「友達」
登場人物
高橋日向 双子の兄。一人称は俺。
高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。
坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。
中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。
矢野千秋 クラスメイト。
新田百合 一年生。日向に好意を寄せている。
白崎先生 精神科医。
リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。
お姉さん リッキーの飼い主。
「友達」
日向が教室に着くと、彼方はいつものように女子たちと談笑していた。
しかし、気付いているのか、気づいていないのか、
日向と目を合わせることはなかった。
言葉を交わすこともなければ、視線を交わすこともない。
同じ教室の中にいるのに、
なんだか違う世界に生きているような気分だった。
午前の授業を終え、昼休みになっても、
彼方が日向のもとに来ることはなかった。
金曜日と同じく、弁当箱を持って、女子たちと何処かへ行ってしまう。
そんな背中を、ただ黙って見送るしかなかった。
「ひーなたっ!一緒に飯くおーぜ!」
「つーか、屋上暑いから、中庭行こうぜ。」
いつものように亮太が懐いてくる。
将悟も当たり前のように、亮太に続く。
二人は、飽きもせずに、こんな自分に話しかけてくれる。
いつの間にか自分の懐に入ってきて、それが当たり前だと思わせる。
以前は、そんな関係が煩わしいとさえ思っていた。
彼方以外の人間と関わるのは、怖いと思っていた。
しかし、今はこの関係に少しだけ、心を許せるようになっていた。
「ああ。」
そう言って鞄から弁当を取り出して、亮太の方へ振り向くと、後ろから声がした。
「あ~ちょっと待って~!」
特徴的なゆるい口調。
矢野千秋だ。
三人が振り返ると、千秋はポスターのようなものを掲げて、それを指さす。
「あのね、今朝日向君にも言ったんだけど、
今月末に学校の近くの神社で夏祭りがあるの~。
それでね、高校最後だし、思い出作りにみんなで行かない?」
そう言って、千秋はニッコリと笑った。
「毎年やってるやつ?屋台いっぱい出るんだよなー。」
「楽しそうじゃん!みんなで行こうぜ!」
将悟はポスターを見つめながら呟く。
亮太は嬉々としてノリ気なようだ。
興味を示した二人を見て、安心したように、千秋は胸を撫で下ろす。
そして、日向に向き合う。
「日向君も、来てくれるよね?」
首を傾げ、上目づかいに言う千秋に、日向は口ごもる。
「いや、俺は…考えとくって…。」
「亮太君も将悟君も、結構ノリ気だよ。私も…楽しみにしてるからね!」
そう言い残して、ポスターを日向の机に置いて、
千秋は女子のグループに戻っていく。
完全に、断りづらい雰囲気になってしまった。
日向は、あまり人の多い場所は好きじゃない。
たくさんの人の波に、飲み込まれてしまいそうになるから。
楽しそうで、明るくて、賑やかな雰囲気は、辛くなるから。
できれば、行きたくない。
そう思ったが、何も言えずに立ち尽くしていると、亮太に肩を叩かれる。
「日向?飯いかねーの?」
「あ…ああ、今行く。」
結局、午後の授業が終わっても、
相変わらず彼方は、自分と目を合わせることもなかった。
放課後はテストで赤点を取った生徒の追試。
彼方も亮太もこの一週間ほぼ追試らしい。
一日二教科で二時間程度。
終わるまで待とうと思えば待てるが、
彼方からは先に帰るように言われている。
その背中を見つめてみても、声を掛けられることはなかった。
「しょーごー。どうしよう。俺、今週の放課後全部追試だ…。」
後ろの席からは、将悟に甘えるような、落ち込んだような亮太の声が聞こえる。
「部活の大会、土日じゃなかったのか?」
「そうなんだよ!今週部活でれねーじゃん!」
「自業自得だろ…。」
「だー!!マジありえねえ…!」
「お前の頭がな。」
騒がしい亮太と、呆れたような将悟の声。
そんないつも通りの、仲のいい二人の会話が聞こえる。
最近は、そんな風に彼方と笑い合うことがないため、日向は少し寂しくなる。
相変わらず、彼方の背中を見つめてみても、彼方が振り返ることはない。
