「孤独を埋める」
登場人物
高橋日向 双子の兄。一人称は俺。
高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。
坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。
中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。
矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。
渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。
竹内京子 二年生。優樹の妹。
新田百合 一年生。日向の恋人。
桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。
白崎医師 精神科医。
リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。
お姉さん リッキーの飼い主。
新田 椿 百合の姉。
竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。
篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。
麗華 彼方の客。
智美 彼方の客。
梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。
川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。
美波沙織 看護師
高橋奈津子 日向の母親
「孤独を埋める」
日向から電話がかかってきたのは、電車を降りてすぐのことだった。
いつもはメールで済ます日向が、わざわざ電話を掛けてくるなんて珍しい。
何か言い忘れたことでもあったのだろうか。
不思議に思いながらも、、百合は通話ボタンを押した。
「もしもし?ひーくん?」
『あ…百合。えっと…もう家?』
電話口から聞こえてきたその声は、どこか沈んでいるように聞こえた。
やっぱり、今日の日向は元気がない。絶対、何かがあったのだ。
「まだです。今ちょうど電車降りたところですよ。」
『そっか。…急にで悪いんだけどさ、今日…泊まりに来ない?』
「え?でもお母さんは…。」
『出掛けてるんだ。久しぶりに、どうかな…って思ったんだけど…。』
「行く!行きます!」
『…ホント?』
「はい!家帰ってお泊りの準備してからすぐ行きます!」
『うん、わかった。電車乗ったら、またメールして。迎えに行くから。』
電話を終えて、百合は早足家に帰った。
急いで着替えや、お泊り用の化粧品を用意する。
確か、シャンプーやパジャマは日向の家に置きっぱなしだ。
ああでも、寒くなってきたから、冬用のパジャマを持って行こう。
日向の家でお泊りなんてどれぐらいぶりだろう。
なんだか凄く久しぶりな気がする。
と言っても、二カ月ぶりくらいか。
ドキドキする気持ちを胸に、百合は荷物を鞄に詰め込む。
そして、帰って三十分もしないうちに支度を終えて家を出ようとした。
その途中、廊下で椿とすれ違った。
椿は自分の大荷物を見て察したらしく、
「またお泊り?ほどほどにしないと、お父さんに怒られるわよ。」
と、意地悪そうに笑った。
百合は両手を合わせて、おねだりのポーズを作る。
「お姉ちゃん、お願い。適当に誤魔化しておいて。」
「はいはい。もー、しょうがない子ねえ。」
仕方ないな、というように椿は肩を竦める。
「お父さんが帰って来ないうちに、早く行きなさい。見つかったらお説教長いわよ~。」
昔から椿は、妹に甘いのだ。
父には友人の家で勉強会とでも言い訳しておいてくれるだろう。
「ありがとう、お姉ちゃん」そう言って、百合は駆け足で家を出た。
電車に揺られながら、百合は考える。
何故日向は、別れた後に急にお泊りを言い出したのだろう。
母親が出掛けていると言っていたが、今日は退院してくる日じゃなかったのか。
母親は、病み上がりの体で、何処に出掛けたというのだろう。
