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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「暗闇の檻」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎医師 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。

美波沙織 看護師

高橋奈津子 日向の母親


 「暗闇の檻」




何度かインターフォンが鳴った後、足音が遠ざかっていった。

扉の向こうの人物は、諦めてくれたのだろう。


「…行ったみたいですよ。」


そう言うと、彼方は京子の腕を掴む手を離して、安堵の息を吐いた。

手に持った煙草はほとんど灰になっている。今にも落ちてしまいそうだ。


「もう。せめて、換気扇回してくださいよ。」


そう言いながら、京子はキッチンの換気扇をつけた。


彼方は先程まで、いつものようにベランダで煙草を吸っていたのだが、外で人の話し声が聞こえたからと、慌てて煙草を持ったまま部屋に入ってきたのだ。

その直後、インターフォンが鳴った。

京子は玄関に出ようとしたが、途中で彼方に腕を掴まれて拒まれた。

暗い顔をした彼方は、無言で首を振った。「出ないで」という意味だろう。

仕方なしに、その来訪者がいなくなるのをキッチンで息を殺して待ったのだ。


せめてドアスコープを覗いて誰が来たのか確認したかったのだが、彼方は腕を離そうとしなかった。

話し声は二人だったと思う。一人は、虎丸だ。声が大きいからすぐわかる。

もう一人の声は微かにしか聞こえなかったけれど、誰だろう。

虎丸と一緒に来る人物といえば…まさか日向か。


京子はドアポストの中身を確認する。

先程の人物が、何かを入れていったような音がしたからだ。

思った通り、ルーズリーフが一枚入っていた。


『みんな心配してます。連絡ください。  虎丸。』


それだけの短い手紙だった。


京子は、先週末から軟禁状態だった。

カーテンを閉めきった暗い部屋。灯りをつけることも、滅多にない。

外に出ることも許されないし、携帯電話を使って誰かと連絡を取り合うことも許されない。

挙句の果てには、テレビさえ見せてくれないのだ。もちろん、パソコンを使うこともできない。


自分の携帯電話も、テレビのリモコンも、この狭い部屋のどこかに隠されてしまった。

そして彼方は、ほとんど口もきかずに、ただ黙って自分を抱きしめているだけだった。

常に沈んだ顔で自分を抱きしめて泣くのだ。時々、何度も過呼吸も起こす。

そして、京子の目を気にすることなく、まるでラムネ菓子でも食べるかのように大量の薬を飲み、ほとんどをベッドの中で過ごしていた。


学校も、バイトも、どこにも行くことを許されない。

彼方の目の届くところにしかいられないのだ。

挙句の果てには、風呂やトイレに行く時だって、付いて来ようとする。

さすがに中にまでは入って来ないが、扉の前に蹲ってずっと自分を待っているのだ。

せめてトイレの時は離れていて、と言うのだが、彼方は表情一つ変えず、「だって、僕が目を離したら、京子ちゃん逃げちゃうでしょ。」と言うのだ。


ハッキリ言って異常だ。

それでも、京子は彼方を振り払えないでいた。


そんな軟禁のような拘束の日々。

やっと眠ったと思っても、彼方は悪夢に魘され、すぐに目を覚ます。

まともに眠れていないせいもあるのか、日に日に彼方は疲弊していった。

食事もほとんど取らず、まるで魂でも抜けてしまったかのように、ぼーっとしていることが多くなった。


「彼方さん、私の携帯返してください。」


彼方は、無言で首を振る。

この頃は、ほとんど声を出すことも無くなった。


京子は、ドアポストに入っていたルーズリーフを彼方に差し出す。


「せめて、学校とバイト先に連絡入れないと。このままじゃ、お兄ちゃんに学校行ってないことバレちゃうでしょ。

 お兄ちゃんはここの合鍵も持ってるから、面倒なことになりますよ。押し掛けてくるかもしれないし。」


まるで脅し文句のようだ。

けれど、こうでも言わないと、彼方は携帯電話を返してくれないだろう。


「この人、誰…。」


彼方はルーズリーフを握りしめ、消え入りそうな小さな声で言った。


「バイト先の人ですよ。同じ学校の。」


「男…?なんで京子ちゃんの家に来るの…?」


