烏滸がましいことは言えない。


彼方はそんなことを考えながら、窓の外を流れる景色をぼーっと見ていた。


ふいに、電車が山と田畑が広がる田舎駅に停車する。

目的地まであと一駅。

自分と日向が暮らす田舎の海町まではあと二駅だった。

扉が開くと、ホームには見慣れた少女が立っていた。


「あ…。」


彼方にとって、一番顔を見たくない少女だった。

その少女は、彼方の姿を見るなり、気まずそうに眼を逸らす。

扉の前に立っていたということは、彼女もこの電車を待っていたのだろう。


「…座れば?別にこんなところで何もしないよ。」


その言葉に、百合は恐る恐るゆっくりと電車に乗り込む。

そして彼方の向かいの、少し離れた席へと座った。

対面式のガランとした電車内、気まずい沈黙が流れる。

横目で百合を見れば、そわそわと、落ち着きのない様子だった。


いつも自分が被害者みたいな顔をしたこの少女が、彼方は嫌いだった。

彼方にとって百合は、自分から日向を奪う加害者なのだから。


「…日向とは、どうなったの?」


彼方は窓枠に頬杖を突き、流れる景色を見つめながら、小さな声で呟く。

百合は話しかけられたことに驚いたのか、一瞬肩を震わせた。


「え?あ、えっと…一応…お付き合いしてます。」


一応とは、どういう意味なのか。

胸を張って恋人だと言えないような関係なのか。

自分はその立場が、死ぬほど羨ましいのに。

妬ましくて妬ましくて、堪らないのに。


「…そう。」


彼方は奥歯を噛み締めて、唸るような低い声で呟いた。


静かな車内で、ガタンガタンと電車が揺れる音だけが響く。

彼方はそれ以上話すこともなく、百合に視線もくれずに口を噤む。


電車内に、重い沈黙が流れる。

百合は何か言いたそうに、自分の方をチラチラと窺っていた。


「…何?」


気だるげに彼方が聞くと、百合は少し言いにくそうに口を開いた。


「いえ…あの…。なんか…変わりましたね。」


その言葉に、彼方は窓から視線を逸らすことなく、

不機嫌そうに低い声で返事をする。


「…そう?」


百合は窓の外を見つめる彼方の横顔を、じーっと見つめる。

その横顔は、以前より痩せこけていて、顔色もあまりよくないように見える。


「はい…。なんか…疲れてます?」


疲れた様な顔のせいか、百合の目には彼方がまるで別人のようにも見えた。

以前とは全然違う、翳りのあるようなその姿に、百合は違和感を覚える。


「…君には関係ないでしょ。」


吐き捨てるように、彼方は呟く。

人を真っ直ぐに見つめる百合の癖が目障りだった。

こんな自分など、見ないでほしいのに。


「…冷たくなりましたね。」


百合は怯むことなく、彼方を見つめる。

その真っ直ぐな視線が、刺さるように痛い。


「…元からだよ。君にも優しくしたことなんて、ないでしょ?」


そう言って、彼方は百合に冷たい視線を向ける。

百合は少し戸惑ったように、目を逸らした。


日向のフリをしてして百合に近付いた時だって、

優しくなんてしてやらなかった。

ただ、酷く傷付けただけだ。

一度だって、百合に優しさを見せたことはない。

自分は優しい日向とは違う。何を勘違いしているのか。


彼方は、気まずそうに眼を逸らした百合を見つめる。

その冷たい視線に、百合は無言でゆっくりと顔を上げた。

そして彼方の顔をしばらく見つめた後、決心したように静かに口を開く。


「…どうして…日向先輩を、一人にするんですか。」


紡いだ言葉は、日向のことだった。

百合は真っ直ぐに、強い瞳で彼方を見つめる。


「君には…関係ない。」


彼方は目を逸らして、小さく声を洩らす。

百合の強い瞳があまりに綺麗で、

汚れた自分とは違いすぎて、見ていられなかった。


「どうして、日向先輩の傍にいてあげないんですか。」


先程よりも強い口調で、百合は彼方に問う。


「…関係…ないでしょ…。」


感情を押し殺すように、絞り出した声。

何も知らないくせに、自分と日向の関係に口を出さないでほしかった。

自分が何のために日向から離れたのか、

何のために日向の隣を百合に譲ったのか、

何も知らないくせに、自分を責めないでほしかった。


「日向先輩が寂しがりだって言ったのは、あなたじゃ…」


彼方を責めるような百合の言葉を遮って、

無機質な車内アナウンスが、次の駅の到着を告げる。

少しの沈黙の後、電車が停車すると、彼方は奥歯を噛み締めたまま、無言で席を立つ。

病院の近くの、田舎町の駅。


「え、降りる駅、次じゃ…。」


席を立った彼方に、百合は戸惑う。

行先は同じ、学校がある、日向たちが暮らす町だと思っていた。


「家には帰らないよ。日向にも会わない。」


これ以上、百合の言葉を聞きたくない。

その真っ直ぐな目で、自分を責めないでほしい。


ホームに降りて、振り返らずに彼方は冷たく言い放つ。


「ここで僕に会ったことは、日向には…いや、誰にも言わないで。」


顔の見えない彼方の言葉は、少し震えていた。

それは怒りから来る震えなのか、それとも、別の何かか。


「じゃあね。」


その言葉と共に、電車の扉が閉まる。

しばらくして動き出した電車の窓から見えた彼方の表情は、

