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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「馬鹿な人」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向に好意を寄せている。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

優樹   彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

誠    彼方と同じ優樹の店で働く従業員。

麗華   彼方の客。


 「馬鹿な人」





広いマンションのリビングダイニングで、京子は機嫌悪そうに雑誌を読んでいた。

広いソファーの隅に寄り、足を組んで、

ソファーの腕置きに肘をついて、不貞腐れていた。


夏休みの間は兄のマンションに入り浸っているのだが、

肝心の兄は、自分を置いて出かけてしまった。

好きなファッション雑誌を読んでいてもイライラは募るし、

つけっぱなしのテレビの昼過ぎのワイドショーは、ただの雑音に聞こえる。

やるせない気持ちに、京子は大きくため息を吐くと、ふいにリビングの扉が開いた。


「おはよー。京子ちゃん。」


リビングの扉を開けたのは、彼方だった。

眠そうに目をこすりながら、小さく欠伸をして、リビングに入ってくる。


「…おはようございます。」


京子は不機嫌そうな声で、小さく挨拶を呟く。

夏休みの間、いや彼方がアルバイトをしてる間は、兄のマンションに彼方が住み込んでいる。


3LDKの広い兄のマンション。

それぞれの部屋があり、寝る時以外はリビングにみんなで集まって過ごす。

京子は本当は兄と暮らしたいと思っているが、このマンションからは学校が遠い。

電車で片道2時間強の距離だ、さすがに毎日ここから学校へ通うのは辛い。

そんな京子に、兄は気を使って、学校の近くに小さなアパートを借りてくれた。

だから平日は一人でアパートで過ごして、

土日や夏休みなどの長期休みの時だけ、兄のマンションで過ごす。

その兄は今は出掛けていないわけで、京子は不機嫌だった。


「あれ?優樹さんは?」


彼方はリビングを見渡して、京子の兄がいないことに気付く。

優樹というのは京子の兄で、彼方が勤めるボーイズバーの店長だ。

夏休みが始まってから、ここに住み、

すっかり彼方は、仕事にも、この環境にも、馴染んでいた。


「昼前に、誠さんと出掛けましたよ。」


京子は雑誌に目を落としたまま、素っ気なく答える。

誠は、優樹が経営しているボーイズバーの従業員で、

昔から優樹とも京子とも仲がいい、少しお喋りな大柄の男だ。


つまらなそうに雑誌を読む京子を見て、彼方は茶化すように笑う。


「ふーん。フラれちゃったんだね、京子ちゃん。」


その言葉に、京子は少し機嫌の悪そうな顔をして、雑誌を閉じた。

それでも、彼方は楽しそうにニコニコと笑って、言葉を続ける。


「せっかく『夏休みに入って、優樹さんと一緒にいれる時間が増える』、

 って思って、バイト減らしたのにねー。」


茶化すような彼方の言動に、イライラが更に募る。

京子は大きなため息を吐いて、乱暴にソファーの前にある机に、雑誌を投げ置く。


「…うるさいですよ。」


「図星だった?」


少しも臆することなく、彼方はニコニコと笑う。

常にニコニコと、ヘラヘラと、まるで人を小馬鹿にしているようだ。

京子はそんな彼方の笑顔が、嫌いだった。


「そういえば、昨日も帰ってくるの遅かったみたいですけど、またアフターですか?」


京子は呆れたように、腕を組んで、ソファーに凭れる。


「…ああ、まあね。」


そう言いながら、彼方は京子に背を向け、

キッチンの方へ行き、慣れた手つきで食器棚からグラスを二つ取り出す。

そんな彼方の背中を目で追いながら、京子は続ける。


「最近毎日じゃないですか。たまには休まないと、体壊しますよ。」


京子の話を聞きながら、彼方は冷凍庫の扉を開けて、グラスに氷を入れる。

食器棚や冷蔵庫、キッチンなど、この家の勝手はもう慣れたモノだった。


「平気だよ。アフターも仕事のうちだし。」


そう言って振り返った彼方は、少し痩せた気がする。

痩せたというより、やつれたの方が正しいのかもしれない。


「…ちょっと痩せました?」


肩も少し細くなった気がするし、頬も少し痩けた気がする。


「そう?変わってないと思うけど。」


あっけらかんと、首を傾げて彼方は言う。

彼方がそう言うなら、気にしなくてもいいのだろうか。

彼方が痩せようが、どうなろうが、自分には、何の関係もない話だ。


「そうですか。まあ、私には関係ないですけどね。」


少し刺々しい京子の言葉に、彼方はケラケラと笑う。

子供っぽく口を尖らせて拗ねる京子の様子は、

いつものクールに澄ましている彼女とは、全く違うからだ。


「なにそれー。優樹さんが構ってくれないからって、八つ当たりしないでよー。」


口元を押さえて、まるで子供のように無邪気な彼方の笑顔。

普通に笑うのを見るのは、久しぶりな気がする。

いつも彼方は、何かを隠したような作り笑いばかりだ。

きっと笑顔の裏に隠しているのは、彼方の本心だろう。


「…彼方さんだって、全然自分の家に帰ってないみたいですけど、お兄さんのこと、いいんですか?」


その言葉に、彼方の笑顔が消える。


「…何が?」


無表情で静かな彼方の声。

そう、彼方が笑顔の仮面で隠しているのは、日向への恋心だ。


「会えなくて寂しいんじゃないんですか?