何も言わなくてもいいから、せめて、
以前のように、自分に笑いかけてくれたらいいのに。
そんなどうしようもないことを思っていると、誰かに肩を叩かれる。
「高橋!どっか飯食いに行こうぜ!」
将悟だ。
いつも呆れたような顔ばかりしているけれど、珍しく笑顔で日向を誘う。
「え…でも…。」
突然の誘いに、日向は戸惑って口ごもる。
思えば、放課後に誰かと出かけることなんてなかった。
誘ってくれるような友人もいなかったし、
早く家に帰って、夕飯の支度や家事をしなければならなかった。
いつもは彼方がいて、二人で一緒に家に帰るだけ。
「いーじゃねーか!たまには付き合えよ。
どうせコイツも弟も追試だろ?」
将悟が日向の肩を抱くように、その細い腕を日向の肩に回す。
その仕草と言葉に、亮太は羨ましそうな顔をする。
「あー!ずりー!俺も日向と飯行きてえー!」
「バーカ!お前は追試だろ。」
そう言って、意地悪そうに笑う将悟に、半ば強制的に連れ出される。
彼方は、そんな日向を横目で見ていた。
将悟の独断で連れてこられた店は、
学校近くの、お好み焼きがメインの鉄板焼き屋だった。
ラジオから流れる音楽と、換気扇がガラガラと大きな音を立てて回っている。
古びた昔ながらの店という感じで、自分たちの他に客はいなかった。
「とりあえずー、豚玉と海鮮ミックス。」
将悟の行きつけらしく、慣れた様子で注文を済ませる。
「なんで…いきなり…。」
「ん?いいじゃねーか、たまには。」
将悟は鉄板の電源を入れ、慣れた手つきで油を引く。
日向は、家で食事することがほとんどで、
滅多に外食をしないため、こういう店に来たのは初めてだった。
しかも彼方以外の、クラスメイトと。
なんとなく、少し緊張してしまう。
注文してから間もなく、豚玉と海鮮ミックスが運ばれてくる。
小さな丸い器にこんもりと、キャベツや天かす、イカやエビが乗っていた。
将悟は、運ばれてきた豚玉を手際よく、綺麗に混ぜる。
―意外と器用なんだな。
そう思ったが、ギターを弾くということは、
それなりに器用でも不思議ではない。
雑な亮太といることと、ヤンキーのような風貌で、
勝手に不器用だと思い込んでいた。
日向も真似して海鮮ミックスを混ぜてみる。
皿からはみだしている具材が零れそうで、慎重になってしまう。
「そんな綺麗にやらなくても、適当でいいんだよ。適当で。」
そう言いながら、将悟は油を引いた鉄板に、混ぜた具材を流し込む。
「ホント、お前ってマメだよな。」
ヘラで流し込んだ具材を綺麗に円形にしながら、将悟は可笑しそうに笑う。
「別に…そんなことないと思うけど。」
そう言われて、日向は少し雑に混ぜた具材を鉄板に流し入れる。
「そーそー。そういうのは適当でいいんだよ。」
将悟は笑ったまま、日向が流し込んだ少し雑な混ざり方をした具材を、円形に纏める。
その手つきは本当に素早く丁寧で、手馴れていた。
「…夏にお好み焼きって…。」
ジュージューと音を立て、お好み焼きが焼かれていく。
目の前の鉄板が発する煙と熱気が、室内のエアコンを無意味にする。
日向は、耐えきれない暑さに、額から汗が滲んでいた。
その汗を袖で拭う日向の様子を見て、将悟が呟く。
「暑いなら、学ラン脱げばいいじゃねーか。」
「…いや、それは…。」
口ごもる日向に、将悟は何かを察したように、目を逸らす。
「…別に、無理にとは言わねーけど。」
脱ぎたい気持ちはやまやまだが、
鮮明な痣が残っている体を、見せるわけにはいかない。
半袖のシャツの将悟とは違って、日向は長袖のシャツの上に学ラン。
学ランを脱いだところで、この季節、汗でシャツが透けるかもしれない。
長袖のシャツの下は半袖のTシャツだ。腕までは隠せない。
痣なんて、なければいいのに。
鉄板の上にゆらゆらと、陽炎が見える。
熱気で、顔がすっかり熱くなってしまっていた。
体が、火照る。
―暑い。
日向は、学ランは脱がずにボタンだけ外して、前を開ける。
袖も手首が少し見えるほどに捲った。
―これくらいなら、痣は見えないだろう。
先程より、感じる暑さは幾分かマシになる。
日向がため息を吐きながら顔を上げると、将悟は意外そうな顔をしていた。
将悟の視線が、自分の両手首に向けられていることに気付いた。
―手首に痣はないはず…。
「…どうした?」
