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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「隠しきれない傷跡」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向の恋人。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

優樹   彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

誠    彼方と同じ優樹の店で働く従業員。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。


 「隠しきれない傷跡」




その日は土砂降りの雨が降っていた。

朝は澄み渡る晴天だったのに、夕方から急に天気が崩れた。

ワイパーを動かしても、とんでもないくらいの雨量に、視界は霞んで見えた。


「将君が卒業するまでに、あと5本はライブしたいねー。」


運転席の男は、耳に光る大量の銀のピアスを揺らしながら、

真っ直ぐに視界の悪い道路を見ていた。

銀色に染めた髪の襟足だけを伸ばして、

タンクトップからタトゥーの入った腕を覗かせる、垂れ目の大男。


「そうっすねー。とりあえずあと三曲くらい作って、

 新しいベースも見つけないとですね。」


将君、と呼ばれたのは、将悟だった。

将悟は助手席に座り、流れる景色を見つめていた。


二人は、バンドのスタジオ練習の帰りだった。

今はバンドメンバーは二人だけだが、街の方でスタジオに入り、

ドライブが趣味だという誠は、いつも田舎の方の将悟の家まで、車で送り迎えをしてくれる。

その誠も「夏休み」と称し、一週間程度、仕事の休みを取って、

これから将悟の家に泊まり込んで、バンドの曲を作る予定だった。


「そうだねえ。もうあと半年くらいしかないもんねー。

 ちゃんと専門学校卒業したら、こっち戻ってきてよー?」


将悟の高校卒業後の進路は、とっくに決まっていた。

バンドでプロを目指すだとか、そんな非現実なことは言わない。

この田舎を出て、名古屋のギターを作る職人の専門学校に入る。

そして一人前の職人になったら、この街に戻ってくる。

そういう未来を、2年も前に描いていた。


「それはもちろんですって。アイツとの約束ですもん。」


そう言って、将悟は少し寂しそうに笑った。


今はもう、触れることもない彼女との約束を、守りたかった。

たとえそれが馬鹿だと言われようと、誰に何を言われようと、

ただ一人、大切な彼女の夢に近付きたかった。


「ははっ。将君は律儀だからなー。

 そういえばさー、最近ねー、うちの店にイケメン入ってさー困るわー。」


寂しそうな顔をした将悟に気付いて、誠はわざとらしく話題を変える。

誠の仕事は、ボーイズバーの従業員だ。

夜の仕事ということに、将悟も最初は驚いたが、

誠は少しお喋りだが、普通の人間と何も変わらない。

人懐っこくて、明るくて、優しく、いい人だった。


「いいことなんじゃないんですか?」


将悟は誠の方を向いて、そう言うと、

誠は真っ直ぐ前を見つめたまま、いつものようにマシンガントークを始めた。


「もうね、顔はすごいカッコいいんだけどね、性格とか喋り方が可愛いの!

 どっちも持ってるってすごいよね!ズルいよね!でもすっごいいい子なの!

 なんか可愛い弟ができた気分なんだよねー!」


運転をしながら、身振り手振りを加えて、誠は楽しそうに語りだす。

楽しそうな誠とは裏腹に、遠くの方では雷が鳴っていた。

外は豪雨で、他に走っている車も、歩いている人も、誰一人いなかった。


「はあ…。そうなんですか。」


将悟はため息を吐いて、窓の外に視線を向ける。


誠は一度喋り出したら、その口を閉じることはなかなかない。

将悟の口を挟む隙もないくらいに一人で喋るため、

将悟はただ適当に、短く相槌を打つことくらいしかできない。


「確か地元がこの辺だって聞いたんだー。

 だから将君ももしかしたら知ってるんじゃないかなーって思って!

 ほら、田舎のコミュ二ティーって狭いって言うでしょ?」


車は、既に将悟の家の近くまで来ていた。

もう10分も走れば、将悟の家が見えてくる。


「田舎って…。誠さん酷いですよ。」


そうは言っても、否定はできない。

確かに見える景色は海と山ばかりだし、24時間営業のコンビニもない。

大きなショッピングセンターやチェーン店の飲食店すらない土地なのだ。


「あははー、でも事実じゃん?山と海しかないしー?

