表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
60/171

「箱庭の外の世界」



登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向に好意を寄せている。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

優樹   彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

誠    彼方と同じ優樹の店で働く従業員。

麗華   彼方の客。


 「箱庭の外の世界」




「いい加減、観念したらどうです?彼方さん。」


「ちょっ…ちょっと待って!まだ心の準備が…。」


リビングで彼方は京子に押し倒されていた。

ソファーの上で組み敷くように、京子は彼方に覆い被さる。


「さっきからうるさいですね。男らしくないですよ。」


京子は静かな声で、そっと彼方の髪を掻き分ける。

染毛で傷んだ茶髪が、するりと指を抜けた。


「ホント僕…こういうの初めてだから…っ!ちょっと怖いっていうか…。」


髪を梳く京子の指に怯えるように、彼方はじりじりと後退る。

そんな彼方の肩をしっかりと掴み、京子は意地悪そうな笑みを浮かべる。


「大人しくしてないと、痛いかもしれないですよ?」


普段クールに澄ましていて、あまり笑わない京子の笑顔は珍しい。

京子の大好きな優樹の前ですらあまり笑わないのに、

今は心底楽しそうに、意地悪な笑みで彼方を見据えていた。


「痛いのは嫌だけど…。ていうか、なんで京子ちゃんそんなに楽しそうなの…?」


彼方は近付く京子の手を掴み、必死に抵抗しながら聞く。


「怯えている彼方さん見てると、楽しくて楽しくして。」


そう言って、京子は怯える彼方に、ニッコリとした笑みを彼方に向ける。

彼方は顔を背けて、迫りくる京子に、ぎゅっと目を瞑る。


「ちょっと悪趣味なんじゃない…?」


震える彼方の声に、京子はさらに楽しそうに笑った。


「いいから、早く覚悟決めてくださいよ。」


無理矢理に京子が彼方に迫ると、

ふいに、落ち着いた足音と共に、リビングの扉が開いた。


「ただいまー…って、お前ら何やってるんだ…?」


そう言ったのは、落ち着いた雰囲気で、背の高く、

ダークブラウンの髪にゆるいパーマを当てた、20代後半くらいの男。

彼は二人の様子に驚いたように、口をポカンと開けて、紙袋を床に落とす。


「優樹さん…。」


その声に、彼方は起き上がり、その男の名を呼ぶ。

すると、優樹の後ろから、優樹よりさらに背の高い大男が、顔を覗かせた。


「どうしたの?…って、うわーうわー!京子ちゃんが彼方君のこと襲ってるー!」


銀髪で襟足だけを肩まで伸ばし、両耳に無数のピアスを空けて、

袖や肩口からタトゥーを覗かせた、垂れ目の大男。

彼は二人を茶化すように、大はしゃぎをする。


「な…っ!?ち、違いますよ誠さん!」


京子は慌てて否定する。


「京子…お兄ちゃん悲しいぞ…。」


優樹はわざとらしく両手で顔を覆って泣くふりをする。


「優樹君、京子ちゃんも大人になったんだよ…きっと。」


誠と呼ばれた男は、芝居がかった口調で茶化すように、優樹の肩に手を置く。


優樹は京子の兄であり、彼方の働くボーイズバーの店長で、

誠は彼方と同く、優樹の経営するボーイズバーの従業員だ。

二人は昔から仲が良いらしく、仕事がない昼間も二人でよく出かけている。


「だから違いますって!そんなんじゃないんですって!」


話を聞く様子もない二人に、京子はさらに声を上げて否定する。

そして慌てた様子で、組み敷いた彼方の上から退く。


「京子…。お兄ちゃんな、無理矢理はよくないと思うぞ?」


優樹は誠と同じように芝居がかった口調で、

しゃがんで京子と目を合わせて、諭すように優しい声で京子に言う。


「だからお兄ちゃん!これ!ピアス!!」


京子は手に持ったピアッサーを優樹に見せる。


「ピアス?」


ピアッサーを見て、優樹は首を傾げて聞き返す。


「自分で空けるのが怖いから…京子ちゃんにお願いしたんです。」


少し恥ずかしそうに、彼方は言う。

京子もそれに続く。


「彼方さんがビビッて、なかなか空けられなかったの。」


ピアッサーに付いているファーストピアスは、

鮮やかな赤い色の石がついたものだった。

優樹はそのピアッサーを手に取り、ニッコリと微笑んだ。


「それなら俺が空けてやろうか?」


