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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「衝突」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。

渡辺真紀 バスケ部マネージャー。

竹内京子 二年生。

新田百合 一年生。日向に好意を寄せている。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。



 「衝突」




追試が始まり、亮太はない頭で必死に解答欄を埋める。

再追試になんてなったら、週末の部活の大会に出られないかもしれない。

全ての教科が追試の時点で、既に大会出場が危うい。

この追試だけは、なんとか赤点を免れなければいけない。


そんなことはわかっていても、頭に浮かぶのは百合のことばかりだった。

空気に流されて告白して、フラれたけれど、自分はまだ百合のことが好きだった。


―俺も…そんなワガママで、諦めが悪い男だったら…どうする?


そんなことを言ってしまったが、百合の日向への強い想いは知っているし、

自分に『これ以上』がないのもわかっている。

しつこくして嫌われるよりも、いい相談相手として傍にいられればいい。

自分にできることはただ一つ、百合の幸せを願うだけ。ただ、それだけ。


教室の中央の方には、彼方の背中が見える。

彼方は何を思っているのだろう。

あんなことをして、何事もなかったように学校に来て、

いつものように楽しそうに笑って、女子たちに囲まれている。


しかし、自分たちと話をすることもなくなったし、

何故か学校では日向を避けているような気がした。

日向と彼方の間に、何があったのかは知らない。


『あの日のこと』は、誰にも言わない約束をした。

―それが百合にとって一番いい。

将悟がそう言ったから、自分も黙っている。


けれど、いつものように振る舞う彼方を、許せるはずがなかった。

一人だけが幸せそうに振る舞うのを、許せなかった。


彼方のせいで百合は苦しんだのに。

自分だって、百合を傷つけられて冷静ではいられないほど、苦しかった。


あの日、彼方を殴ったのは衝動的だった。無意識だった。

ただ反射的に、体が動いてしまった。

百合を傷つけておきながら、おどけてみせる彼方が、許せなかった。憎かった。


馬鹿なことをしたとは思っている。

暴力で何も解決しない。そんなことはわかっている。

けれど、あの時は自分を止められなかった。

彼方を殴ったことに、後悔もない。


あの日、彼方が見せた日向への異常なまでの執着と依存心。

あれは何だったのだろうか。

学校に来るようになった彼方は、話すどころか、日向と視線を合わそうともしない。

彼方の自分勝手な日向への執着心で、百合が傷つけられたのに。


彼方は何がしたいのだろう。

わざと、自分たちと話すことがないように、日向を避けているように振る舞うのか、

日向の様子を見ていると、本当に日向のことを諦めたようにも見える。


日向のことを諦めたのだとしたら、百合はどうなる?

勝手な嫉妬で、巻き込まれて傷つけられた、百合はどうなる?