 イケメンだから結構目立つし、こっちでも有名なのかなーって思って。

 今二十歳の子でね、あ、でももっと若く見えるんだよねー。羨ましいよー。

 茶髪のさわやか系イケメンなんだー。」


悪びれる様子もなく、誠は楽しそうに口を動かす。

話に熱が入ると、少し早口になるのが誠の癖だ。


「二個上だと、あんまりわかんないですね。」


将悟は話の切れ目を探して、誠の話に口を挟む。


いくら田舎と言えど、二つも年が離れたら、

よっぽどのことがない限り、顔見知りになることはない。

そもそも、同じ学校ですらないのなら、接点はない。


「そっかー。もうね、凄く可愛くてね、

 毎日俺と優樹君で、おもちゃにして遊んでるんだー。」


そう言って、誠は一層楽しそうに笑った。


「…それは、その人も災難ですね。」


優樹という人物も、何度か会ったことがある。

誠の働くボーイズバーの店長で、

誠ほどではないがお喋りで、人をおちょくるのが好きな人物だ。

誠一人でも、長時間そのマシンガントークを聞き続けると疲れるのに、

そんな二人に遊ばれるなんて、そのイケメンくんも可哀想だな、と将悟は思う。

 

「凄いイケメンで仕事もできるし、お客さんもいっぱいいるし、

 可愛くていい子なんだけど、ちょっと心配なことがあってねー。」


楽しそうだった誠の声のトーンが、少し暗くなる。


「心配なことって…?」


そう言って、誠の方を見ると、その目は真剣な目に変わっていた。


「なんていうか…お客さん相手に、枕営業してるかもしれないんだよねー。

 いろんなお客さんとホテル入るところ見ちゃってさー、

 まあホテル行ったとしても、本当にそういうことをしてるかはわからないんだけどさー。」


テレビドラマや映画でよく耳にする枕営業。

客と寝て、指名や売り上げを上げるという、あまり好まれない行為。

そういうことばかりテレビで取り上げられているから、

以前は将悟は夜の仕事というものに、偏見を持っていた。

誠と出会ってからは、そうじゃないことがわかって、

その偏見も徐々に薄れていったが、実際にそういう行為は行われているのか。


「やっぱ…そういうことあるんですね。テレビの中だけかと思ってた。」


愛情もない人間と寝れるということに、将悟は軽蔑を覚える。

そんなことをして何になるのか。

そんな不誠実なことをしても、心がすり減っていくだけなのではないか。

そんなことをする人間はきっと、愚かで、不器用で、寂しい人間なのだろう。


なんて考えながら、将悟は流れる景色をただ眺めていた。

雨は勢いを増して、地面に叩きつけていた。


誠が静かになったと思ったら、急に車にブレーキがかかった。


「あ…ねえ、将君あれ…。」


そう言って誠が指さしたのは、対向車線の方にあるバス停だった。

時刻は22時を指している。

こんな田舎では、この時間にもうバスは通らない。

田舎の簡易的なバス停は、屋根もなく、安っぽいベンチがただひとつあるだけ。

そこに、傘も差さずに、びしょ濡れになりながら俯いて座っている少年がいた。


「あの子…あんなところで何してるんだろう…?」


不思議そうに、誠はその少年を車の中から見つめる。

しかし、強すぎる雨で視界が阻まれて、よく見えない。

けれど、将悟には、その少年がよく見知った顔であるように思えた。


「え?…あれ…もしかして…。」


そう言って、将悟は雨の中、濡れることも構わずに車を降りて、その少年の方へ向かう。


「ちょ、ちょっと将君!濡れちゃうよ!?」


迷わず車を降りた将悟に、誠はただただ驚いて、見ていることしかできなかった。


将悟はびしょ濡れになりながら、その少年に近付く。

その少年は、将悟が思っていた通りの人物だった。


