表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
154/171

「嵐の夜」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎医師 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。

美波沙織 看護師

高橋奈津子 日向の母親


 「嵐の夜」




今日はやけに、外が騒がしい。

珍しくパトカーとすれ違ったり、青ざめた顔をしている主婦たちがスーパーの軒下で井戸端会議をしていた。

心なしか、町全体がざわざわとしている気がする。

こんな田舎で、何か事件でもあったのだろうか。

それとも、どこかで雷でも落ちたのだろうか。


京子は学校を終えて、家に帰る途中だった。

台風でも来ているのかと思うほどの、激しい雨と吹き荒れる風。昨日の晴天が嘘みたいだ。

手に持った傘は、役に立ちそうもない。風に煽られて、壊れるのが時間の問題だ。

京子は傘を差さずに、びしょ濡れで家路を急いだ。


家に着いて玄関の扉を開けると、彼方の靴が脱ぎ捨ててあった。

彼方の濡れたのだろう。靴の周りに水溜りがでいている。

しかし、何かがおかしい。

いつもなら、自分が帰ってきたらすぐわかるように、部屋の扉が少し空いているはずなのに。

今は、その扉がピッタリと閉められていた。

耳を澄ませてみても、テレビの音や物音は聞こえない。また眠っているのだろうか。


不審に思いながらも、京子は靴を脱いで家に上がった。

キッチンを通り過ぎ、いったん脱衣所に寄ってタオルを取る。

とりあえず体を拭きながら、部屋の扉を開けた。


部屋の中は、真っ暗だった。

電気もつけず、カーテンも閉め切られている。

テレビも暖房もつけられていない、ただ静かな空間だった。


「…京子ちゃん?」


その弱弱しい声に視線を向けると、彼方が頭から布団を被り、膝を抱えてベッドの上に蹲っていた。


「どうしたんですか?部屋、真っ暗じゃないですか。」


そう言いながら、京子は部屋の電気を付けた。

明るくなると、彼方は背をビクッと震わせ、一層布団を深く被り、顔さえを隠してしまった。

明らかに普通の様子ではない。異様な雰囲気だ。


「彼方さん?」


京子がベッドに近付くと、彼方は縋るように自分を抱きしめてきた。

その体はひんやりとしていた。まだ体が濡れている。

寒さからか、小刻みに震えていた。


「ちょっと、濡れてるじゃないですか。体拭かないと、風邪ひきますよ。」


彼方は何も答えない。

代わりに、嗚咽を洩らして泣きだしてしまった。

痛いくらいに自分を抱きしめて、子供のように泣きじゃくる姿に、京子は困惑した。


一体どうしたんだ。何かあったのか。

しかし、彼方は何も言わず、肩を震わせて嗚咽を洩らし続ける。

京子はそんな彼方を抱きしめて、背を撫でてやった。


落ち着かせようと、ゆっくりと優しく背中を撫でる。

けれど、彼方の嗚咽が止まることはなかった。

そして徐々に、彼方の呼吸が浅く、早く、苦しそうなものへと変わっていった。

また、過呼吸だ。


彼方は、喘ぐように浅い呼吸を繰り返す。


「彼方さん、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから。」


京子にできることなどほとんどなく、ただ抱きしめて声を掛けることしかできなかった。

彼方は、力なく自分に凭れかかっている。

それでも自分を離すまいと、震える手でギュッと制服を掴んでいた。


寒い。まるで、体の芯まで冷えたようだ。

それは、雨で濡れたのと、部屋の暖房がついていないから。

そして、彼方の涙が自分を濡らし続けるからだろう。


「ほら、ゆっくり息吐いて。大丈夫、私はここにいますから。」


彼方は肩を上下に揺らして、必死に呼吸を試みる。

しかし、なかなか上手くいかないようだ。

空気を求めて開きっぱなしの口からは、だらしなく唾液が垂れていた。



過呼吸が治まったのは、それからしばらくしてのことだった。

いつもより落ち着くのが遅かったせいか、疲労したのだろう。

彼方はぐったりとベッドに横たわっている。

それでも自分の袖をしっかりと掴み、離す素振りはない。


「何かあったんですか?」


返事はない。

ただ静かに自分を見つめて、黙ったまま彼方は目を逸らした。


「着替えてくれないと、ベッドびしょびしょになるんですけど。」


そう言ってみても、彼方は黙っている。

京子は溜息を吐き、せめて自分だけでも着替えようと、ベッドから降りようとした。


「待って。…行かないで。」


彼方の冷たい手が腕を掴む。


「着替えてくるだけですよ。私もびしょ濡れで寒いんです。シャワーも浴びたいし。」


掴んだ腕に、力が籠る。

彼方は痛いくらいに自分の腕を掴んで、泣きそうな顔をした。


「…だめ。ここにいて。一緒にいて。お願い。」


「そんなこと言っても、このままじゃ二人とも風邪ひきます。すぐ戻ってくるから、離してください。」


「やだ。絶対離さない。」


彼方は、子供が駄々をこねるように首を振る。

京子はもう一度溜息を吐いた。


結局、彼方を諭して着替えるのに、一時間以上もかかった。

シャワーを浴びてくると言っても、脱衣所の前までついてきたり、シャワーを終えて脱衣所を出ると、廊下でしゃがみ込んで待っていたり、まるで自分を見張っているかのようだった。

半ば無理矢理に彼方にもシャワーを勧めて、やっと京子は解放された気分だ。

その解放も、ほんの一時だろうけど。


一体何があったのだろう。

ソファに座り、タオルで濡れた髪を拭きながら、京子は考える。

彼方は塞ぎこんでいる理由も、泣いた理由も、何も言わない。

口を開けば、「どこにもいかないで。傍にいて。」ただそれだけ。


昨日の彼方は、いつも通りに見えた。

何かあったとしたら。今日だ。

いや、昨日の彼方はいつも通りだったか?


