「違えた片割れ」
登場人物
高橋日向 双子の兄。一人称は俺。
高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。
坂野亮太 クラスメイト。バスケ部。
中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。
矢野千秋 クラスメイト。
新田百合 一年生。日向に好意を寄せている。
白崎先生 精神科医。
リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。
お姉さん リッキーの飼い主。
「違えた片割れ」
狭いベッドに入って二人で眠る時、
日向は、彼方の髪が自分の頬を掠めるのが好きだった。
彼方の細く、しなやかな黒髪が、まるで自分に甘えるように、優しく頬に触れる。
そんな夜が好きだった。
しかし、隣で寝息をたてている彼方の髪は、いつもより短く、茶色く染まっていた。
それはまるで、彼方が別人になってしまったようで、
自分から離れて行ってしまいそうで、日向は切なくなる。
「外見が変わったところで、中身は変わらない」
と何かの小説で読んだことがある気がする。
けれど、自分と違う外見になった彼方は、変わってしまう気がした。
思えば、今日は様子がおかしかった。
心の距離が、遠くなる気がした。
変わってしまう。
彼方も、周りも、環境も。
自分も変わることを望もうとしていたのに、取り残されたような気持ちになる。
一人になる。
それが、たまらなく怖い。
彼方と離れてしまうくらいなら、大人になど、なりたくないとさえ思った。
離れようとしたり、それを怖がり拒んだり。
自分の感情は矛盾だらけだ。
どうしようもないのは、わかっている。
頭ではわかってはいるけれど、感情がついていかない。
ずっと二人一緒にはいられない。
将来を、選ばなければいけない。
そんなこと、わかっている。
わかっているんだ。
わかっているのに。
「離れていくなよ…。」
日向は、隣で静かに眠る彼方の手を握りしめて、呟いた。
「彼方君髪切ったのー?」
「茶髪も似合うねー。」
「男らしくなったよねー!」
「体調もう大丈夫なのー?」
テスト最終日の金曜。
いつもより教室はざわついていた。
髪を切り、染毛した彼方に、群がる女子達の声だった。
彼方はモテる。
自分たちに関係ない人間には優しいし、愛想もいい。
ニコニコと笑顔を振りまいて、楽しそうに女子と談笑する。
そんな彼方を、窓際の席から日向は黙って見ていた。
―きっとあの女子たちも、彼方のことが好きなんだ。
いつか彼方も、そんな女子たちの手を取る日が来るのだろうか。
自分に向けた依存や執着を全部捨てて、
自分から離れて、「普通」に生きることを選ぶのだろうか。
そんなことを考えていると、一人の女子生徒が日向たちに近づいてくる。
「三人とも、元気ないみたいだけど、どうしたの?
そんなにテスト散々だったの?」
矢野千秋だ。
思えば朝から亮太も将悟も口数が少ない。
いつもは二人で他愛のない会話で盛り上がっているのに。
亮太は窓の外を見つめたまま何も話そうとしないし、
将悟もイヤホンで音楽を聴きながら何かを考えているようだった。
「さあ。朝からずっとこんな感じだ。」
後ろの二人が何も話そうとはしないため、日向が返事をする。
千秋は不思議そうな顔をして、日向の後ろの席に目を向ける。
「亮太君が元気ないとなんか変な感じだよね~。
あ、そういえば彼方君イメチェンしたんだね。
これでわかりやすくなるね~。」
千秋はマイペースにゆるい口調で日向に話しかける。
「別に、そんなことのために染めたわけじゃないだろ。」
素っ気ない日向の返事に、千秋は少し困ったような顔をして笑う。
「でも、わかりやすい方がいいじゃない。
その方が日向君も間違えられなくて済むでしょ?」
確かに今まで自分が彼方に間違えられたことも、
彼方が自分に間違えられたことも多々あった。
それをいちいち訂正するのも疲れるし、訂正したところで、また何度も間違えられる。
そういう意味では便利と言えば便利だが、日向の中では、そんなことよりも、