百合は何のために傷つけられたのか。

なんの意味もなくなる。

無駄になる。


彼方が日向のことを諦めたのだとしたら、百合が傷つけられた意味がなくなる。

百合が何の意味もなく、無駄に、傷つけられたことになる。

今の彼方の態度は、あまりにも自分勝手で都合がよすぎる。

これじゃあ、百合が報われない。


苛立ちで、シャーペンの芯が折れる。


自分が今すべきなのは、テストでも部活でもなく、

百合のために動くことではないのか。


そんなことを考えていると、チャイムが鳴り、追試の終わりを告げた。

半分ほどしか埋まっていないテスト用紙なんて、どうでもいい。

彼方と、話をしなければ。




「彼方!」


テスト用紙を提出して、生徒たちが帰りだしたころ、

亮太は、帰り支度をしていた彼方に後ろから声をかける。

振り返った彼方は、少し驚いたような顔をして、すぐに目を細めて笑った。


「なあに?また僕のこと殴るつもり?」


ニコニコと、いつものように微笑む彼方。

しかし、言葉はどこか棘が感じられ、

笑っているはずのその瞳は、何故かとても冷たく見えた。


いつもと様子が違う彼方に、亮太は少し気後れする。

外見はすっかり変わってしまったが、中身まで別人のような気がした。


「…ちげえよ。話がある。いいから場所変えるぞ。ついて来い。」


そう言って、亮太は教室を出るように促す。

彼方は冷たい瞳を細めたまま、黙ってついてきた。



誰もいない、放課後の空き教室。

窓は閉めきられ、蒸し暑い空気が漂っていた。

亮太は誰もいないことを確認して、その空き教室に入り、

後ろからついてきた彼方に、向き合う。


「お前…なんで百合ちゃんにあんなことしたんだよ。」


眉間に皺を寄せるほど、険しい表情の亮太に、

彼方は、ヘラヘラと笑ったまま答える。


「亮太には関係ないじゃない。

 あ、それとも、亮太はあの子のこと、好きなわけ?」


仮面を被ったように不気味に見えるほどの、彼方の笑顔。

薄ら笑いを浮かべ、亮太を挑発しているようだった。


「…悪いかよ。」


小さく漏らした亮太の言葉を聞いて、彼方は一層、意地悪く笑う。


「へー。あの子のことが好きだから、あの子と近づくために、

 日向と友達ごっこやってるわけ?亮太ってば、最低だね。

 あーあ、日向が可哀想。」


その言葉に、動揺した。


彼方はおどけるように、わざとらしく、両手を開いて肩を落とす仕草をみせる。

口元を釣り上げ、冷たい目で亮太を嘲笑う。


「違う…。そんなんじゃねえよ。…日向とは、ちゃんとした友達だ。」


そうだ。自分はちゃんとした日向の友達だ。

百合のことは好きだけれど、日向とくっついてほしい。

日向から百合を奪うつもりなんてない。

あの時百合に告白したのは、空気に流されたからだ。気の迷いだ。間違えたのだ。


本当は自分で気づいていて、言われたくなかったことを、彼方に暴かれる。


でも確かに最初は、百合を奪うために、日向に近付いたんじゃない。

百合に近付いたのだって、最初は「日向に好意を寄せている子」という、ただの興味本位だった。


裏切るために、近付いたんじゃない。

そう自分に言い聞かせる。


眉間に皺を寄せたまま、無言になる亮太を見て、彼方はさらに続ける。


「でもあの子は亮太の方がお似合いかもね。

 あの子馬鹿っぽいし、子供みたいだし。あ、胸もなかったよ?」


彼方は、馬鹿にしたように、鼻で笑う。

開いたままの両手を開いて閉じて、何かを揉むような仕草を見せる。


その言葉も、仕草も、目障りでしかなかった。


「彼方…お前いい加減にしろよ!…なんで…なんであんなことしたんだよ!?」


苛立ちが消えない。

彼女の負った傷は、計り知れないというのに、

百合のことを、馬鹿にして、見下して、蔑む彼方が、許せなかった。


怒鳴るような亮太の声に、彼方はその笑顔の仮面を捨てる。

そして、面白くなさそうな顔をして、小さく呟いた。


「僕の日向を、取られそうだったから。」


彼方は、目を逸らして、顔を背ける。

その顔は、どこかやるせない表情をしていた。


「でも、もういいんだ。日向は、もういいんだ。」


そう言って、不貞腐れたような顔を亮太に向ける。

亮太は、言っている意味がわからなかった。


「どういう…ことだよ?」


「もう僕には、日向は必要ない。

 だから亮太があの子と付き合おうが、日向が誰かと付き合おうが、どうでもいい。僕には関係ないよ。」


光のない冷たい瞳で、吐き捨てるように言う。

その顔は、あの時、あの教室で見せた顔に似ていた。

まるで、何かを諦めたような、空っぽになったような、冷たくて寂しい瞳。


けれど、彼方の答えに、亮太は納得できるはずがなかった。


「じゃあなんであんなことしたんだよ!?

 お前は…っ!百合ちゃんのこと、なんだと思ってるんだよ!?