「連絡取れなくて心配してるんでしょう。バイトもずっと無断欠勤だし。」


だから携帯返して。そう続けようとしたら、彼方は手に持っていたルーズリーフを破いた。

そのまま、ビリビリと何度も細かく引き裂く。


「ちょっと、何するんですか!」


ルーズリーフが紙吹雪のように宙を舞う。


「だめ…。僕だけのものでいて…。お願いだから…。」


そう言って、彼方は自分を抱きしめてきた。

いや、縋りつくと言った方が正しいのかもしれない。

ずっとこんな調子だ。また嗚咽が聞こえてきた。


どうして彼方がこうなっているのかはわからないが、自分に見捨てられること、自分を奪われることを極端に恐れているようだ。

京子は何もできず、ただ彼方が満足するまで抱きしめることしかできなかった。


「携帯、どうしても返してくれませんか?」


その嗚咽も落ち着いたころ、京子は再度彼方に言った。


「さっきも言いましたけど、お兄ちゃんがくるかもしれないし、警察に捜索届なんて出されたら面倒ですよ。」


「メールじゃダメなの…?」


「ダメに決まってるでしょう。」


彼方は諦めたように溜息を吐いた。

そして、布団の中をまさぐる。その中から、京子の携帯電話が出てきた。

そんなところに隠していたのか。

道理で、何処を探しても見つからないわけだ。


「ここで電話して。用件だけ言って、すぐ切って。」


携帯電話を差し出しながら、彼方は不安そうな瞳で自分を見つめる。

本当に軟禁されているみたいだ。全て彼方の監視下の中にある。


結局、彼方の目の前で、学校とバイト先に電話を掛けた。

いつまでこの状態が続くかわからないから、インフルエンザだと嘘を吐いた。

とりあえずは、これで大丈夫だろう。



「少しくらい、ご飯食べたらどうですか。」


彼方は首を振る。いらない、と言いたいのだろう。

食事を作ってみても、彼方はほとんど口にしない。

以前なら、無理にでも一口は食べてくれたのに。


「ダメです。ちゃんと食べないと、体に毒ですよ。」


また彼方は無言で首を振る。

京子は溜息を吐いた。


「ほら、口開けてください。」


野菜スープをスプーンで掬って、彼方に差し出した。


「…いらないってば。」


「一口だけでもいいですから、ほら。」


彼方は露骨に嫌そうな顔をする。


「ご飯食べないと、一緒にいてあげませんよ。」


そう言うと、彼方の瞳に迷いの色が浮かんだ。

そして、少し悩んだ後、小さく口を開けた。


狡い言い方だと思う。

でも、彼方はこの一週間、ほとんど食事を摂っていないのだ。

頬は痩け、顔色も悪い。せめて少しだけでも栄養を摂ってほしい。


京子は、その口にスプーンを押し込む。

彼方は眉間に皺を寄せ、時間をかけてて咀嚼し、少し苦しそうに飲み込んだ。


「食べられたじゃないですか。」


そう言って、京子は彼方を褒めるように微笑んでみせる。

しかし、彼方は口元を手で覆ったまま、俯いた。

しばらくして、ふらつく足取りでトイレの方へと駆けて行った。


―また吐き戻しているのか。


彼方の顔色が悪い理由は、食事を摂らないだけじゃない。

こうして何も食べていないのに、一日に何度も吐き戻すのだ。

少しでも消化にいいものを選んで作っているのだが、それでもダメなようだ。

今の彼方は、以前にも増して、食べ物を一切受け付けない。


具合が悪いなら一緒に病院に行こうと言っても、彼方は首を縦に振らない。

全部精神的なものだろうが、塞ぎこんでいる理由を、彼方は自分には言わない。

本当に、自分はどうしたらいいのだろう。

どうしてやったらいいのだろう。

どうすれば、彼方の心を癒せるのだろう。


結局、彼方は野菜スープを一口食べるだけで食事を終えた。

その一口も、彼方の体の中には入ってないのだろうけど。


キッチンで洗い物をしていても、痛いほど背中に視線が刺さる。

部屋のドアを少し開け、彼方がじっと見張っていのだ。

そんなに不安そうな顔をしなくても、こんな状態で何処かへ行くほど自分は薄情じゃないのに。


洗い物を終えて、京子はコップに水を入れて暗い部屋に戻った。

彼方は扉のすぐ横で、頭から布団を被り、膝を抱えて待っていた。


「薬、まだ飲んでないんでしょう?」


そう言って、京子はコップを彼方に差し出す。

彼方はコップを受け取ると、テーブルの下から処方箋袋を取り出した。

その中には大量の薬が入っていて、赤や黄色、紫、丸い物や楕円形など、様々な色形のものがあった。