 彼方さんもお兄さんのこと、大好きみたいだし。」


横目で彼方を見れば、彼方は京子から目を逸らして俯いていた。


京子は彼方の想いを知っている。

いつも彼方は冗談めかしてその想いをちらつかせるが、

きっとその想いは、本物なのだろう。


「じゃあさ…京子ちゃんが、慰めてくれるの?」


そう言った彼方は、京子に背を向けて、冷蔵庫を開けた。

そして手前の方からコーヒーの入ったペットボトルを取り出して、グラスに注ぐ。


京子の方からは彼方の表情が見えない。

彼方は、どんな顔をして、そう言ったのだろう。


「…しませんよ、もう。」


コーヒーがグラスに注がれていく様子を見ながら、京子は小さく呟く。


一度だけ、彼方と寝た夜。

初めて笑顔の仮面を外した彼方は、

とても脆く、切なそうに瞳を揺らしていた。

そんな彼方に絆されてしまった自分は、馬鹿だと思う。

でも何故かその姿は自分に似ていて、彼方の腕を振り払えなかった。

二人は、報われない片思いをしている。


「ふーん、そっか。つまんないの。」


コーヒーを注ぎ終えて、彼方はペットボトルを冷蔵庫に戻す。

そして、グラスにストローを挿して、

テーブルを挟んで、京子が座っているソファーの向かいのソファーに座る。


「あーあ、日向が女の子ならよかったのにな。」


小さくため息を吐きながら、彼方は京子の前にコーヒーを一つ置く。


「…どうも。」


京子は小さく挨拶を呟いて、コーヒーに口を付ける。

彼方は静かに、テレビに視線を向けていた。

昼過ぎのワイドショーはつまらないもので、

大物俳優とトップモデルの結婚のニュースを知らせていた。


「日向さんが女性だったとしても、

 血が繋がっていたら、結婚はできませんよ。」


テレビの中の大物俳優とトップモデルは仲睦まじく手を繋いでいた。

そのニュースを食い入るように見つめる彼方は、

テレビの中の二人に、自分と日向を重ねているのだろうか。


「それでも、僕たちなら…幸せになれる気がするんだ。」


テレビから目線を逸らさずに、彼方は静かに言う。


「…馬鹿ですね。」


「…そうかな。」


テレビを見つめる彼方の横顔は、どこか愁いを帯びていた。


「本当に好きな女性に出会ってないから、そう思うんじゃないんですか?」


彼方の日向への想いは真っ直ぐだ。

盲信と言ってもいいだろう。

でもそれは、恋などではなくて、依存なのではないのか、と京子は思う。


「どうなんだろう…。

 でも、どんな女の人がいたとしても、僕は日向のことが好きだよ。」


芯が強い言葉は、迷いがなかった。


「どうして、私にそんな話するんですか?」


彼方はその想いを、他人には隠そうとしているのに、

何故か彼方は自分の前だけでは、その想いに素直になる。

それは自分が信頼されているのか、それとも何も考えていないだけなのか。


テレビを見つめたまま、彼方は表情を変えずに呟く。


「京子ちゃんにくらいしか、こんなこと言えないでしょ。」


静かな低い声で呟いた言葉は、どういう意味なのか。

何故自分だけには言えるというのか。

それは、自分も彼方と同じく、叶わない片思いをしているからなのか。


「誰にも知られたくない、って思うんだけどさ、

 でもやっぱり、誰かに知っていてほしいと思うんだ。」


そう言って、彼方はテレビから視線を外し、

京子を見つめて、少し切なげに微笑んだ。


「そんなもんですかね。」


京子はまた一口、コーヒーに口を付ける。


「そんなもんだよ。…僕は弱いからね。」


にっこりと、彼方は再び笑顔の仮面を被る。

その仮面は、ひどく脆く、儚いものだった。


「誰だって弱いですよ。強がってるだけです。」


京子はストローでコーヒーをかき混ぜながら、小さく呟く。

氷のカラカラ」とグラスに当たる音が響く。


「…だよね。」


そう小さく呟いて、彼方は笑顔の仮面で本心を隠す。

その仮面は、悲しみを隠すための、自分を守るための笑顔だ。


「京子ちゃんだって、優樹さんのことが好きなら、好きって言えばいいのに。」


彼方はコーヒーに小さく口をつけて、京子を見据える。

おどけた様な表情ではなく、真剣な表情で。


「言ったところでどうなるんですか。私たちは兄妹なんですよ。」


小さくため息を吐いて、京子は静かな声で言い放つ。


わかりきっている。

兄妹で恋愛なんてできない。

兄のことが好きだと言う感情があっても、

先が見えないことを、求めたりしない。


