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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「優しい世界」

登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向の恋人。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

優樹   彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

誠    彼方と同じ優樹の店で働く従業員。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。


 「優しい世界」




営業終了後、彼方は店内の後片付けをしていた。

テーブルを片付け、床を軽く掃いて、グラスを洗う。

他の従業員は、彼方と酔い潰れた優樹を残して帰ってしまった。

今日はアフターをするような客もいなかったし、

誠がしばらく休みを取っているため、店の片付けと、

酔い潰れた優樹の介抱は、彼方の役目だった。


優樹は、それほど酒に強いわけではない。

けれど相当の酒好きで、いつも人が止めるのも聞かずに、楽しそうに酒を飲んで、

気がついたら、いつの間にか眠ってしまっている。

他の従業員も慣れたもので、優樹が酔い潰れれば、

適当なソファーに寝かせて、何事もなかったかのように仕事を続ける。


安心して酔い潰れることができるほど、

自分たちのことを、信頼しているのだろうか。

彼方は特別酒が強いわけではないが、

慣れもあるのか、酷く酔い潰れることはなくなっていた。


彼方は一通りグラスを洗い終えると、手を拭いて、

奥のソファーで眠っている優樹に、声を掛ける。


「優樹さーん!もう片付け終わりましたよー!帰りましょー?」


少し大きめの声で話しかけても、返事はない。

優樹はただ静かに、寝息をたてているだけだった。

肩を揺すってみても、「うーん」と唸るだけで、起きようとはしない。

彼方はどうしたものか、と考える。


さすがに酔っぱらいの優樹を、店に一人で寝かせておくわけにもいかない。

何より優樹を置いて帰ったら、京子の機嫌が悪くなる。


彼方は仕方なく、店の内側から鍵を閉めて、優樹の眠る隣のソファーに、身を沈める。

無理矢理起こすのは悪い気がするし、彼方一人では優樹を運べない。

優樹が起きるまで、自分も休んでいよう。


狭いソファーが、落ち着く。

優樹が用意してくれた部屋のベッドは、一般的なシングルサイズだけれど、

いつも日向と二人でシングルベッドを使っていた自分には、とても広く感じた。

自分の家のベッドと大きさは変わらないはずなのに、日向がいないだけで、全然違う。


一人で眠っても、隣に日向の体温がないことに、不安になる。

毎晩アフターを繰り返すのも、本当は誰かの体温が欲しいだけなのかもしれない。

毎回違う誰かに日向を重ねて、安っぽい愛を囁いて、体を重ねる。

それで何かが満たされるわけではないが、ほんの一時だけ孤独を紛らわせることはできた。


自分が弱くて、狡くて、汚くて、最低な人間だってことは、自覚している。

誰にも望まれないし、誰からも必要とされない。

きっと自分の想いは誰にも認められないし、理解もされない。

このままこんな世界に沈んで、身も心もボロボロになって、壊れてしまえばいい。


そう思いながら、彼方は目を閉じた。





夢を見た。


夢の中で日向は、自分以外の女性と手を繋いで、幸せそうに笑っていた。