 お前のやったことは…許されるわけねえだろ!!」


感情に任せて、彼方の胸倉を掴み、怒鳴りつける。

こんなことをしても、何の意味がないことは、わかっている。

暴力を振りかざすことが正義じゃないことも、わかっている。

しかし、許せない。許せるわけがなかった。


押さえきれないほどの怒りで、彼方の胸倉を掴む腕が震える。

彼方は、激昂した亮太の顔を、冷たい目で見ていた。


「殴りたいなら、殴ればいいじゃない。」


冷淡な彼方の言葉は、まるで機械のように無機質で、感情がなかった。

嘲笑うような、挑発的な冷たい瞳。


「…馬鹿にするなよ。こんなことしてもどうにもならねえ。」


殴ったって、何の意味もない。

しかし、冷静になろうとしても、怒りで手が震える。

彼方は、亮太の自分の胸倉を掴む手をにそっと触れ、鼻で笑う。


「こんなに震えてるのに?」


「いい加減に…っ!」


その挑発に、亮太は堪えていた怒りを我慢できずに、拳を握る。

そしてその拳を、彼方に振り翳す。


「別にいいよ。…慣れてるから。」


迫る亮太の拳に、彼方は目を閉じて、そう小さく呟く。

その意味深な言葉に、亮太の拳が止まる。


「どういう…意味だ?」


「…そのまんまの意味だよ。」


表情を変えずに、冷たい目で吐き捨てる。

そのまま、意味がわからずに、戸惑う亮太の腕を掴んで解く。


「僕のことが許せないだとか、嫌いだとか、そんなのどうでもいい。

 でも、日向のことは、ちゃんと大事にしてあげて。

 それができないなら、…日向から離れて。」


そう言って、亮太を睨むように見つめる。


「なんだよ、それ…。」


彼方は亮太の腕を掴んだまま、戸惑う亮太に詰め寄る。

先程まで、まるで機械のような無機質な冷たい目だったのに、

日向のことになると、人が変わったように、切なそうな、熱を持った目になる。


「大事にできないなら、日向に近付かないで。」


その真剣な目に、恐怖を感じる。

彼方の日向に向ける執着は、普通じゃない。異常だ。

しかし、彼方は「もう日向は必要ない」と、吐き捨てるように言ったばかりだ。

彼方の考えていることが、わからない。


「お前…日向のことどうしたいんだよ…?

 自分のモノだとか、もう必要ないとか…意味わかんねえよ!

 アイツのこと…大事なんじゃねえのかよ!?」


その言葉に、彼方は辛そうな顔をして、唇を噛み締める。

亮太の腕を掴む彼方の手は、少し震えていた。


「…大事だよ。大事だけど、僕は…っ…。

 亮太には、わからないよ!…わかるわけないっ!」


激昂したような彼方の言葉に、亮太は言葉を失う。

大事にしたいのであれば、最近の日向に対する彼方の態度は、不自然すぎる。

結局、日向を苦しめているのは、彼方ではないか。

それなのに、彼方はこれ以上何をしようというのか。

亮太は、理解ができなかった。


「僕は…誰が傷ついても、誰を傷つけても、日向が幸せなら、それでいい。

 日向のために邪魔な人間は、みんな僕が日向の目の前から消すよ。

 あの子だって…もっともっと、ボロボロにしとけばよかったかな?」


冷たい目で不敵に笑う彼方。


―これ以上、百合ちゃんに何かしたら…。


亮太は、彼方の言葉に再び怒りが沸き起こる。

反省のかけらもない態度を取り続ける彼方に、我慢の限界がきていた。


「お前…ホント、いい加減にしろよ!」


彼方の腕を振り払って、胸倉を掴む。

挑発的な目を向けて、彼方は嘲笑うように首をかしげる。



「ちょっと、何してんのよ!」


ふいに、教室の扉が乱暴に開き、一人の少女が現れる。

突然のことに、彼方の胸倉を掴む亮太の腕の力が抜ける。

彼方は彼女を一瞥して、亮太から少し距離を取る。


彼女はものすごい剣幕で、亮太に迫る。


「え…?ま、真紀ちゃん!?」


彼女は、バスケ部のマネージャーの渡辺真紀。

三年三組で、栗色の短いふわふわの髪に、ミニスカート。

強気で活発な体育会系の少女だ。


「追試終わったころだと思って待ってても部活に来ないし、

 教室行っても誰もいないし、すっごく探したんだからね!

 アンタ、キャプテンのくせに、今週の大会出ない気!?」


不機嫌そうに眉を吊り上げ、そのふわふわの髪を揺らす。

亮太は彼女の剣幕に慌てふためき、両手をバタバタと振る。


「いや、そんなつもりは全然ないから!

 ちょっとコイツと話があっただけで…その…。」


口ごもる亮太の腕を、真紀は力強く掴む。

まるで彼方のことなど、見えていないようだ。


「言い訳はいいから、早く部活に来なさいよ!

 そんなんじゃ後輩に示しがつかないでしょ!馬鹿!」


そう言われ、亮太は真紀に腕を引かれ、そのまま連れていかれる。

亮太は真紀に引っ張られるまま、振り返ると、彼方は目を逸らして小さく呟いた。


「…日向の邪魔をしたら、許さないよ。」


その言葉に、去り際の亮太の表情が、険しくなるのが見えた。








夕日が差し込む誰もいない教室の中、彼方は胸に手を当て、一人でうずくまっていた。


呼吸が苦しい。

精一杯強がって見せても、体は正直なようだ。


「大丈夫。僕はちゃんとやれる。日向のためだ。大丈夫、大丈夫…。」


荒い呼吸を、必死で押し込める。


本当は今すぐにでも、日向に会いたい。

日向の優しい声で、名前を呼ばれたい。

手を繋いで指を絡めて、笑い合いたい。

抱きしめて、その体温に触れたい。


もう何度目か、早くなる呼吸に嫌気がさす。

心臓がチクチクと刺されるように痛い。




今はただ、日向の優しい手が、恋しかった。






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