日向の元気が無いように感じたのは、気のせいなんかじゃなかったのかもしれない。
電話口の声も暗く沈んでいたし、帰り道に「寒いだけ」といた日向の目は泳いでいた。
それでも、日向に何かあったことが心配になる反面、真っ先に自分を頼りにして連絡をくれることが、嬉しかった。
きっと、今日はいつも以上に甘えたい気分の日なのだろう。
たっぷりと、甘やかしてあげないと。
あの人の、傷も、孤独も、寂しさも、全部自分が癒してあげるんだ。
日向が待つ駅に着いたのは、電話が来てから三時間後のことだった。
日は沈んで、辺りはすっかり暗闇に包まれている。古い街灯だけが、寂しく点滅していた。
ホームには、私服に着替えた日向が待ち侘びたように立っていた。
電車を降りるなり、すぐに日向は駆け寄ってきた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって。」
「ううん、来てくれただけでも嬉しい。風邪ひいちゃいけないから、早く行こう。」
そう言って、日向は自分の手を引く。
一体いつから待っていたのだろうか。日向の体は冷え切っていた。指先も氷のように冷たい。
その手を温めてあげようと、百合は日向と手を繋いだ。
毎日のように手を繋いでいるが、この日の日向は、何度も手を握り直した。
掌を擦り付けるように握ってみたり、手の甲を撫でてみたり、指を絡めてみたり。
まるで、自分の手の感触を確かめるようだった。
通い慣れた暗い田舎道を歩いて、日向の家に着いた。
夏休みは毎日のように上がり込んでいたのに、随分久しぶりのように感じる。
日向は慣れた手つきで鍵を開け、自分を中へと促した。
百合は玄関へと足を踏み入れた。
玄関の扉が閉まると同時に、背後から日向が抱きしめてきた。
「ひーくん?」
驚いて振り返ると、日向は髪を掻き分けて、首筋にキスを落としてきた。
唇が首筋を這う感触が、なんだかくすぐっい。
背中越しの体温と、耳元で聞こえる息遣い。
どうしたのだろう。いつもの日向じゃないみたいだ。
「ちょ、ちょっと、ひーくん。急にどうしたんですか。」
百合は困惑して声を上げた。
けれど、日向は何も言わずに、キスを落とし続ける。
抱きしめる腕は、まるで自分を逃がすまいと力が籠っていた。
身動きが取れない。どうしよう。なんだか、怖い。
今日の日向は、やっぱりどこかおかしい。
百合は身を固くして、解放されるのを待った。
「大丈夫、何もしないよ。」
そう言いながらも、キスの雨は止まらない。
首筋に、肩に、日向の唇が這う。
肌に触れる呼吸が、なんだか熱っぽく感じる。
しばらくして、日向は堪能し終えたかように、両手をパッと離した。
解放された百合は振り返り、おずおずと日向を見つめる。
すると、日向は少し困ったように眉を下げ、肩を落とした。
「ごめん。…こういうことできるの久しぶりだから、我慢できなかった。…怒ってる?」
「ちょっと…びっくりしただけです。」
「ホントごめん…。そんなつもりじゃなかったんだけど…。
あ…えっと…今日、寒いからシチュー作ったんだ。百合はシチュー好き?」
機嫌を窺うように、日向は自分の顔を覗き込む。
上目で見つめる視線が、不安そうに揺れる。
「シチュー?好きです!」
日向は安心したように息を吐いた。
「そっか、じゃあすぐ温めるよ。」
「もうできてるんですか?」
「うん、百合のこと待ちきれなくて。」
そう言って、日向は嬉しそうに笑う。
そして、何事もなかったかのように、自分の手を引き、リビングへと案内した。
リビングに入ると、部屋の様子がガラリと変わっていた。
キッチンの近くのダイニングテーブルはそのままだが、テレビの前のソファーとテーブルが無くなっている。
代わりに、小さなコタツが置かれていた。
「わあ、おコタツだ!」
「うん、さっき出したんだ。」
「さっき?」
「百合待ってる間することなくて…。寒いしどうせなら、って思って。」
そう言いながら、日向は頬を掻く。
照れた時の癖だ。
それから日向が作ったシチューを二人で食べて、いつものようにテレビを見ながらダラダラとした時間を過ごした。
いつもなら、ソファーで肩がくっつくほど寄り添って座るのだけれど、今日はそのソファーがない。