心なしかその優樹の笑顔は、いつも見せる自然なものではなく、

彼方の目には、少し意地悪そうに見えた。


「優樹くんはねー、いつも俺のピアス空けてくれるんだよー。」


そう言って、誠は自分のピアスを見せるように髪をかき上げる。

誠の両耳には、数十個もの銀のピアスが輝いていた。


「…痛くないですか…?」


おずおずと彼方が聞くと、誠は優しく微笑んだ。


「平気だって。優樹くん、ピアス空けるの上手いし。」


髪をかき上げながら、誠はウインクをする。

誠の耳に揺れるピアスは、綺麗に穴が空いているようだった。


「じゃあ、お兄ちゃんお願いね。

 彼方さん、自分で空けてほしいって言うくせに、ビビッて逃げるんだもん。」


京子が小さくため息を吐きながら彼方から離れると、

優樹は楽しそうな顔で彼方にじりじりと近付く。


「よし任せろ!…誠!」


そう言って、優樹は誠に目で合図をする。


「オッケー!」


誠は彼方の後ろに回り込んで、彼方の腕をガッチリと掴んで固定する。

自分よりも大柄の男、しかもドラムを叩く力強い腕の筋力に、

彼方の腕はピクリとも動かない。


「ええっ!?なにこれ!?」


突然のことに彼方が驚いていると、

優樹はニッコリと意地悪な笑みを浮かべた。


「よーし!動くなよ~彼方~。」


優樹は片手で彼方の顔を横に向かせて、固定する。

そして右耳の耳たぶに、ピアッサーを挟み込む。

阿吽の呼吸で彼方を抑え込んで、二人はニッコリと意地悪に笑った。


歳の離れた二人にとって、彼方は可愛い後輩であり、楽しいおもちゃだった。


「あー、ちなみにね、優樹くんのピアスの空け方、酷いから。」


「え…ええっ!?ちょ、ちょっとやっぱりやめます!!」


誠は怯える彼方の耳元で、楽しそうに呟く。

その言葉に、彼方はジタバタと体を動かして、誠の腕から逃れようとする。


「へーきへーき。ほら、3、2、1、で空けるぞー。」


楽しそうにピアッサーを彼方に近付ける優樹。

抵抗してみても、大人の男二人に抑え込まれては、どうしようもない。

京子はそんな三人の様子を、楽しそうに黙って見ていた。


「ほら、彼方君、覚悟きめなよ~。」


楽しそうに笑う誠の腕の力は、強かった。


「待って待ってまだ心の準備が…」


そうは言っても、二人は彼方を離す気配はない。

迫りくる優樹に、彼方はギュッと目を瞑る。


「ほーら、さーん、にー、」


始まった優樹の楽しそうなカウントダウンに、

彼方は目を瞑ったまま、体を震わせる。


「いーち…」


ゼロ。

という言葉は、なかった。


「…え?」


カウントダウンは終わったはずなのに、痛みがない。

彼方はおそるおそる目を開けると、優樹は一層楽しそうな顔をしていた。


「…にー、さーん、しー、ごー、よーん、さーん」


再び始まるカウントダウン。


「こうやってね、何度もビビらせてくるの。」


そう言った誠も、意地悪そうな笑みを彼方に向けていた。

確かに先程言った通り、優樹のピアスの空け方は、ひどい。


「ええっ…もうやだ…。」


ピアスを空けるという痛みに、力んだ彼方の体から、力が抜ける。

その様子を、京子は口元を覆って、肩を震わせて見ていた。

おそらくビビッている彼方を、笑っているのだろう。


「冗談だって!次でちゃんと開けるから。ホント、彼方は可愛いな~。」


優樹はそう言いながら、彼方の頭をポンポンと撫でる。

その仕草は、まるで泣く子供をあやすようだった。


「もう一思いに、やっちゃってください…。」


楽しそうに彼方を可愛がる優樹とは裏腹に、

彼方はすでに半べそをかいていた。


「わかったわかった。いくぞー?」


その言葉に、彼方はもう一度体を強張らせて目を瞑る。


「さーん、にー、いーち…」


始まったカウントダウン。


「にー、さーん、しー、」


しかし、また、ピアスを空ける痛みはなかった。


「またぁ…?」


大きなため息を吐いて、彼方は肩を落とす。

目を開けば、優樹の意地悪な笑顔が目に映った。


「彼方君ビビりすぎー。」


誠は彼方の後ろでケラケラと笑う。

完全に彼方は、二人のおもちゃだった。


「次で本当にいくぞー?さーん、にー、いーち…」


迫りくるカウントダウンに、再び彼方は目を瞑る。

けれど、もう半分諦めていた。

きっとまた、ビビらせるだけビビらせて、空けないのだろう。

それでも、もしかしたら、と思うと、体を強張らせずにはいられない。


「にー、さーん、しー、」


思った通り、ピアスはまだ開かない。