「おい日向!何やってるんだ、こんなとこで…。」


将悟が声を掛けると、日向はゆっくりと、顔を上げた。

そして将悟を見て、驚いたような顔をした。


「中村…?なんで…」


小さく呟く日向の顔は、心なしか少し赤らんでいるように見える。

そして、右頬に不自然な腫れと、切り傷があった。


「なんでって…お前こそ…。」


そう将悟が言いかけると、日向の体がぐらりと揺れて、

日向は、力なくベンチに倒れる。


「あ、おい!大丈夫か!?」


将悟は慌てて日向の体を抱きとめると、日向の体温は熱かった。

熱でもあるのか、少し呼吸が荒く、意識も朦朧としていた。

一体いつから、ここで雨に打たれていたのだろう。


伸びた髪の隙間から覗く首筋には、

爪で抉ったような跡と、まるで首を絞められたような痣があった。


これはなんだろう。

自分でやったのだろうか。

いや、そんなわけがない。

だとしたら、誰が。


そんなことを考えていると、誠がバス停の目の前まで車を回してくれた。

そして助手席の窓を開けて、将悟に声を掛ける。


「将君、友達?車、乗せてあげなよ。家まで送っていくから。」


将悟は今にも倒れそうな日向の肩を支える。

誠は近くで日向の顔を見て、少し驚いたような顔をした。


「あ、はい!…ほら、立てるか?」


将悟に肩を支えられながら、日向は力なく小さな声を洩らす。


「…家は…帰れない…。」


それは雨音に消え入りそうなほど、弱弱しい声だった。


「は?帰れないって…。おい!おい日向!」


そのまま、日向は意識を失った。


このままにしておくわけにもいかず、家にも帰れないというものだから、

将悟はとりあえず日向を車に乗せ、誠と共に自分の家へと運んだ。



将悟の両親は転勤で海外で暮らしていて、歳の離れた兄も東京で暮らしている。

将悟は祖母と、広い家に二人暮らしだった。

おかげで部屋はたくさん余っているし、誠もしょっちゅう泊まりに来る。


玄関の扉を開けると、びしょ濡れの将悟と、

将悟に支えられて意識が朦朧としている日向を見て、将悟の祖母は驚いた。


「あらあら、どうしたの?」


白髪だらけの髪に、腰の曲がった、優しい顔をした祖母だった。

誠は将悟の祖母を見ると、ニッコリ笑って挨拶をする。

祖母の後ろからは、二匹の猫が顔を見せていた。

黒猫と、黒と白のまだら模様の猫。


「あ、こんばんは、おばあちゃん。サクラも、スミレもこんばんはー。」


誠と祖母は何故か仲がいい。

広い家で二人暮らしというのも寂しいのか、

祖母は誠のことも、自分と同じように可愛がっていた。

けれど、今はそんなことはどうでもいい。


「ばーちゃん、タオルと、適当に俺の服持ってきてくれ。」


「はいはい、ちょっと待っててね。」


祖母は慌てた様な表情をして、

でもゆっくりとした動きで、家の奥の方へと消える。


「奥の客間に布団敷くんで、誠さんは日向を運んでもらえますか?」


日向も細身だとはいえ、さすがの将悟も、

自分より体の大きな男を支えるのは、きつかった。


「うん、わかったよ。」


そう言うと、誠は軽々しく日向を抱える。

ドラムをやっているだけあって、力仕事はお手の物だった。

日向の肩と足を支えて、両手で日向を持ち上げて、

まるでお姫様抱っこのような格好で、誠は将悟の後に続いて奥の客間へと向かう。


「とりあえず…体拭いて、服着替えさせた方がいいよね。」


客間の壁に凭れかけるように日向を座らせて、誠は呟く。

将悟は布団を敷き終えて、祖母が持ってきてくれたタオルと着替えを抱えていた。

そのタオルと着替えを日向の傍に置き、日向に声を掛ける。


「日向、脱がすぞ?」


学校では、夏でも絶対に学ランを脱がない日向。

