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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「後悔に溺れる」

登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向に好意を寄せている。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。


 「後悔に溺れる」




「えーっ!?日向くん、来ないのー?」


千秋の残念そうな声が、神社の入り口で響く。

夏祭り当日、千秋と亮太と将悟は神社の鳥居の前に集まっていた。


普段はほとんど人通りがないこの神社は、

夏祭りという大きなイベントによって、賑やかに変身していた。

神社だけではなく、海沿いの通りまで、数々の屋台や電飾で明るく賑わう。

どこもかしこも、見たこともないくらいのたくさんの人々で溢れていた。


浴衣姿の女性や、仲良さそうに腕を組むカップル、手を繋ぐ親子連れ。

様々な人々が、楽しそうに笑顔を浮かべて行き交う。


「まあ、でも、日向は他の子と行くって言ってたから、どこかで会えるだろ。」


たった今集合したばかりなのに、亮太はラフな甚平姿で、すでにフランクフルトを咥えていた。

いつものように、口元や指に零れたケチャップやマスタードをつけている。


「おい、日向はデートなんだから、あんまり邪魔してやるなよ。」


将悟は体が細いことを気にして、少し大きめのシャツに身を包んでいた。


「え?日向君、彼女いたの…?」


白を基調とした花柄の浴衣に身を包んだ千秋は、

驚いたように口をポカンと開ける。


「ああ、最近できたらしいぞ。」


「そっか…。だからかあ…。」


日向に彼女ができたことを知った千秋は、

残念そうな声を洩らして、しょんぼりと肩を落とした。


「矢野ちゃん…?」


心配そうに、千秋の顔を覗きこむ亮太。

亮太はなんとなく、千秋の想いに気が付いていた。


「あのね、本当はね、この浴衣姿も日向君に見てもらいたかったんだあ…。

 日向君ね、白が好きって言ってたから、白い浴衣にしたのになあ。」


千秋はしょんぼりとしたまま、自分の浴衣の袖を掴んで広げて見せる。

淡い白色を基調として、上品な赤い花柄で彩られた真新しい浴衣だった。

皺やシミが一切ない綺麗な浴衣は、日向に見せるために、

この日に合わせて新調したのだろう。


「やっぱり矢野ちゃん、日向のこと、好きだったの?」


亮太の問いに、千秋は少し言い辛そうに、目を逸らす。


「…もうフラれちゃったよー。」


そう言って、千秋は少し不器用な笑顔で、取り繕って見せる。

その笑顔が、亮太には少し痛々しく見えた。

自分も失恋した身だ。想いが叶わない辛さは、嫌でもわかっている。


少し気まずい空気が流れて、しばらく黙って話を聞いていた将悟が、静かに口を開く。


「日向の、どこがいいわけ?」


千秋は頬に手を当てて、考えるような仕草をして、ゆっくり話しだす。


「優しところ、かなあ。

 素っ気ないように見えて、意外と人のこと気にしてくれてね、

 言葉は少ないけど、すごく気を使ってくれるんだよ。」


そして一息置いて、千秋はニッコリと微笑む。


「二人もさ、日向君のそういう優しいところがわかってるから、

 日向君と友達なんでしょ?」


見透かすように、千秋は笑う。

そうだ、自分たちも日向の不器用な優しさを知っている。

だからこそ、傍にいるのだ。

確かに日向は無口だし、素っ気ないように見えることも多いが、

人の気持ちに敏感で、さり気ない優しさを見せてくれる。


「矢野ちゃん、日向のことよく見てるんだな。」


感心したように、亮太が呟く。


「好き、だったからね。」


少し顔を曇らせて、伏し目がちに千秋は呟く。

けれど、すぐに顔を上げて、またいつもの笑顔を見せて、明るく微笑む。


「さあ、今日はいっぱいお祭りを楽しもう!」


そう言って、千秋は屋台が立ち並ぶ人波の方へと駆けだした。








彼方は揺れる電車の車内で、激しく後悔していた。


失態だ。完全に失態だ。

覚えていないわけがない。

いくら酒に酔ったからって、なんということをしてしまったのだろう。

あんなことをしてしまったら、何の意味もない。


必死で日向から離れようとしていたのに、

馬鹿みたいに日向に縋りついて、日向を貪って、自分は何をやっているんだ。

何度も何度も、日向の肌に噛み跡なんて残して、どうするんだ。


日向の目を見てはいけない。

日向に触れてはいけないと、思っていたのに。

あの優しい手を取ってはいけないと、思っていたのに。


指に、唇に、体に、日向の感触が残っているような気がした。