彼方は脱力して、小さく声を洩らした。


「もうヤダあ…。」


弱音を吐く彼方に、誠は苦笑する。


「ほら、二度あることは三度あるって言うじゃん?」


誠は彼方の顔を覗きこんで、垂れ目をさらに垂らして、

ニッコリと、意地悪そうな顔をする。

何度も繰り返されるカウントダウンに、彼方はもう疲れ切っていた。


「そうですけど、でも…」


力なく弱弱しい声で彼方は抗議しようとする。

けれど、その言葉を遮って、優樹は一層楽しそうに叫んだ。


「ほれ、どーん!」


カチッという音と共に、一瞬の鋭い痛み。


「…っ!」


彼方は言葉にならない悲鳴を飲み込む。

右耳が、なんだか熱い気がする。

痛みよりも、右耳の耳たぶがじんじんと、麻痺しているような感覚。


「一番気を抜いてる時がちょうどいいかな、と思って。」


優樹はニコニコと笑って、空になったピアッサーを彼方に見せた。

そして、優樹が彼方から離れると、誠も彼方の腕を離す。


自由になった手で、じんじんとする右耳に触れてみると、

そこには硬い感触があった。

油断しているうちに、ピアスが空いたのだ。


「お兄ちゃん、いい性格してるよね。」


京子はクッションを抱えて、顔を半分隠しながら、肩を震わせていた。

笑いを堪えられなくて、クッションで顔を隠しているのだろう。


「ホント、優樹君ってば、エグいよね。」


誠はケラケラ笑いながら、ソファーに腰掛ける。


「優樹さん酷いです…。」


彼方は半泣きでため息を吐きながら、身を起こす。

じんじんと疼く右耳を手で覆うと、熱を持っているように耳たぶが火照っていた。


「でも、思ったよりは痛くなかっただろ?」


ケロッとした顔で、優樹は誠の隣に腰掛ける。


「綺麗に真っ直ぐに開いたみたいだしね。」


そう言って、誠と優樹は顔を合わせて笑う。


「なんか二人に犯された気分…。」


彼方はそんな二人を見て、ため息を吐く。

そして、耳を押さえて、肩を落として小さな声で呟いた。


「彼方君やーらーしーいー。」


誠は茶化すように、彼方を指さして笑う。


「ほら拗ねるなって。

 シュークリーム買ってきたから、一緒に食べようぜ。」


優樹もケラケラと笑って、持っていた紙袋から大きな箱を取り出す。

箱を開ければ、クリームが溢れんばかりに詰められたシュークリームがたくさん入っていた。


二人にいじられて、茶化されて、なんだかんだいって、甘やかされる。

これが彼方の日常だった。







日向の手を払って逃げ出してから、一週間が経とうとしていた。


百合は後悔していた。

どうしてあの時、感情を抑えられなかったのだろう。

きっと日向は浮気なんてしない。

そんなことわかりきっているはずなのに、

自分勝手な疑いで、日向を傷付けてしまった。


きっとあの女性とは何もない。

首筋の噛み跡も、自分には言えない何かがあったのだろう。


自分には言えない何か。

自分は日向にとって何なのだろう。

彼女、ではないのだろうか。

彼女であっても、言えないことなのだろうか。


あの日から日向からメールも電話もなかった。

もしかしたら、嫌われてしまったのかもしれない。

あんな子供じみた嫉妬を日向にぶつけてしまって、

面倒な女だと思われたのかもしれない。


困らせたかったわけでも、

悲しませたかったわけでも、

傷付けたかったわけでも、なかった。


言葉を、感情を、抑えられなかった自分に、腹が立つ。

最後に見た日向の表情は、泣いてしまいそうな、苦しそうな顔をしていた。

戸惑いの中に、不安が渦巻いているように、瞳が揺れていた。

そんな日向の顔を思い出すたび、胸が締め付けられる。


日向の笑顔を守りたいと思ったのに。

ずっと日向の隣で笑っていたいと思ったのに。

どうして間違えてしまったのだろう。

どうして日向を傷つけてしまったのだろう。


ぐるぐると考えてみても、答えなんか出るはずがなかった。


もう一度、日向に笑いかけてほしい。

日向に手を繋いでほしい。抱きしめてほしい。

二人で笑い合っていたい。


鳴らない携帯電話を見つめても、ただ時間だけが過ぎていくだけだ。

連絡が来ないのなら、こちらから連絡をすればいい。

ちゃんと話をしなければ、何も伝わらない。


自分が不安に思っていること、日向が隠していること。

ちゃんと言葉にしなければ、伝わらない。




百合は大きく息を吐いて、携帯電話を握りしめて、日向へのメールを打ち始めた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