「あわよくば、って考えないの?」


諦めた様な京子の言葉に、彼方は不思議そうに首を傾げる。


「あいにく私は、彼方さんみたいに馬鹿じゃないんで。」


そっぽを向いて、皮肉気味な言葉を洩らすと、彼方は静かに苦笑した。


「ふーん。京子ちゃんは大人だね。」







百合がこの手を振り払ってから、三日経った。

携帯電話を見つめてみても、あれから一度も百合からの連絡はなかった。


日向はまた独りになった。

百合に嫌われてしまった。

大切に、大事にしようと思っていたのに、あっけなくこの関係は壊れてしまった。

このまま、百合との関係は終わってしまうのだろうか。

どうしようもない不安に苛まれる。


百合からの連絡はないし、自分からは何と連絡していいのか、わからなかった。

あの時、百合は泣いていた。

自分が百合に彼方を重ねていたことに、百合は薄々気づいていたのだろう。

それに、スーパーで会った千秋との関係を疑ったのだろう。


どうしてそこで自分は何も言えなかったのだろう。

ただ一言「矢野とは何もない」と言えればよかったのに、それが言えなかった。

「百合のことが好きだ」と一言言えていれば、何か変わっていただろうか。

いつも自分は大事な時に言葉を無くしてしまう。


まるで自分を守るように、背中を丸めて、

灯りもつけずに、暗い部屋で膝を抱えて、日向は考える。

暗闇と静寂が、余計に日向を孤独にする。


「…もういいです。」そう言って、百合は走り去ってしまった。

それは、この関係を終えるということなのだろうか。

だとしたら、尚更連絡を取るのことが怖かった。


「嫌い」だと「別れる」と、そんな言葉を聞きたくなかった。

このままこうしていても、どうにもならないことはわかっている。

けれど、百合に拒絶されるのが、怖かった。


百合のことが好きだ。

どうしようもないくらい好きだ。

離れたくない。別れたくない。

泣かせたくなかった。傷つけたくなかった。


どうしていつも自分は、うまくやれないのだろう。

不器用に言葉を無くして、彼方も百合も離れていってしまった。

同じことを繰り返して、また独りになる。

独りになるのは嫌なのに。怖いのに。


いつも後になって後悔する。

あの時こうしていれば、こんな言葉が言えたなら。

その時にできなければ、何の意味もないのに。

些細な言葉も言えなくて、大事な言葉も言えなくて、全てを失う。


携帯電話の画面を見つめていても、百合からの連絡はないし、

百合にかける言葉も思いつかない。

もしかしたら、百合はもう自分と話したくないと、思っているかもしれない。

顔も合わせたくないと、思っているのかもしれない。


嫌われるのが怖い。

失うのが怖い。

けれど、孤独も怖い。


百合の体温に触れたかった。

あの優しい温もりで、自分は独りじゃないと、そう言ってほしかった。

孤独を癒してほしかった。

あの柔らかい笑顔を、自分に向けていてほしかった。


暗い部屋で時間だけが過ぎていく。

流れていく時間の中で、百合の想いは薄れていくのだろうか。


ふいに、玄関の扉が開く音がした気がする。


彼方だろうか。

今自分はどんな顔をして彼方に会えばいいのだろう。

残った噛み跡、残らなかった記憶。

掴んで振り払われた腕。

もう以前のような関係に戻れないことは、確実だった。


―男同士で…そんなふうにくっつくの、おかしいと思うよ。


自分を拒絶した彼方の言葉が、今も耳に残っている。

その言葉は、まるで軽蔑のようで、ひどく心に突き刺さった。

記憶がなかったとしても、酒に酔っていたとしても、

自分を求めてくれていたはずなのに。


足音は、不安定にフラフラと、部屋に近付いてくる。

彼方はまた、酒でも飲んだのだろうか。

一体何のバイトをしているのだろう。

アルコールの臭いと、知らない香水の香り。

彼方は自分の知らないところで、どうやって生きているのだろう。

自分は独りでは生きていけないのに。


部屋の前で、静かに足音が止まる。

そしてその人物は、ゆっくりと、扉を開けた。


「あ…。」


思わぬ人物に、日向は目を丸くして、言葉を失う。

扉を開けたのは、母親だった。

母親は部屋を見渡して、彼方がいないことに気付く。


「…もう一人は?」




そう言って母親は、膝を抱えてうずくまっている日向に、近付いた。




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