訝しげな日向の視線に、将悟は口を開く。
「…いや、なんでもない。」
そう言って、将悟は再び目を逸らす。
自分の手首なんかを見て、将悟は何を思ったのか。
彼方のあの事件以来、こうして将悟と話をすることが多くなった。
最初はその見た目のせいか、暴力的だとか怖いなどの印象を持っていたが、
将悟は亮太と違って、真面目で、意外と空気を読む。
そして冷静で堅実な男だと思う。
そう、彼方が過呼吸を起こした時だって、
慌てもせずに冷静に、素早く的確に対処した。
本人は言いにくそうに「慣れているから」とだけ言ったが、
将悟が過呼吸を持つような性格には見えない。
そのことが、日向は何故かとても気になった。
「そういえば、彼方が過呼吸起こしたとき、『慣れてるから』って言ってたけど…。」
その言葉に、将悟は無言で日向の方を見つめる。
沈黙が、重い。
聞いてはいけないことだったのかもしれない。
それはそうだ。あの時だって、言い辛そうにしていた。
「亮太には、言うなよ?」
将悟は両手にヘラを持ち、小さく口を開く。
「俺の彼女がさ、うつ病…みたいな感じでさ、
具合の悪い時はリスカとか過呼吸とか、結構酷かったんだ。」
気まずさからか、将悟は日向の方を見ずに、
両手に持ったヘラで、綺麗にお好み焼きをひっくり返す。
慣れているから、という相手は将悟の彼女らしい。
そういえば、将悟に彼女がいる話は聞いたことはあるが、
将悟の口から、その『彼女』の話は、あまり出てこない気がする。
人前で彼女の話を、しないようにしている気がする。
「過呼吸ってさ、死ぬほど苦しいんだってさ。」
そう語りながら、もう一枚、静かにひっくり返す。
「だからさ、過呼吸起こしてる人間に、不安そうな顔したら、余計ひどくなるらしいしな。
『大丈夫、大丈夫』って安心させてやらねえと。」
静かに鉄板の淵にヘラを置いて、儚い笑顔を見せた。
愁いを帯びたその笑顔は、何故かどこか遠くを思っているようだった。
「…変なこと聞いて、ごめん。」
いつも見せる呆れた表情や、不機嫌な表情と違い、
切なそうに愁いを見せる将悟に、日向はどんな言葉をかけていいのか、わからなかった。
「別にいいさ。お前には言っといた方がいいと思ってたしな。
あ、でも亮太には言うなよ?アイツ意外と心配性だから。
それがアイツのいいところではあるんだけど、馬鹿だからな…。」
将悟は、いつものように少しおどけてみせるが、
その様子はいつもと全然違い、悲しそうに、寂しそうに見えた。
将悟の前では、その『彼女』の話をしない方がいいみたいだ。
彼方がいないと、人との上手い関わり方がわからない。
こういう時に、自分の語彙の少なさを痛感させられる。
これが、今まで彼方以外の人間と関わろうとしなかった結果だ。
彼方ならば、可もなく不可もなく、当たり障りない、そんな返しをするのだろう。
日向は、そんな都合のいい言葉など思いつかず、ただ口を噤むことしかできなかった。
「そんな困った顔するなよ。お前ってホント、顔に出やすいよな。
でも意外。ずっと無表情で根暗な奴だと思ってたから。」
そう言って、将悟はクスクスと笑う。
根暗だとか無口だとか、それは間違ってはいないと思う。
けれど、人の口から言われると、少し傷つく。
確かに自分は、そんなに喋る方ではないし、
彼方のように、人前でニコニコ笑えるわけでもない。
「でもちゃんと笑うし、言葉に出すより感情が顔に出るのも、
友達になって、やっと、わかってきた。」
どうやら将悟は、日向のことを友達だと思っているらしい。
日向はずっと、友達の作り方なんて、わからなかった。
目の前の男は、何の疑問も抱かずに、自分を友達だと口にする。
「友達…?」
日向の言葉に、将悟は少し怪訝そうな顔をして、ため息を吐く。
「あれだけ一緒にいて、今更友達じゃないとか言うのかよ?」
「いや、そういうわけじゃないけど…。」
友達。その言葉が、なんだかくすぐったい。
亮太も将悟も、こんな自分の友達になってくれるというのか。
今まで「友達」や「好き」だとか、そういう言葉が、怖かった。
自分はそう思っていても、相手にとっては、そうじゃないかもしれないから。
その言葉を口にできる将悟が、羨ましく思えた。
「俺らはもう友達だろ?」
そう言って将悟は、いつもの少年のような笑顔を見せた。