温かい、優しい日向の体温。

それがひどく嬉しくて、怖かった。


迷ってしまいそうだ。

間違えてしまいそうだ。

日向に触れた指先から、気持ちが溢れ出しそうだ。

散々酷いことまでして、日向と離れようとしていたのに。


日向の首筋を噛んだ時、日向は涙を零した。

けれど、満足そうに、小さく笑ってくれたのだ。

そんな日向の顔を思い出したら、愛しさで胸が苦しくなった。


日向のことが、好きだ。

誰の目にも触れないように、閉じ込めてしまいたいくらい、好きだ。

自分だけを目に映して、自分だけと話してほしい。

自分だけに笑いかけてほしい。


けれど、そんなこと許されるはずがない。

日向の未来のために、自分は日向から離れなければいけないんだ。


乱暴で、残酷なやり方で日向を突き放す。

そうすれば、自分のことなど気にせずに、日向は自分のやりたいように生きれると思った。

ちゃんとした友達ができて、彼女もできて、進路も決めて、日向の未来が、明るく拓けると思った。

今までは上手くやれていたのに、どうしてあんなことをしてしまったのだろう。


きっと、酒のせいだ。

記憶はあるが、どうして自分があんなことをしてしまったのかが、わからない。

目が覚めた時、日向が自分を抱きしめていたことに、驚いた。

首筋や、肩口から痛々しい歯形を覗かせて、幸せそうに眠る日向を見て、死ぬほど後悔した。


冷静になろうと思って、シャワーを浴びたら、

あんなことをした後なのに、日向は嬉しそうに食事の用意をしてくれていた。

日向の嬉しそうな顔は、久しぶりに見た。

涙が、出そうだった。


自分に向けられる日向の嬉しそうな顔が、久しぶりで、嬉しかった。


けれど、もう日向に甘えるわけには、いかない。

日向は優しいから、自分が縋りつけば、少し困った顔をしながら、自分の手を取ってくれる。

でもそれじゃダメなんだ。

日向のためには、自分が日向から離れないといけない。

噛み跡なんてつけて、執着してはいけないんだ。


覚えていないと嘘を吐き、酷い言葉で日向を傷つけた。

傷付けるつもりなんてなかった、なんて言ったら言い訳がましいけれど、

ああ言わないと、自分の本心が、暴かれてしまいそうだった。


ベッドの中での言葉は、酔っぱらいの戯言。

それでいいのだ。本心じゃない。


家を出る時、日向の顔が見れなかった。

見なかったんじゃない。見れなかった。

日向はきっと、ひどく傷ついた顔をしていただろうから。

そんな顔を見たら、自分は足が竦んでしまう。


逃げるように家を出て、すぐにいつもの発作が起きた。

最近気付いた。日向を傷つけると過呼吸を起こす。


きっと、これは罰だ。

日向を傷つけた、自分自身への、罰だ。

けれど日向は、自分より苦しかったんだと思う。

過呼吸なんかより、ずっとずっと、苦しんでいるのだと思う。

全部自分のせいだ。


日向には幸せになってほしい。

笑っていてほしい。

満たされていてほしい。


早く、自分以外に日向を幸せにできる人が現れればいいのに。

ちゃんとした友達と、綺麗な彼女を作って、進路も決めて、

「自分なんかいなくても幸せだ」そう言って、残酷に笑ってほしいのに。


自分は日向がいないと、生きていけない。

だからこそ、日向から離れようと思った。

日向の人生を、縛ってはいけない。

差し伸べられる手を取ったら、二人一緒に暗闇に落ちてしまう。

その手を振り払って、せめて日向は、明るい方を進んでほしい。


日向のことが好きだから、日向のために。

自分のできることをする。

どんな汚いことでも、やれる気がした。

そうだ、自分は上手くやれている。

上手くやれていたはずだ。


日向の体温が、優しさが、自分の体に纏わりついている気がする。

その感触が、とても嬉しいはずなのに、辛かった。


今はただ、日向以外の体温が欲しかった。

日向以外の体温に、身を沈めたかった。

自分の体に残る日向の体温を、塗り替えてほしかった。







千秋は途中で女友達に出会い、「ちょっとだけ友達と一緒に回ってくる」

そう言い残し、女友達の方へ行ってしまった。

確かに、日向がいないのだから、自分たちといるより、女友達といる方が楽しいだろう。

しかし、亮太と将悟は、二人きりになってしまった。


夕方から始まっているお祭りは、すっかり日が沈み、

花火が打ち上げられる時間が近付いていた。


二人は神社から程近い海岸沿いを歩いていた。

屋台からは少し離れていて、人通りの少なく、花火の絶景スポットだ。


「男二人で花火か…。」


将悟が少し嫌そうに、呟く。


「しゃーねーだろ!お前も彼女連れてくればよかったじゃねーか。」


嫌そうにする将悟に、亮太は少し拗ねるように表情になる。