そして自分のことを一瞬見た後、日向はすぐに目を逸らして、


「お前なんて、もういらない。」


そう言って、自分に背を向けた。

日向の瞳は、もう自分を映さない。


髪の長い女性と、楽しそうに笑う日向。

その笑顔が、彼方にとってはとても残酷で、

望んでいたことのはずなのに、心がぎゅっと締め付けられる。


いや、本心で望んでたわけではない。

利口なふりをして、自分を騙していただけだ。


本当は、日向を誰にも渡したくない。

自分だけに、笑いかけてほしい。

隣にいることを、許してほしかった。

けれど、それを壊したのは、自分だ。

もう戻れるわけなんてない。






「彼方ー?かーなーたー!」


優樹が自分を呼ぶ声が聞こえる。

それと同時に、頬を指で突く感触に、彼方は目を覚ました。


「優樹さん…。」


優樹はニッコリと笑って、手にはビールが注がれたグラスを持っていた。

仕事以外の時でも、優樹はいつも何かしらの酒を飲んでいる気がする。


「珍しいな。彼方が酔い潰れるの。」


優樹は彼方が目を覚ましたことを確認すると、隣のソファーに座る。


「違いますよ。優樹さんが起こしても、なかなか起きないから、

 起きるまで待ってようと思ったら、寝ちゃったんですよ。」


そう言って、彼方は目をこすりながら、ソファーから身を起こす。

彼方の言葉に、優樹は少し意外そうな顔をした。


「俺が起きるの待っててくれたわけ?もー、彼方は可愛いなあ!」


優樹は嬉しそうな顔をして、わしゃわしゃと彼方の髪を少し乱暴に撫でる。

まだ少し酔っているのか、今飲んでいるビールのせいか、

優樹は頬を少し赤くして、体も少しふらついていた。

酒が入ると、優樹はいつも以上に彼方を可愛がる。

それはもう、犬でも愛でるように、一方的に。


「もう、優樹さん、飲みすぎですよ。」


彼方は頭を撫でる優樹の手をそっとどけて、ため息を吐く。

優樹は悪びれる様子もなく、ボサボサになった彼方の髪を見て、ケラケラと笑う。


歳の割に、優樹は無邪気で素直だ。

目を細めて、口を大きく開けて、よく笑う。

その笑顔は、自分の作り笑いとは違う、自然で純粋な笑顔。


優樹は一通り笑い終えると、気持ちを落ち着けるように、ゆっくりと息を吐く。


「まあでも、ホント、お前がいてくれて良かったよ。」


そう言いながら、ビールに口を付ける。

ふと視線を上げれば、彼方はポカンと口を開けて、驚いたような顔をしていた。


「…どうした?」


そう首を傾げて優樹が聞くと、彼方は取り繕って、笑う。


「…あ、いや…。そんなこと、初めて言われたから…。」


自分がいてくれて良かった。

そんなこと、言われたことがない。

『彼方がいないと生きていけない』そう日向に言わせたことはあっても、

他人から望まれることなんて、なかった。

いつも自分の周りには、同級生の女子や、大人の女性が溢れているが、

何も知らない他人ですら、そんなことを言ってはくれなかった。

誰かに望まれるなんて、認められるなんて、今まで一度もなかった。


その言葉は、なんだかくすぐったいような気がして、彼方は俯く。


「なんだそれ。」


優樹は不思議そうに首を傾げる。

取り繕う彼方の笑顔は、ぎこちない笑顔だった。

困ったように笑う。それは何か隠している証。


「…まあ、夜の世界に来る奴なんて、訳アリばっかりだからなー。」


そう言って、優樹は目を伏せて、スーツのポケットから煙草とライターを取り出した。

そして慣れた手つきで煙草に火をつけ、ゆっくりと紫煙を吐き出す。


「別に、何があったかなんて、聞かねえよ。言いたくないことだってあるだろ?

