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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「触れる指先、触れられない心」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向に好意を寄せている。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。


 「触れる指先、触れられない心」




学校も何もない、ただの土曜日。

朝起きると、いつものように彼方が壁の方を向いて眠っていた。

早起きする理由もないし、日向はそのまま起き上がって、

隣で眠る彼方を見つめる。


最近は、一人で眠りにつくことが多くなった気がする。

昨日も日付が変わっても、彼方は帰って来なかった。

朝起きたらいつの間にか隣で彼方が眠っている、そんな生活が続いていた。


きっともう、彼方が自分に笑いかけてくることはない。

日向は、なんとなくそう感じていた。


「もう、戻れないのか…?」


小さく呟いた声は、朝の静寂に消える。


こんなに近くにいるのに、彼方の瞳に自分が映ることはないと思うと、

どうしようもない、モヤモヤとした不安に襲われる。


彼方は毎日いろんな女子に囲まれている。

その中に、彼方の好きな人もいるのだろうか。

もう既に、自分以外の誰かの手を取ったのだろうか。


これでよかったはずだ。

自分以外の、誰か女子の手を取るのが、彼方の望んでいた普通の人生だ。

進路も決めて、バイトも始めようとして、彼方は普通の人生を歩もうとしている。

これでいいはずなのに。


いつまでも一緒にはいられないと、二人別々の人生だと、

自分たちの人生に一番いい選択をと、将悟の言葉を借りて、最初にそう言ったのは自分だ。

先に彼方を突き放そうとして、傷つけたのは、自分だ。


そこから彼方の過呼吸が始まった。

彼方の縋るような瞳に、手を離してはいけないと思った。

自分が彼方を守らなければ、と思った。

認められなくても、許されなくてもいいとも思った。


けれど、このままでは許されるはずがない関係に、

足が竦んで、彼方から手放してくれたらいいのに、と思ったこともあった。


本当にそうなってしまった今は、どうしようもなく不安に揺れているのに。


結局自分はどうなりたいのか。どうしたいのか。

手を離そうと思って、その手を振り払おうとして、

その手が離れていきそうになったら、縋りつきたくなって。

こんなの、ただの自分勝手なワガママじゃないか。


わかっている。わかっているんだ。

これでよかった。これが正しい。

なのに、日向は苦しくて仕方がなかった。


心が荒んでいく。

カラカラに乾いていく。

それでも、何も言えないままの自分が、ひどく惨めに思う。


本当はもう痛みなんてないのに、彼方に噛まれた傷が、ズキズキと疼く。

左側の首筋の傷はすっかり薄くなっていて、

母親につけられた爪痕の方が、クッキリと残っていた。


この傷の意味は何だったんだろう。

彼方の独占欲、自分のモノだという所有欲ではなかったのか。

この傷が完全に消えてしまえば、もう二度と戻れない気がした。

これが、最後の絆のような気がした。


その傷跡に、爪を立ててみる。

力を込めて、抉るように爪を突き刺した。

微かに血が滲んで、ヒリヒリとした痛みがする。

いや、痛くはない。

痛いのは、心だ。


血は滲むだけで、流れることはない。

流れたのは、涙だった。


「日向…?」


彼方の声に、我に返る。


無意識だった。

いや、意識していたのだろうか。

きっと、どうかしていた。


「なに…してるの?」


目を覚ましてこちらを見る彼方は、

涙を流し、首元から血をにじませている日向を見て、

眠そうな目を見開き、驚いているようだった。


日向は慌てて涙を拭うと、指の爪先には血がついていた。