「忙しいんだよ、彼女は。」


亮太の前を歩く将悟は、振り返らずに答える。


「年上だっけ?」


「二個上。」


「いいなー。年上のお姉さんとかめっちゃ羨ましいわー。」


「そーだろ。」


将悟は振り返ることもなく、羨ましがる亮太を小さく鼻で笑う。


将悟に彼女ができたのは、高校に上がる前だった。

けれど、亮太は将悟の彼女を見たことはない。

プリクラや、写真でさえ、将悟は見せてくれなかった。


しかし、亮太は気付いていた。

彼女の話になると、将悟はいつもより言葉少なになることを。

自分に彼女の話をしたくないのか、適当に受け流すことが多いのだ。


きっと、聞かれたくないのだろう。

それが何故かなんて、無理に聞き出す必要もない。

日向の時のように、余計なことを言って、将悟を怒らせてしまうかもしれない。

亮太は空気を読めるようになろうと、必死だった。

軽率な発言をして、友人を失いたくはなかった。


けれど、いつもあまり考えずに話をしているため、

いざ考えると、どんな話をしたらいいか、どう話しかければいいか、わからなかった。

少し、気まずい沈黙が流れる。


将悟はそんな亮太を気にする様子もなく、

海岸沿いを歩いて、その先の防波堤の上に座る。

ここが、人も少なく、静かで、花火が一番見やすい場所だ。


亮太も防波堤に座る将悟の隣に、腰を下ろす。

静かで穏やかな波音。

湿度をまとった緩やかな潮風が、頬を撫でる。

亮太が自分の隣に座るのを確認すると、将悟が静かに口を開いた。


「亮太さ、彼方と殴り合いしそうになったんだって?」


その言葉に、亮太は驚いた。

自分は誰にも言っていないし、

彼方がそんなことを言い触らすようにも思えなかった。。

それに、そんなことを将悟に報告しても、

心配をかけるだけだと思って、黙っていたのに。


「…誰から聞いたんだよ。」


「真紀ちゃん。」


将悟は澄ました顔で、短く答える。


そういえば、その場に真紀もいた。

真紀が自分を喧嘩しないように、連れ出してくれたのだった。

殴るつもりはなかったけれど、彼方のわけのわからない言葉に、

感情が昂って、殴ってしまう寸前だった。

きっとあの時自分は、真紀に助けられたのだ。


「…殴り合いはしてない。…けど、なんかわけわかんねえこと言われた。」


その言葉に、将悟は小さくため息を吐く。


「俺もこの前、彼方と話したんだけどさ、最近、アイツなんか変だよな。」


「…髪切ってから、なんか変わったよな。」


彼方が髪を切った日から、二人は変わった気がする。

彼方は日向を見なくなったし、日向は落ち込んでいるように見える。

二人の間に、亀裂があるように思う。

二人の間に、何があったのか。


「やっぱ…俺のせいだよな。」


ポツリと、将悟は呟いた。


最初に日向に、彼方と距離を取ること、将来のことを話したのは将悟だ。

こんな状況になってしまって、後悔しているのだろう。


隣に座る将悟は、俯いて、ゆらゆら揺れる水面を見つめていた。


「…将悟は悪くないだろ。」


「そうかな。」


小さく洩らす亮太の声に、将悟は顔を上げないまま呟く。


「そうだろ。…誰かが、言ってやらないといけないことだったんだよ。」


将悟が落ち込むのは、珍しい。

いつだって、自分とは違い、将悟はちゃんと考えて、正しい道を示してきた。

自分が間違えてしまうことも、将悟は余裕そうな顔をして、難なく正解の道を歩む。


俯く将悟の横顔は、眉間に皺を寄せて、思いつめた様な表情をしていた。


「でもそれは、…きっと、俺が言うべきじゃなかった。」


悔やむように、将悟は小さく言葉を洩らす。


「なんか、珍しいな。

 変なこと言って、後から落ち込むのはいつも俺なのにな。」


「…俺だって、たまには落ち込む。」


顔を上げた将悟は、むっとした表情で、亮太を見る。


しっかりしていて、少し考え方が大人びている将悟だって、

自分と同じ人間なのだ。

間違えることくらい、ある。

落ち込むことも、あるはずだ。


「日向もおかしいけど、彼方もなんか変だ。

 このままほっといたら、ダメな気がするんだ。」


何かを考えるように、ゆっくりと将悟は言葉を紡ぐ。

将悟は彼方と、何を話したのだろうか。

自分と同じように、彼方に牽制されたのか、

それとも、何か核心に触れたのか。


「そうだな。いざとなったら、俺らがアイツらの力になってやったらいーじゃねーか。

 俺たちはアイツらの友達なんだから!」


明るい亮太の言葉に、将悟はの険しい表情が少し緩んだ。



足元の海では、ゆらゆら、ゆらゆら、波が揺れている。

それはまるで、人の気持ちのようだった。




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