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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「夜の太陽」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎医師 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。

美波沙織 看護師

高橋奈津子 日向の母親


 「夜の太陽」




「とりあえず、さっきすまなかったな。あんまりにも彼方に似てるから、勘違いしちまって。」


「いえ、慣れているので…。」


十七時にバイトを終えた日向は、店内の奥の席で優樹と向き合っていた。

突然店に現れた優樹と名乗る人物は、自分が探していた京子の兄だと言う。

京子の兄と言うことは、彼方が働いていた店の店長。

今の自分よりも、彼方をよく知る人物のはずだ。


話によると、二人は連絡の取れない京子を心配し、会いに来たのだと言う。

しかし、何度インターフォンを鳴らしても京子が出なかったため、合鍵を使って中に入ったところ、京子と彼方が姿を消していた。

手掛かりを探すためにパソコンの履歴を見ると、温泉宿で埋め尽くされていて、二人は旅行に出かけていると推理したようだ。


誠は、自分がバイトをしている間に、いつの間にか姿を消していた。

誠がいてくれたら自分は話しやすいが、どうやら優樹が二人で話がしたいと言って追っ払ったらしい。

初対面の相手とふたりっきりだなんて、少しだけ気まずい。


相手は自分より十も歳の離れた大人の男だ。

しかも、ボーイズバーだとか言う得体のしれない店の店長。

正直言って、日向はひどく緊張していた。


「で、俺もお前に聞きたいことがあるけど、お前も俺に聞きたいことがあるんだろ?言ってみろよ。先に答えてやるよ。」


目の前の優樹は、人のよさそうな笑みを浮かべる。

言葉こそ少し乱暴だが、どうやら悪い人ではなさそうだ。


「えっと…彼方のことで…。」


そこまで言って、日向は悩んだ。

聞きたいことは山ほどあるはずなのに、何を優樹に聞けばいいのかわからない。

自分はどこから話せばいいのかわからないし、優樹はどこまで知っているのだろう。

逡巡していると、優樹は不思議そうに首を傾げた。


「なんだ、そんなに言い辛いような話か?」


「いや…そういうわけじゃないんですけど…。」


「おいおい、そんな困った顔するなよ。まるで俺が虐めてるみたいだろ?」


そう優樹はおかしそうに笑って、煙草に火を点けた。

火種の先から紫煙がモクモクと宙を舞う。

日向は無意識に自分の腕に残る火傷の痕を、服の上からそっと擦った。


紫煙はユラユラと揺らめきながら広がり、消えていく。

煙草特有の嫌な臭い。なんだか目が乾燥してシパシパする。

その煙を吸い込んで、日向はゲホゲホと咳き込んだ。


「あ、すまん。消すか?」


「いえ、大丈夫です。少し風邪気味なだけなんで…。」


そうは言ってみたが、空調の風で煙は全部日向の方へと向かう。

慣れない煙草の香りで、少し頭が痛くなってきた。

それに、百合の看病でなんとか熱は下がったが、まだ体はだるい。


優樹は迷った表情を見せた後、もう一口煙草を吸ってから灰皿で揉み消した。

どうやら、気を遣わせてしまったようだ。


「すみません…。」


「いや、いーよ。でも、お前は吸わねえんだな。」


「未成年なんで。」


そう言うと、優樹は意外そうな表情を見せた。


「へえ、真面目なんだな。彼方は吸うのに。」


「え?」


「ああ、お前は知らないのか。アイツが煙草吸い始めたの、夏くらいだったからな。」


「彼方、煙草吸うんですか。」


「ああ。酒も結構飲むぞ?俺より断然強いし、最近は日本酒にハマってるみたいだったな。」


「…そうなんですか。」


知らなかった。

そういえば、酒の匂いを漂わせて帰ってきたことが一度あったっけ。

自分の知らないところで、彼方はどんどん変わっていく。

優樹の話す彼方は、まるで自分の知らない人間のようだった。

日向は無意識にうつむき加減になる。


「そんなに落ち込むなよ。えーと、じゃあ、俺の方から質問していいか?」


「…どうぞ。」


「彼方、お前のところに帰ってきてないのか?」


