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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「間違った痛み」

登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向に好意を寄せている。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。



 「間違った痛み」




夏祭りの前日。

いつものように、百合と公園で他愛のない話をした。

百合は柔らかく微笑んで、幸せそうに笑う。

その笑顔が、彼方に似ていて、どうしようもなく胸を締め付けられる。


「…どうしたんですか?」


百合はすぐに日向の表情の些細な変化に気付く。

気付いて、気づかないふりをしたり、心配そうに顔を覗きこんだりする。


「いや…なんでもない。」


不器用に、取り繕って見せる日向。

百合は少し考えるように首を傾げて、伏し目がちに口を開く。


「日向先輩…お願いがあるんですけど…。」


「なんだ?」


「明日の夏祭り…二人っきりで行きたいです。」


顔を上げて、真っ直ぐに日向を見つめる百合。

断られると思っているのか、その瞳は、少し不安そうだった。


明日は千秋や亮太、将悟と約束していた夏祭り。

千秋に怒鳴って、泣かせてしまって、さらには告白された手前、

顔を合わせづらいし、日向は大勢で騒ぐのも得意じゃない。

クラスメイトより、百合と一緒にいた方が気が楽だ。

それに、百合と一緒にいれば、千秋や亮太に、余計なことも言われないだろう。


「…わかった。いいよ。」


小さく答えると、百合は嬉しそうな顔をする。

さっきまでの不安そうな顔が嘘みたいだ。


「本当にいいんですか?クラスの人と一緒に行く予定じゃ…。」


少し遠慮がちな百合の言葉に、日向は小さく笑う。

嬉しそうにしているのに、人の心配もする。

百合は、優しい子だ。


「百合と一緒の方がいい。

 それに、クラスの奴らは学校始まったら、嫌でも顔合わせるからな。」


その言葉に、百合は子供のように、あどけない顔で笑う。

目を細めて、柔らかく、ふわりと。


「日向先輩…大好きです!」


彼方に似たその笑顔が、好きだった。

きっと自分は、百合に恋をしている。

そう思い込むことしか、できなかった。

そう思い込むことで、孤独を誤魔化した。







夏祭り当日の朝、日向はベッドの中にいた。

夏休みだから早起きする理由もないし、一人ではやることもない。

夏祭りは夜からで、百合との待ち合わせも夕方だ。


亮太には昨日の夜に「やっぱり夏祭り、百合と行く。」と短いメールを送った。

亮太の返信は早く、「ちゃんとエスコートしてやれよ!」と亮太らしいメールが届いた。

百合から、自分たちが付き合ったということを聞いているらしい。

少しだけ、亮太に引け目を感じる。


孤独を紛らわすように、日向は彼方と眠ったベッドに身を沈める。

目を瞑れば、隣で彼方が眠っているような気がして、

一人の時は、ずっとベッドの上にいた。


彼方が帰って来なくなって一週間。

週に一度は帰ると言っていたのに、彼方からの連絡は一切なかった。

一人になると、彼方のことばかり考える。


どこにいるのだろう。

何をしているのだろう。

誰といるのだろう。

自分のことを、少しは考えていないだろうか。


―彼方に会いたい。


無意識に、首筋の傷に触れる。

もう彼方の噛み跡は残っていなかった。

それでも、自分の爪を首筋に突き立てる。

それが日向の癖になっていた。


傷があれば、まだ彼方と繋がっていられる。

そんな浅はかな考えが、頭に浮かぶ。

だから無意識に首筋の傷を抉る。

日向の首筋は、傷だらけだった。


別にいい。

パーカーのフードやストールを巻けば隠せる。

学校もないのだから、制服を着なくてもいいし、服装でどうにでもなる。


けれど、自分でつけた爪跡よりも、彼方の噛み跡が欲しかった。

自分は彼方のモノだと、そう疑わせない傷跡が、欲しかった。




ふいに、玄関の扉が開く音がする。

こんな朝早くに、誰だろう。彼方だろうか。

いや、彼方から連絡は来ていない。

きっと、自分に会いたくないのだろうから、帰って来ないだろう。

だとしたら、返ってくる人間は一人。

母親だろう。


日向は身を隠すように、静かに布団を頭まで被る。

きっと、また虐待を繰り返す。


その足跡は不安定に、フラフラと、日向の部屋に近付いてくる。

きっと泥酔した母親だ。

隠れても、どうせ殴られる。

日向は布団の中で、身を強張らせた。


そして、部屋の扉が静かに開く。

