「懇願」
登場人物
高橋日向 双子の兄。一人称は俺。
高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。
坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。
中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。
矢野千秋 クラスメイト。
渡辺真紀 バスケ部マネージャー。
竹内京子 二年生。
新田百合 一年生。日向に好意を寄せている。
白崎先生 精神科医。
リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。
お姉さん リッキーの飼い主。
「懇願」
「リアル壁ドンとか初めて見たわー。あれ双子のチャラい方じゃない?」
真紀が指さす方には、一回の空き教室。
そこには、彼方と、彼方に抑え込まれている百合がいた。
「アイツ…百合ちゃんに何やってんだ…!」
二人を見て驚いた表情をする将悟に、真紀は不思議そうな顔をする。
「百合ちゃんって…亮太が好きなあの百合ちゃん?」
「そうだ。詳しくは言えないけど、あの二人を会わせちゃダメなんだよ!」
そう言って、将悟は走り出す。
あの事件の日と同じように、校舎の玄関の方へ。
何故あの二人が、あの時と同じ場所にいるのか。
何故百合が彼方に抑え込まれているのか。
またあの時と、同じことになってしまうのではないか。
このままでは、いけない。
早く百合を助け出さなければ、と逸る気持ちで走る。
「なんかよくわかんないけど、
あの百合ちゃんって子を、あのチャラ男から引き剥がせばいいわけ?」
横を見れば、真紀が将悟の走りについてきていた。
状況がよく飲み込めない風な顔をして、首を傾げて真紀が将悟の横を走る。
「あ、ああ…。」
少し息切れしながら将悟が答えると、真紀は息一つ切らせず、
涼し顔をして頷いた。
「おっけー。わかった。」
そう言って、真紀は加速する。
将悟を軽々追い抜いて、振り返ることもなく全力疾走で校舎の方へ。
「真紀ちゃん…足早すぎ…。」
真紀は亮太と同じく体育会系だ。
バスケ部のマネージャーだったが、運動神経もよく、足も速い。
息を切らしながら必死で将悟が走っても、真紀の背中はもう遠くなっていた。
「本当に日向のことが好きなら、絶対に日向を裏切らないで。
何があっても、日向の味方でいてあげて。日向を、支えてあげて。」
切なげな瞳を向けて、肩を震わせる目の前の少年は、とても脆く、儚く見えた。
きっと彼も日向のことが好きなのだ。
不器用でも、大事に思っているのだ。
「どうして私に…そんなことを言うんですか?」
揺れる彼方の瞳を覗き込み、百合は静かな声で問う。
彼方は俯いたまま、自嘲気味の笑みを浮かべ、自分の拳をぎゅっと握る。
「…僕には、それができないからだよ。
でも、日向は誰かを必要としてる。日向は寂しがりなんだ。
このままじゃ、日向が壊れてしまう。」
日向が壊れてしまう。それはどういうことだろう。
彼方は、何を心配しているのだろう。何を憂いているのだろう。
どうしてこんなに苦しそうに、顔を歪めるのだろう。
「…どういう、意味ですか?」
彼方は唇を噛みしめ、顔を上げる。
恨めしそうな、悔しそうな、そんな顔を百合に向ける。
「そのまんまの意味だよ。本当は君になんか、頼みたくないけど…。」
そう早口で小さく呟いた彼方は、百合の手を取って、詰め寄る。
真剣な瞳で、真っ直ぐ百合を見据えて、ハッキリと、乞うように呟いた。
「ねえ、日向を助けてあげてよ。」
彼方の縋るような切ない表情に、百合は戸惑う。
「助けるって…」
百合の言葉を遮って、ふいに、乱暴に扉が開く。
二人が驚いて教室の扉の方を見ると、
短いふわふわの髪を揺らして、少女が教室に入ってきた。
「はーい、ちょっとしつれーい!」
その少女は飄々とした口調で、少し早足で真っ直ぐ百合の方へ近付く。
そして、ポカンと口を開ける百合の手首を強引に掴んだ。
「え?え、あの…」
「いいから、大人しくついてきて。」
戸惑う百合に、真紀は有無を言わせず、教室の外へと腕を引っ張る。
百合は手を引かれるまま、真紀に引きずられるように廊下へと促される。
彼方は、真紀の背中を見て、小さくため息を吐いた。
「また君か…。正義のヒーローみたいだね。
でもまだ、僕との話終わってないんだけど?」
おどけたように、肩を竦めて微笑む彼方。
先程までの切なそうな表情を、笑顔の仮面で隠す。
真紀は視線だけを彼方に向けて、吐き捨てるように言う。
「お生憎様。そんな大したもんじゃないわよ。
それに、そっちの都合なんて、私には関係ないわ。」
そして足早に百合と共に、廊下へと消えていく。
力強い手に引かれるまま、教室を出る間際に百合が振り返ると、
彼方は苦しそうな顔をして、手で胸を押さえて、俯いていた。
百合は手を掴まれたまま、無言で廊下を歩く。
自分の手を掴むこの少女は上級生だろうか、見たことがない顔だ。