彼方が自分と違う風貌になってしまったのが、なんだか悲しかった。
「そんなの、もう慣れてる。」
「そうかな?だって日向君、いつも少し悲しそうな顔するじゃない。」
見透かされたような千秋の言葉に、一瞬言葉を失う。
「…そんなこと、ない。」
意識したことなんてなかった。
いつも自分はどんな顔をしているのだろう。
間違えられることなんて、慣れているはずなのに。
悲しそうな顔なんて、したつもりもないのに。
千秋の目に映る自分は、いったいどんな風に見えているのだろう。
「そっか。でもこれで日向君にも、話しかけやすくなるね。」
「なんで?」
「だって今までだったら、どっちかわかりにくかったから、
間違えたら悪いと思って、なかなか話しかけられなかったんだもん。」
そんなものだろうか。
少なくとも千秋は、平然と「日向君?彼方君?どっち?」と聞きながら話しかけてきたと思う。
それに、見た目が変わって、見分けがついたところで、
自分には彼方と亮太それに将悟くらいしか、話かけてくる人間はいないはずだ。
亮太は、何故か自分たちのことを間違えることはないし、
将悟は「高橋」と苗字で呼ぶから、それも間違いでもない。
「別に…どっちでもいいだろ?」
「えー?そんなことないよ?日向君は日向君じゃない。」
言っている意味がわからない。
「日向君と彼方君は、違うじゃない。」
一体どういう意図を思って、そんなことを言うのか。
きっと自分たち以外の人間は、どっちだってどうでもいいと思っているだろうに。
自分じゃなきゃダメだとか、彼方じゃなきゃダメだとか、
きっと、そんなことないはずなのに。
ニッコリと笑う千秋の考えていることが、わからない。
いや、何も考えていないのかもしれない。
思ったことを考えもせず、とりあえず口に出す。
千秋はこういう人間だ。
そんなことを考えていると、朝のHRの開始を知らせるチャイムが鳴る。
千秋は「じゃあね。テスト、頑張ろうね。」と言い残し、
自分の席の方へと戻っていく。
テストは好きではない。
もちろん、勉強がそこまで得意じゃないということもあるが、
誰一人口を開くことはないペンの音だけが響く教室は、
たくさんの生徒がいるのに、まるで一人になったような錯覚をさせる。
見渡してみても、みんな一人でテスト用紙という、
たった一枚の紙切れと向き合っているだけ。
そこに確かに存在しているのに、全ての人間が無機質に見える。
そんな空間が、とても異質なものに見えた。
たった一枚のこの紙切れで、将来の選択肢が限られる。
「諦めずに努力すれば、なんでも夢は叶う。」
そんなの真っ赤な嘘だ。
努力したところで、きっと、
自分達が望んだ未来なんて、手に入らない。
自分は、何のためにここにいるのだろう。
何のために学校に通っているのだろう。
何のためにテストなんか受けるのだろう。
何のために、生きているのだろう。
そんなことばかりを考えて、テストは真っ白なまま。
教室の中央の方の、彼方の後姿を見れば、
彼方もまた、手が止まっているようだった。
その後ろ姿も別人のようで、
自分が知っている彼方じゃないような気さえした。
そしてテストが終わり、昼休み。
午後からは通常通りの授業や委員会、部活なども再開する。
教室は、テスト期間中の少しピリピリした空気から、
緊張が解けて和やかなものへと変わっていた。
いつも通り、彼方と屋上で弁当を食べる。
そのはずだったが、教室に彼方の姿はなかった。
「弟なら、弁当持って女子たちとどっか行ったぞ。」
辺りを見渡していた日向に、将悟が声をかける。
「フラれたな。」
将悟が意地悪そうに口を釣り上げて、笑う。
その言葉に亮太は、少しだけ将悟を睨むように見つめた。
「べ、別にそんなんじゃない…。」
口では強がってみるものの、
彼方はいつも昼休みになると、すぐに自分を屋上へ誘いにくるはずなのに、
今日は何も言わずにどこかへ行ってしまったことが、
日向は少し悲しいような寂しいような気持ちになる。
「まーいいじゃねーか。俺らも三人で飯食おうぜ!」
少し落ち込んでいるような日向を見て、亮太がいつものように明るく振る舞う。
朝見た時は元気がなさそうだったのに、空元気だろうか。
