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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「猫とペンギン」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎医師 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。

美波沙織 看護師

高橋奈津子 日向の母親



 「猫とペンギン」




家に帰ってすぐに、京子はペンギンのストラップを学生鞄につけた。

その様子を、彼方は満足そうに微笑んで見ていた。

初めてのお揃いのストラップ。

今日という日の記念に、このストラップを大事にしようと京子は思った。


「本当につけてくれたんだ。」


「だから、ちゃんとつけるって言ったでしょう。」


「うん。ありがとう。お揃いだね。」


そう言って、ポケットから携帯電話を取り出して、彼方は嬉しそうに微笑む。

携帯電話に付けられた彼方のストラップが、ゆらりと揺れた。

自分のものと同じ、ペンギンのストラップ。

あまりにも嬉しそうな顔をするものだから、京子は少し恥ずかしくなった。

こんなの、馬鹿ップルみたいじゃないか。


「何がそんなに嬉しいんですか。」


「えへへ。だって、すっごく恋人っぽいじゃない。」


「っぽい、じゃなくて、恋人でしょう。…一応。」


「ふふ、そうだね。嬉しいなあ。」


そう言ってから、彼方は大きな欠伸を一つした。

そういえば、帰りのバスの中、家に帰ってから、彼方はしきりに欠伸を繰り返した。

午前中に家に来たのだから、今日は眠っていないのだろうか。


「眠いなら、仮眠取ったらどうですか?今日も仕事なんでしょう?」


「うん…まあ。じゃあ、ちょっとだけ寝ようかなあ。」


彼方は、ごろんと狭いベッドに寝転がる。

そして、両手を大きく広げて、甘えるように言った。


「京子ちゃん、こっちおいで。」


「嫌ですよ。二人で寝たら、狭いじゃないですか。」


「それがいいんじゃない。本読んでても、携帯弄っててもいいからさ、隣にいてよ。」


おいでおいで、とでも言うように、彼方は手招きをする。

京子は、溜息を吐いてベッドにもぐりこんだ。


「全く。子供じゃないんだから。」


「ふふっ、京子ちゃんは優しいね。そんなこと言いながら、僕のお願いを聞いてくれるんだもん。」


「別に、そんなつもりじゃないですよ。彼方さんが、どうしても、って言うからでしょ。

 それに、彼方さんって、ほっとくとめんどくさいし。」


また自分の口から、天邪鬼な言葉が洩れる。

本当は、こんなこと言うつもりじゃないのに。

どうしても、素直になれない。

彼方と共にいられることが、嬉しくて仕方ないはずなのに。


彼方の両腕が、自分の体を捕らえる。

京子は、抱き枕のように彼方に抱きしめられてしまった。


「…なんか、幸せ。」


はにかむように、彼方は笑う。


「こうやって、一緒に寝るの好きなんだよねえ。なんかいい夢見れそう。」


そう言って、彼方は満足そうな顔を見せた。

今日一日中、心底嬉しそうに、幸せそうに彼方は笑っている。

こんな他愛のないことで、こんなに素直じゃない彼女なのに、彼方は本当に幸せそうに笑う。


「…彼方さんって、欲がないですよね。」


京がポツリと呟くと、彼方は不思議そうに首を傾げた。


「そう?そんなことないけど。」


「だって、欲しいもの聞いても、何もいらないって言うじゃないですか。」


「だってなあ…。欲しいもの言ったら、くれるの?」


顎に手を当てて少し考える素振りを見せた後、彼方はじーっと京子の顔を覗きこむ。

子供のような伺いの眼差しに、京子はたじろいだ。


「…高いものはちょっと無理ですけど、一応私もバイトしてますから、ある程度のものなら。」


彼方は、うーんと唸った後、静かに首を振った。


「僕の欲しいのは、お金で買えないものかなあ。」