どうしてあの場所から自分を連れ出したのだろう。
どうしてこの人は自分の手を引くのだろう。
この人と彼方は、知り合いなのだろうか。
「あ、あのっ…」
百合は疑問をぶつけようと口を開く。
しかし、その言葉は真紀の声に遮られた。
「あ、将悟おっそーい!」
廊下の曲がり角を曲がると、息を切らせた将悟が姿を見せた。
フラフラとした足取りで、二人の傍まで小走りで近づく。
「真紀ちゃん…ホント足早すぎ…。」
「もうこっちは任務完了よー。」
息を切らした将悟とは違い、真紀は涼しい顔をして、答える。
二人の前まで来て、足を止めた将悟は膝に手をついて、肩で息をしていた。
将悟が自分を助けるように、この少女に指示してくれたのだろうか。
どこか遠くから、自分を助けるために走って駆け付けてくれたのだろうか。
「中村先輩…。」
「変なこと、されてないか?」
自分を見た将悟は、息を整えながら、百合の顔を窺う。
「はい、大丈夫です。ちょっと、お話をしていただけです…。」
「よかった…。」
その言葉に、将悟は安心した様子で笑う。
真紀はその様子を見て、百合の手を離し、面白くなさそうな顔をする。
「アンタさー、お姫様じゃないんだから、
守られるだけとか、情けないと思わないの?」
呆れた様子で、真紀は百合を見つめる。
身長が高い真紀に、見つめられるというより、見下ろされているようだ。
「すみません…。
でも違うんです!本当にお話をしていただけなんです!」
「でもさっき、アイツに抑え込まれてたろ?」
二人はきっと、彼方が何かしようと、何かしたと、思い込んでいる。
けれど、そうじゃない。
あの人は、自分に何かを伝えたかったのだ。
その何かをすべて聞けたわけではないけれど、
きっと、とても大事な話だったのだ。
「あれは…そうですけど…。
でも本当に変なことされてたわけじゃなくって…その…。」
口ごもる百合。
あの教室で話していた内容は、言わない方がいいような気がしていた。
わざわざ二人きりで話せる場所を選んで、
自分にあんな顔を見せた彼方のことを、悪くは言えなかった。
ハッキリと言わない百合を横目で見て、真紀は大きなため息を吐く。
そして、両手をパンと叩き、二人の注目を集める。
「ま、もういーじゃない。任務しゅーりょー!ほら帰ろー?」
そう言って、二人の間を割って、玄関のある方へ足を進める真紀。
言い辛いことを察して、助けてくれたのだろうか。
窓から差し込む夕日に照らされる、自分より大人な背中は、とても綺麗だった。
―今、何時くらいだろう。
百合は、ポケットに手を突っ込み、あるはずのモノがないことに気付く。
「あっ…私、さっきの教室に携帯落としてきちゃった…。」
そうだ、携帯電話はあの教室で、彼方に手を掴まれた時に落としてしまった。
教室を出る時は、真紀に引きずられることに戸惑って、
すっかり忘れてしまっていたのだ。
百合が先程の教室へと戻ろうとすると、将悟が制止する。
「俺が取ってくるよ。二人とも、玄関で待ってろ。」
「でも…」
「君に何かあったら、亮太も、日向も悲しむだろ?」
諭すように見つめる将悟の目に、百合は何も言えなくなった。
亮太も日向も心配する。そう言われたら、黙って従うしかない。
今だって、自分のために将悟も真紀も巻き込んでしまったのだから。
百合は大人しく頷く。
「私もいこーか?」
そう言って、真紀は首を傾げる。
けれど、将悟は首を振った。
「いや、真紀ちゃんは百合ちゃんと一緒にいて。」
「おっけー。」
軽い返事を返して、真紀は玄関の方へと百合を誘う。
将悟はその背中を見送り、彼方がいる教室へと足を進めた。
夕日が差し込む時刻。
この辺りは体育館からも、グラウンドからも離れていて、
部活動をする生徒の声も遠く、静かだった。
将悟は教室の扉の前にきて、中を見渡してみると、
教室の隅にしゃがみ込んで、膝を抱えて、不安定な呼吸をしている彼方がいた。
過呼吸に耐えているのだろうか。
苦しそうに顔を歪めて、胸に手を当てていた。
「おい、大丈夫か…?」
その声に、彼方は膝を抱えたまま、視線だけ向けて、低く唸る。
「なんだ…中村君か…。」
将悟は彼方に駆け寄って、視線を落とすと、
彼方の傍には見慣れた薬のシートが落ちていた。
これは、彼女が飲んでいた薬と、同じものだ。
「お前…。これ、結構強い薬なんじゃねーの?」
将悟はその薬を拾い上げて、シートに記載されている薬の名前を確認する。
まだ半分ほど残っている薬を見ると、真ん中に切れ目のある、白い楕円形だった。
これは、抗不安薬だ。
精神安定剤の一種、不安や発作を和らげる薬。
「中村君には関係ないでしょ。」
薬を見つめる将悟を見て、彼方は力ない手で将悟からその薬を奪い返す。
「これ飲んでるの、日向は知ってるのか?」
「日向には言わないで。」
「言わないでって…アイツ、知らないのかよ。」
「言ったところで…どうにもならないよ。ただ、心配させるだけだ。」
俯いたまま、心臓を押さえて、薬を握りしめて、
不安定な呼吸交じりに、彼方は冷たく呟く。
「でも…」
「うるさいなあ…中村君には関係ない!