夏休み前に空き教室で見た、辛そうな、自分を責めるような表情だった。







夏祭りの時、人ごみに紛れて、日向と百合を見た。

けれど亮太は、二人に声を掛けることができなかった。

向こうはこちらに気付いていなかったし、将悟も千秋も日向に気付かなかった。

何よりも、仲良さそうに手を繋ぐ二人を見て、邪魔をしてはいけないと思った。


百合への気持ちの整理はもうついている。

嬉しそうに日向と手を繋ぐ百合を見て、嫉妬なんてなかった。

ただ百合が幸せそうなら、それでよかった。

二人の幸せを、純粋に祝福できた。


けれど百合から来たメールは、

「相談に乗ってもらえませんか?」というものだった。

百合が自分に相談する内容なんて決まっている。日向のことだ。

あんなに仲良さそうに、幸せそうに手を繋いでいたのに、何かあったのだろうか。


「できれば早めに相談したい」という百合の言葉に、

亮太は百合を、真紀と共に勉強をするファミリーレストランへと呼んだ。

百合は日向と付き合っているのだから、

自分と二人きりというのは気が引けたため、真紀も一緒にいてもらった。

真紀は嫌がったが、なんとか頼み込んで、嫌々ながら隣にいてくれた。

何故だかわからないが、真紀は百合の話題を出すと、機嫌が悪くなる。


連絡から間もなく、目の前に現れた百合は、相当落ち込んでいた。

正面に百合を座らせて、隣に座った真紀は足を組んで、つまらなそうな顔をしていた。

改めて見ると、不思議な光景だと思う。


「で、相談って、何?」


少しの気まずさに、亮太が切り出すと、

百合は小さくため息を吐いて、ポツリポツリと言葉を洩らした。


「日向先輩と喧嘩しちゃったんです…。

 あ、喧嘩って言うより、私が一方的に怒っちゃったんですけど…。

 それからずっと連絡なくて…。

 もう一週間も電話出てくれないし、メールも返してくれないんです。」


あんなに仲良さそうだったのに、何が二人をそうさせたのだろう。

夏祭りの夜は、幸せそうに手を繋いで、笑い合っていたのに。


「なんで喧嘩したの?」


亮太が窺うように聞くと、百合はゆっくりと、言葉を紡ぐ。


「日向先輩が…浮気してるんじゃないか、って…思って…。」


意外な言葉に、亮太は驚く。

亮太も日向が浮気をするような人間ではないと思う。

何よりも百合に誠実に向き合っていた日向が、浮気なんてするはずがない。


「日向が…浮気?」


言い辛そうに、百合は視線を逸らして小さく洩らす。


「その…日向先輩の首筋に、噛み痕が…あったんです。」


その言葉に、亮太は何かを思い出したように、口をポカンと開ける。

そして、慌てて口元に手を当て、取り繕う。


「あー…いや、それは浮気じゃないよ。」


目を逸らして言う亮太に、黙っていた真紀は訝しげに口を開く。


「何言ってんの?完全にクロじゃない。」


頬杖を突きながら、真紀は退屈そうにカフェオレをストローで混ぜる。

氷がグラスに擦れる音がカラカラと響く。


「…違う。…女の子じゃないよ。」


何かを知っているような亮太の口調に、百合は首を傾げる。


「坂野先輩…何か知ってるんですか?」


真っ直ぐに亮太を見つめて、百合は静かに続きを待つ。


「いや、えっと…その…。」


百合の真っ直ぐな目に、口ごもった亮太は、真紀をチラッと見る。

その視線に、真紀は訝しげに首を傾げる。

そして亮太は少し考えるように、静かに百合に言った。


「…どうしても気になるなら、百合ちゃんが直接日向に聞きなよ。

 二人のことなんだから、ちゃんと日向と話しなよ。」


亮太が諭すように言うと、百合は小さく肩を落とした。


「そんなこと言われても…日向先輩と連絡取れないんですもん…。」


しょんぼりと、百合は両手で抱えたココアのストローに口を付けて、俯く。


百合の力になってあげたい。

けれど、自分が余計なことをしたら、

また日向を怒らせてしまうのではないかと亮太は考える。

日向はあまり自分ことに口を出されるのが好きじゃない。

ましてや二人の恋愛のことだ。

自分が口を出すべきではない。


ない頭を働かせ、必死で考えていると、ふと亮太の携帯の着信音が鳴る。

ディスプレイに表示されたのは、将悟の名前だった。


「あ、将悟だ。」


「今日はよく携帯鳴るわね。」


真紀が呆れたように呟くと、亮太は断りを入れることもなく、

席を立つこともなく、この場で通話ボタンを押す。

そして、二人に遠慮することなく話し出した。


「もしもし?…うん、いや、大丈夫だけど、どうした?

 …え?なんで日向が?」


声を抑えることもなく話す亮太。

聞こえてきた日向の名前に、百合は食い入るように通話をする亮太を見つめる。


「知ってるけど…てか今、目の前にいるけど…。」


亮太は電話をしながら、百合の方をチラリと見る。


「え?」


意味も分からず百合は首を傾げていると、

亮太は繋がったままの携帯電話を百合に差し出す。


「将悟から。なんか日向が滅茶苦茶へこんでるらしい。」


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