「お金で買えないもの…?何ですか?」


そう京子が聞くと、彼方は抱きしめる腕を強めた。

すっぽりと彼方の胸に包まれる。鼓動が聞こえるほど、近くに彼方を感じる。

縋るように、しがみつくように、彼方は腕の中に自分を閉じ込めて、耳元で囁いた。


「…家族。家族がほしい。」


切なく吐息が揺れた。


「…家族?」


何を言っているんだ、この男は。

結婚だ、家族だって、何をこんなに生き急いでいるのだ。

京子はハッとして顔を上げると、彼方は口元を緩めて笑っていた。


「なーんてね。嘘だよ。ただの冗談。」


「…結婚したいだとか、家族が欲しいだとか、ちょっと生き急ぎすぎなんじゃないですか」


「だから冗談だって。他意はないよ。」


そう言って、彼方は大きな欠伸をした。


「そろそろホントに寝るね。六時くらいに起こして。」


自分を抱きしめたまま、彼方の瞳が閉じる。

やがて、数分もしないうちに寝息が聞こえてきた。


いつもはそっぽを向いてばかりで、まじまじと彼方の顔を見たことはなかった。

口をポカンと開けていて、マヌケな寝顔だ。

けれど、そんな無謀な寝顔が、なんだか可愛らしく思えた。

こうやって、彼方の寝顔を見るのは、数えるほどしかない。

何度か彼方は家に泊まったが、いつも自分が先に眠ってしまい、目を覚ましても先に彼方が起きているからだ。

栄養不足か生活リズムの乱れか。肌は少し荒れているようだが、綺麗な顔をしている。

白い肌、整った顔、長い睫毛。彼方が女子にモテるのも、わかる気がした。


つんつんと、指で彼方の頬を突いてみる。

起きない。いつかは寝たふりをして、自分をからかったのに。

もう一度突いてみる。彼方は、顔をしかめて低く唸った。

指を離せば、しかめた顔が緩む。


指先で唇をなぞってみる。

彼方は、くすぐったそうに小さく首を振った。

起きない。ただ規則正しい寝息が洩れるだけ。

どうやら、完全に眠っているみたいだ。


京子は薄く開いたその唇に、そっとキスをしてみた。

触れるだけの短いキス。彼方の瞳は閉じたままだった。

彼方とキスをしたのは、数えるほどしかない。

彼方に抱かれたのも、夏休み前のたった一度だけだった。


もっと触れてくれてもいいのに。

時には、少し強引に迫ってくれてもいいのに。

じゃないと、素直じゃない自分からは誘えない。

もっと、繋がっていたいと思うのに。羞恥心が、邪魔をする。


京子は彼方の腕をするりと抜けて、ベッドを降りた。

そして、化粧台の棚を開き、綺麗にラッピングされた小さな箱を取り出す。

その包装を剥がして、箱を開けると、自分の胸にあるネックレスと同じ、猫と月がモチーフのピアスが出てきた。

彼方がこのネックレスを買ってくれた店と同じ店で買ったものだ。

本当は、初めてのお揃いは、これになるはずだったのに。

どうにも面と向かって渡せそうにない。それどころか、まだおめでとうも言えていない。


京子はベッドに戻り、もう一度彼方の頬を突いてみた。

彼方は顔をしかめることもなく、すやすやと寝息をたてている。


起きない方が都合がいい。

そう思いながら、京子は彼方の傷んだ髪の毛を掻き分ける。

右耳には、リング状の銀のピアスが光っていた。

それをそっと外して、自分が用意したピアスに付け替える。

お揃いの猫が、キラリと彼方の耳で光った。


外したピアスはどうしようか。

とりあえず、化粧台にでも隠しておくか。

彼方がピアスに気付くのは、いつだろう。

なるべく遅い方がいい。できれば、帰った後がいい。

自分といる時に気付かれたら、恥ずかしくて死んでしまいそうだ。

今でも、なんだか気恥ずかしい。ああ、神様、どうか気付かせないで。

祈るような気持ちで、京子は彼方の寝顔を眺めた。


安心しきっている無防備な寝顔。

けれど、さっきの彼方の笑みが偽物だということに、京子は気付いていた。

冗談だよ、だなんて、少しも冗談に聞こえなかった。

彼方は、何かを隠している。それが何かは、わからない。

けれど、わかるんだ。彼方は、何かを隠している。