扉を開けた人物が、自分の隠れる布団に近付いてくる。


「日向…。」


小さく呟くその声は、彼方の声だった。


「彼方…?」


日向は驚いて布団を捲ると、日向を組み敷くように、彼方が抱き付いてきた。


「はあっ…。やっぱり日向が一番いい。落ち着く…っ。」


彼方は日向の存在を確かめるように、強く抱きしめながら、

肩口に顔を埋めて、切なそうな吐息を洩らす。


「おい、どうし…」


突然のことに、日向は驚いて身を起こすと、

彼方の様子がいつもと違うことに気付く。

彼方から、アルコールの臭いがした。


「酒、飲んでるのか?」


顔を上げた彼方の目はトロンとしていて、相当の酒を飲んだようだった。


「日向…好きだよ。好き。大好き。」


トロンとした目で切なそうな、愛しそうな視線を日向に向ける。

両手で強く日向の体を抱きしめて、彼方は縋るように身をくっつける。

その体温は暖かく、久しぶりに抱き付いてきた彼方に戸惑いながらも、日向は嬉しかった。


「彼方…どうしたんだ?なんで…酒なんか飲んでるんだ?」


縋りつく彼方の髪を撫で、日向は彼方に語り掛ける。

その髪からは、この前のモノとは違うシャンプーの香りがした。

彼方は自分の頭を撫でる日向の手に、気持ちよさそうに目を瞑る。


「日向の手…好き…。」


そう言いながら、日向の首筋に顔を埋める。

どうやら、相当酔っ払っているらしく、話を聞いていないようだ。


そして、日向の首筋の爪跡を見て、彼方は少し悲しそうな顔をした。


「これ…また、自分でやったの?」


彼方はその傷を、そっと指でなぞる。


「駄目だよ…。」


そう言って、爪跡に舌を這わせたと思ったら、首筋に鋭い痛みが走る。


「いた…っ!」


爪で抉ったようなものではない、固い歯の感触。

彼方が、自分の首筋を噛んでいた。

強く、強く。

まるで、自分を刻み付けるように。


「ごめんね…痛いよね…?」


そう言いながら、首筋から口を離して、彼方はその傷を舌で舐める。

その舌の感触は生暖かく、血が滲んだ傷口はヒリヒリと熱を持った。


その痛みがひどく嬉しくて、涙が出た。

この痛みが、欲しかった。

この傷が、欲しかったんだ。

もっと。もっと、欲しい。


「…大丈夫だから、もっと…ちゃんと痕つけて。」


日向は静かに首を振って、彼方の髪を撫でる。

彼方は顔を上げて、切なそうな瞳で日向を見つめる。


「ねえ、日向。これは…夢だよね…?」


「え…?」


彼方は日向の涙を指で拭って、再び日向の首筋に顔を埋める。

そして、切ない吐息を洩らす。


「夢だから、いいよね…?」


「何言ってるんだ…?」


意味がわからずに、日向が戸惑っていると、再び首筋に鋭い痛みが走る。


「…っ!かな、た…っ!」


先程よりも強く噛む彼方。

角度を変えて、場所を変えて、何度も何度も、日向の皮膚に歯を立てる。

興奮しているのか、少し息が荒いような気がした。


「好き…好きだよ…。」


「日向は僕のだよね…?」


「ごめんね…痛いよね…?でも、やめてあげられない…っ。」


「誰にも渡したくない…っ。」


うわ言のように、熱を持った言葉を呟きながら、

彼方は日向の体に、噛み跡を残していていく。


痛いけれど、痛みなんて、感じなかった。

ただ彼方が、自分に執着してくれることが、嬉しかった。

今までのように、二人でくっついていられることが、嬉しかった。


アルコールと、自分の知らないシャンプーの香りに包まれた彼方。

どこで、誰と、何をしていたのかは知らないけれど、

彼方が自分のもとへ、戻ってきてくれた。

自分を好きだと言ってくれた。

それだけで、嬉しかった。


彼方は首筋だけではなく、肩口や胸元も噛んだ。

愛しそうに、切なそうに、何度も何度も、噛み跡を付けた。

唇が皮膚に触れる感触、歯が食い込む痛み、彼方の強い腕の力。

それが、たまらなく嬉しかった。


痛みか、嬉しさか、涙が頬を流れる。

その度に、彼方が優しく指で流れる涙を拭ってくれる。

日向は、彼方の髪を指でゆっくりと、優しく、梳く。

日向の手の感触に、彼方は顔を上げて、柔らかく笑う。


その笑顔は、日向が好きな彼方の、真っ白な笑顔。

柔らかくて、上品で、あどけない、そんな笑顔。

女子に向ける笑顔とは違う、自分だけに向けられる、素直で優しい笑顔だ。



しばらくして満足したのか、彼方は日向の隣に、ごろんと寝転がる。

久しぶりに、二人でベッドに横たわる気がした。


「噛みすぎだ、馬鹿。」


そう言った日向の表情は、怒っている、というより、嬉しそうだった。

しかし、首筋だけではなく、肩口や胸元も、彼方の噛み跡でいっぱいになっていた。

ところどころに血が滲んで、赤い歯形がハッキリと残っている。


