「狭い箱庭」
登場人物
高橋日向 双子の兄。一人称は俺。
高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。
坂野亮太 クラスメイト。
中村将悟 クラスメイト。
矢野千秋 クラスメイト。
新田百合 一年生。
2日に1回くらいのペースで更新していこうと思います。
※今回は人によってはBLと感じる表現が含まれています。
「狭い箱庭」
けたたましい目覚まし時計の音で目が覚めた。
彼方は目覚まし時計を止め、隣で寝息をたてる日向を見つめる。
そして再び布団に身を沈めて日向の手を握り、目を閉じる。
今はこの静寂だけが彼方の癒しだった。
怠惰に任せ、惰眠を貪る。
手の平から伝わる体温が、心地よかった。
「彼方!彼方!起きろ。遅刻だ!」
日向の声とその手に揺すられて目を覚ます。
薄く瞼を開け、その指先に自分の指先を絡めて引き寄せる。
「…やーだ。」
「おい、彼方…。」
日向は困惑しながら布団に戻される。
彼方は眠そうな、甘えた様な瞳を日向に向ける。
「起きないと…。」
「だーめ。日向は僕と一緒にいるの。」
力強い腕。
裏腹に、子供のように駄々をこねる彼方。
日向は絡められた指で手の自由が利かないため、
上体だけを起こして彼方に向き合う。
「でも、学校行かないと…。」
「日向は僕だけがいればいい。…そうでしょ?」
「…え?」
逃げられないように日向の手首を掴む。
光が宿っていない瞳が、日向を離さない。
そんな彼方に、日向は少しの恐怖を感じた。
「どうし…」
跳ねのけようとした腕は、びくともしない。
「僕だけいればいいでしょ?」
日向の言葉を遮り、
そのまま覆いかぶさるように彼方は日向を組み敷く。
「他の人間なんて、いらないでしょ?」
「彼方…なにして…。」
「ねえ。キス、しようよ。」
手首を握る手に、より一層の力が加わる。
同じ体のはずなのに、自分とは全然違う力に日向は戦慄した。
自分だけしか映していないような瞳に、抵抗ができなかった。
「…は?何言って…」
その声は、彼方の唇に塞がれた。
生暖かく、柔らかい感触。
顔を背けようとしても、彼方は離さない。
呼吸が、できない。
薄くなる酸素に、生理的な涙が滲む。
必死に抵抗するも、酸欠で腕の力が抜ける。
長いような、短いようなキス。
しばらくして唇が離れる。
荒い息。潤んだ瞳。
だらしなく開いた唇からは、わずかに涎が垂れていた。
そんなことも構わず、日向の肺は酸素を求めることに夢中だった。
「はぁっ…はぁっ…。」
そんな日向を見下ろし、彼方は切なそうな顔をする。
「僕、日向のこと、好きだよ。」
肩で息をする日向を、真っ直ぐに見つめて囁く。
「お前…っ。なにして…っ。」
息も絶え絶えに、潤んだ瞳で彼方を睨む。
反抗的な日向の瞳に、彼方は少し悲しそうな顔になる。
「日向じゃなきゃ、ダメなんだよ。僕には日向しかいないんだよ…。」
そう言いながら彼方は日向の首元に顔を埋める。
瞬間、
「…っ!?」
日向の首筋に鋭い痛みが走る。
彼方の鋭い歯が、日向の白い首筋に食い込む。
「ちょっ…!痛い!痛いっ…から!やめろ…って!」
白い首筋からは、血が滲み出ていた。
その血を愛おしそうに、彼方が丁寧に舐めとる。
肌を這う彼方の熱い舌は、くすぐったいような、ゾクゾクするような不思議な感触だった。
「…っ!いい加減にしろっ!」
日向は手足をバタつかせ、必死で抵抗を試みる。
しかし、彼方の強い力にビクともしない。
「もう…。ちょっと黙って。」
顔を上げた彼方は、凍り付くような冷たい目をしていた。
そして再びキスで唇を塞がれる。
今度は触れるだけの短いキス。
少し、血の味がした。
「…日向が悪いんだよ。日向は僕だけを見てて。」
「なんで…こんなこと…っ。」
そのまま、また日向の首元に顔を埋める。
彼方の舌が傷口に触れるたび、言い知れぬ恐怖を覚えた。
「誰にも…奪われたくない。」
耳元で囁く彼方の切ない声。
纏わりつくようなその言葉が、怖い。
「お前…っ!おかしいぞ!こんなことして…っ」
言いかけた言葉が止まる。
―この口は、ひどく誰かを傷つけるから。
昔の記憶が蘇る。
抵抗すれば、この口を開けば、誰かが傷つく。
だから感情を、言葉を、閉ざしていた。
彼方の苦しそうな泣きそうな瞳に、日向は何も言えなくなる。
「ねぇ…。日向は、僕がいないと生きていけないよね…?」
組み敷かれる日向の顔に、首筋に、生暖かい水滴が落ちる。
痛々しいほど切ない表情で、彼方は涙をこぼす。
「彼方…?」
「日向は僕のものなんだよ…。好きなんだ…。離れていかないで…。」
その真っ直ぐな自分に向けられる依存心が、余計に心を抉る。
こんなことが許されるわけがない。
いくら双子と言えど、この屈折しきった関係は認められるわけがない。
それでも小刻みに震える日向の手首を強く握る彼方の腕が、
真っ直ぐに日向を見つめる涙で揺れる瞳が、
生暖かい舌の感触が残る傷口が、日向を捕らえて逃がさない。
日向は、抵抗をやめた。
火曜日。
今にも雨が降ってきそうな、重々しく暗い雲が空を覆っている。
昼休みになっても日向と彼方は学校に現れなかった。
「で?昨日あの後どうだった?」
将悟は焼きそばパンの袋を開けながら、亮太に問いかける。
「どう、って…ちゃんと家まで送ってったけど。」
コロッケパンを咥えながら亮太は答える。
机の上にはアンパンやピザパンやメロンパンなど、
購買で買ったと思われるパンが大量に並べられていた。
亮太は昔からとにかく食べる量が多い。
「は?それだけ?」
将悟は小さく口をポカンと開け、亮太の方を見る。
「それだけって…あんなことがあった後だろ…。」
コロッケパンを咥えて、ピザパンの袋を開けながら器用に話す。
しかし机の上にパンのカスがたくさん散らばっている。
「あんなことがあった後だからこそ、告白しとけばよかったのに。」
そんな様子を横目に、将悟は小さく焼きそばパンを一口齧る。
唇や頬にコロッケパンのソースや衣をつけた亮太は、俯きながら呟く。
「そんな弱みに付け込むみたいな真似したくねえし…。」
将悟は呆れたようにため息を吐く。
「ただのビビり野郎だな。」
「うるせえ。」
この男は変なところで真面目である。
空気が読めなく、破天荒なくせに卑怯なことを嫌う。
重々しい空を見つめながら、亮太は目の前の空白の席の日向を思った。