彼方は慣れた手つきでシートから一つ一つ薬を取り出す。

そして、片手いっぱいになった薬を口に放り込んだ。


まるで薬が食事の代わりみたいだ。栄養なんて、ないのだろうけど。

何の薬かは知らない。精神安定剤とか、そういうものだろう。

けれど、そんなに大量に飲んでも大丈夫なものなのだろうか。

一度で空になったシートは、五枚もあった。


薬を飲み終えると、彼方はベッドに戻った。

そして、自分を呼び寄せて、抱きしめて離さない。


何をすることもなく、夜は更けていく。

気付けば、彼方の寝息が聞こえてきた。

飲んだ薬の中に、睡眠薬も含まれているのか、寝付きはいい。

しかし、問題はその後だ。


うーんと、唸るような声が聞こえた。

また魘されているようだ。悪夢でも、見ているのだろうか。


「ごめんなさい…。ごめんなさい…。」


呪文のように、彼方は何度も呟く。

一体誰に謝っているのだろう。

彼方は一体何をしたのだろう。


「ごめんなさい…。許して…。」


眉間に皺を寄せ、怯えるように体を震わせる。

閉じた瞳からは、涙が一粒零れ落ちた。

京子は彼方を落ち着けようと、そっと背中を撫でてやった。


彼方の体は、わずかに汗ばんでいた。呼吸も少し早い。

何かに耐えるようにギュッとシーツを握りしめ、時々呻き声のようなものを洩らす。

酷い魘され方だ。起こしてあげた方がいいのだろうか。

そう京子が悩んでいるうちに、彼方はハッと目を見開いた。


「はあっ…はあっ…。京子ちゃん…。」


呼吸を荒くし、取り乱した様子で、彼方は自分に縋りついてくる。


「また嫌な夢見たんですか。」


京子は、よしよしと、子供でもあやすかのように彼方の背を撫でる。

自分がこうして冷静でいられるのは、こんな様子が毎晩繰り返されているからだ。


「怖い…。」


まるで小さな子供のように、彼方は体を震わせる。

荒い呼吸が、どんどん乱れていく。

しばらくして、彼方は過呼吸を起こした。



疲れ切った様子で、彼方は自分に凭れかかる。

過呼吸を起こした後は、いつもそうだ。体の力が抜けて、まともに座ることすらできないらしい。

ここ数日で、京子は何度過呼吸を起こしている彼方を見ただろう。

おかげて、すっかり慣れてしまった。

最初は焦りと不安で取り乱していたが、今では落ち着いて冷静に対処できるようになった。


「…もう疲れた。」


そう言って、彼方は焦点の合わない濁った眼を自分に向ける。

そして自分の手を取り、首元へと宛がった。


「ねえ、京子ちゃん。…僕を殺して。」


「何…言ってるんですか。」


「お願い。もう生きてたくないんだ。ねえ、殺してよ。」


彼方は自分の手を両手で覆い、力を籠めた。

指が喉に食い込む。彼方は苦しそうに顔を歪め、目を閉じた。

酸素を求めているのか、喘ぐように口がパクパクと開閉する。


「ちょっと、やめてください…!」


そう言っても、彼方は力を緩めなかった。

京子は怖くなり、手を離そうとしたが、できない。

むしろ、さっきよりも力が増している。

どんどん彼方の顔色が悪くなっていく。

京子はとっさに彼方を突き飛ばした。


京子に押され、彼方はベッドに倒れ込む。

そして、ゲホゲホと咳き込んだ。


「何やってるんですか!馬鹿なことしないでください!」


彼方は咳き込みながらも京子を見上げる。

その顔は、なんだか悲しそうな表情をしていた。


「京子ちゃんだって…僕のこと、めんどくさいと思ってるんでしょ。

 だったら、殺してくれた方がいい。もういいんだ、全部。もういいんだ…。」


「何がもういいんですか。私は貴方のことを独りにしないって言ったはずです。

 そんな貴方が、私を人殺しにした上、独りにする気ですか。」


彼方は目を見開いて、そしてすぐに伏せた。


「もう嫌なんだ。死んじゃいたい。」


「貴方は、私のために生きてくれるって約束してくれたでしょう?約束破る気ですか。」


「もう嫌なんだってば。辛い…苦しい…。」


「だから、何が辛いんですか、苦しいんですか。言ってくれないと、わかりません。」


京子は彼方の肩に手を置き、彼方を見つめる。

彼方は視線から逃げるように顔を背け、たじろいだように少し後ずさった。

そして、唇を舐めた後、躊躇うように口を開いた。



「…僕ね…人を、殺したんだ。」



静かな部屋で、その言葉がやけに大きく響いた。


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