亮太に言われるまま、弁当を持って三人で屋上に向かう。
眩しいくらいの日差しが降り注ぐ屋上を見渡しても、彼方はいなかった。
「弟がいなくて寂しい。」
小さく将悟が呟く。
「って、顔に書いてあるぞ。」
見透かしたように、ニヤリと笑いながら言う将悟に、
図星な日向は少し恥ずかしくなり、顔を背け、精一杯強がってみる。
「…そんなわけ、ないだろ。」
「日向、お前…意外と顔に出やすいのな!」
少し口籠もった日向を見て、亮太は可笑しそうに笑う。
将悟も口元を押さえて笑いをこらえているようだ。
「だから、そんなことないって言ってるだろ…っ!」
「わかった、わかったってっ…ぷぷっ。」
「そんなムキになるなってっ…ぷっ。」
二人はムキになる日向を、面白がるように笑う。
日向は恥ずかしさと情けなさで、少し頬が赤く染まっていた。
「つーかお前、わかりやすすぎ。」
将悟は笑いをこらえながら、日向に言う。
「そんなこと…初めて言われた。」
思えば、彼方以外の前で、感情を表に出すこともなかった。
今までは話しかけてくる人間もいなかったし、
彼方のように愛想を振りまく必要がなかったからだ。
自分も人と関わろうとしなかったし、むしろそれを避けてきたと思う。
それなのに、この二人は当たり前のように自分の隣にいる。
そのことが、なんだか不思議に感じた。
「つーかさー、なんでいきなり彼方はイメチェンしたわけ?」
亮太は、購買で買ったパンの袋を開けながら日向に問う。
「さあ?昨日いきなり染めてくれって言い出して…。」
「結構、綺麗に染まってたよな。」
日向も弁当の蓋を開ける。
将悟もパンの袋を開けながら、感心したように言う。
「え?あれ日向がやったのか?カットも?」
焼きそばパンを頬張りながら、亮太は驚いたように目をパチパチとさせる。
「ああ、昔から俺が彼方の髪切ってる。」
「マジで!?すげーな!器用だな!」
パンを咥えたまま、子供のように驚き、はしゃぐ亮太。
パンの中身がポロポロと亮太の制服に落ちる。
将悟はただ黙ってホットドックを食べながら、そんな二人を見ていた。
「別に…たいしたことないだろ。」
「いや、すげーよ!美容師とか向いてるんじゃね?」
亮太は目をキラキラさせて、日向を見る。
「いや、自分と彼方の髪しか切ったことないから。」
卵焼きをつつきながら日向は言う。
亮太は焼きそばパンを食べ終え、メロンパンの袋を開けていた。
「えー、じゃあ今度、俺の髪が伸びたら切ってくれよー。」
「そんなすぐ伸びないだろ。」
素っ気なく返す日向を見ながら、亮太はパンを一口齧る。
亮太がメロンパンを齧るたび、ポロポロとパンのカスが落ちる。
「つーか、お前は食いながら喋るなよ。行儀悪いだろ。
焼きそばとか紅ショウガとか、パンのカスとか制服についてんぞ。」
ホットドックを食べ終えた将悟が、亮太のズボンを指さして言う。
まだ子供の方が綺麗に食べられるのではないか、と思うほど、
いろんなものが亮太のズボンに落ちていた。
「あー、大丈夫大丈夫。いつものことだから!」
悪びれもなく言う亮太に、将悟はため息を吐きながら言う。
「行儀悪いからやめろって言ってんだよ。
まったく…お前はどんな教育受けてきたんだよ…。」
「将悟が固すぎなんだってー。そんな頭なのにさー。ぷっ。」
呆れる将悟に、亮太は茶化しながら笑う。
男子高校生らしい他愛のない会話。
日向はこんな賑やかな昼食は久しぶりだと思う。
家にいても、最近の彼方は悲しそうな顔ばかりしているため、
どうしても口数が少なくなってしまう。
―ここに彼方がいれば、彼方とも笑い合えたのだろうか。
そんなことを考えながら、いろんな話をした。
亮太は三兄弟の真ん中で姉と弟がいるだとか、
将悟は中学に上がるまでは空手をやっていただとか、
亮太が最近好きなグラビアアイドルの話とか。
そんな、取り留めのない、他愛のない会話。
そして、次の授業が差し迫り、教室に戻る途中、
亮太が少し言い辛そうに話しかけてきた。
「あのさ、日向。…俺、今日…図書室行かないから。」
「…?ああ。」
いつも、わざわざ部活を抜け出して来るほうがおかしいのに、
敢えてそう言った亮太の顔は、どこが愁いを帯びていた。