スーパーで日向を見てから、ずっと物憂げそうにしていたじゃないか。

彼方の好物の肉じゃがを作っても、彼方のリクエストのサバの塩焼きを作っても、彼方は笑ってはくれなかった。仮面の笑顔を作るだけだった。

そして珍しく、自分を抱いた。「大事にしたいから抱かない」と言っていた彼方が、自分を抱いたのだ。

今思えば、あれが彼方からのサインだったのではないか。


何なんだ。一体何があったんだ。

昨日よりも今日の方が、ずっと落ち込んでいるように見える。

いや、落ち込んでいるなんてものじゃない。彼方は、塞ぎこみ、何かに怯えているのだ。

一体何に怯えているんだ。自分が学校に行っている間に、何があったんだ。


考えてみても、京子にはわからなかった。

彼方から話を聞くしかない。

今はまだ口が利けない状態でも、落ち着いたらちゃんと話してくれるだろうか。


考えても仕方がないと思い、京子はテレビのリモコンの電源ボタンを押した。

しかし、テレビはつかない。

もう一度ボタンを押してみた。

ダメだ。反応しない。


ふと、机の上に視線を落とすと、単三電池が二つ転がっていた。


「もしかして…。」


京子はリモコン裏返し、電池ケースを開いた。

やっぱり、中は空だった。


「なんなのよ、もう。」


そう言いながら、京子はリモコンに電池を入れようとした。

その時、自分の手からリモコンが消えた。


「…いいじゃない、テレビなんて見なくても。」


振り返ると、まだ髪が濡れたままの彼方が立っていた。

彼方は奪ったリモコンをベッドに投げ捨て、京子の手の平に乗ったままの電池も素早く回収する。


「ちょっと、何するんですか。」


彼方は何も答えずに窓際に向かい、カーテンを閉めた。

そして京子の元に戻ってくると、縋りつくように自分を抱きしめた。

まるで、母親から離れたくないと駄々をこねる子供のようだ。


「…髪、まだ濡れてるじゃないですか。」


やっぱり彼方は何も答えない。

京子の肩に顔を埋めているので、表情も見えない。

濡れた髪から滴る雫で、せっかく着替えた京子の服が濡れ始めていた。


「…もう。」京子は溜息を吐いて、自分が使っていたタオルで彼方の髪を拭いた。

少しタオルは湿っているが、まあいいだろう。

彼方はされるがまま、ただ黙って、大人しく京子に身を任せていた。


やがて髪を拭き終えても、彼方は口を噤んだままだった。


「…テレビ見みたいんですけど。」


彼方は何も答えない。自分を抱きしめる腕も、離すつもりはないらしい。


「今日の夕飯、何がいいですか?」


また彼方は答えない。代わりに、小さく首を振った。

食事はいらない、という意味だろうか。


「今日、仕事は?」


今度は何の反応もない。

京子は段々と苛々してきた。


「いい加減にしてください。いつまでそんな子供みたいなことしてるんですか。ちゃんと話してくれないと、私もわからないし、何もできませんよ。」


苛立ちのまま、京子は静かに言い放った。

けれど、やっぱり彼方から返事はない。

代わりに、すすり泣く声が聞こえてきた。


「ちょ…ちょっと、泣かないでくださいよ。」


すすり泣く声に、嗚咽が混じる。さっきと全く同じだ。


どうして彼方は泣くのだろう。

何が彼方を悲しませているのだろう。

何故彼方は、いつも以上に自分に執着しているのだろう。


「…怖い。」


聞き取れないほど小さな声で、彼方はポツリと呟いた。


「怖い?何がですか?」


そう聞いても、彼方は嗚咽を洩らすだけ。


京子の肩が、涙で濡れていく。

細く頼りない肩が、怯えているように震える。

自分を抱きしめる腕は力強く、まるで彼方に囚われたみたいだ。


子供のように泣きじゃくる彼方の体を、京子はそっと抱きしめた。

それだけしかできない。ただ、それだけしかできない。

彼方の不安も、怯えも、悲しみも、京子には何もわからないのだ。


いっそ、全てを話してくれたらいいのに。

そうすれば、少しはわかってあげられるのに。

その傷を、分け合うことも出来るはずなのに。

しかし、彼方は大事なことを、何一つ語ってくれない。

いつもそうだ。この人は、一人で抱え込むんだ。


「…独りにしないで…。」


嗚咽交じりに洩らした声が、震えていた。

それはまるで、祈るように、願うように、切実な声だった。


「何処にも行かないで…。僕の傍にいて…。約束…してくれたよね…?」


朝から降り続いた雨は勢いを増し、窓ガラスに叩きつける。

それはまるで、嵐が来たみたいだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