彼方は、孤独な人だ。

家族を捨て、普通の生活も捨て、何もかもを手放した。

今の彼方に、家族はいない。それどころか、友人の一人もいない。

唯一心の支えにしていた日向にも、会えなくなってしまった。


自分といることで、少しはその寂しさを癒せているのだろうか。

自分は、彼方に何かをしてやれただろうか。彼方を救ってやれているのだろうか。

彼方は今、幸せなのだろうか。



午後六時が近付いてきた。

気持ちよさそうに眠っているのを邪魔したくはないけれど、そろそろ起こさないと。

もう少し一緒にいたいけど、まだ帰したくはないけれど、時間なのだから仕方ない。

京子は大きく溜息を吐いた。


「彼方さん、起きてください。」


声を掛けても、彼方の瞼は閉じたまま。起きる素振りはない。

仕方なしに彼方の体を揺すると、彼方は薄らを目を開けた。


「ううーん、あと五分…。」


そう言って、彼方は頭まで布団に潜り込む。

まるで、ただをこねる子供のようだ。


「六時に起こして、って言ったのは、彼方さんじゃないですか!」


「もうちょっと…。あと五分だけだから…。」


「そんなこと言って、五分後も同じこと言うんでしょう?」


「言わないからぁ…。」


「ほら、早く起きてください!」


京子は、無理矢理に布団をはぎ取る。

彼方は寒そうに体を丸めた。


「うー。京子ちゃんひどいー。」


「ひどくないですよ。むしろ感謝してください。」


「うーん…。」


目をしぱしぱとさせながら、彼方は諦めたようにゆっくりと体を起こす。

そして、ポケットから携帯電話を取り出しながら、大きな欠伸を一つ。

まだ眠たいのだろう。二時間も睡眠をとれていないのだから。


寝ぼけ眼のまま壁に凭れかかって、彼方は携帯電話を操作する。

メールでもしているのだろうか。ディスプレイに指先が滑る。

いつもなら、自分といる時には、ほとんど携帯電話を触らないのに。

その姿を見ながら、京子は小さく呟いた。


「…今日くらい、休めないんですか?」


「なあに?まだ一緒にいてほしいの?」


冗談めかして、彼方は笑う。

自分が否定するのをわかっていて、からかってるつもりなのだろう。

けれど、京子は否定せずに、小さく頷いた。

まだ、一緒にいたい。


「…もう少しくらい、いいじゃないですか。」


思ったよりも簡単に、本音が口から出た。

彼方は眠たそうな目を擦って、意外そうに眼を瞬かせる。


「え?え?今なんて?」


訳が分からないと言うように、彼方は目をパチパチとさせながら聞き返す。

眠そうだった瞳は、パッチリと開いていた。


「だから、今日くらい休んだらどうですか、って言ってるんです!」


京子は赤面しながら、顔を背ける。照れ隠しで、語気が強くなった。

素直にもう少し一緒にいたいと言えればいいのに、自分にはそれができない。

上手く甘えたり、誘うことなんてできないんだ。


「うーんと、嬉しいんだけど…急には休めないかなあ。」


彼方は、困ったように頬を掻く。


「そうですか…。」


しょんぼりと京子は肩を落とした。

ワガママと言ってもしょうがない。仕事なのだから、仕方ない。

わかってはいるけれど、少し残念な気持ちになった。

そんな姿を見て、彼方は首を傾げて悩むような素振りを見せた。


「ちょっと待ってて。優樹さんに電話してみる。」


そう言って、彼方は携帯電話の画面をタップして、耳に当てる。

呼び出し音が微かに聞こえる。彼方は人差し指を立てて、静かに、と京子に合図を送った。

しばらくすると、電話が繋がったらしく彼方が喋り出した。

どうやら、今日休めないか掛け合っているようだ。


京子は、二人の会話を聞こうと、彼方にピッタリとくっついた。

彼方と目が合う。彼方は、ふっと微笑んで、自分の頭を撫でた。

京子はなんだか恥ずかしくなって、目を伏せ、唇を尖らせて黙っていた。


やがて電話が終わると、彼方は顔を上げて自分に微笑みかけた。


「今日、休みにしてもらっちゃった。」


「別に…そこまでしなくてもよかったんですよ。」