 でも一人で抱えきれなくなったら、弱音吐いてもいいんだぞー。

 俺には何もしてやれないかもしれねえけど、話すことで楽になることもあるしな。

 ま、無理には聞かねえし、言いたくなったらでいいぞ。」


ゆっくりと力強い優樹の声。

顔を上げれば、優樹はニッコリと微笑んでいた。


「優樹さん…。」


思えば、信頼できる人間なんて日向以外に、誰もいなかった。

母親はからは罵声と暴力を浴びせられ、自分たちを否定され続けた。

同級生たちとは、愛想よく話していても、どこか距離を取っていた。

どうせ認められない、望まれないと、諦めていた。


だから他人に本心を話すことはなかったし、心を許すこともなかった。

誰も自分のことなんて気にも留めない、そう思っていた。


しかし優樹は、こんな自分を認めてくれる。

ここにいることを、許してくれる。

自分を気にかけて、心配してくれる。


「あー、でも彼方がいなくなったら、寂しくなるなあ。

 こっちにマンション借りてやるからさー、ずっと俺の店で働いてくれよー。」


優樹は少し寂しそうに、彼方に言う。

この店で働くのは、夏休みの間だけという約束だった。

七月半ばから八月末まで。

もちろん、年齢詐称をしている彼方は、高校生であることは黙っていたし、

二十歳のフリーターという嘘を吐いていた。


「そういうわけにもいかないですよ。

 …大事な人を置いてきちゃったから。」


そう言って、彼方は困ったように小さく笑う。


「…女?」


煙草を咥えながら、優樹はニヤリと笑う。

そんな優樹の問いに、彼方は意味深な笑みで返す。


「優樹さんは、そういう人いないんですか?」


その問いに、優樹はゆっくりと煙草を吸って、紫煙を吐き出す。


「んー、俺には、京子がいるからなあ。」


紫煙を揺らしながら、優樹は天井を見上げる。

ゆらゆらと、煙が広がっては消えていく。


「え?京子ちゃんのこと、好きなんですか?」


首を傾げて彼方が聞くと、優樹は呆れたように笑った。


「ばーか。そんなんじゃねえよ。」


そう言って、テーブルの上の灰皿に、煙草を押し付ける。

火が消えたことを確認すると、再びポケットから煙草を取り出す。


「俺らにはさ、もう両親がいないから、俺が京子の親代わりだ。

 アイツがちゃんと大人になるまで、恋愛とか結婚とかは考えられねえよ。」


優樹はそう話しながら、煙草に火をつける。


優樹の両親は、もうずいぶん前に、事故で他界しているらしい。

だからだろうか、優樹と京子の間には、

兄妹以上の信頼関係があるような気がする。

けれど、京子の恋は報われない。

そんな京子の想いが、なんとなく、自分に重なる。


「ホントは一緒に暮らしてやりたいんだけどなー。

 アイツの学校遠いし、俺も家遠くなると酔っぱらったら帰れないし…。」


そう言って、優樹は溜息と共に、紫煙を吐き出す。


「京子ちゃんのこと、大事なんですね。」


優樹の言葉の一つ一つが、京子への優しさに溢れているようで、

彼方は少しだけ、京子が羨ましくなった。

自分も日向に想われていたかった。

どんな形であれ、日向の世界の中にいたかった。

それを望んではいけないことを、わかっていはいるけれど。


「そりゃ、たった二人の兄妹だからな。お前のとこも弟いるんだろ?」


本当は双子だなんて、言えるはずもない。

自分が兄で、高校三年生の弟がいる設定。

嘘を吐くことには、もう慣れた。

痛む心なんて、なかった。


けれど、真っ直ぐ自分を見つめる優樹の視線が、何故か辛い。


「…ええ、まあ。」


少し気まずそうに目を逸らせば、優樹は優しく微笑んだ。


「ちゃーんと大事にしてやれよ。

 人間なんて脆いもんで、いつ死ぬかもわかんねえしな。

 死んだ後に、もっと優しくしてやればよかったーとか、

 もっと大事にしてやればよかったーとか、考えても遅いしな。」


優樹の憂いを含んだその表情は、どこか悲しげに見えた。


「…本当はさ、三兄弟だったんだよ。弟もいたんだ。

 でも、両親と一緒に事故で死んじまった。

 そん時俺はまだ大学生でさー、京都で一人暮らししてたんだけど、

 反抗期のまま実家を出たから、親にも恩返しなんてできなかった。」


両親を事故で失っている、ということは聞いたことはあるけれど、詳しいことは知らなかった。

彼方がそれを聞くこともなかったし、優樹や京子も話すことはなかったからだ。

他人の自分が聞いてどうこうなるものではない。

けれど、こういう話を自分に話してくれるということは、