日向は小さく頷く。


「今まで一度も?」


「一度だけ七月に。その後、自分がいないときに二回荷物を置きに来たみたいです。」


「そうか…。」


優樹は目を伏せて、何かを考えるような顔になった。


「アイツさ、自分には行くところも帰る家もないって俺に言ったんだよ。お前のところ、そんなに親と仲悪いのか?」


「仲が悪いっていうか…。父は、昔からいません。母も…ほとんど帰ってきません。実際、彼方と二人暮らしみたいなものです。」


「じゃあなんだ、彼方とお前が喧嘩したってことか?」


「喧嘩とか、そんなんじゃないんですけど…。」


そう言いかけて、日向は口を噤んだ。


ただの喧嘩ならよかった。

喧嘩なら、いつものようにすぐ仲直りできるはずだった。

これは、そんなに簡単な問題じゃない。


それでも自分は、彼方にもう一度帰ってきてほしかった。

だからこうして優樹と話しているわけだけれども、肝心なところで自分はまた言葉を紡げない。

どう言葉にするべきなのかもわからないし、考えたって声にならない。


でも、それじゃ駄目なんだ。

ちゃんと自分の気持ちを言葉にしないと、また彼方を失ってしまう。

日向は唇を噛んで、必死に言葉を探した。


「喧嘩じゃないんですけど…。たぶん、彼方は俺にもう会いたくないって思ってて…。

 でも俺は、彼方に帰ってきてほしくて…。それが彼方にとっていいことかはわからないけど…。

 言っても戻ってきてくれないかもしれないけど…。でも…やっぱり…。」


たどたどしく纏まりのない不器用な言葉。

こんな拙い言葉じゃ、彼方どころか優樹にさえ伝わらないかもしれない。

それでも、もう自分の思っていることや、感情を隠すのはやめたんだ。


わかりにくい自分の話を、優樹は頷きながら聞いてくれた。

そして、自分が喋り終えた後に、ふっと優しく微笑んだ。


「じゃあ、お前は、彼方に帰ってきてほしいんだな?」


「はい。勝手なこと言ってるのはわかってるんですけど…。」


「何言ってんだ。家族は一緒に暮らすのが一番だろ。彼方見つけたら伝えといてやるよ。だから、もうそんな不安そうな顔するな。」


そう言って、優樹は日向の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

まるで大型犬でも可愛がるかのように豪快に、少し乱暴に。


「ちょ、あの…痛いです。」


「ああ、すまん。」


優樹は手を離し、悪びれる様子もなく「つい、うっかり。」と言って笑った。

日向は乱れた髪を手櫛で直しつつ、呼吸を整える。

なんだか緊張して、どっと疲れた。


思えば、今まで自分の想いを人に伝えることなんてなかった。

彼方がいなくなるまでは、ずっと人との関わりを避けて生きてきたからだ。

自分はずっと何も言わずに、彼方の陰に隠れてばかり。

誰かと話すのは、いつも彼方の役割だった。


自分の意見を言うということは、こんなに緊張するものなのか。

こういうことを、彼方はずっとやってきたのか。

彼方は社交的で、明るく、人見知りもしない。

そんなところが、自分とは全然違っていて、純粋に凄いと思っていた。

憧れに似た感情があったのだと思う。


「あの、彼方がいなくなったのって、いつですか。」


「一週間くらい前だな。…ちょっと待ってくれよ。」


そう言って、優樹は携帯電話を取り出して確認する。


「先週の…木曜からだな。もう九日か。いなくなったっていっても、しばらく休みたいっていうメール寄越して帰ってきてないだけだ。

 部屋もそのままだったし、失踪したわけじゃないと思うんだが…。」


間違いない。母親が海で溺れて病院に運ばれた日だ。

いや、彼方が母親を海に落として殺そうとした日。

あれから彼方は、自分から、優樹から、そして世間から逃げ回っていると言うのか。


「竹内さん…いや、京子さんが彼方と一緒にいるっていう証拠はあるんですか?」


「京子のアパートに彼方の服とか携帯が置いてあったから、たぶん間違いないだろう。てかさ、あいつら、付き合ってたのか?」


優樹は、ズイっと身を乗り出す。


「いや…それはわからないですけど…。」


「本当か?京子とはバイト一緒だろ?なんかそれっぽいこと言ってなかったか?」


「いや…ホントに…その…。」


「アイツ、俺には何も言わないんだぜ?水臭いったらありゃしない。家族なんだから、一言くらい言ってくれてもいいのによ。なあ、そう思うだろ?」