血と涙が混ざって、指をするりと滑り落ちていく。


「…なんでもない。」


こんなことを、思ってはいけないのかもしれないけれど、

久しぶりに彼方が自分を見て、心配そうな眼差しを向けていることに、安心した。


彼方が、自分を見てくれている。

そう思うと、ひどく安心した。


「なんでもないって…そんなわけないでしょ。」


彼方は驚いた表情のまま、何も言わない日向に、戸惑っていた。


何か言わなければ。

しかし、日向は何を言ったらいいのかわからなかった。


少しの沈黙が流れた後、彼方は視線を伏せ、

フラフラと立ち上がり、戸棚の中から薬箱を取り出す。

その中から絆創膏を探して、少しためらうように、そっと日向の傷口に貼る。


「馬鹿なこと、しちゃダメだよ。」


久しぶりに触れた彼方の手は、温かかった。

日向はその体温が、もっと欲しいと思った。

もっと自分に触れてほしいと、そう思った。


けれど、彼方は何かを言いたそうに日向の顔を見たが、すぐに目を逸らす。


「僕、出掛けるから。…変なことしないでね。」


彼方はそう呟いて、ベッドを降りる。


また彼方の背中が遠くなる。

そう思った日向は、反射的に彼方の服の袖を握った。


「な、なに?」


引きつった顔で、彼方が振り向く。


―ああ、そんな顔が見たいわけじゃないのに。


「行くな…。」


日向の縋るような、今にも泣き出しそうな顔に、彼方は胸が締め付けられる。

けれど、この手を握り返してはいけない。


「ごめん…。僕、行かなくちゃ。」


そう小さく呟いて、日向の手を振り払った。







体育館に響く、ボールが跳ねる音。

バスケットシューズが擦れる高い音。

たくさんの大きな声援。


そんな光景を見ていられなくて、亮太は体育館を出る。

そして眩しいほどの日差しを避けて、木陰のベンチに座り込み、俯く。


顔に滴る汗をタオルで拭いながら深くため息を吐くと、

聞きなれた声が頭上から聞こえた。


「終わっちゃったね。」


顔を上げれば、真紀が亮太を見下ろしていた。


「そうだな。」


「…なんだ、泣いてるのかと思った。」


そう言いながら、真紀は顔を上げた亮太に、意外そうな顔をする。

そして、遠慮もなしに、慣れた様子で真紀は亮太の隣に座った。


トーナメント戦で一度でも負けたら終わり。

そんなシンプルな世界だった。


二人の夏の県大会は、もう終わったのだ。


「まさか予選落ちするとは思わなかったわ。」


いまだに吹き出る汗を拭いながら、亮太は再びため息を吐く。

そんな亮太を横目で見て、真紀も感慨深そうに呟いた。


「これで引退かー。なんかあっという間だったね。」


実質二年半、毎日打ち込んできたバスケも、明日からはできなくなる。

部活を引退するだけで、毎日がガラリと変わってしまう気がした。


「そうだな。これから受験勉強かー。」


本格的に、これからの進路を絞る時期が来る。

今まで当たり前だと思っていた学校も、部活も、友人関係も、

この日常全てが、ゆっくりと形を変えていく。

そんなことを考えてはいても、まだ実感は湧かなかった。


「亮太は、進路どうするの?大学?」


真紀はふわふわのショートカットを揺らして、亮太の顔を覗きこむ。

亮太は少し考える素振りを見せ、遠くを見つて口を開く。


「んー、とりあえず地元の大学かなー。まだ自分がやりてぇことなんて、わかんねーし。」


「そっか。…どこの大学受けるか、決まった?」


「偏差値的には海南大かなー。あそこスポーツも盛んだし。」


亮太は、足を組んでベンチに凭れかかりながら語る。

試合の後だからか、少し疲れた様子で、頭の上で手を組んで背中を伸ばす。

引き締まった筋肉のついた長い腕が、亮太の頭上で伸びる。

その横顔は、昔に比べたらすっかり大人びていて、真紀は胸がときめいた。


そして、決心したように、真紀は小さな声で呟く。


「私も、…私も海南大受けるよ。」


「え?真紀ちゃんだったら、もっといいところ行けるだろ?」