そろそろ行ってくれないかなあ?こんな姿…人に見られたくないんだけど。」
額に汗を浮かべて、苦しそうに背中を丸めて、胸を押さえる彼方。
苛立ちが見えるその声も、過呼吸に耐えるせいか弱弱しい。
そんなことを言われても、
将悟はここで苦しそうに呼吸を荒げる彼方を、一人にはしておけなかった。
苦しいはずなのに人を拒む、そんな姿が彼女に似ていたからだ。
ここで見捨てたら、また間違えてしまいそうで、怖かった。
将悟は彼方の隣にしゃがみ込み、
苦しそうに呼吸を荒げる彼方の背中をさする。
あの日、日向がしていたように。
「ちょっと…触らないで…!」
背中に触れる将悟の手を振り払おうとする彼方。
それでも、将悟は彼方の背中をさすることを、やめなかった。
「うるせえ。治まるまで傍にいてやるから。
…だから、あんまり抱え込むなよ。」
「なに…それ…。」
徐々に彼方の呼吸が落ち着いてくる。
その様子を見て、将悟は安心してため息を吐く。
「なんで…こんなことするの…?」
呼吸が落ち着いた彼方は、将悟から目を背け、窓の方を見つめていた。
過呼吸を起こして、ひどい状態になった後に、顔が合わせづらいのだろう。
恥ずかしさや、情けなさで、こちらを向けない。
そんなところも、彼女と一緒だと思った。
「さあ、なんでだろーな。」
逆光に眩む彼方に背中を見つめながら、床に胡坐をかいて答える。
彼女に似ていたから、なんて、言えるはずもない。
「中村君はさ、最近日向と仲良いみたいだけど、
…日向のこと、裏切らないでね。」
そう呟く彼方の表情は見えない。
自分に背を向け、窓を見つめたままの静かな声は、
どこか憂いを含んでいるようだ。
「お前こそ、最近アイツと距離取っているように見えるけど?」
「……。」
無言のまま、何も言わない彼方に、変な違和感を感じる。
彼方も彼女と同じで、一人で抱え込んでいるのではないか。
一人で、消えてしまうのではないか、という不安に苛まれる。
「お前さ、死にたいとか、自殺しようとか…思ってないよな?」
自分に背を向ける彼方のその背中が、少し揺れた様な気がした。
「…中村君には何の関係もないよね。」
否定も肯定もしない。
それは、肯定しているのと同じなのではないか。
夕日に眩むその背中が、何故かとても小さく見えた。
「日向、お前のことすごい大事にしてるの、わかってるよな?」
「……。」
答えたくないのか、口を噤む彼方。
そんな背中を見て、将悟は大きなため息を吐く。
「いきなり目の前から大事な奴がいなくなったら、わけわかんなくなってさ、
そんな現実受け入れられなくて、いろんなとこ探し回るんだ。
でもどこにもいなくてさ、…まあ当たり前なんだけど。
それでも、急にひょっこり出てくるんじゃないかって思ってさ、
探せずにはいられなくて、やっぱり探し続けるんだ。
きっと、たぶん、一生。
…いないはずの人間の幻影に、囚われるんだ。」
ゆっくりと、たどたどしい将悟の言葉に、彼方はゆっくりと振り返る。
「何それ。まるで中村君がそうみたいな言い方…」
彼方はそう言いながら、将悟の方を向くと、意外な顔が見えて言葉が詰まる。
将悟は切なそうな表情で、遠くを見つめていた。
「お前も日向のこと大事なら、馬鹿な真似するんじゃねーぞ。」