「ごめんね。久しぶりに日向を見たら、つい…。」


トロンとした目のまま、彼方は申し訳なさそうに呟く。

そして、日向と指を絡めて、強く、手を握る。

酒の飲みすぎのせいか、彼方は眠たそうな顔になっていた。


「寝るのか?」


日向がそう聞くと、彼方はゆっくり頷いた。

そして、眠たそうに、小さく呟く。


「日向…僕が起きるまで傍にいてよ…。ずっと、手を握ってて…。」


ぎゅっと、彼方の手に力が籠る。

久しぶりに繋いだ手は、暖かかった。


「わかった。」


日向が返事をすると、彼方は満足げな笑みを浮かべて、目を閉じる。

しばらくすると、静かで穏やかな寝息が聞こえてきた。


こうやって向かい合って眠るのは、いつぶりだろう。

彼方の穏やかであどけない寝顔が、懐かしい気がする。

彼方に触れるのも、手を繋ぐのも、指を絡めるのも、

全部全部、久しぶりだ。


彼方に噛まれた傷が、痛い。

けれど、今は幸福感でいっぱいになっていた。


彼方がここにいる。

自分の隣にいる。

笑ってくれる。

自分を見てくれる。

触れさせてくれる。

手を繋いでくれる。

噛み跡を、残してくれる。

それがひどく、幸せだ。


静かに眠る彼方の頬に触れてみる。

すると、彼方は少し顔をしかめて、もぞもぞと寝返りを打つ。

繋いだ手が離れる。

それでも、幸せそうに眠る彼方の隣にいられることが、嬉しい。

彼方を抱きしめ、体温に触れながら、目を閉じる。ああ、幸せだ。




いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。

目を開けると、隣に彼方はいなかった。

時計を見ると、昼過ぎを指している。


―起きるまで傍にいろ、とか言ってたのに。

 

日向は部屋を出て、リビングに向かう。

その途中で、風呂場から水音がするの気付く。


―なんだ、シャワー浴びてるのか。


きっと腹を空かせているだろうと思い、日向は冷蔵庫を開けて、適当に食材を見繕う。

彼方に料理を作るのは、久しぶりだ。腕が鳴る。


日向が調理をしていると、彼方がリビングに来た気配がした。

日向は、台所から顔を覗かせると、

彼方は髪を乾かして、着替えて、何処かへ行く用意をしていた。


「彼方、飯、食うだろ?」


少し嬉しそうな日向の声に、彼方は驚いた表情で振り返る。

そして、視線を逸らして、そっけなく呟いた。


「…いらない。」


気まずそうに顔を背けて、日向の方を見ようとしない彼方。

日向はそんな彼方の様子に違和感を感じ、包丁を置いてリビングに入る。

近付く日向に、彼方は一瞬身を震わせて、距離を取る。


「僕どうやって帰ってきたんだっけ…。昨日の記憶、全然ないや。

 …なんか、いつの間にかベッドで寝てたから、びっくりしたよ。」


目を逸らして、少し早口に澄ました顔で呟く。

これは、昨日までの、自分を避けている彼方の顔だ。


「何も、覚えてないのか…?」


「…?うん、全然覚えてない。」


彼方はわざとらしく、日向の方を見ないまま、首をかしげる。


そんなはずない。

朝方、確かに、彼方は自分の首筋を、肩口を、胸元を、噛んだのだ。

「好き」だと言って、「自分のモノ」だと言って、縋りついたのだ。

手を握って、一緒にベッドで眠ったのだ。


日向は、自分のシャツの胸元を開いて、噛み跡を彼方に見せようとする。


「これ…」


「覚えてないってば!」


日向の言葉を遮って、怒鳴るように声を荒げる彼方。

それはまるで、日向を拒絶しているようだった。


「…僕、バイト行かなきゃいけないから。」


彼方は一度も日向と目を合わせることもなく、足早に玄関へと向かう。


「待て…!」


日向は慌てて、彼方の腕を掴む。

今度こそ、ちゃんと繋ぎとめておきたかった。

やっと、いつもの彼方が戻ってきたと思ったのに、ここで手放したくない。

手を離したら、また彼方がどこか遠くへ行ってしまうような気がして、日向は必死だった。


「そういうのやめてよ!そんなふうに、くっつかないでよ!!」


苛立ったように、荒げた声で、彼方は日向を拒絶する。

日向の手は、乱暴に振り払われた。


「え…。」


「男同士で…そんなふうにくっつくの、おかしいと思うよ。」


その言葉に、日向は何も言えなくなる。

彼方の冷たい言葉が、心に突き刺さる。

彼方の瞳は、日向を映さない。


「じゃあね。…また、しばらく帰って来ないから。」


そう言って、振り返ることなく、玄関の扉を開けた彼方の表情は、見えなかった。

そして、乱暴に、玄関の扉が閉まる。




日向は、また、独りになった。




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