その服の下に、何を隠しているのか、なんとなく想像できた。

首筋に覗く痣が、不穏な想像を駆り立てる。


将悟は日向のシャツのボタンに手を掛け、脱がそうとすると、

日向は将悟の手を弱弱しく掴んで、小さく首を振る。


「…だめ…だ…。」


消え入りそうな声で制止しようとする。

掴まれた手は、熱を持って熱くなっていた。

意識も朦朧としているのだろう。

瞳もハッキリとは開かないようだ。


「だめって…自分で着替えられねーだろ?」


服を脱ぐことを拒む日向に、将悟は小さくため息を吐く。

無理矢理にボタンを外そうとすれば、日向は体を捻って抵抗しようとする。


「嫌だ…。」


意識も朦朧としていて、自分の力だけで座ることもできないのに、

日向は頑なに服を脱ぐことを拒む。

将悟は困った顔をして、どうするべきが考え込んでいた。


このまま着替えさせないわけにもいかない。

びしょ濡れのまま寝かせたら、風邪をひくかもしれない。

いや、むしろ今風邪をひいているのか。

ならば尚更、悪化するかもしれない。

早く着替えさせて布団で寝かせてやりたい。


将悟は大きくため息を吐いて、

仕方なく無理矢理に日向を脱がせることにした。


「…何見ても、誰にも言わないから。」


その言葉に、日向も諦めたように、顔を背けて、抵抗しなくなった。

シャツのボタンに指を掛けて、ゆっくりと、上から一つ一つボタンを外していく。

鎖骨が見えるほどボタンを外せば、鮮やかな噛み跡が、たくさん見えた。


「なんだよ…これ…。」


将悟は驚いて声を洩らす。

その真新しい噛み跡は、以前よりも、赤く、深く、大量につけられていた。


「おい…これ、彼方がやったのか…?」


日向を見ると、顔を背けたまま、静かな呼吸をして、目を瞑っていた。

熱に浮かされ、眠ってしまったのだろう。


将悟は言葉を飲み込み、黙って日向の服を脱がせる。

ゆっくりとシャツを脱がせれば、体には痣や切り傷、火傷の痕がたくさん残っていた。

そんな日向の姿に、将悟はただ戸惑うことしかできなかった。


これは全部彼方がやったことなのだろうか。

噛み跡も、切り傷も、痣も、火傷の痕も。

全部、彼方が日向にしたことなのだろうか。

彼方は日向のことを、大切にしていたのではなかったのか。


それの傷を見て、黙っていた誠が、静かに口を開いた。


「…これ、根性焼きだよね。彼方君じゃないと思う。

 彼方君は、煙草吸わないんじゃない?」


冷静に、一つ一つ傷を眺めて、ゆっくりと呟く。


「この傷も新しい。きっと、彼方君じゃないよ。」


まるで彼方のことを知っているような誠の言葉に、

将悟は驚きを隠せなかった。


「え…?なんで誠さん、彼方のこと知って…。」


戸惑う将悟に、誠は優しく微笑んで、日向の着替えを差し出した。


「将君、とりあえず早く着替えさせて、寝かせてあげよう?」







「…へくしょん!」


優樹のマンションのリビングで、彼方と京子はテレビを見ていた。

突然の彼方のくしゃみに、京子は呆れた様な顔をする。


「風邪ですか?今日から誠さん休みなんですから、体調管理ちゃんとしてくださいよ。」


誠は今日から一週間の休みだ。

従業員の少ない店で、彼方まで風邪で休むわけにはいかない。


「いや、風邪なんてひいてないよ。」


ケロッとした顔で、彼方は否定する。


「じゃあ誰かが、噂でもしてるんじゃないですか。」


京子は興味なさそうに、テレビに視線を向ける。

彼方は自分の右耳のピアスに触れて、小さく呟いた。




「なんか最近、悪い予感がするんだよねー…。」



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