「はあ…。」


日向は苦笑いになる。

どうやら優樹は、京子のことになると目の色が変わるらしい。

京子のことを心配する姿は、兄と言うより父親に近いようにも思えた。


「その旅行が終わったら、二人は帰ってきますかね…?」


「なんとも言えねえなあ。でも、今は信じて待つしかねえだろ。」


京子のことが何かわかれば優樹へ、彼方の手掛かりが掴めたら自分へ連絡を、と約束して、結局、その日は優樹と連絡先を交換することにした。

日向はポケットから携帯電話を取り出し、慣れない操作で赤外線通信の画面を開こうとするが、なかなかうまくいかない。

自分のアドレス帳には、学校のごく一部の親しい友人と、バイト先の連絡先しか入っていないのだ。

操作が不慣れなのも当然だ。登録された連絡先は、両手で数えられるくらいしかないなのだから。


「あれ?おい、それ…。」


突然、優樹は驚いたように声を上げた。


「え?」


日向は、意味がわからずに首を傾げる。

優樹は日向が手に持った携帯電話を指さした。


「それ。ケータイ。彼方に貰ったのか?」


「あ、もしかして、これ…優樹さんが?」


「ああ。俺が彼方に与えたものだ。彼方が二つほしいって言ったのは、こういうことだったのか。どおりで赤い方しか使ってるところ見ないわけだ。」


優樹は納得したように頷く。

自分が手に持った白いスマートフォン。

いつだったか、彼方が自分に与えたものだ。


「あの…返した方がいいですか…?」


「いや、いい。料金は彼方がちゃんと払ってるみたいだし、お前も携帯ないと大変だろ。

 それに、携帯持っててくれないと、京子が帰ってきたときに俺に連絡できないだろ?」


優樹の好意で、携帯はそのまま持っていてもいいということになった。

それからお互いの連絡先を交換して、この日はお開きになった。


「日向!」


店の外に出て、帰ろうとすると優樹に呼び止められた。

名前を呼ばれたことに驚いて、日向は振り返る。


「なんかあったら、俺を頼ってくれよ。彼方のにーちゃんってことは、お前も俺の息子同然だからな。」


そう言って、優樹は誇らしげに胸を張った。


「息子…?」


「ああ。俺は『みんなのおとーさん』だからな。お前も家族みたいなもんだ。」


「はあ…。」


全然話は掴めないが、日向はとりあえず頷いておくことにした。


息子、お父さん、家族。

優樹は『家族』という言葉をよく口にする。

どうして家族に執着するのだろう。

京子に対する心配の仕方も、兄のそれとは少し違う気がする。


「あ、そうだ。」


思い出したように、優樹は口を開く。


「彼方はお前のこと、嫌いになったわけじゃないと思うぞ。」


「どうして…そう思うんですか。」


「だってアイツ…いつだったかな。酔って寝てる時に、お前の名前呟いてたんだぜ?

 あの時は、てっきり女の名前かと思ったんだけどなー。まさか双子の兄ちゃんとは。」


そう言って、優樹は可笑しそうに笑う。


そんなことがあったのか。

彼方は一体、どんな夢を見たのだろう。

夢の中の自分は、彼方にどんな言葉をかけたのだろう。

その時の彼方は、どんな顔をしていたのだろう。


「寝言にまで出てくるくらいだ。だから、そんな暗い顔すんなよ。絶対大丈夫だから。」


優樹は日向の背中をバシバシと叩く。

元気づけているつもりだろうが、あまりの力の強さに日向はよろけてフラついた。


「ああ、すまん。しっかし、彼方もお前もヒョロいなー。」


「これくらいが普通ですよ…。」


「そうか?ちょっとガリガリすぎねえか?もっと食って、筋肉付けねーとだめだろ?男の子なんだから。」


優樹も自分と大して変わらない体格をしていると思ったが、日向は口には出さなかった。


しかし、優樹がこんなにも明るく優しい人だとは思わなかった。

夜の仕事をしていると言っていたから、怖い人かと思ったが、そうではないみたいだ。

水商売というものの偏見を改めないと、と日向は思った。


気遣いで、世話焼きで、少し言葉は乱暴だがお節介な優樹。

この人の元にいた彼方は、幸せだったのだろうか。

自分の元にいた時よりも、自由に生きていられたのだろうか。


そう思うと、胸がチクリ痛んだ。


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