二人は、向かい合うような形でコタツに足を入れていた。
思えば、食事をする時以外、向かい合って座ることなんてほとんどなかった。
大体いつも隣に日向がいるはずなのに、そこが空いているのは、なんだか変な感じだ。
そんなことを考えていると、なんだかやけに視線を感じる。
向かい側を見ると、日向はテーブルに顎を乗せて、リラックスしきった格好をしていた。
「…ねえ、そろそろくっついてもいい?」
そう言って、日向はうずうずと上目で自分を見つめる。
さっきあんなことをした手前、自分からは触れにくいのだろう。
まるで、お預けをくらった犬のような姿は、見ていてなんだかおかしく思えた。
「もー、ひーくんったら。わんこみたい。」
「…ダメ?」
「いいですよ。」
クスクスと笑いながら、百合は両手を広げる。
後ろから自分を抱えるように、日向がコタツに入ってきた。
「あら、後ろからなんですか?」
日向に凭れて百合は聞く。
「だって、こっちのほうがくっつきやすいし。」
そう言って、日向は自分を抱きしめてきた。
「これじゃあ、私はひーくんのこと、ぎゅーってできないじゃないですか。」
「いいの。俺がこうしたいから。」
自分の髪を梳きながら、日向は満足そうに笑った。
それからは、いつものように指を絡ませてみたり、キスをしてみたり、イチャイチャと恋人らしいことをして過ごした。
思った通り、今日は甘えたい気分らしい。
日向の誕生日以来、こんなにくっつけたことがなかったから、尚更だろう。
まるで充電でもするように、日向は自分の体温を貪った。
夜も更けてきて、そろそろお風呂にしようと、日向は一旦浴室へ消えた。
湯を張り終えて戻ってきた日向は「今日も、泡風呂にしたんだけど。」と言った。
「うわあ。楽しみだなあ。」
百合は楽しみな気持ちで風呂場へ行こうとしたら、日向に裾を掴まれた。
「今日は一緒にお風呂入る?って聞いてくれないの?」
「ええ?ひーくん一緒にお風呂入りたいんですか?」
百合は困惑して首を傾げると、日向は照れたように視線を逸らした。
「…ダメならいい。」
そう言って唇を尖らす姿は、子供のようだった。
「そんなに拗ねないでくださいよ。」
「ううん、別に拗ねてないよ。言ってみたかっただけ。」
結局、一緒に入ることはなかったけれど、日向があんなことを言うのは珍しい。
いつもなら、照れて、思っていても口に出さなさそうなのに。
今日は相当飢えているんだろうな、と百合は思った。
風呂を終えてリビングに戻ると、日向はコタツに入りながら寝転がっていた。
コタツに足を入れて背中を丸めている姿を見ると、童謡の中の猫を思い出す。
「ひーくん、本当に猫みたい。」
「…さっき犬って言ったじゃん。」
「さっきはわんこみたいだっだけど、今は完全ににゃんこですよ。」
クスクスと笑いながら日向の隣に腰を下ろすと、日向はごろんと膝の上に頭を乗せてきた。
いつもなら、恥ずかしいからと言ってこんなことしないのに。
「俺、百合のペットでいいよ。」
瞼を閉じて、日向はぼそりと呟いた。
「ペットでいいから、捨てないで。」
日向の両手が腰に絡みつく。
「ひーくんは、ペットじゃなくて私の彼氏でしょう?どうしたんですか?今日のひーくん、何か変ですよ?」
百合は、子供をあやすように、日向の頭を撫でる。
「…寂しい。」
「寂しい?」
日向はゆっくりと体を起こす。
「本当はさ…。母さん、また出て行ったんだ。」
「出て行った?どうして?」
そう聞くと、日向は一枚の紙を差し出した。
日向に宛てた、母親からの置手紙らしい。
「一緒に暮らせない、一緒に暮らしちゃいけないって…。」
「そんな…。」
「百合…。俺、また独りぼっちになったんだ…。」
日向は俯いて、拳を握りしめていた。
「こんなこと言ったら、笑われるかもしれないけど…。それなりに、幸せだったんだよ。母さんとの生活。
前の母さんは、確かに酷い人だった。殴られたり蹴られたり、もう嫌だって思ってた。
でも…昨日までの母さんは…優しかったんだ。いっつもニコニコしてて、『おはよう』とか、『おかえり』とか…言って…くれて…。」
涙が一粒、日向の拳に落ちた。
「普通の家族になれたみたいで…嬉しかったんだ…。」