「えー、だって、京子ちゃんが甘えてくるの珍しいんだもん。」


自分を抱きしめて、彼方はもう一度ベッドに寝転がる。

京子も、彼方と共にベッドに寝転がされてしまった。


「京子ちゃんは、どんなふうに甘やかしてほしいのかな~?」


彼方は満面の笑みを自分に向ける。

そして、まるで犬でも可愛がるように、頭を撫でてきた。

その手がやけに心地よくて、京子は目を細める。


「ふふっ。京子ちゃんったら、本当に猫みたいだね。ゴロゴロ~って言うかな?」


そう言って、京子の顎の下を指先で撫でる。

京子はくすぐったくて、首を振って顔を背けた。


「言うわけないでしょう。私は人間です。」


「そっか、残念。」


笑みを浮かべながら、彼方は手を離す。

そして、自分の瞳をじーっと見つめてきた。

甘えるような、おねだりするような、上目の瞳。


「…何ですか?」


「キス、していい?」


遠慮がちに、彼方は言う。


「そんなこと聞くなんて、貴方らしくないですね。」


「だって、今日煙草吸ったし、京子ちゃん嫌がるかなーって思って。」


「そう思うなら、ちゃと禁煙すればいいのに。」


「それがなかなかできないから困ってるの。」


「自業自得です。調子のって煙草吸い始めた彼方さんが悪い。」


「ちぇー。相変わらず京子ちゃんは厳しいなあ。」


そうして、二人で笑い合う。

他愛のないことで笑い合える、この時間が好きだった。

彼方が心底楽しそうに笑ってくれるこの時間が。

自分だけに笑みを見せてくれる、二人っきりの夜。


笑い終えて、静かに二人は見つめ合う。

そして、京子の方から彼方に口づけた。


仄かに煙草の香りがした。

本当は、煙草を吸う男が嫌いだなんて、嘘だ。

自分が幼いころから兄は煙草を吸っていたし、兄の周りの人間も同じ。

彼方にキスをされてしまうのが照れくさくて、つい、そう言ってしまっただけ。

それを気にしているなんて、彼方も案外可愛いところがあるものだ。


唇が離れると、彼方ははにかむように笑った。


「ふふっ、京子ちゃんったら、積極的。」


その笑顔がなんだか愛おしくて、心がきゅっと締め付けられた。

もう少し、素直になってみたい。

恥ずかしくたって、この人が笑ってくれるのなら、たまには素直になってもいいじゃないか。


京子は彼方を抱きしめて、小さな声で囁く。


「…今日くらいは、好きにしてもいいですよ。」


「なあに?誘ってるの?」


彼方は茶化しておかしそうに笑う。

けれど、京子はニコリともせずに、赤面した顔を彼方の胸に押し付けた。


「…悪いですか。」


「…え?」


彼方は少し意外そうな顔をして、そしてすぐに笑った。


「京子ちゃんは、意外としたがりさんなんだねえ。」


クスクスと笑いながら、彼方は京子の髪を撫でる。

けれど、それ以上は何も言わなかった。

黙ったまま、ただ静かに自分の髪を梳くだけ。


彼方と付き合ってからは、まだ一度も抱かれていない。

それどころか、付き合ってから彼方は、自分の体を求めることをしなくなった。

以前はみっともないくらいに他人の温もりを求めていたのに。何故。


「…しないんですか?」


「しないよ。京子ちゃんのこと、大事にしたいからね。」


「…この私が、好きにしていいって言ってるんですよ。」


「うん。だから、こうやって、ぎゅーってしてるじゃない。それで満足。」


京子は少し不満に思いながらも、彼方にされるがまま、抱きしめられ、頭を撫でられた。

結局、この日は、いや、この日も、彼方が自分を抱くことはなかった。


ただ、ありふれた日常だった。いつも通りの、他愛のない日常だった。

外が暗くなるまでベッドで微睡んで、いい時間になれば京子は夕食を作ろうとキッチンへ入る。

彼方は相変わらず眠そうな顔をして、顔を洗おうと洗面所へと向かって行った。


やがて、洗面所から驚いたような彼方の声が聞こえたが、京子は聞こえないふりをした。




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