自分は優樹に信頼されているのだろうか。

それとも、ただの気まぐれか。


紫煙を燻らせながら遠くを見つめる優樹は、なんだか少しだけ儚く見える。

彼方はただ黙って、優樹が紡ぐ言葉を聞いた。


「だから、親の代わりに、京子を一人前の大人に育て上げるのが、俺の役目さ。

 そうすれば、少しは親に恩返ししたことになるかなーって思ってさ。」


そう言いながら、優樹は再び灰皿に煙草を押し付けて、火を消す。

そして一息ついた後、優樹は冗談めかして笑った。


「でもなー。京子が嫁に行くことを考えたら、ちょっと辛いなー。

 ぶっちゃけ京子、めちゃくちゃ可愛いじゃん?」


先程までの真剣な雰囲気とは打って変わって、

茶目っ気たっぷりに、優樹はわざとらしく頭を抱える。

それは京子と違って、恋ではないようだけれど、

優樹は京子のことを、とても大事にしている。


「可愛いって言うよりは…綺麗ですね。」


彼方は少し考えるように、顎に手を添えて首を傾げる。


「お前…まさか京子に惚れてんじゃねーだろーな?」


訝しげに彼方を見つめる優樹。

どうやら京子だけではなく、優樹もシスコンの気がありそうだ。


「いや、そんなんじゃないですよ。」


彼方は苦笑しながら、手を横に振って否定する。

さすがに京子と一度だけ寝たことがあるだなんて、実の兄を前にして言えるわけがない。

それに、京子に惚れているわけでもない。


「ホントかー?」


そう言って、優樹はじーっと彼方の顔を覗きこむ。

そして数秒見つめた後、ため息を吐きながら、視線を逸らす。


「ま、でも彼方ならいいかな。

 ちゃんと京子のこと、大事にしてくれそうだ。」


小さく優樹は呟く。

そう言ってもらえるのは有難いが、彼方にはそんな気など、さらさらない。

きっと自分は、日向以外の人間を愛するなんて、できないだろう。


「ちょっと優樹さん、僕にも選ぶ権利が…」


「なんだとー?彼方のくせに生意気だぞー!?」


彼方の言葉を遮って、優樹は不敵に笑って、乱暴に彼方の頭を撫でる。


「わわっ!やめてよ優樹さんー!」


自分の髪を撫でる温かい大きな手は、優しかった。

なんだかんだ言って、優樹は自分を可愛がってくれる。

意地悪なことを言いながらも、気にかけてくれる。

彼方はこんな日常も、悪くはないと思い始めていた。







「日向君の様子、どうだったー?」


リビングに戻ると、将悟は誠に声を掛けられる。

誠は相変わらず、黒猫のサクラと、

白と黒のまだら模様のスミレと遊んでいた。

アンズと名付けた白猫は、まだこの環境に慣れる様子もなく、

机の下でじっと様子を窺っている。


「…相変わらずですよ。熱は下がったみたいですけど、

 ずーっと部屋の隅にうずくまって、膝抱えて俯いてます。

 話そうともしないし、飯も食おうとしない。」


そう言って、将悟は大きなため息を吐く。


日向は元々口数が多いほうではないが、

話しかけても頷くか首を振るだけで、話そうとはしないし、

食事を用意しても、一口も口にしようとしない。


何よりも、一番不可解なのは、彼方のことを話そうとはしないのだ。

いつもなら彼方の名前を呼び、彼方ことを一番に心配するはずなのに、

何も言わずに、彼方のことに触れようともしない。


彼方はあの家にいるのだろうか。

バス停に倒れてたのは日向一人だった。

普通に考えて、日向が彼方を置いて、一人で逃げ出すはずがない。

もしかしたら、彼方は家に帰っていないのかもしれない。


自分が、二人の関係を壊してしまった。

異常なくらい仲が良かった二人だったのに、

自分が良かれと思って言った言葉で、その関係を壊してしまった。

将悟には、そんな後ろめたさがあった。


「相当参ってるみたいだねえ。」


誠は黒猫を撫でながら、呟く。

サクラは気持ちよさそうに目を細めた。


「アイツ、もう三日も飯食ってないんですよ。」


いくら熱が出ていたとはいえ、三日も食事を摂らないとさすがに心配になる。

それに、あの塞ぎこみようは異常だ。


「将君じゃ、日向君の心の傷は癒せないねえ。」


白と黒のまだら模様の猫、スミレも撫でながら、誠は言う。

冷たいようで、その言葉は正論だ。

確かにこんな自分にできることなんて、

日向を家に帰さずに泊めることくらいしか、ないのかもしれない。


けれど将悟は、責任を感じつつ、日向をなんとかしてやりたかった。



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