口をポカンと開けて、意外そうな顔をする亮太。

真紀は亮太よりもはるかに成績がいい。

そんな真紀が、海南大学を受けると言い出したことに、驚いた。


亮太をまっすぐ見つめる真紀の目は、真剣だった。

その大きな瞳に吸い込まれそうになる。


「海南大に行きたい学部があるの。海南大じゃないと駄目なの。

 だから…アンタも勉強頑張って、絶対…絶対受かりなさいよ!」


強気な瞳で、微笑む真紀。

いつも少し乱暴で、ワガママで、気まぐれで、彼女に困らせられることは多かった。

けれど、いつも亮太はそんな強気な真紀に助けられていた。

いつだって、迷ったら手を引いてくれるのは、真紀だった。


疑いのない強気な真紀に、亮太は笑いが零れる。


「なんだそれ。高校卒業しても真紀ちゃんと一緒かよー。」


「アンタが受かればの話だけどね。」


「えー?真紀ちゃん、俺が受験失敗すると思ってる?」


自信満々な様子の亮太に、千秋は呆れた。


「定期テストが全部追試の時点でね…。」


「それは…その…。」


痛いところを突かれて、亮太は口ごもる。

そんな亮太を見て、真紀は大きなため息を吐く。


「はー…。じゃあ私がアンタの勉強も見てあげるわよ。」


二人の関係は年頃の男女の関係とは、少し違う。

それでも、真紀は亮太の傍にいられるなら、この想いを閉じ込めておこうと思った。


ずっと昔から傍にいるのだ。

今すぐどうこうなろうとは思わない。

少しずつ、時間と共に、二人の距離が縮まればいいと願った。







二両編成の静かな電車の中。

田舎から街の方へと向かう上りの車内は、ほとんど乗客がいなかった。


電車に揺られながら、彼方は考える。


日向が、追い詰められている。

追い詰めたのは、間違いなく自分だ。

それでも、今は日向の手を取るわけにはいかない。


しかし、このままでは日向が壊れてしまう気がした。

どうにかしなければ。なんとかしなければ。

日向には、笑っていてほしい。


久しぶりに日向に触れた手は、熱を持っているように熱い気がした。

触れないように、見つめないようにしていたのに。

触れた指先から、感情が溢れ出してしまいそうだった。


部屋を出る前に見た、日向の縋るような、泣きそうな顔が、頭から離れない。

そんな顔をさせたいわけじゃないのに。

どうして自分はうまくやれないのだろう。


日向は、綺麗だ。

まるで氷細工のように繊細だ。

触れたら、壊れてしまいそうなほどに。

支えを失えば、儚く折れてしまうように。


そんな綺麗で繊細な日向が、大好きだった。

いや、今でも大好きだ。

けれど、自分が日向の支えになることはできない。

それは、許されないことだ。


薬のせいか、頭がぼうっとする。

日向のあんな顔をみたら、心臓が痛くなる。

上手く呼吸ができなくなる。


薬を変えてもらってからは、少しは発作がマシにはなったが、

完全に発作が起きないという保障はない。


―どうしてこんな思いをしなくちゃならないんだろう。


何度発作を起こしても、その苦しさに慣れることはない。

最近は、いつ発作が起きるかわからない、という不安にも苛まれる。

もう何をしても、報われない気がしていた。


もういっそのこと、日向以外の誰かに縋りつきたかった。

誰でもいい、自分を認めてくれる人に、甘えたかった。

こんな惨めで、情けない自分を、慰めてほしかった。


それができないのなら、もういっそ、滅茶苦茶になりたかった。

何も考えずにすむように、自分を滅茶苦茶に壊してほしかった。


彼方は少し自暴自棄になっていた。

この電車の向かう先で、自分は嫌なふうに変わっていくのだろうと、

ぼんやりとした頭の隅で思った。


それでもいい。

何もない自分は、壊れてしまえばいい。

そうすれば、きっと楽になれる。




彼方は窓から流れる景色に、瞳を閉じた。



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